第9話

 目を瞑っているうちにどうやら眠ってしまったようだった。軽く肩をゆすられて目を覚ますと、目の前にヨハンの顔があった。馬車が止まっていることから目的地に着いたことを察する。

「よく眠っていらっしゃいましたね」

 優しく笑いかけてきたヨハンをぼんやりとした顔で見上げる。ゆっくりと何度か瞬きを繰り返してようやく意識をはっきりとさせる。ずっと同じ姿勢で寝ていたこともあり、全身が凝り固まっているようだった。

 窓の外を見ると日はだいぶ落ちており、もう直ぐ夕方といったところだった。オレンジがかった太陽の光が馬車の中を照らす。その光が眩しくてまた瞬きをする。

「大丈夫ですか?」

 反応のないカルラを心配そうにヨハンが見つめてくる。

「ごめんなさい。大丈夫です。」

 軽く頭を振って、しっかりと答える。カルラの様子に安心したようにヨハンが微笑む。ヨハンはカルラが大丈夫だと分かるとカルラに手を差し伸べた。

「ユリシアナ村に着きました」

 カルラはその手を取ることを躊躇したが、迷った末に素直にその手を取ることにした。ヨハンにエスコートされながら馬車の外に出る。

 馬車の外に出ると甘い香りが混じった心地良い風が二人を包んだ。馬車は村の入り口に停まっているようで、村の方を見ると民家が立ち並んでおり、村の外れには農作物を育てるための田畑があった。ちょうど植え替えの時期なのか田畑は綺麗に整備されており、何かが育っている様子はなかった。

 村の住民だろうか、祭りの準備をするためかたくさんの村人が忙しそうに動き回っていた。その村人たちをよく見ると、みんなどこかしらに花を付けていた。さらに民家の方に目を向けると、それぞれの家々も花で装飾されており、村一面が花でいっぱいだった。 

「ユリシアナ村では冬に行われる祭りの際に、沢山の花を使い来年の幸福も願うそうです」

 色とりどりの花に身を包み、動き回る村人達を眺めながらヨハンが教えてくれた。

 祭りといっても小規模なものを予想していたため正直にいうと、ユリシアナ村の祭りがこんなに豪華なものだとは思っていなかった。それくらいたくさんの花でユリシアナ村は飾り立てられていた。

「カルラお嬢様!」

 花の香りを楽しみながら肩の力を抜いているとアンが走って近寄ってきた。近くにきたアンの目線がカルラの手に向いているのに気づき、はっとする。

 村の様子に圧倒され忘れていたが、カルラはヨハンの手を握ったままだった。そのことを思い出したカルラはアンに指摘されるよりも前にその手を解いた。

「ど、どうしたの、アン」

 側によってきたアンは初日のような顔色の悪さはなく、代わりに興奮しているのかほんのりと頬が赤く染まっていた。

「お邪魔してしまい申し訳ございません」

 キラキラと輝かせた瞳を伏せ、許しを乞うようにカルラとヨハンを交互に見る。アンのしおらしい様子にアンが誤解をしていると思い、思わず嫌そうに顔を顰めた。

「特に何かしてたわけじゃないから大丈夫よ。気にしなくていいわ」

「そ、そうですか……?それなら安心しました」

 カルラの言葉にホッとしたのか柔らかい笑みを見せる。

「それよりも何かあったんじゃないの?」

「あ!そうでした。まず、事務報告になるのですが、必要な荷物は全て宿に運び終わりました。それと、村の人たちが、夜に行われる本祭までに村のことを紹介してくださるそうです」

 アンが少しだけ体をずらして後ろに待機していた村人が見えるようにする。焦茶色をした髪を右耳の下で一つに結んだ物腰柔らかそうな女性と、灰茶色をしたボブカットの女性がカルラの方に向かって手を振っていた。どちらの女性も色とりどりの花で編まれた花冠を頭につけていた。

「そう。じゃあお言葉に甘えさせてもらいましょう。折角の機会だからね」

「あ、でも……」

 カルラが村人の元へと足を進める。アンは取り残されたヨハンの方を見て、また離れていくカルラの方を見て困ったような顔を見せた。アンに気遣われたことを察したヨハンは目を細めて笑った。

「私のことはお気になさらずに。カルラ嬢の言う通り、この機会にこの村を楽しんでください。」

 ヨハンの言葉を恐縮そうに受け取るとアンは一礼してカルラの方は走った。

「こんばんは」

「ようこそ、ユリシアナ村へ」

 一つ結びの女性がおっとりとした声で挨拶をして、ボブカットの女性が優しく微笑みながら二人を迎えてくれた。

「こんばんは。突然お邪魔してしまってごめんなさい」

「かまいませんわ。お祭りはたくさんの人と分かち合ってこそ、真に楽しめるというものですわ」

「そう言っていただけて嬉しいです。……私はカルラ・ウォーカー。こっちらは私の従者のアン。あなた方の名前を伺ってもいいかしら?」

 カルラが自分自身とアンの自己紹介をするとアンは慌てた様子で頭を下げた。

「カルラ様にあん様ですね。お二人とも素敵なお名前ですわ」

 一つ結びの女性が目を輝かせる。

「私はサテラ。こっちのおっとりとした子がユーミン。ここでの祭りは初めてか……ですか?」

 ボブカットの女性、サテラが二人分の自己紹介をしてくれる。サテラは途中で自分の言葉遣いが良くなかったことに気づきすぐに言い直した。敬語を使い慣れていない様子が新鮮で思わずくすりと笑ってしまう。

