03

「…すると、貴様自身には責任はないと?そうか。…貴様がどういう輩なのか…よくわかった…」


《ジジッ………………ジジジジッ、ジッ…………》


ごくゆっくりとソラから漏れだす濃密な魔力に反応して室内灯の光源がふいに落ち、続けざま磁気嵐の火花が耳障りなノイズを起こす。

衣装箪笥が、サッシに嵌った窓ガラスが、床があたかも地震の横揺れのように小刻みにゆれて異変を示し始めた。


【な…っ、なんなんだよコレ…】


喩えるなら、切れかけたコンビニの消毒灯が明滅する音と、それにTVの砂嵐の音声を重ねたような騒音が轟々と部屋を満たしている。


《バチジジッ………………ジジジジジジジジジッ、ジッ…………。》


【な…なにが起きてんだ? なあっ、答えろよ!】


しきりに問いかける青年霊に対し、嫌悪と怒りの感情に染まり、冷めきったソラは応えない。

やがて、明暗を繰り返しながらメゾンハイツ2号棟201号室がある“場”に、存在するハズのない剥き出しの岩窟が浮彫うきぼりになってあらわれた。

誰も応えない代わりに、猛獣の唸り声じみた風鳴りが啓司を萎縮させ、幾重にも裂けたカーテンのように生温く頬を撫でていく。

深山の暗い岩窟独特の冷たい土の匂いが、ゆっくりと啓司の胸を満たした。


【聞いてんのかよっ、なんとか言ったらどうな……ヒッ!】


必死に解答を捜してもがく啓司だったが、唐突にソラの可細かぼそい首が捻れて内部から大木の切り株のように膨れ上がる決定的な形態変化を目の当たりにした瞬間、ついに短い悲鳴を漏らして尻もちをついて後退った。


「……ふん。…貴様も、やはりだな。私がおそろしいか、人の子」


“ソラだったもの”の全身がそのまま大きく大きく膨張し、全身の筋を軋ませながら群青の羽毛が覆い尽くしてゆく。

青黒い闇が空間全てを支配するのに伴って、生温い吐息がゆっくりとその場に渦巻いた。


「……どうした……何時にも増して、ひどい顔だ」


やがて遂に、乾いた羽音と共に巨大な翼を持つ異形が居住まいを正して上体をもたげる。

生ぬるい闇というよりも「生命体」の胎内にいるような感覚に陥った啓司は、パッチリと開いた長い睫毛に縁取られた金碧の双眸に射竦められた時……滲む恐怖をそのままに固唾を飲んだ。


【お、お前は…】


……一体……何者なんだ?……

目は口ほどに物を言うという諺のとおり、口に出さずとも彼の言わんとする疑問ことを拾ったソラは自虐的な気分で胸を反らす。


「ああ、そうとも。わたしは人ではない。その様子だと、それ以外の“なにか”を見るのは初めてのようだな。どうだ……怖いか。怖いだろう。……だから…止めておけ、と先に止めたのだ」


(受け止めると云った癖に、結局は本能的な恐怖には抗えず、見る影もなく身を竦ませ怯えるとは…。人間ヒトとは本当に浅はかな存在だ)


恐怖-畏怖-忌避…そんな感情をい交ぜにした啓司の眼差しを鑑みて鼻白むが、何故なのか怒りよりも心臓を抉り出されたような痛みがまとわりついてくる。

ソラ自身も大昔は何の変哲もない、ただの人間だった。だから啓司かれの心情が理解できない訳でもない。

むしろ、恐怖に囚われて立ち竦むそれが正常な人間の反応なのだと悟ってしまい、ソラは静かに落胆した。


「まあ、人間風情には…仕方のないことだな…」


忌避されるのも、憎まれて矢や鉛玉をち込まれるのも、もう懲り懲りなのだが────自分のような異形など…怖がられても仕方がない。それが正直な感情なのだ。

こんな身になっても、誰か他人に嫌悪されるのはツラいし───みじめである。


「はあ……もういい、面倒くさい」


どうせこの部屋はワタリギツネとイスナの依頼を果たす為に間借りしているだけなのだし、丁度いい機会だ、ここには必要最低限…寄り付かないようにしよう。


「……これで懲りただろ。もう二度と関わるなよ」


感情の鎮静化に伴って、群青の翼が薄らいで消える。全体的に羽毛が消失して、ソラは月梟つきふくろうからイスナの容姿に形状を戻した。


【お、おい……ソラ…?】


「私はもう、此処には二度と立ち入らないから、貴様は…今まで通り此処で過ごせばよい」


【…は?】


はい、さようなら。一件落着。

淡々粛々と告げられた訣別が理解出来ず、啓司は立ち竦んだ。

呆然と立ち尽くす彼を放置して、畳んだダンボールを小脇に挟んだソラは足早に玄関に向かい、靴を履いてそのまま出ていった。


【……おい、待てよ…】


鼻先で鉄扉が閉まるのを、啓司は驚愕冷めやらぬ表情で見送る。

呼びかけに一切反応しないまま、華奢な背中は階段を降りていく。

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