第二十五話 最後の仮説

 煌希の優しい我儘わがままで聞かされた話は、こう始まった。

「以前に僕が説明したけど、僕と廣之くんも別々の世界に住んでいた人間なんだ。なぜなら委員長には君と過ごした祭りの記憶がなかったのに、僕はその委員長と僕が辛かった過去を共有できているからね。だからここにいる僕たちがそれぞれ違う世界線にいたのは間違いないよ」

 もしかして煌希の辛かった過去というのはいじめの事だろうか。僕の視線に気付いた煌希は寂しそうに笑って、「もしやと思ってその日の内に彼に確認をしておいたんだ」と答えた。詳しく話したくなさそうだから、きっとそうなのだろう。

「昨日まで僕らが過ごしていたCという世界は、Aの世界の住人である廣之くんと、Bの世界からやって来た僕らが同時に存在していた世界線だ。そして今日、Cという世界はマスターたちがいないDという世界に変わっていた……。なぜ僕たちはAとB、それぞれから直接Dには行かなかったんだろう。それに僕と廣之くんがC地点を経由したのはなぜか。ここまでの話をまとめると、実は他の見方が存在する。それが何かわかるかい?」

 自慢じゃないが、こういう話を理解する時の僕のスピードは中々に遅い。今までの経験を思い出しながら必死に考えるが、早々に断念した僕は煌希に向かって首を振る。煌希は正解を導き出せなかった僕に呆れもせず、淡々と答えてみせた。

「僕自身、これまで自分が何度もどこかの平行世界に移動していると思っていた。自分がいる場所が変わったから、周りの人間の記憶や、周囲の光景が変わっていく……。それがマンデラエフェクトだったから。でも、実際に起きていたのはそうじゃない。、自分は元の世界に固定されていて、周囲の人間や物体だけに色々な平行世界が干渉していたんだ」

「えっと……?」

 周りが変わる結果は同じだと言うのに、それのどこが今までの説と違うと言うのだろうか。一回の説明で理解できない僕のため、煌希は図を使って説明する事にしたらしい。煌希は適当に小枝を拾って地面に丸を描いた。その丸に向かって矢印があらゆる方向から伸びている。まるで渦潮みたい形だ。

「これが新しい仮説。つまり、君は中心にあるAの世界にずっといる。そこにBの世界から僕と委員長がやって来て、次にCの世界からやって来たマスターと皆川さんに出会った。そして今はAの世界からCの世界のものが消えたんだ」

「ちょっと待ってくれ。じゃあ、爺ちゃんと婆ちゃんはどこの世界の人なんだ?」

「お爺さんは君と記憶を共有しているから、同じように固定されているんじゃないのかな。お婆さんは亡くなった他に比べる情報がないから元の居場所の特定はできないけど、いずれにせよAの世界から弾き飛ばされたのは事実だ」

 そう言って煌希は丸から外に向かって矢印を二本描いた。

「君の場合は記憶エラーがあるからややこしいね……。もしかして、もっと多くのものが入れ替わっていたのかもしれない」

「椿の木や、金魚を飼ってた池の他にも、記憶エラーがあるって事?」

「残念ながらその可能性は否めない。君は特別な存在なんだ。君だけが変わらない。つまり、君こそが世界の中心……。いや、北極星だ」

 地面に描かれた丸が小枝で小突かれる。僕がいるのはこの位置か。

「北極星はいつも真北の方角で輝いていて、正確な北の方向を教えてくれる不動の星だ。北極星の近くの星は沈むことなく、反時計回りに北極星の周囲を回るけど、それは地球が自転しているからそう見えるのさ。昔はコロンブスも『北極星は特別な星であり、北極星には磁石を引き付ける力がある』と考えていたと言われているし、宇宙は磁気と密接な関係がある。これまで僕が唱えてきた、どの仮説とも整合性がとれるよ」

 煌希が暴いてくれたこの世の構造と科学の話を思い出す。

 ずっと言われてきたけれど、確かに僕が混沌の渦の中心にいるように考えられなくもない。そういう点では、僕と北極星はよく似ている。

「北極星は地球の自転軸に最も近い星だ。地球は巨大な一つの磁石であり、北極の方がS極、南極の方にN極がある。君は今回S極に仕立て上げられた。あとは万物がそれぞれ持つ磁気によって、この世界に引き寄せるのか、弾き飛ばされるのかで分かれるんだよ」

「そんな事言われても……。やっぱり僕には何の電気の力も感じられないよ」

 なんとなく両手を開いたり閉じたりしてみたけど、今の僕には静電気の一つも起きない。本当に煌希の言うような力が僕にあるのだろうか。

「君は知っているかな? 僕らが知らないところで、北極星の移り変わりが数千年ごとに起きているんだ。だけど今回は天空にある星じゃなくて君が選ばれた。どういう技術かわからないけど、廣之くんが普段通りの生活を送る分には影響がないんだ。結果として、君が帯びている磁気は平行世界を動かしてしまった。これで僕らの生体電場が狂っているという説にも繋がるだろう?」

 例を織り交ぜた理論のお陰で、今回の仮説をぼんやりと理解できてきた。煌希曰く、平行世界と僕の関係について、僕は捉え方を間違えていたらしい。

「要するに……今までとは違う磁気を得た僕を中心として、Aの世界に別の世界のものが運ばれて来たり、何かの拍子にAの世界から排出されているって事か?」

「その通り。君が中心の世界では、ブラックホールみたいに周りのものを飲み込むだけでなく、エネルギーの代わりに外に向かってそれらを放出しているんだ。だから君のお爺さんが感じていたであろう置き去りにされた気持ちというのは、あながち間違いとは言えないね」