「す、すみません。敬語はあまり慣れていなくて」

「気にしなくてもいいわ。私だって自分の身分をひけらかしたい訳じゃないから。私はそういうの気にしないから、話しやすいように話してもらって構わないわ」

 くすくす笑いながらカルラは答える。サテラはバツが悪そうにしながら「それなら」と気持ちを切り替えた。カルラとしても変に敬われるより友達のように気楽に接してもらった方が嬉しかった。アンや屋敷の使用人たちは仕事もあるから難しいが、敬語は距離ができてしまう気がして苦手だった。

「私達、ここのお祭りは初めて参加するのだけれど、どういったことをするの?」

「冬のお祭りは一年を締めくくるお祭りであり、新年を迎えるためのお祭りでもありますわ」

 カルラの質問にユーミンがゆったりとした言葉で答える。

「一年何事もなかったことや、無事に作物が育ったことに感謝を示し、来年の豊作や幸福を祈るんだ」

 サテラが補足するように付け足す。カルラとアンはサテラとユーミンに案内されるまま村の中へと入っていった。

 村の中は外から見るよりも一段と綺麗だった。家々が花で飾り付けられているだけでなく、すれ違う人々も花で身を包み、またもう夜になるのに関わらずお祭りだからか露店が賑わっていた。通りを歩く人に商品を勧める声、飲食系の露店で肉が焼ける音、子供達の笑い声、お酒が入っているのか気分よく大声で歌う音な声……。いろんな音で通りは溢れ、みんながこのお祭りを心から楽しんでいることがよくわかった。

「うるさくてすまない」

 村の様子に圧倒されているとサテラが声をかけてきた。カルラはサテラの方に顔を向ける。

「だけど、自慢の村だよ。特別有名な何かがある村じゃないけど、ここの人達は根っからいい奴の集まりなのさ」

 周りの人たちを見渡しながらサテラが誇らしそうに言う。カルラはそんなサテラを見て素直にいいなと思った。

「おっ!サテラにユーミンじゃないか!そっちはお客人かな?よかったらうちで飯でも買っていかないか?」

「おじさん、ありがとう。でも今は村の紹介してるんだ。また後で買いにくるよ」

 村の中に入っていくほどいろんな人が声をかけてきた。それだけここの村人たちは互いに気心知れた中なのだろう。気軽に話しかけられる経験があまりないカルラは少しだけ周りの賑わいに押され気味になりながらもサテラとユーミンに連れられて村の中心に辿り着いた。

 村の中心には花で飾られた女神像が立っていた。この女神像はオラシオン教の主神デメテルにあたる。シューデルハスト王国で唯一信仰されている宗教だった。オラシオン教はこの国の建国にも深く関わっていることもあり、国民のほとんどはオラシオン教を信仰している。

「立派な女神像ね」

「この辺りではこれだけ大きな女神像があるのはこの村だけなんですよ」

 カルラが女神像を見上げて呟くとユーミンが笑って答える。

「この祭りの目玉はデメテル様に感謝の意を捧げ、祈りの舞を踊ることなんだ」

「舞を踊る……それは楽しみね」

 サテラの言葉にこの美しい女神像の下で村人が舞を踊る様子を思い浮かべる。

「舞は特に美しい村娘五人がおどるんだがあ、ユーミンもそのメンバーの一人なんだ」

「私の舞なんてたいしたものじゃないわ」

「何言ってるんだよ。ユーミンの舞はすごく美しくて村一番なんだ。だから五人の中でも一番中心で踊る大役を任せられているんだ」

 誇らしげに胸を張るサテラにユーミンは恥ずかしげに頬を染めていたが、サテラに褒められて嬉しそうに見えた。

 二人の仲のいい様子に迦楼羅まで胸が暖かくなるような気分だった。

「あの」

 その時、遠慮がちにアンが手を挙げた。

「どうかされましたか?」

 ユーミンがアンの方を優しく見つめる。

「村に着いた時から皆様が必ず一つはお花を身につけていることが気になってて……」

「たしかに、みんなどこかしらに付けているわね」

 カルラとアンの指摘にサテラとユーミンは顔を見合わせる。そしてユーミンが口を開く。

「私たちが冬に行う祭りは別名花祭りとも言われていますわ。それは、冬が近く植物が育ちにくくなる時期にも関わらず、たくさんの花を使用して家や自身を着飾るからそういわれているのです」

「冬という厳しい季節でも、多くの花を咲かせられることは、来年も実りが豊かであることを表している、と信じられているんだ」

 サテラとユーミンの頭にも花冠が乗せられていた。どれも冬に咲くありふれた花ばかりだったが、合わさると実に壮観だった。村全体を飾るほどの花と考えると、どれだけの花が必要なのか想像するのは難しかった。

「今では、親しい間柄に花を贈り合って、来年の幸福を祈るという習慣でもありますわ」

「教えていただきありがとうございます!」

 二人の説明が終わるとアンが元気よく頭を下げて感謝の意を示す。

「そうですわ。まだ花が残っていたはずですからお二人も花冠を作ってみてはいかがですか?」

 ユーミンの提案にアンが目を輝かせた。わかりやすいアンの様子を見ながらカルラは微笑む。

「ぜひお願いしようかしら」

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