第5話 気が付けばまもなく新馬戦ですよ!

「それでは予定通りミナミベレディーのデビュー戦は6月の札幌芝1200、牝馬限定で行きます」


 馬主の大南辺、馬見調教師、調教助手の蠣崎の3人で、ミナミベレディーの今後の予定を打合せしていた。


 2歳になりどんどんと成長していくミナミベレディーではあるが、まだまだ成長途中と言って良い。しかし、当初からの物怖じしない性格が幸いして、調教も想定以上に順調に進んでいた。


「距離的には1200はいささか短く、ミナミベレディーには忙しい展開になりそうです。ただ、出走頭数も少ないこの時期を逃す手はありません」


「今の所の出走予定頭数は10頭か、その中で有力馬はコチノクイーン1頭ですね。コチノ牧場生産、ミラクルサンデー産駒でスピード馬、元々早熟な血統ですし強敵ですね」


 馬見調教師としては、ミナミベレディーの距離適性において心配がある。それでも、今の時期の2歳馬であればミナミベレディーの賢さに軍配が上がると思っていた。

 それに対し馬主である大南辺は、出走予定馬に前評判の良いコチノクイーンがいる事に心配を覗かせる。


「札幌は移動が短くて済みますし、ましてや牝馬限定ですからね。まだレースを覚えていない2歳馬達のデビュー戦ですから、勝敗は走ってみないと判りませんね。ちなみに、騎手は誰を?」


 蠣崎の質問に、今度は馬見調教師が顔を顰める。


「新人の浅井ジョッキーをお願いしたいんだ。何と言っても斤量マイナス4kgは大きい。もっとも、馬見調教師は反対なようだがね」


 大南辺の言う浅井騎手は、今年競馬学校を卒業した新人騎手である。久しぶりの女性騎手としても人気を博していた。更には、今年デビューして2か月で既に5勝している。この時期の新人騎手としてはまずまずの成績ではある。


「浅井騎手ですか、確かに勝てばミナミベレディーの名前が広まるかもしれませんが、どうせ新人なら大関君を推しているんです。彼は既に3勝していますし、悪く無いですね」


 大南辺と馬見調教師の言葉に、蠣崎調教助手は首を傾げた。


「お二人とも、そこでベテランという発想は無いのですか?」


 その質問に、二人は顔を合わせて苦笑する。


「今回限りなら其れも有りだろう。ただね、主戦として乗ってくれる騎手の方がミナミベレディーには良いと思ってね。あの子は人見知りはしないけど、騎乗するには癖があるからね」


「当初以上にしっかりした馬体になったそうですし、期待してるんですよね。ただ馬見調教師に聞く限りスタミナはちょっと不明との事ですから、新人なら負担も少ないので良いかと思うんですよ」


 二人の返事に蠣崎調教助手も考えるような素振りを見せる。


「斤量ですか、そこはまあ否定はしませんが。まずは1勝目指してベテランも悪くないと思いますよ?」


「それは判っているんだけどね。ただ、先々の事を考えるとどうかな? まずはミナミベレディーにレースを覚えて貰う。負けても今後に繋がる様にしたいんだ」


「負けては欲しくありませんが、サクラハキレイ産駒は晩成血統です。馬見調教師と話をしましたが、調教は順調だそうですから今後を考えようと。まあ、勝ってくれる分には文句はありませんがね」


「それであるなら、猶更まずは1勝を狙っても良いと思いますが」


 3人の意見はその後も纏まらず、結局は夜になるまで意見を戦わせることとなった。


◆◆◆


「それで? なぜ一番中途半端な私が鞍上で呼ばれたのでしょう? 今はフリーとは言え、私の昨年の勝利数は12勝止まりです。今年に至ってはまだ勝ち鞍0なのですが?」


 その3日後、美浦トレーニングセンターで馬見調教師と面会しているのは鈴村香織騎手。デビューして10年目、年数で言えば中堅に入る頃かと言う女性ジョッキーだった。通算勝利数は82勝、グレードクラスの勝利はGⅢを1勝、GⅡ、は騎乗経験はあるが、掲示板にすら載らなかった。


 そんな状況の鈴村騎手にとって、ハッキリ言って鞍数は一つでも欲しい。ましてや、結果次第によっては主戦騎手にして貰える可能性もあると聞いている。

 更に馬見調教師の話を聞く限りでは、GⅢクラスなら勝てるくらいの素質はあるとの事。


 近年、騎乗できる馬の数も質も落ちて来た鈴村騎手にとって、まさに棚から牡丹餅のような話だった。


「うん、一つ目は君が女性騎手であり、斤量マイナス2kg、更に勝利すれば話題性が高い事。二つ目は浅井騎手が騒がれてはいるけど、近年女性騎手の活躍がまた下がり気味で、GⅢも4年前に君が勝った中山金杯以降は誰もいない。そこで再度GⅢを勝てば、君の名前と共にミナミベレディーの名前も売れると思わないかい?」


「え? はぁ。ただ、それって取らぬ何とかでは」


 鈴村騎手も馬見調教師とはほぼ初対面で、人柄などを詳しく知っている訳では無い。それでも一応は呼ばれたので調べては来ていた。ただ、未だ厩舎としてはGⅠの勝利は無く、近年の厩舎としての成績も鳴かず飛ばずと言った印象だった。


「その意見を否定は出来ない。僕も出来れば鷹騎手とか、立川騎手とかにお願いできればと思わなくもない。ただね、そもそも付き合いが無いんだ。ましてや、グレードクラスで他馬と騎乗が被れば、こっちはあっさりと見放されそうだ」


 競馬界は、人の繋がりが非常に強く重要な世界だ。人との繋がりを疎かにすれば、良い馬を預けて貰える事はまず無い。即ち成績も上がらない。これは調教師のみならず騎手にも言える事だった。


