22.名前

「あの! もしかして、新入生の人ですか!?」


びくっとして振り返ると、同じ制服を着た女の子が息をついていた。


「あ、そうです・・・」


「よかった! あたしもそうなんです! でも、バスの時間間違えちゃって! まだ時間大丈夫ですよね!?」


「うん、たぶん、まだ大丈夫だと」


「助かったー! 入学してそうそう、目立ちたくないですよね! あ、よかったら一緒にいきません?」


「あ、はい!」


ちょうど道に迷っていたので、などと余計なことは言わなかった。

にっこり笑った彼女は、迷わずに左の精肉店の横道に向かった。

そこから少し歩くと、窓ごしに大きなパキラの葉が見える喫茶店があった。

そうだ、これを目印にすればと思いながら、いろいろ考えていたせいで忘れてしまったんだった。


隣の子は、歩きに切り替えたけれど、今までの走り込みで頬が赤くなっている。

子どもっぽい顔立ちで、157センチのわたしよりも、小柄。150センチくらいかも。

ぱっつんに切りそろえた前髪に、さっぱりしたショートカット。同性の私から見ても、「かわいい」感じの子だった。

そのときはわたしも、今と同じショートカットだったけど、わたしの前髪は、前の日に気になって切りすぎてしまったもので、おでこが中途半端に出てしまっていた。

張り合うような気合はないけど、なんだかちょっと、負けた気がした。


「あたし、川村友美かわむらともみっていいます。えーと、すずはら、さん?」


「あ、鈴原すずはらで合ってます。川村さん、学部は普通科ですか?」


「うん、普通科! 公立受からなかったら親にめっちゃ怒られるとこだったから、めっちゃ勉強したー」


「あー、それ、言われますよね。うちも、お姉ちゃんの学費もあるから、行くなら公立で、って言われてました」


「あはは、みんな同じこと言われてるよね。ところで鈴原さん、敬語使わなくていいよ? あたし、もう使ってないし。なんか苦手なんだ」


「あ、ありがと。じゃあ、お言葉に甘えて・・・」


「それ、まだ敬語じゃない?」


話下手なわたしなので、いきなり並んで歩くのに少し不安がわいていた。けれど、友美が近すぎず、遠すぎずの話題をいろいろ振ってくれて、校門につくころにはわたしの敬語もいつのまにかとれていた。天真爛漫てんしんらんまんというか、こざっぱりした性格のようで、話しやすかった。


入学式会場に到着すると、一様に緊張した様子の男子女子が、会場にひしめいていた。整理係であろう上級生の、「新入生の方はこちらでーす! クラス分けを見てくださーい!」という声が、奥のほうから聞こえてきていた。


「クラス分けかあ・・・」


「一緒だといいね」


「そうだね・・・」


はしゃぐように言う友美とは対照的に、わたしは緊張しかなかった。


少女マンガの読みすぎだろうけど、クラス次第でその後の高校生活が・・・・・・という言葉が、うっすらと脳裏によぎっていた。まだクラスメイトどころか、クラス表すら見ていなかったのだけど。

ふと思いついて、「もしかして、川村さん、友達多かった?」と訊くと、「かなー? わかんない」と返ってきて、すみっこ族の中学時代のわたしと、キラキラまぶしい友美の姿を勝手に想像してしまった。ちなみに、道の途中で聞いた話では、彼女は短距離の陸上部だったらしい。


人込みの間を、友美が「すみませーん、通ります!」と、先陣きって進んでくれて、おかげでわたしたちはさくさくと、掲示板の前までたどりついた。

ドキドキしながら自分の名前を探す。そのときとなっては、合格発表の掲示板のほうが100倍気が楽だとすら思った。


「あ、あった! わたし、3組だ!」


1組に続き、2組の欄を流し見していたわたしの隣で、友美が声を上げた。


「え、うそ! 鈴原さん、もしかして同じクラス?」


友美の声に、思わず3組の名簿に飛び移った。


末永、杉江、鈴木・・・・・・、そこに、わたしの名前があった。

実質何もわかっていないのに、一つもやもやが晴れて少しほっとした。

同時に、恐れていた言葉が飛んできた。


「鈴原さんの名前、なんて読むの?」


出会ったあの時、友美はフルネームを伝えたのに、わたしは言わなかった。

並んで歩きながら、友美と友達になりたいという気持ちはあった。

けれど、というよりだからこそ、この名前を知られたくなかった。


登理のぼり


女子は「めずらしい名前だね」で済ませてくれたけど、名前を伝えた後に、いつも一瞬の沈黙があった。


正直うるさい男子のことはどうでもよかったけど、小学校のとき少し好きだった男の子が、図工室の前で「うちのクラスに変な名前のやつがいる」と言っていたときは、人のいない音楽室の横の階段で、少し泣いた。あのとき持っていた気に入りのクマのキーホルダーも、帰ってすぐ、机の引き出しにしまってしまった。


いい。もう、慣れたことじゃないか。


「それ、『のぼり』って読むんだ。はは、変わってるでしょ?」


その日初めて、笑顔を作った。

先回りをするのは、いつだってこうしないと上手くできない。


「え、かっこよくない?」


「へ?」


「すごい、かっこいい! なんか、ぶんぶりょうどう?みたいな感じ! すごーい、なんかきりっとしてない!?」


「・・・・・・そんなこと、ないよ?」


「あるって! あたし好きだよ、『鈴原登理』ちゃん! これからよろしくね!」


中学生のとき、字画占いのサイトが女子の間で少し流行った。

教室で、わたしはいいやと流して、家に帰ってサイトに打ち込むと、姉の冴香さえかは、39画で「大吉」。

わたしの名前は、46画で、「凶」。


その場の空気を凍らせなかったことへの安堵の後に感じたのは、なんともいえない、「やっぱり」という気持ちだった。


別に、特別嫌な目だったり、不幸な目に合っていたわけじゃない。

面と向かってからかうようなことはそれこそ小学校のときにだけだし、中学生のときに、一度だけ違うグループの女子の会話で聞いてしまったくらい。


「名前めずらしいのに、本人、地味だよね」


そうなのだ。

わたしは友美のいう、「ぶんぶりょうどう」どころかそのどちらかもパッとせず、部活もなんとなく写真部に入ったけど幽霊部員で(というか、部員の半分以上は幽霊だった)、唯一の取柄と言えば、国語の「5」と、皆勤くらい。


もちろん当時は、「ことわり」を「のぼる」なんていう高尚な理念の意味なんて芯から理解していなかったけれど、なんとなく、その意味を感じていた。


ちがうよ川村さん、わたしほんとは・・・・・・。


けれど、こちらをまっすぐ見て「好き」だと言ってくれた友美に向かって、わたしはこう返していた。


「ありがとう。うれしいよ」






























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