第2話 運命の出会い

 アレイシアが目を開けると、アイスブルーの丸い瞳と目が合った。

 泣きたくなるほどの優しい色を見たのは初めてで、とにかく見入ってしまった。

 全身が酷く痛いけど、それさえも忘れさせてくれるほど穏やかに包み込む優しい瞳だ。こんな心温まる気持ちになれるのは、アレイシアにとっては生まれて初めてのことだった。


(こんなに優しい眼差しで私を見てくれるなんて、この人は天使なんだ。美しい銀色の髪も白い肌も高い鼻も赤い唇も、全てが美し過ぎて間違いなく天使! 今日は散々怖い思いをしたし、たった五年とはいえ散々な人生だった。でも、最後にこんなにも美しい天使が迎えに来てくれるなんて! ありがとう、神様!)


「父さん! 目が覚めたけど、俺を見て天使とか神様ありがとうとか言ってる。多分、頭がおかしくなってるよ……」


(え? 天使が憐れむような目で私を見てる……。天使って裸よね? どうして服を着ているの? 羽を隠すため? 天使なのに、どうして羽を隠すの?)


「わぁ、いよいよヤバい! 羽なんてねぇよ! 人間だ!」

「……天使、人の心が読めるの?」

「全部しっかり、お前が喋ってるんだよ! 俺は天使じゃなくて、人間! 名前はヒューライルだ!」


 天使の顔以外は、ぼんやりと靄がかかっていた視界がはっきりしてくる。

 洞窟のようなその場所は、天使の輝きが消えてしまうと薄暗い。いくつか置かれた蝋燭の灯が、ぼんやりと暗闇を照らしている。

 蝋燭の灯は、洞窟内を照らそうとして置かれたものではない。蝋燭が照らしているのは壁だ。壁に描かれた色とりどりの絵と、文字らしきものを照らしている。それは本当に美しくて、天使以上にアレイシアの心の何かを打ち鳴らした。


 「もっと側で見たい!」その気持ちが強くて、飛び起きようとすると脳天からつま先まで激痛が突き抜けた。おかしいと思って腕を上げようとしても力が入らないし、再び激痛に見舞われる……。


(死んでるのに、痛いってことはないよね? ってことは……)


 頭上で天使がため息をついた。この心の声も、漏れ出ているのだろう。


「お前はしっかり生きているから、安心しろ」


 天使は面倒くさそうにそう言って、顔を顰めた……。


「お前はってことは、あの人は?」

「は? 他にも川に落ちた奴がいるのか?」

「黒目黒髪のオレンジ色の服を着た人」

「……黒目、黒髪、だと?」

「うん。私のお母様より年上だと思う」

「確かに誰かに呼ばれた気がして、滝壺に行ったらお前が浮いてたけど、他には誰もがいなかったぞ」

「そっか、自分は死んでるとも言ってた……」

 他にも聞きたいことはあったけど、激痛に耐えられないアレイシアは、また意識を手放した。







 目が覚めたらアレイシアは、ヒューライラから黒目黒髪の変な格好をしたおばさんについて聞かれたけど、何も覚えていなかった。

 ヒューライルと彼の父親は、アレイシアが死への恐怖から夢のようなものを見たのだろうと言っていた。


 そして今、アレイシアは天使、じゃなくてヒューライルの背中に背負われている。

 「あの美しい壁画が見たい!」と這って行こうとするアレイシアを見かねて、背中に背負ってくれたのだ。


「これは何の絵?」

 アレイシアがそう言ったのは、壁に描かれた女の人の髪と目が、まるで自分のように黒かったからだ。

「異世界から聖女を召喚した時の……。あっ、しまった! お前が黒目黒髪の話なんてするから、つい……。おい、お前、絶対に誰にも言うなよ! この壁画の話も、この洞窟の話も誰にもしたらいけない! 分かったな!」

「シア! シアだよ? アレイシアだから、シア! まだ誰も私のことを『シア』って呼んだことがないから、お兄ちゃんが初めてだね!」


 ヒューライルの話なんて聞いていない様子のアレイシアは、頬を染めて嬉しそうに笑った。ヒューライルから『シア』と呼んでもらうのを、期待を込めて待っている。

 もちろんヒューライルが必死なのも、何だか焦って怒っているみたいなのも理解している。でも、それよりも何よりも、ヒューライルと秘密の共有ができるのがアレイシアは嬉しかった。だって、そんなことは初めてだったから……。