「私は今は一鞍でも多く騎乗したいですし、結果が欲しいのは否定しません。それでも、まずは馬を見させていただいても宜しいですか?」


 理由を聞かされた鈴村騎手の心中は、非常に複雑ではあった。それでも騎乗できるのだ。それがGⅢクラスの馬に何の不満があるものか。そんな思いでミナミベレディーを見て問題が無ければという条件付きではあるが、騎乗及び、騎乗前の調教も引き受けるのだった。


 翌週、調教牧場に鈴村騎手達の姿があった。


「あれがベレディーだよ。可愛いだろう?」


「え? 新馬ですよね?」


 鈴村騎手の目の前には、栃栗毛の牝馬がのんびりと飼葉を食べていた。


 その馬体は既に450キロは優にありそうで、この時期の2歳牝馬としては雄大な体躯をしている。そして、トモの張りも含めて新馬の領域をすでに超えているような気さえして来る。


「すごいですね。でも馬体からすると中距離ですか? 芝向きの繋ぎですが、う~ん、牝馬限定とはいえ札幌の1200に出すんですか? 1800とかの方が良さそうなんですが」


 明らかにストライド走法向きの馬体で、首も長くスラっとしている。ただ、何となくであるが、馬自体からはどこかのんびりというか、のんきな感じを受ける。


「そこが悩み処なんだけどね、ただ今の時期であれば1200でも行けると思うんだ」


 馬見調教師の言う通り、この時期の新馬戦であれば勝ち負けは問題ないと鈴村騎手も思った。ましてや牝馬限定であれば・・・・・・。


「気性はどんな感じですか?」


「うん、穏やかで大人しいね。人見知りもしないし、愛嬌もある」


 馬見調教師の言葉に、確かにそんな印象を受けるなと鈴村騎手は思う。間近で人間が会話をしていても、耳をピクピクさせてはいるが、飼葉を食べる事を止める様子もない。


「判りました。せっかくご指名頂いたからには最善を尽くします」


 そう言って頭を下げる鈴村騎手に対し、馬見調教師は最後の爆弾を落とすのだった。


「あ、それとベレディーは鞭厳禁だから。スパートの合図は手鞭でお願いするね。まあ言葉で行け! って言ってもスパートするから言葉でも良いけどさ」


「はぁ?」


 何を言われたか理解できず口をポカンと開ける鈴村騎手に、馬見調教師は笑いながらミナミベレディーへと鈴村騎手を紹介するのだった。


◆◆◆


 飼葉をモグモグしていると、此方へ来る人が見えました。ただ、まだ私から遠い距離で、何か私を見ながら会話をしています。ちょっと気になっちゃいますよね。


 ん? あ、調教師のおじさんだ。あと知らない女の人だね。服装からすると騎手の人かな?


 おじさん達の話からして、もうじき新馬戦というレースに出る事になるみたいなんですけど、もしかするとあの人が私に乗るのかな?


 こっちを見てるので、私も飼葉を食べ終わったので見返しています。すると、調教師のおじさん達が一緒にこっちへと歩いてきます。


「やっぱり中距離向けですね。ただ、牝馬にしては馬体も良いですから、先行逃げ切り狙いなら何とかという所でしょうか?」


「そうだね、ただ最初に加速が付くかが問題かな。あと枠番とゲート次第という所だね。小器用な子だけど、レースは初めてだから小回りは苦手と思って欲しい」


 私を見ながら話をしています。内容的にはレースについてなので、そろそろレースがあるみたいですね。


「プフフン」(頑張りますよ)


 騎手のお姉さんにご挨拶します。一緒に走るなら仲良くしないとですし、競馬は見た事すらないのでお姉さん任せですから。


「この子のゲートはどんな感じでしょう? 嫌がったりしますか?」


「嫌がりはしないんだが、ゲートが開く音に吃驚する事があるかな。大人しい子だけどちょっと臆病かもしれない」


 う~ん、最近はこれでも慣れて来たんですよ? ゲートの練習を結構させられましたから。


 ただ、あの狭い場所でガシャンって音が響くと身が竦んじゃう所があるのです。うっすら記憶で駆けっこのピストルの音も怖かったので、どうしてもあのイメージが身に沁みちゃっているのかもしれません。


「調教はこれからですよね? ちょっと走って来ても良いですか?」


「ああ、最初は15-15くらいで様子を見てくれ、あとは任せるが、来週が本番だからよろしく頼むよ」


 あ、来週がレースなんですね。成程、これは気合を入れて頑張らないとですね。


 という事で、トコトコと騎手さんを乗せてコースへと進みました。


「はい、いくよ」


 合図とともに、タタタッ、タタタッと走り始めます。


 どうですかこの華麗な走り方。昔のドタバタとは違うのです。他のお馬さんを見て、研究したのです。


「うんうん、次は13-13くらいで行ってみようか」


 ん? もっと早くですか?


 指示される感じに柵にそって走るのですが、スピードを維持したままで柵沿いに走るのは結構難しいですね。どうしても外に膨らみそうになります。


「うんうん、15-15にもどそっか」


 そう言って手綱を引かれるので、スピードを落としました。


 その後、調教師のおじさんの所へ戻って指示を受けて、今度は他のお馬さんと一緒に走ったり、坂路を上ったり下りたりといつもよりちょっと多めの訓練をして一日を終えました。


 人間だった時と違って塾や学校の試験も無いし、他人とのストレスは少ないし、これで馬肉の未来さえなければ言う事無いんだけどな。あ、でもリンゴやニンジンはもっと食べたいなぁ。


 そんな事を思っていたら、翌週はレース前という事で食事量を減らされちゃいました。ぐっすん。

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