第二章 命の定義 1


 数日後、トレーニングを終えたシャルロットがオフィスに帰ってくると、部屋の片隅に見慣れない光景が広がっていた。


「じゃあ頼む……ふざけて一気に剥ぐなよ」

「分かってるって。なんだいその言い方、痛いほうがいいの?」

「そんなわけあるか阿呆が。真面目にやれ」

「はいはい」


 休憩スペースとして使っているローテーブルの上に、何故か霧吹きと丈夫そうな袋が何枚もある。奥のソファーにはコートを脱いだドミニクが寝そべっていて、彼に向けてジオがなにやら作業を始めよう、という状況。


 うまく呑み込めなくて、シャルロットは入り口で突っ立ったまま半目で見ていた。ドミニクの強化インナーは背中が丸だしで、黒い悪性細胞が晒されている。前だけ隠して後ろは開けっ広げとか、どういう趣味だろう。


 声をかけるか、何も見なかったフリをして素通りするか。シャルロットは後者を選んだ。


「あぁ、おかえりシャルロットちゃん」


 気にせずに過去の火葬事例でも確認しよう。そう思っていたのに、ちょうどいいと言わんばかりに上機嫌なジオに声をかけられては、流石に応対しない訳にはいかない。


「……なにしてるんです?」

「脱皮だよ。ドミニクの悪性細胞の生え変わりさ。季節の代わり目になるとペロッと捲れちゃってね」


 言って、ジオがドミニクの真っ黒な背中を小突いた。敏感なのか背中を仰け反らせたドミニクが、忌々し気にジオの足をひっぱたく。


「止めろ阿呆遊ぶな」

「いやぁ、思ったんだけどさ。私以外にこれ手伝える人いた方がよくないかい?」

「まさかこいつにやらせるつもりか」

「私はここの所属、君は長官直属だろう? 他所に行った時に脱皮きたらどうするんだい?」


 二人の会話を聞きながら、シャルロットはドミニクの背中に視線を落とした。皮膚が変色したのではなく、鱗がびっちりと敷き詰められている。背骨にあたる部分の鱗は大きく甲殻と言える大きさで、全ての鱗が分厚くなっている。身体と鱗の間に隙間ができているようだ。


「──なんでそんなこと言うんだ」

「なんでってねぇ? 今まで君の脱皮に対応できるのが私だけだったからここから動かせなかっただけでしょ? わざわざ長官が相性考えて組ませた相手だ、影響受けないよ」

「と、言われてもですね」


 明らかにシャルロットに向けて投げかけられた疑問に、小首を捻って返事をした。

 背部に手が届かないから他人に手伝ってもらっている、までは理解した。ただジオにしかできない理由が分からない。


「……脱皮の直後から、悪性細胞が発熱するんだ。普通の人間が触ると火傷する。放置しておくと熱い鱗をそこら中にばら撒きかねんから、兆候があった時点で全部剥がしてるんだ」

「そこで、魔力が利かない私の出番ってわけ」


 ドミニクの悪性細胞は、皮膚が変色したり硬化してざらついているのでなく、爬虫類の鱗や皮に近い。人間のそれより数段強固な鱗は、定期的に生え変わるようだ。

 ところで初めて知ったことは他にもあった。この飄々としたアルビノの男、魔力が利かないとは珍しい。


「初耳なんですけど。利かないんです?」

「そうだよ。魔力なんて見えないし利かないし、当然魔法も使えない……まぁ、そこまで不便ではないんだけどね」

「……なんて言うんでしたっけ、そういう体質の人」

「〝ギフテッド〟だ。私くらい適性がないのは珍しいんだけどね」


 だから私の銃は全部実弾。君の魔法障壁も効果がない。ジオは言って、大型拳銃を収めたレッグホルスターを軽く叩いた。


 アウロラの葬儀監督署が少数精鋭で回せているのも、ドミニクのみならずジオの活躍も大きいのだろう。悪性細胞でできたキャンサーの攻撃方法は魔法か肉弾戦の二つ。その片方を一方的に無効化できるのはかなりのアドバンテージだ。


