第3話 二度目の邂逅は夕刻の毒の森で

 不良品が混入していた。

 それが、私が取引停止を申し渡された理由だった。


 冒険者ギルド建物二階にある一室。

 さして広くないそこで、私は取引停止に関する説明を受けている。


「非常に残念だよ、ピュリファ。君には大きな期待をかけていたんだがね」


 説明の席で、私に告げたのは冒険者ギルドの長、ギルドマスターのグウェンさん。

 元高ランク冒険者で、過去に失った右目を眼帯を覆っている、強面の男性だ。


 取引停止の件について、私はギルドから説明を受けた。

 そこに、本来であれば同席することのない、ギルドの代表が現れたのだ。


 グウェンさんは、いわばこの街の最高権力者の一人。

 たかが新米錬金術師の一件に顔を見せるなど、それ自体がすでに異常なことだ。


「俺が説明に加わることは、せめてもの誠意の表れだと思ってほしい」


 彼はそう告げて、隣に座る職員に説明をさせた。


「昨日、遠征から帰還した冒険者パーティーから報告がありまして、遠征前に購入したポーションの中に二本ほど、不良品が混じっていたとのことです。そちらのポーションについては、まだ残っていたようですので、ギルドの方で回収してあります」


 これまでずっと手続きをしてくれていた職員さんが、冷たい目で私を睨んでいる。

 先々週の納品のときには、娘さんの誕生日の話なんかをしてくれたのに。


「預かった二本のポーションをこちらで調べたところピュリファさんから先月納品された品であることがわかりました。これが、取引停止の理由となります」

「…………」


 私は、何も言えずにその説明を聞いていた。

 そして思った。


「……そんなの、あり得ない」

「何?」

「ぁ……」


 無意識のうちに、思ったことが口に出てしまったようだ。

 私の声に、職員さんもグウェンさんも、こっちをジッと見つめてきている。


「あり得ないというのは、どういうことだ。ピュリファ」

「それは……」


 問われ、私は視線を泳がせる。

 けれど場の空気が、沈黙も逡巡も許してくれない。私はゆっくりと口を開いた。


「……そんなの、考えられません。不良品が混じってたなんて、そんなの」


 我ながら弱々しい声ながら、私は主張する。

 私の作るポーションに不良品があったなんて、絶対にあり得ない。考えられない。


「君から見ればそうだろうな。だが、現実なんだ。実際にあったクレームだ」

「そんなこと、一体誰が……!?」

「『エストラ一党』だよ」


 グウェンさんにその名を聞かされて、私は目を見開き、息を呑んだ。


「……Sランク冒険者の、エストラさん、ですか?」

「そうだ。正確には、一党のサブリーダーである魔導士のカーレンからだが」


 Sランク冒険者『暁の戦士』エストラと相棒のAランク冒険者『蒼杖』カーレン。

 このアーネチカの街では最も有名な、竜殺しをなした大冒険者。


「彼らは君が作るポーションを愛用していた。効果の高さのみならず、味もよくて飲みやすく、長期の保存もきく上、何より安い。エストラは特に褒めちぎっていたな」

「……恐縮です」


 絶体絶命の窮地だというのに、私は言葉通りに身を縮こまらせた。

 この人もエストラさんも、私からすれば雲の上の人だ。恐縮しないはずがない。

 それでも、納得がいかないことは伝える。


「でも、私が作ったポーションの中に不良品があったなんて、絶対にあり得ません」


 これだけは、これだけは言わせてもらう。

 そんなことがあってたまるかという憤激を言葉に載せて、私はもう一度重ねる。


「そんなことは、ないはずです」


 激しい緊張から肩も震えて膝も笑っている。

 でも頑張ってグウェンさんと職員さんを見つめ、私はそう主張する。しかし――、


「自分の作った品に自信を持つのはいい。しかし、それで現実は覆らないぞ」


 そんなもの、グウェンさんにはまるで通用しないのだった。


「君のポーションの特徴は、全ての品の質が均一であることだ。これは、売る側としても非常に好ましい利点ではある。……あった。過去の話となってしまったがね」


 過去の話。

 その一言が、私の誇りを荒々しく切り刻む。


「『エストラ一党』から預かった問題のポーションを精査したところ、こちらの品質基準を大きく下回っていることが判明した。これがどういうことか、わかるね?」

「そ、れは……ッ」


 私は、言葉を失う。

 冒険者ギルドが扱ってくれる品は、厳しい品質基準を満たすものだけ。

 一度でもそれをパスできないと、即刻取引停止という規則だ。


「もう一度言うが、君には期待していた。しかし、コトは君だけでなくこの街の錬金術師全体の風評の悪化にも繋がりかねない事態だ。厳正な態度で臨む必要がある」

「…………」


 私は、何も言えない。

 十年前の事件を発端とする、錬金術師の地位の失墜。


 ギルドは、それの払拭に躍起になっている。

 その道行きには、ほんの小さな傷一つですら許されない。見逃せるはずがない。