 だが、そんなアレイシアの事情なんてヒューライルは、知ったことではない。

 アレイシアに厳しく口止めをしないと、ヒューライルの過去も未来も失われてしまう。一大事だというのに、アレイシアは『シア』と呼べととんちんかんなことを言い出す。一体何なのか、全く理解できない。

 子供相手に自分の思う通りに話しが進まないのは当然のことだけど、ヒューライルだって八歳の子供だ。自分の話を聞かないアレイシアに苛立ってしまうのも仕方がない。

 しかも、ヒューライルにとっては、いや、ヒューライルの一族にとっては、とても重要な話なのだからなおさらだ。

 背中からアレイシアを下ろして冷たい石の上に座らせたヒューライルは、怒りに任せて痛いほどに肩を掴んだ。


「名前なんて、どうだっていいんだよ! 俺の話を聞けよ!」


 苛立ちと共に飛び出した声は、思った以上に大きくて洞窟内に響いた。

 ぐるりと壁画で囲まれた円形の神聖な場所に不満が立ち込めてしまうと、美しい色や絵が真っ黒に塗りつぶされてしまいそうだ。

 ヒューライルの焦りと不安をまともに喰らったアレイシアは、さすがに怯えた。小さな肩を震わせて視線を足元に落とすと、「ごめんなさい」と呟いた。

 さっきまでの子供らしい表情はアレイシアから消え去っていて、諦め怯えた様子に変わってしまった。


 あまりにも急にアレイシアの態度が変わったことに、ヒューライルも狼狽えた。


「おい、どうしたんだよ? さっきまで人の話も聞かなかったのに、何で急に黙るんだよ?」

「…………」

「……俺の、せい……? だって、お前が変なことを言って俺の話を聞かないから!」


 どうしたらいいのか分からず慌てて肩から手を離すと、力を失ったアレイシアは肩を丸めてガックリとうなだれた。


 基はと言えばヒューライルが口を滑らせただけで、アレイシアは悪くない。それなのに怒鳴り声をあげて怒りをぶつけ、こんなにも怯えさせてしまった。

 さすがにまずいと気づいたヒューライルが慌てても、もう遅い。不自然なくらいに怯えているアレイシアはうつむいたまま顔を上げようとしない。


「悪かったよ。怖がらせてごめん」

「…………」

「頼むから機嫌を直せって。怒鳴ったりして、俺が悪かった。もう、怒鳴らないから」

「…………」

「話をしてくれないと、何を怒ってるのか俺には分からない。頼むから、怒っていることを言ってくれ」


 ヒューライルが余りにも情けない声で頼んでくるのが不思議で、アレイシアはそっと顔を上げる。

 当然両親のように蔑んだ目で自分を見ていると思ったヒューライルは、眉がハの字に下がり声と同様に情けない顔をしている。

 予想外の事態にアレイシアは驚いた。


「……怒っているのは、ヒューライルだよね?」

「もう怒っていない。確かに、壁画のことで口を滑らせて苛立った。自分が悪いのに、お前に当たったのは悪かった。ごめんな」


 頭を下げるヒューライルを、アレイシアは間抜けなほどにポカンとした顔で見ていた。


「な、何だよ……。まだ、怒ってんのか?」

「……どうして、どうして、私なんかに謝るの?」

「はぁ?」

「生まれて初めて、謝られたよ……」


 今度はヒューライルが絶句する番だった。


「私の目を見て話してくれたのも、私を見ても気味悪がらなかったのも、ヒューライルが初めて。だから嬉しすぎて調子に乗って、ヒューライルを怒らせてしまったんだと思った」

「怒ったのは悪かったよ。別にお前は悪くない。大体、何で俺がお前を気味悪がるんだよ?」


 そう言ってアレイシアを見るヒューライルの瞳は、最初と変わらない優しいアイスブルーのままなのが嬉しい。

 ヒューライルの瞳が、家族のように冷たく蔑む色に変わっているかもしれない。そう思うと怖くて顔が上げられなかったアレイシアはホッとした。






◇◆◇◆◇◆


読んでいただき、ありがとうございました。

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