 ドミニクの悪性細胞の発熱も魔力によるものなので、そもそも感知ができず認識できないジオにはあってないようなもの、らしい。


「……おい、早くしてくれ」


 しびれを切らしたドミニクが、もう一度ジオの足を叩いて催促した。ドミニクはずっとソファーに寝転がっているので、傾けている首が痛そうだ。


「で、やってみる?」

「やってみる、と言うかやっての間違いでは……?」

「そうだね」

「まぁ、手伝えるかどうかは一回触ってみないとですけど」


 言って、二人でソファーを囲む。恐る恐るドミニクの背中に指を触れると、確かに人間の身体にしてはかなり高い温度を感じた。普通の皮膚は人肌のままで、悪性細胞だけ発熱している。交互にツンツン触って押したりしていると、遊んでいると思ったのか首を捻ってドミニクが睨みつけてきた。


 長めの前髪からサファイアブルーの瞳が視線を打ちつけてくる。細い金の瞳孔が思いきり広がっていて、どうやら機嫌が悪くなっているらしい。普段は蛇や猫の様に細いが、どうやら感情の起伏によって開閉するようで、分かりやすくてありがたい限りだ。


「熱いけど触れなくはないですね」

「本当? じゃあお願いするよ。剥いだ鱗はそこの袋に入れて」


 ソファーに寝そべったままのドミニクが怒らないよう、いそいそと作業を進めることにする。脱皮したての鱗は熱した皿くらいの熱さだったが、触れない温度ではなかった。


 皮膚と鱗の境目から浮いた鱗を捲ってみる。べり、と小気味いい音を立てて剥がれた鱗は真っ黒で厚紙くらいの厚みがあって、劣化した鱗とは思えないほどの強度を持っていそうだ。その下、新しい鱗の継ぎ目から青白い魔力が滲み出てきて少々驚くものの、作業自体に支障はない。軽い抵抗しか感じず思ったよりは簡単に剥げたので、苦労しそうなのは背骨にあたる大きな甲殻くらいか。


「……すごい鱗……これ、魔導機器に組み込んだらいい性能になりそうですね」


 脱皮片として繋がった黒鱗をまじまじと観察する。劣化によって脱落したとは思えないほど艶やかな鱗は、しっかりとなめせば革素材として使えそうなほどだ。折り曲げてみても破れる様子はない。脱皮片でこれなのだから、ドミニクの身体を覆う鱗の強度はいかほどなものか。鋭いナイフを突き立てても軽く弾かれてしまうだろう。


「服で隠せる場所でよかったですね」

「全くだ」


 自己崩壊症の患者は、発作を起こした場合のリスクを考え忌諱されがちだ。とはいえ普通に暮らす分には一般人と変わりないので、ほとんどの患者は自己崩壊症を患っている事を隠している。ドミニクは範囲が広いとは言え背中だから、隠すのは容易い。


「……お前、大丈夫なのか」


 ぺりぺり捲れる脱皮作業は爽快感があって癖になりそうだ。黙々と鱗を剥いでいると、ドミニクが問うた。


「何がです?」

「魔導機器使わずに魔力使うと、すぐへばるんじゃないのか」


 なるほど、と合点がいく。先日の納棺で息が上がるほどバテていたのを思い出したらしい。


「いや、今は魔力使ってないんです。もうちょっと熱かったら、手を魔力でコーティングしないといけなかったかもですけど」

「……よく葬儀官やれてるな」

「まぁ、なるように頑張ったので」


 そうは言うが、頑張ったのはシャルロットだけでなく、知識をフル動員した葬送庁の技術部もだ。


 シャルロットの武装に組み込まれている増幅器は、本来銃など小型の魔導機器に乗せられないほどの大きさになるはずだった。が、葬送庁の尽力もあり超高性能の増幅器を作ることができた。代わりにシャルロット以外の誰にも使えない品になったが。


「……脱皮した鱗、いつだったか入用で葬送庁の技術部に送った覚えがあるぞ」

「まさか……」

「できれば鱗剥がしてそれもくれ、とか言われたから却下してやったが。案外俺の鱗が使われてたりしてな」


 言われてシャルロットは己の愛銃を思い出す。自信満々で技術部が持ってきた愛用の銃、その増幅器に当たるグリップ部分は黒色の革のような素材だ。思い返すと、確かに今しがた剥ぎ取ったドミニクの鱗に質感が似ているような。


