ヒロインさん、体力値はいくら上げてもメガネ様は落とせませんよ~モブ転生した侯爵令嬢の知識は無敵です~

卯月ミント

第1話 転生に気づいたモブ令嬢

 授業中だというのにも関わらず、その彼女・・・・はダンベルを上げ下げしていた。

 それに気づいたと同時に、私は自覚する。

 ――あ、ここ『空と誓いの狭間(フロンティア)』、略して空フロの世界だ、と。


 私は日本のアラサーの会社員のはずだった。それが、何の因果か知らないが、気がついたら熱中していたゲームの世界に転生していたとは。びっくりである。


 急いで自分の名前を思い出す。

 前世の名前は思い出せないが、いまの名前なら難なく思い出せた。


 私はミシェール・ミスカ。特徴のない焦げ茶色の髪に、特徴のない焦げ茶色の瞳、そして可愛くもなくかといって不細工でもない、特徴のない顔。つまり平々凡々とした容姿。

 間違いない。モブだ。こんな名前のネームド登場人物キャラ、空フロにはいなかった。


 つまりは、ゲームヒロインでもなく、悪役令嬢でもなく、かといってお助けキャラでもなく、攻略対象たるイケメンヒーローたちの血縁者というわけでもない、純然たるただのモブ。それが私、侯爵令嬢ミシェールなのである。


 ふむ、と頷く私。

 そうか、モブ転生か。


 そんなことに感慨を受けている私の目の前――窓際の席で、その彼女・・・・は休みなく10㎏と書かれた黒いダンベルを両手に持ってせっせと上げ下げしていた。

 彼女の隣の席に座る輝くようなプラチナブロンドの少年は気づいていない様子で、真面目に授業を受けている。


 ――ふむ、と私はもう一度頷いた。

 あれは、私にしか見えないのだ。


 いや、それは少し言葉として不適切である。前世の記憶を取り戻す前の私も、あのダンベル運動は見えていなかった。

 つまり『この世界』に属する人間には見えない仕様なのだ。『この世界』、すなわち空フロこと『空と誓いの狭間(フロンティア)』。


 ここはいわゆる中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー世界。魔法は存在しないことになっている。

 そしてヒロインであるその彼女・・・・は、違う世界からやってきた転移者だ――という設定だ。


 転移者である彼女が、ひょんなことから公爵家の養女となり、貴族学院に通うことになるのである。そこで待ち受けていたキラキラした出会いと恋の青春物語――、と、これはそういうゲームだった。

 だからこそ、彼女は誰にも気づかれないダンベル運動ができるのだろう。

 というかあのダンベル運動、見覚えがある。プレイヤーキャラが体力値を上げるときにするアニメーションにそっくりなのだ。


 この『空フロ』は、知力、図画、体力などのパラメータを上げ下げして進めるシミュレーションタイプの乙女ゲームだ。

 各パラメータにはそれぞれ対応する攻略対象がいて、そのパラメータを上げて一定値となると彼らの好感度が上がり、イベントが起こる。

 そして学園卒業のときに一番好感度が高いキャラクターが告白してきてゲームエンド、というわけである。


 ちなみに今は学園が始まって1ヶ月目であり、私たちは一年生である。


 だからその彼女・・・・はダンベル運動をすることで、何らかのパラメータを――おそらくは体力値――を上げ、体力値に対応するイケメン攻略対象を攻略しようとしている、ということだろう。


 ちなみに、私のようなモブは、パラメータを上げることができない。いや私だけではない、攻略対象たるイケメンヒーローたちだって上げることはできない。なぜなら、そもそもその彼女・・・以外、この世界にはステータスなんかないからだ。あくまでも、能動的なのはゲームヒロインであるその彼女・・・・だけなのである。そういうシステムである。


 せっせせっせと筋トレに励むその彼女・・・・を見つめながら、私は再度、――ふむ、と頷く。そうか、体力値か。体力値に対応するのは――確か先輩のイケメン騎士であるダリオ・ローレンだったな……。


「ハナコさん」


 と、教壇に立つ銀髪翠眼で長髪でメガネを掛けたルカ先生がその彼女・・・・を指したとき、私は漫画みたいにズルッとずっこけるところだった。危ういところであった。


 そういえば、そうだった。

 以前、つまりは前世の記憶を取り戻す前はまったくなんにも思わなかったが、その彼女・・・・――つまりはゲームの主人公たる彼女は、名をハナコというのであった。ハナコて。


 いや、別にハナコという名前がなんだというのだ。世の中にはハナコという名前の女性だって大勢いるだろう、ことによったら男性にだっているかもしれない。

 だから別にハナコだからってなんともない。私は気を取り直した。


「はい!」


 ハナコさんは元気よく返事をする。その途端、ダンベルがすっと消えた・・・


 ――ふむ。私は頷く。

 そういうシステムになっているのね。


「うん、いい返事ですね。ではハナコさん、サスナ歴390年にあった大改革は?」


「分かりません!」


 気持ちのいいほどの、思い切った『分かりません』だった。――私の心に、スカッとした青空のような爽やかな気分が広がる。


 ――ふむ。私は三度、――ふむ、ふむ。と頷く。

 私には彼女のステータスまでは見ることができないが、体力値を上げているから学力値が下がっているのだろう。


 このゲーム、反するパラメータが相克するのだ。あっちを上げればこっちが下がる、という具合に。

 それをうまいこと調節し、すべての値を一定値以上にすると、ラスボスこと王子アルベルト・ベルファシオとのエンディングになる。これは、そういうゲームだ。


 思うに、体力値を上げているから学力値が低くなっているのだろう。

 そのラスボスこと王子アルベルトは、ハナコさんの隣の席にいる、あのプラチナブロンドの少年である。ラスボスは身近なところにいる。これは、そういうゲームなのである。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る