 いうなれば、私へのこの処分も、錬金術師のための決断なのだ。


「一応、レシピの共有という選択肢もありますね」


 職員さんが、今の私に残された唯一の道を提示してくれる。


「ピュリファさんのポーションのレシピをギルドが買い上げて販売する形です。これならば、今までよりはお渡しできる金額は落ちますが、取引の継続は可能です」


 私が作るのでは信頼性に欠けるから、信頼できる人に作らせよう。ということか。

 それなら、金額は落ちるが私はレシピ提供者として代金を受け取れる。


 でも、違う。そうじゃない。

 錬金術師にとって、自作のレシピは大きな財産であり、自らの努力の結晶だ。


 軽々しく手放せなんて、有用な提案であっても言わないでほしい。

 まだ錬金術師になって一年も経たない新米だけど、私にだってプライドはある。

 それに――、そもそも無理なのだ。


「……レシピは、お渡しできません」

「そうか」


 うなだれる私の耳に、グウェンさんの声が聞こえる。


「では、この話は終わりだ」


 そうしてこぼした彼のため息が、私を絶望のどん底に突き落とした。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 気がつくと、東の森にいた。


「……あれ?」


 木々の間から射す陽光はかすかに赤みを含んでいて、今が夕方だと教えてくれる。

 さっきまで、昼間のアーネチカを歩いていると思っていた。


 でもここは、夕方の東の森。

 どうして自分がここにいるのか、まるで記憶がない。今さら、それに気づく。


 多分、呆然自失の状態で歩き続けて、ここまで来てしまったのだろう。

 参った、今はカゴも採取用のローブも防護面もつけていない。中には入れない。


 帰らなきゃ。

 そう思った私だったが、口から出たのは全く別のこと。


「薬草、採らなきゃ……」


 頭ではまた『あれ?』と思いながら、私の足は森の中へと進んでいく。

 耐毒用の装備なしの状態でこの森に入るのは、自殺行為だ。


 それを、私の頭は理解している。

 なのに足は勝手に動いていく。森の奥へ、さらに奥へと。


 そして歩みを進めるうち、だんだんと頭の方も変な考えに囚われ始めた。

 今日も薬草採取がんばらなきゃ。

 それで家に帰って、ポーションをたくさん作って、そうしたら――、


 頭の中に思い描くのは、昨日まであった日常。

 もう今となっては失われた、私と、私が作るポーションが必要とされる日々。


「がんばらなきゃ、薬草、いっぱい採らなきゃ……」


 私は「がんばらなきゃ、がんばらなきゃ」と呟きながら、森の奥へと入っていく。

 それは、単なる現実逃避でしかない。


 ギルドに無用と判断された私が、それを認めきれずに逃げているだけ。

 それでも、私は。だって、私は……! ……って、あれ、何か焦げ臭くない?


「え、森の中で……、焦げ臭い?」


 嗅いでしまったその匂いが半ば夢想に沈んでいた私の意識を現実に引き戻す。

 こんな森の中で、焦げ臭さ? もしかして、火事!?


 マズい、と思った。

 この森で火事が発生した場合、火が街に影響を与えることはない。


 でも、熱せられた空気によって起きる気流が、森の植物の花粉や胞子を巻き上げる可能性がある。そうなったら、それは毒の風となって街に届くかもしれない。


「ど、どこ……? どこが燃えて……!?」


 とにかく、一度現場を確認して、それから街に報せなきゃいけない。

 時間は多少かかるけど、それが最短だと思って、私は匂いを辿っていこうとする。


「……くっ、煙が。やっぱりこれは」


 少しずつ漂い出した黒煙を吸わないよう、身を低く保って、私は突き進んだ。

 バチバチと、何かが燃える音がする。それは、目の前の茂みの先だ。


「火事が起きてるのは、ここッ!?」

「え、火事? どこで!?」


 え。


 茂みから飛び出して叫ぶと、何故か、返事があった。

 そして、私と彼女の視線が見事にぶつかった。


 私と――、串に刺したメギドダケを焚火で焼いているトキシーさんと。


「その声はもしかして、ピュリィかな? へぇ、キミ、そんなに可愛かったんだ」


 そう言って笑うトキシーさんは、膝を丸めてメギドダケを焼き続けていた。

 辺りの空気にキノコの焼ける匂いも混じってることに、私は今になって気づいた。


「ところで、火事が起きてるんだって? どこに起きてるのかな? 逃げなきゃいけないから、わたしにも教えてほしいんだけど。……って、どうかしたかい?」


 トキシーさんは首をかしげて、焼けたメギドダケにガブリとかじりついた。

 それを見た瞬間、私は腹の底から叫んだ。


「焼いてるゥゥゥ――――ッ! 美味しそうに焼いてるゥゥゥ――――ッ!?」

「うわ、いきなり何だよ!?」


 私の出した大声に、彼女もまた驚き、身を震わせた。

 これが、私とトキシーさんの、二回目の出会いだった。

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