「えぇ……いやその、ありがとうございます?」

「なら早く済ませてくれ」

「背骨周りが残ってますんで、あとちょっとです」


 雑談しながら鱗を抜くことしばらく。残りは大きな甲殻だけになって、シャルロットがよしと気合を入れ直した時だ。オフィスの一角で通知音が届いて、アンドレイが幾ばくかの操作を終えた後に振り返る。


「ドミニク君、シャルロットさん、ちょっと来てもらえますか」

「なんだ」

「課長のリシャ・Z・ハミルトンからです。追って通達は出すが先に話しておきたいと」


 どうやら仕事の連絡らしい。一旦、作業を取りやめて、シャルロットは通信が入ったアンドレイのデスクに歩み寄る。長く寝そべっていたドミニクもソファーから降り、大きく伸びをしながら歩き出した。


 自分の椅子を引っ張ってきて、ディスプレイの前に顔をひょっこりと覗かせる。ビデオ通信を繋げた先で、どこか幼さの残る赤毛の女性が待っていた。


『お? 初めましてじゃな、キサマがシャルロットか』


 顔のわりに声は威厳たっぷりだ。画面に映ったシャルロットに気づいて、リシャが顔を綻ばせた。ぱちくりと瞬きした両目の奥に、翡翠と琥珀を混ぜたような魔石が埋まっている。義眼にも見えないので、これも恐らく悪性細胞。彼女も自己崩壊症を患っているらしい。


「はい。シャルロット・S・ソーンです」

『話には聞いておる。無事に励んでくれればそれでよい。して、ドミニクはどこか?』

「いるよ、脱皮中だった」


 コートを着ないまま、インナー一枚でドミニクがやってくる。アンドレイを挟んで反対側に座り、既に話を聞く態勢をとっていた。


『──あぁ、そろそろ時期か。終わったのか?』

「まだだ。背骨の甲殻が残ってる」

『先に取ってこい……とも言えんのでのう。しばし我慢できるか』

「問題ない」

『ならばよい。本題に入る』


 柔和だったリシャの表情が、瞬き一つで険しくなる。自然とシャルロットも背筋を伸ばしていた。


『アウロラの中心部に、テラサルースの研究施設があるらしい。殲滅する必要がある』


 リシャの言葉に、シャルロットは眉根を寄せた。

 ベル・ディエムで働いていた際、現場でも署でも頻繁に聞いた。名前だけが独り歩きしている、目的だけが判然としない犯罪組織。施設や構成員もほとんどが民間に紛れていて、表向き善良な一般人でも、裏でテラサルースに一枚噛んでいた、なんてことも多い。


 唯一癌キャンサーを肯定する思想を持っている事は確かだから、葬儀監督署に勤める葬儀官にとっては敵対組織に当たる。


「……まぁ、あるでしょうね」


 アンドレイが苦々しく言った。リシャの言葉が聞こえていたのか、オフィス内にいたジオ達も何事かと寄ってきて、アンドレイのデスク前は人でごった返している。


『ワタシが上の要請を受けてベル・ディエムに出張に行ったのは知っているな?』

「アレだったよな、課長の使い魔が必要だったとかいう」

『然り。結果として合っておった。いやぁ、四足歩行のキャンサーと高速道路でカーチェイスする羽目になったわ。車並みの速度で走るキャンサーを追いながら交戦するなど、まぁワタシが使い魔を駆らねば出来ぬわな』


 話を聞くだけでげっそりしそうな状況である。


『元々はその狼のキャンサーの出没例が多くての。夜な夜な現れて人的被害も出さずに去っていくソヤツを対策課総動員で調査した結果、出入りしていた施設に突入したら──見事にテラサルースの関連施設でな。死体の集荷場であった。突入時に中にいた人間は全て捕らえて、凍結処理してあった遺体は全て火葬、逃げ出した狼のキャンサーもワタシが処理したわけじゃが……』


 リシャは一度言葉を切った。彼奴等め、と歯噛みした後、言葉を続ける。


『集められていたモノ自体は乳幼児から小学生までの子供。まぁ大方虐待で死んだ者を買い取ったのだろうが──当然、集荷場とあらば納品相手がある。各地域に検体を送っており、アウロラにも研究施設があるらしいが、問題はここからよな』