 そうか。僕の背後にあったのはブラックホールだったのかもしれない。

 それにやっぱり祖父が訴えていた感覚は正しかった。ここに来て改めて煌希に認められたのは嬉しい。だけどそれとは別で、いまいち煌希の言い分に納得できない自分がいる。まだ妙な胸騒ぎがするのはなぜだろう。

「そっか……。爺ちゃんの訴えを認めてくれてありがとう。それでさ、新しい仮説の他の根拠はない?」

「説明しよう。ここ最近は木とか、お菓子屋の看板など物体の変化だけじゃなくて、神隠しみたいに人まで消えているよね? 普通は僕たち以外にも誰かが異変に気付くはずだ。それがどうだい? 他の人が騒いでいない様子を見るに、ひょっとしたらAの世界に適応するよう、みんなは記憶を補正されているのかも」

「それって、僕が体験した記憶エラーみたいなもの?」

「そうだよ。僕が考えていたのはまさにそれだ」

 なるほど。違う世界のものがAの世界にたくさん運ばれて来ても、誰一人として違和感を持たないのはそのせいか。どうやら僕のようにみんなの脳でも勘違いが引き起こされていたらしい。きっと気付きの種は将来タイミング良く人体に害をもたらすよう、芽吹く前の段階で農薬処理か遺伝子組換えがされているんだろう。洗脳の恐ろしいところは、僕らが思いもしない場所から正常な判断力を破壊する工作が始まっている事だ。

 煌希が唱える説はにわかには信じがたい話ばかりだけど、何と言っても記憶エラーを体験したのはこの僕だ。煌希の話には疑う要素などなさそうだ。

「あれ? でもその説って、他にも当てはまるんじゃないのか? 僕と煌希だけがこのDという全く新しい世界に来た可能性だってあるよ。その場合、僕たちふたりはCの世界で先に合流している事になるけどさ。だとしたら、今僕たちだけにCの世界線の記憶があるのも納得できる」

「それも考えたけど、違うと思う。そもそもCの世界というのは、昨日までのAの世界の事を言うんだ。僕たちは気付きの種が芽吹いているからこそ、昨日の状態を記憶できているのであって、結局は君と僕を結び付けるものは……」

 煌希はそこで口をつぐんだ。彼が何も言わないのは、僕と煌希が共有できる記憶が少なかったと自ら証明したくなかったからだろう。もし、本当はそうじゃないのなら、煌希が話すのを躊躇ためらった理由が知りたい。

 僕は今、複雑な嬉しさを感じている。

「……あのさ、今日この公園に来るまでに例のお菓子屋の前を通っただろう? 僕も改めて看板を見てみたけど、文字の色はやっぱり君の記憶とは違って黒かったよ」

 さっきまで気まずそうに視線を落としていた煌希だが、今は横目で僕の様子を伺っていて、眼鏡を押し上げる姿が様になっている。

 どうやら煌希は自分の説を立証すべく、僕がぼうっとしている間にも目敏く証拠を集めていたらしい。僕が詠嘆するぐらい抜かりない捜査だ。

「それと、さっき飲み物を買いに行った時に君が前に話していた県北の小学校を思い出して調べてみたんだ。……その学校、もうすぐ夏休みが終わるところだ。生ハム工場じゃなかったよ」

「そんな……。じゃあ、ここは僕が知っている世界と完全に一致しないのか……」

 僕が唱えた説は早くも崩れ去る。それどころか元の世界に戻る保証がどこにもない。

 煌希は落ち込む僕に追い打ちをかけるような意見を述べた。

「廣之くんが前に見せてくれたイチョウの葉の栞だけど、恐らく僕が見た時と変わらず紅葉しているはずさ。帰ったら確認してみるといいよ」

「それも新しい仮説の裏付けか?」

「そうさ。問題解決に向けて闇雲に動くよりも、ある程度は仮説を立てて、その証拠を集めながら検証していく方が望む結果に繋がるからね」

 煌希は周りに人がいないのをいい事に、両手でいじっていた小枝を軽く投げ飛ばした。小枝は何にもぶつからず、地面にぽとりと落ちた。

「どうやら僕らが思うより、いくつもの平行世界が複雑に入り交じっているようなんだ。そして無数の平行世界は狙った場所だけに干渉している。それを確かめられるのは……廣之くん、君だけだ。君が望む答えは、君にしか見つけられない」

 力強い言葉で煌希は僕を鼓舞する。

 心做こころなしか、僕の肩に置かれた煌希の手はわずかに震えていた。

「廣之くんが今いるこの世界に存在しているのは、桜の木なのか、椿の木なのか、それとも全く違うものなのか……。もう一度確かめてごらん」

「今さら何のために?」

「隠された真実はいつか必ず誰かに暴かれる。きっと君のお爺さんが、ここから抜け出すためのヒントを君の近くに遺してくれているはずだよ」

 最後に煌希は僕にこう言った。

「宇宙は無限の可能性を秘めている。多元宇宙論という科学用語があるけど、それは僕たちのいる宇宙以外に観測する事のできない別の宇宙が存在しているという概念だ。……廣之くん。主観的なものの見方をしてはいけないよ。希望を捨てないで」

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