第六話 優しい味方たち

「藤城くん、今日は誘ってくれてありがとう」

 隣に座っていた山近が僕に声を掛けた。

 僕は今、彼と駅前の喫茶店でとある人物を待っている。誰を待っているかというと、それは中村屋の看板が変化した事を投稿した、あの人だ。僕は彼に会うべく、一週間前にSNSを通じてダイレクトメッセージを送っていた。返事をもらったのは、それから数日後のことだった。そして今日、この場所で会う事になっている。

 さすがにひとりで知らない人と会うのは怖かったので、山近もこの場所に来てもらっていた。

「お礼を言うのはこっちの方だよ、山近。君と委員長だけは、僕の話を信じてくれるんだからさ。家族への説得の仕方とか、いつも相談に乗ってくれてありがとうな」

「構わないよ。委員長は野球部の練習で忙しそうだけど、僕は暇だからね。それに、誰にも理解されない辛さは、僕も少しわかるから」

 山近は自嘲気味の笑みを浮かべた。どういう意味なのかを僕が尋ねる前に、山近は話を続けた。

「それにしても、君から連絡をもらって驚いたよ。まさかこんな近場で、同じマンデラエフェクトを体験した人がいるなんてね」

「それな。こんなの奇跡みたいな確率だよ」

「ところで、その人には何て連絡をしたんだい?」

「ほら、これ。『そのお店の近所に住む者です。確かに看板の文字の色がいつの間にか変わっていました。マンデラエフェクトについて、ぜひ会ってお話してみたいです』って連絡したんだ」

「へえ。この人も色々な体験をしていたんだね」

 山近は僕がスマートフォンで見せたメッセージのやり取りを夢中になって目で追っていた。心なしかいつもより少しだけテンションが高い気がする。

 僕はそんな山近を横目に、ストローを使ってメロンソーダを勢いよく流し込んだ。知らない人と会う緊張で喉がカラカラだ。

「ねえ、もしかしたらあの人なんじゃない?」

 山近が僕の肩を叩いて、誰かが喫茶店に来店した事を知らせてくれた。入ってきたのは、三十代くらいのスラリとした体格の男性だった。指を動かして、スマートフォンを操作している。

「うん。きっと、あの人だ」

 僕のスマートフォンに「今、お店に着きました」と連絡が入った。僕がスマートフォンを持って立ち上がると、その男性は僕に気付いて近寄ってきた。

「あの、忠助ただすけさんですか?」

「はい。じゃあ、あなたが皆川さんですね?」

 男性は短く返事をすると、ふんわりとした笑顔で挨拶をしてくれた。良かった。予想と違って、普通に良い人みたいだ。

「藤城くん、『忠助さん』って誰の事だい?」

「ああ、それは爺ちゃんの名前だよ。未成年がSNSで本名を名乗るのは危険だろう?」

「それを言うなら、未成年の僕らが見知らぬ他人と会うのも危険だけどね」

「姉ちゃんに同席をお願いしたけどダメだったんだよ。だから、山近を呼んだのさ」

「まあ、僕は別にいいけどね。僕にとっては、SF好きな人と交流できるチャンスなわけだし」

 皆川さんが飲み物を店員に注文している間、僕らはコソコソと小声で話をしていた。ほどなくして注文を終えた皆川さんは、僕らに話し掛けてきた。

「では改めて自己紹介をしますね。私は皆川倫也みなかわともやです。よろしくお願いします」

「僕は忠助改め、藤城廣之です。よろしくお願いします」

「藤城くんのクラスメイトの山近煌希です。今日はよろしくお願いします」

「ああ、君がSF好きなお友達でしたか。頼りになりますね」

 皆川さんが人当たりの良い笑顔を山近に向けると、山近は照れたようにはにかんだ。山近のこんな表情は珍しい。

「それにしても驚きましたよ。まさか、こんなに若い子たちだったなんて。名前で勝手に歳上かと思ってました」

「皆川さん、僕たちに敬語は不要ですよ。僕たち高校生なんで」

「君たち高校生だったか! 若くて羨ましいなあ」

 皆川さんは僕たちに「じゃあ普通に話させてもらうよ」と言って、店員から受け取ったアイスコーヒーに口を付けた。

「さっそくですけど、皆川さんはあのお菓子屋の看板をどうお考えですか?」

「あれは間違いなく、マンデラエフェクトだよ。俺も店員に看板が変わったかどうか聞いたけど、昔から変わらないとさ。俺の職場はあの近くなんだけどさ、職場の人に聞いてもみんな文字の色は最初から黒だったって言うんだ。最初は何だか気味が悪かったよ」

 僕の質問に皆川さんはスラスラと答えてくれた。続いて、僕の隣にいた山近が前のめりになって皆川さんに尋ねた。

「そもそも皆川さんは、どこでマンデラエフェクトの知識を得たんですか? マイナーな分野だと思うのですが……」

「俺は小説でたまたま知ったんだ。そんな現象は一度も聞いた事がなかったのに、妙に気になってしまってね。オカルトとかSFやスピリチュアルって、全部怪しいイメージがすごいだろう? でも、俺は逆に『何かある』と思って調べたんだ。そしたら、そこに真実が隠されていると気が付いたのさ」

「真実?」

 僕は飲もうとしたメロンソーダから口を離して、皆川さんに目を向けた。何だか皆川さんが、とても重要な話をしようとしている気がしたからだ。皆川さんは緊張した面持ちで話を切り出した。