 ひとしきり説明をして、画面の向こうのリシャが机の上で手を組んだ。ほっそりとした左腕と違い、右腕は武骨な魔導機器の義手だ。


『捕らえた構成員をなんとか尋問にかけたら……アウロラの施設は数か月前から連絡が取れんときた。調べた限り分かった数は十体以上。それだけの数が一か所に集中したとなると、共食いでも起こったのやもしれぬ』

「……蟲毒めいたことでもしてたのか」

『知らぬ。今どうなっているか分からぬことしかな。して、葬送庁上層部はこれを懸念事項として調査することと決めた。出番だぞドミニク、シャルロット。キサマ等で行って参れ。近いうちにルクスから指令が来る』


 アウロラにテラサルースの関連施設があることは、特段驚くことでもない。大抵は巧妙に隠されているので、発見し次第潰すのが慣例だ。

 しかし遺体の十数体が数か月前からとなると、早々ハードな仕事になるかもしれない。シャルロットは思って生唾を飲み込み、ちらりとドミニクの様子を見る。こちらは僅かに目を細めて、どこか考え事をしているようだった。


 情報の少ない現場に送るなら長官直属の腕利きが適任だ。シャルロット一人であればもう少し人を寄越せと言うかもしれないが、圧倒的な火力を誇るドミニクが同行するなら不安はない。


「検体か……」


 小さくドミニクが呟いた。なんだろうと思って口を開くと、割って入るようにコンソールから通知音が鳴る。アンドレイはすぐさま通話を繋げると、幾ばくかのやり取りをした。


『どうした? 急用か』

「立脇病院から、キャンサーが来院したので引き取ってほしいと依頼が来ました」


 どうやら病院から直接の連絡らしい。大方孤独死した個体が、癌化しながら意識を取り戻してしまったのだろう。特段珍しいケースでもない、なんなら戦闘しなくて済むので楽だ。


「ドミニク達にこの後仕事があるんなら俺らで行くぜ」


 ジェラルドが問うが、ドミニクは首を横に振った。


「いや、俺達で行く。もう少しこいつの様子を見ておきたい」


 ドミニクがシャルロットを指さした。この後に重要な任務が控えているのなら、もう少しお互いの事を知っておく必要はあるか。


『どちらにせよルクスからの勅命が出ねばキサマ等は動けぬ。それまでは普段の勤務をしてもらう事になる故、構わぬぞ』


 ドミニクとシャルロットで向かうのはいいが、彼の脱皮がまだ途中だったはずだ。難敵の甲殻が残っている。


「ドミニクさん、行くのはいいですけど、鱗剥ぐのが先では?」

「……あ」


 出動しようと意気揚々と立ち上がったドミニクの背中に投げかけると、ふと思い出したかのように動きが止まった。


「どうやら死亡してすぐ意識だけ戻ってしまった方みたいで、癌化が始まってはいません。兆候はあるようですけど……まだ全然、時間はありますよ」

「じゃあさっさと剥いで行っちゃいましょう。ほら寝てくださいよ」


 シャルロットが、もう一度背中を出せとソファーを指さす。背中をぽりぽり掻きながら伸びをしてソファーに向かうドミニクを急かし、鱗が沢山入っている袋の口を大きく広げた。


「分かったから急かすな」

「よーしいきますよー」


 大きな甲殻を揺らしながら地道に剥ぎ取っていく。そんな様子がカメラ越しに映っていたらしく、離れたばかりのデスクからリシャの声が聞こえてきた。


『……ふむ。まぁまぁ順調なようじゃの。良い事よ』

「仲が良くて一安心さ」

『さて、切るぞ。まだ事後処理が残っておる故な』


 三枚目の甲殻をはぎ取ると、ブチっと軽い音がして呻いたドミニクが背中を逸らせた。痛かったんだがと責める視線を送ってくるドミニクを流して、詫びとばかりに霧吹きで水を大量に掛けていく。


 意外と鱗の量がある。この作業を季節毎に他人に頼まなければならないのも大変だな、とシャルロットはぼんやり思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る