01


「この姿でいるのは…元の持ち主からの依頼でね。彼女の死に立ち会い、この“容姿”を引き継いだのだよ」


怪訝な顔をしていた老爺だが、かつての客であった少女の記憶がふいに蘇ってきて息を飲んだ。


「…っ。彼女の名前は、少々お待ちくださいよ。ええと、確かフジサキ…藤咲文音さんです…っ」


「ああ。藤咲文音…イスナは、この日の国に残存する最古の祓魔師一族の生き残りだった。堕落者アン・シーリーに一族郎党を殺された彼女と…私は偶然に行き遭い、この魂魄すがたを譲り受けた…というワケだ」


「あの家は、人間にしては珍しく怪異に優しい家でした。…そう、ですか。あの一族も、結構長いこと続いていたのに、ついに絶えましたか…」


心底悼む口振りで、老爺は小さく鼻をすする。


「形があり、命あるものはいずれ壊れる…そういう摂理だな。成りすますのは本意ではないが、とりあえずは…彼女が「遺した」ものを守ろうと思う」


「ええ…」


「だからと言って、あの物件はひどすぎる。もう少しマシな場所は無いのか?」


「あれま、やっぱりダメですかねぇ…」


「当たり前だ。実際の建物と、資料の情報の齟齬が大きすぎる」


「…鬼の大旦那、貴方様ほどの御方ならば…この土地一帯の惨状から今、我々のような小さく雑多なモノが蒙っている「害」に気づいておられましょう」


ふてぶてしい老爺に苦情の一言でも浴びせてやろうとも思っていたが、彼の口から出た「我々のような」という台詞フレーズに、一瞬で思考が冷めた。

どうやっても一般人にしか見えないのに、彼は“普通ならば俄には信じ難い領域の話”に妙に詳しい。

オカルト好きのジジイかとも思ったが、それもどうやら違う。

自分を含めた「我々」と言った彼の本性も、つまりは怪異あやかしという事だろう。


「きさま、怪異あやかしか…」


「はい、貴方様の仰るとおりです…」


円テーブルの対岸に座した好々爺は、深々と白髪頭を下げると変化を解く。

その場に現れたのは、灰茶色チャコールの三角耳、尖って長い鼻先をもつ妖狐きつねだった。


+++


「…ワタリギツネか」


「はい」


ワタリギツネとは境界を行き来し、暮らす領域を転々と変えながら生きる漂泊の怪異である。

時に人と関わりを持ち、知識と技術を習得しては子孫たちに伝え教えたりしていた。


「私のことは、ヒョーゴとお呼びくだされ。旦那、私があの建物に拘るのには…ちゃんとした理由があるんですよ」


「理由、だと?」


「あそこには、憎たらしいバケモノ…堕落者アン・シーリーが出るんでさ。あれは強靭で悪質なモノ。次々にワタシら小さい怪異を喰らうばかりか、毒気を出してソコに二度と近寄れなくするんです。そこを餌場にする我々は、このままだと絶えてしまう…」


異常に生前の執着が強い霊は、強度と知能を上書きしながら、やがて魂魄を好んで喰らう悪霊・堕落者アン・シーリーと化す。

その食欲は獰猛、かつ残虐で生きたまま人畜魔鬽の類をも食らうのだ。


「お頼み申します。どうか、どうか弱き故に叶わなかった我々の無念を、何とぞ晴らしてくだされ…っ」


頼み倒すヒョーゴ。しかし彼も必死なのだろう、なかなか引く姿勢はない。

血縁が集まって暮らしているのだろうか、彼の背後の部屋からは複数の気配がこちらを窺っている。


「おまえ、身内を食われたのか」


「…はいっ、られたのは…齢3つの孫娘でした。まだまだ可愛い盛りで…。あの子のことを思うとヤツが憎くて、憎くて…っ」


弾けんばかりに榛色の双眸を瞠ったのち、ヒョーゴは顔を悲痛に顰める。

耳を、肩を震わせながら嗚咽するヒョーゴに、私は居た堪れない気持ちを懐いた。


「辛いことを思い出させて申し訳ない」


「いえ、いいえ……弱いものからダメになっていくのが摂理だと、私らも頭じゃ理解してんですよ…」


「…ここから先は、此方で対処しよう。すまないが、もっと詳しく話を聞かせてくれ」


イスナの「最期の依頼ネガイ」を受け、祓魔一族である藤の代紋を背負うからには、役目はキッチリ果たさねばならない。

この「身体」を提供してくれた彼女の為にも、しっかりケジメはつけなければ…。

次なる場を定めた私は、ふたたびメゾンハイツ二号棟に踵を向けた。

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