第25話 真珠の許嫁

 名前を当てられ、草世は去ろうとしていた足を止めた。白藍はくらんと名乗った男を、まじまじと観察する。


「真珠は幼馴染の話をしていない」

「そうでしょうね。真珠は私の許嫁ですから。ソウセイ様に話しにくかったのだと察します」


 草世は虚をつかれ、黙り込んだ。

 許嫁がいるとなぜ話してくれなかったのだと責める気持ちが生じた後、自分だって菊音のことを話していないじゃないかと、自嘲する。


「許嫁なら、真珠を助けるべきだったのでは?」

「ごもっともです。真珠の家族は力のある者。特に兄の白裂しらさきは、白狐族の次のおさとして期待されている仙狐せんこ。言い訳のようですが、何度も助けようとしましたが、できなかった」

「センコ?」

「私たち白狐は修行を積むことで、霊力を上げていきます。恥ずかしながら、私はただの白狐。仙狐になると、使える妖術が増え、その妖術の力も強くなる。私は何度も真珠を助けようとしました。ですが、仙狐である白裂にやられてしまう始末。情けない話です」


 白藍はうなだれ、弱々しく吐き捨てた。


「こんな男、捨てられて当然です」

「…………」


 菊音に捨てられた過去を持つ草世は、白藍に同情してしまう。同情心から、男の話に耳を傾けることにした。


「相談に来たと言いましたが、どんな相談を?」

「そうです! ソウセイ様、話を戻してくださってありがとうございます。実は、大変なことが起こっているのです!!」


 ゆったりしていた白藍の口調が、興奮のために早口になった。


「真珠はソウセイ様のお役に立とうと必死なあまり、白狐族の掟を破ろうとしているらしいのです! ご存じですか?」

「いいえ、全然。白狐族の掟とはなんですか?」


 白藍としては、一気に捲し立てても良かった。だが、あえて質問をすることで、草世との会話を増やそうと試みる。

 白藍、と偽りの名前を告げたが、彼の本当の名前は白裂。

 白裂は知恵が回る。笑顔を浮かべ、やさしい声で話しても、心を開いた会話はできない。まずは情けない話をして同情を誘い、相手の警戒心を解くこと。それから相手が求めている話題を振ることで、相手は乗ってくる。悩んでいることを口に出したら、こっちのものだ。

 白裂は心の中で、にんまりと笑った。同情を誘うことに成功した。次は、呪詛の話題を振ってやろう。


「人間同士の争いに白狐族は関わらない、というのが掟でございます。……ソウセイ様は、丹地風呂屋のことでお悩みではありませんか?」

「っ!!」


 草世は息を呑んだ。その反応に、白裂は気を良くする。

 白裂は、昨日今日とカラスに化けて、真珠と草世のまわりを飛んでいた。草世が丹地風呂屋の建物に入り、真珠は外で心配そうに見守っていたのを見ていた。

 白裂は、憂いある声で話を続ける。


「丹地風呂屋で起こっている呪詛は、人間の怨念が形になったものでございます。呪いを放ったのが人間なら、呪いを受けているのも人間。白狐が関わっていい事案ではございません。ですが、真珠は心のやさしい娘。ソウセイ様の役に立ちたがっている。ですから私は、心配でならないのです。人間同士の争いに白狐は関わらない。これが白狐族の掟。破った者には、死が待っております」

「そういうことだったのか……」

「そういうことというのは?」

 

 草世はひとりごとをこぼしたのだが、白裂は聞き流さない。草世がなにを思って「そういうことだったのか」とつぶやいたのか、追求する。

 草世は暗い顔をして、額に手を置いた。


「呪われているのは、僕の友人なんだ。僕は白狐の掟のことを知らず、真珠に助けてほしいと頼んでしまった。だが、大丈夫! 真珠はできないと断った。掟を破っていない」

「そうでございましたか……」


 白裂は深々と頭を下げた。まっすぐで艶やかな白髪が前に垂れる。


「真珠を見守ってくださって、ありがとうございます。私の相談というのは、実は、ソウセイ様のお役に立とうとして、真珠が掟を破ってしまわないかということなのでございます。真珠が白狐の村を飛び出したことで、私たちの婚姻の約束は破棄されました。ですから、私が真珠の生き方に口を挟むのは余計なお世話というもの。だからといって、真珠が制裁を受けるのを見たくはないです」

「そうでしたか……。わかりました。真珠に、白狐の掟を破らせないようにさせます」


 頭を下げている白裂。その顔に浮かんでいるのは、下卑たうすら笑い。だが頭を上げたときには、上品な微笑に戻っていた。


「ありがとうございます。ソウセイ様にお会いして、正解だった。そうそう、私がソウセイ様にお会いしたこと、真珠には話さないでください。昔の男が未練たらしくいるなど、恥でございますから」

「……わかります」

「困ったことがあれば、私を頼ってください。お助けいたします。私は真珠の幸せを願っている。ですが、決して邪魔はしません。真珠の幸せはソウセイ様のところにあるのですから。ソウセイ様、どうか真珠をよろしくお願いします。幸せにしてやってください」

「……はい」


 遅れた返事には、覇気がない。白裂は内心でほくそ笑んだ。この男は、真珠を幸せにできないと諦めている。ざまあみろ、と白裂は愉快でたまらない。

 立ち去ろうとした白裂に、草世は声をかけた。


「白藍さんに会いたいときは、どうしたらいいでしょうか?」


 白裂はわざと、「わたしに……ですか?」と区切った。相手の気持ちを引き寄せるために。


「その……不慮の事態が起こって、あなたに助けを求めたいとき。どうしたら……」

「あぁ、確かに。申し訳ありません。説明が足りませんでしたね。では、小麦峠にお越しください。そこで、白藍と、私の名を呼んでください。白狐村に入る、異界の扉を作ります」

「白狐の村……。大丈夫なのですか? 真珠がいじめられはしないかと、心配なのですが……」

「ご心配なく。白狐族の長である希魅様の元に、すぐにお連れします。希魅様は外国に行っていたので、長らく不在でした。そういうわけで、真珠がつらく当たられているのを助けられなかった。ですが、心配ありません。希魅様はとうぶん村にいます。真珠を守ってくださいます。誰も、希魅様には逆らえません」

「それは良かった。安心しました」


 草世は、白藍を信じる気持ちと疑う気持ちは半々。安易に白藍に助けを求める気はない。だが、真珠は希魅を慕っている。白狐族の長である希魅になら、真珠を預けられる。最悪の事態になったなら白藍を頼ろうと、草世は決めた。


 白藍と別れ、草世は重い足取りで家へと帰る。

 橋の中央に、虚無僧が立っていた。しかし、ぼんやりとした目の草世は虚無僧を視界に入れることなく、橋を渡った。




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