「この世は、何者かの都合よく変えられていると思うんだ。それも人間じゃない。たぶん、宇宙人みたいなものたちだ。奴らの目的は明確にはわからないけど、例えば地球で巨大な実験していたとしたらどうする? 実験場Aの世界の地球人を、実験場Bの世界へ飛ばした時の適応力を見ているとかさ。それと同時に、微妙に変わった世界に気が付ける地球人が、どれくらいいるのかも見てたりして。わざとその世界にヒントを残しておくんだ」

「それが、マンデラエフェクトだと?」

「その通りだよ、山近くん」

 僕はポカンと口を開けていた。とてもじゃないが、今の僕の知識レベルを遥かに超えた会話について行けなかった。

 ふたりの難しい考察は続く。

「もしかしたら、地球人が優秀な事に気が付いた宇宙人が優秀な人材をピックアップしているのかも。例えば、より良い遺伝子を取り込んで不老不死を得ようとしたりとかさ。それか、地球侵略のために、一つの世界に同じ頭脳レベルの人たちを集めて、一掃しようとしているとか」

「優生思想ですか。ありえますね」

「だろう? もし、これらが真実だとしたら、君たちや俺みたいな勘が鋭いがマンデラエフェクトとかをきっかけで目的に気付いてしまう。だから、そういった分野を人々に周知させないで、わざと『怪しい』と思わせる圧力が働いているんだよ。それも地球人同士が、相互監視するように仕組んだんだ」

 すごい壮大な考えだ。でも、それじゃあ僕は全く太刀打ちできない。支配層があまりにも巨大すぎる。

「皆川さん、その考えだと僕らは選別されているんですね。僕は……何も知りません。マンデラエフェクトにしても、わからないことが多すぎる。僕は、どうしたらいいんでしょうか?」

 僕はただ、祖父の無念を晴らしたいだけだった。それがまさか、こんな絶望的な現実を突き付けられる事になるなんて、完全に予想外だ。

「藤城くん、君はマンデラエフェクトを体験した事を後悔しているかい?」

 皆川さんは僕の目を真っ直ぐ見つめて、そう聞いてきた。祖父の事を思えば、何とも言えなくて僕が言葉に詰まっていると、皆川さんはフッと表情を緩めた。

「俺はね、少しだけ感謝しているんだ」

 皆川さんの言葉の意味がわからなくて、僕は眉を寄せた。

「だってそうだろう? こんな事がなければ、俺は君たちとは出会わなかったんだから」

 僕と山近はハッと息を呑んだ。

「実を言うとね、俺も不安だったんだ。今まで君たちみたいに俺の話を聞いてくれる人なんかいなかったから。俺が周りの微妙な変化に疑問をていするだけで、周囲の大人から変人扱いされてしまってね。気が付いたら、居場所がなくなってしまったんだ。それからは世間の『普通』に馴染む事に必死だった。大人は特にそうだ。そうしないと、社会で生きていけなくなるから」

 皆川さんが手にした、グラスの中の氷がカランと鳴る。夏休み期間の土曜日で周りはそこそこ賑わっているのに、僕たちがいるこの席だけは静かな時間が流れていた。

「……いや、もしかしたら、これすらも洗脳かもしれないね。一方的に与えられた情報を鵜呑うのみにして、自分で考える事を放棄した大衆から俺は外れている。その外れた人間を、世間は『非国民』だとか『非常識な人』と言って、なぜか敵扱いにするのさ。こうやって、地球人は簡単に分断されてしまう」

 僕は家族の反応を思い出した。みんなが受け入れを拒否している現実の中で、僕だけが何かと闘っている。そんな気がしていた。この例えようのない独特な孤独感に、僕は押し潰されそうになっていたのだ。

 皆川さんもそうだったんだ。きっと、それは祖父も同じだったはず──。

「だけど、そんな中で俺たちはようやく出会えた。君たちが俺の話を聞きに来てくれて、本当に嬉しいんだ。藤城くん、山近くん。今日は来てくれてありがとう」

 皆川さんは僕らに頭を下げた。

 僕らが唖然としていると、少ししてから顔を上げた皆川さんは、穏やかな声で僕の名前を呼んだ。

「藤城くん、大丈夫さ。俺も、君たちと同じ思いだったよ。きっと、この先も不安は尽きないだろう。正直言うと、この世界のおかしさに気付いた俺に、何ができるのかなんてわからない。でも、暗い気持ちに持っていかれてはいけないんだ。だって、こんな素敵な出会いがあるんだから。俺たちは真心と誠意を持って、どんどん人と繋がっていこう。それはきっと、誰かを救えるはずだ。俺が今日、君たちと出会って救われた事が証明だよ」

 皆川さんは温かい笑顔を僕に見せてくれた。

「さて、次は藤城くんの番だね。俺に何かできる事はあるかい?」

 ああ、そうか。最初から皆川さんはわかっていたんだ。僕が相談事を抱え込んで会いに来たって。

 やっと、大人にわかってもらえた。話を聞いてもらえた。それはなんて、嬉しい事だろう。

「藤城くん、話してみようよ」

 山近が僕の背中をトン、と優しく押す。

 僕はこの人たちの隣にいる間、自分の心に嘘をつかなくていいんだ。ありのまま、ここにいても大丈夫なんだ。ここに来て、初めて楽に呼吸ができた気がする。

 僕は山近に頷くと、本題である祖父の話をするべく、皆川さんに向き直った。

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