君に優しくしたかった

藍ねず

01.

 社会に人外が進出し始めて早数十年。街には様々な形の存在が行きかい、人間と同等の知能を持った者達が生活していた。


 例えば異形頭。胴体は人間と同じだが、首から上が無機物で出来た存在。それは陶器や文具、はたまた星や月など多種多様な形をしていた。口はないが念力で意思を伝える者、胸についたチャックから声を発する者、頭の形や色を変えて感情を表現する者など、コミュニケーションの取り方は多岐に渡る。


 例えば植物生命体。人間でいう胴体は茎や幹、手足は枝や根、頭は花弁。フラワーアレンジメントや冠婚葬祭の場面では引っ張りだこであり、彼らが立つだけで文字通り、場が華やかになった。地方は虫が主食の食虫植物生命体に人気の移住地である。


 例えば妖。かつて夢物語、幻想、幻覚とされた存在も人外の社会進出と共に姿を現した。信仰や恐れが希薄な昨今、待っているだけでは空想に消えてしまうからと主体的に動き始めたのだ。今ではドラマ出演を果たす雅な妖や、数百年の歴史をエッセイにした妖怪作家まで現れる始末。人間の仕事はAIではなく人外に取って代わられる危機に瀕していると言っても過言ではない。


 人間と人外の間では和平条約が結ばれているが、偏見や差別、犯罪などは後を絶たない。だがしかし、人間だけの社会だった時も偏見、差別、犯罪は尽きなかったのだ。人外が紛れ込んだところで結局は変わらない。法改正などが進み、刑罰の種類が増えた程度だ。捕食禁止法や不同意神隠し禁止法など。


 さて、共に生活する中で衣食住に違いがあることは致し方ない。ただ、折衷案を模索して生活を強いられる社会の中で、譲歩できない部分というのも勿論ある。


 譲歩できない部分、それは医療だ。


 元より人間社会で医療は重要視されており、それは人外の中でも同じである。人外医学なる学問が誕生して何年経ったか。まだ発展途上の領域において、やはり偏見や差別は存在する。大々的に人外科を掲げられるのは大学病院などの極一部だ。それでも人間とは病棟を別にして欲しい、人外は診察を夜間だけにしろ、など風当たりは強い。


「はい、次の方どうぞ」


 しかし、そんな風当たりなどなんのその。気にせず診療する者もまた存在する。


 街中の路地を一つ二つ中に入り、コンクリート打ちっぱなしのビル地下一階。


 医者ならぬ異者。人外専門医。


安心院あじむ先生、よろしくお願いします」


 人外患者が頭を下げた相手。額に角あり、八重歯あり。黒髪短髪に白衣を纏い、物腰柔らかに微笑む異者は鬼女。


 名を安心院あじむ。彼女は今日も患者を診る。


汲々きゅうきゅうさん、お久しぶりです。今日も毒抜きでよろしいですかね?」


「はい。もうすごく溜まっちゃって、しんどくて……」


 目元を和らげた安心院の前に座ったのは、全身青紫色の人外である。丸い頭に繰り抜かれたような目と口。口は顔の半分を占めており、昔々の有名画家、ムンクの「叫び」と酷使した顔だ。


 汲々きゅうきゅうと呼ばれた人外は指のない小さな手で、ぽっこりと膨れた腹部を撫でている。足はめんだこの如くひらひらと波打っており、小柄な妊婦のようだ。


 手袋をつけた安心院の手は労わるように患者の腹部を触診する。


「最近ペースが上がっていますね。少し街を離れて人の少ない所へ休暇に出られるなど、いかがでしょう?」


「そうしたいのは山々なんですが、職場は人手が足りなくて……僕一人が減ると、他のに迷惑がかかっちゃいます」


 あるのかどうかも分からない肩を汲々は下げる。安心院は苦笑を浮かべ、息吸いの種族について知識を引っ張り出した。


 「息吸いきすい」とは人間の溜息を主食とする人外である。溜息が集まった場所にいると、息に含まれている不満や疲労が心身に影響をきたす。そこで仕事をするのが彼ら息吸いだ。


 息吸いが場に集まった溜息を吸い込むことで空気が入れ替わり、職場や学校など、公共施設では作業効率がアップしたのだ。


 しかし年々息吸いが呼ばれる現場は増えている。最近では火葬場や介護施設、一軒家からも依頼が来るようになり、てんてこ舞いなのだ。


 息吸いは腹に溜息の思念を一定期間保存し、体内でマイナスイオンへ浄化してから排出するそうだ。


 だが汲々のようにオーバーワークが続いていると、溜息を浄化する前に次の溜息を吸って胃下垂になってしまう。


 安心院はふかふかのベッドに汲々を寝かせ、身体機能増進剤を点滴した。


「これで二時間待ちましょうね。いつものように、マイナスイオンへの変換機能を速めていますから」


「ありがとうございます、先生」


「いいえ。お薬として変換活性剤も出しておきます。一日二回。朝起きた時と、夜寝る前に飲んでくださいね」


「あ、そちら、多く頂くことは可能ですか?」


「ごめんなさい、それは難しいですね。長く服薬しすぎると体が活性しすぎてハイの状態になってしまうので。用法・用量を守っていただくことが大切なんです」


「そうですか……」


 汲々は早速変換できたマイナスイオンを口から吐き出す。点滴室には和やかな空気が混ざり、他にも療養している患者の寝息が深くなった。癒やしている汲々の空気はどこか冴えない色をしているが。


 安心院は患者の腹部にかけたブランケットを撫で、歯痒そうに告げた。


「汲々さん、私が出来るのは、患者さんのしんどさを緩和させてあげることだけなんです。職場の環境まで変えてあげることが出来ず、ごめんなさい」


「いえいえ! こちらこそ、ご無理を言ってすみませんでした」


 空洞の目で弧を描き、汲々の声は明るくなる。眉を微かに下げた安心院は何も言わず微笑み、ベッド周りを白いカーテンで覆った。


 汲々のカルテを記入した安心院は薬剤担当に書類を回し、一度深呼吸する。そしてすぐに瞼を上げ、次なるカルテを準備した。


「はい、次の方どうぞ」


 彼女の声は待合に響き、次の悩みを抱えた人外が扉を開けた。


 ***


「なんだか最近眠れなくて……体調も優れないんです」


「分かりました。少し触りますね……あ、花弁の先が少し萎れてきています。最近大きな環境の変化などがありませんでしたか?」


「あ、はい。先月こちらに引っ越してきたんです。二つ隣の市から」


「でしたら水が合っていないのかもしれませんね。よければ水質アレルギー検査をしましょうか」


「お願いします」


 異者・安心院の元には様々な人外がやってくる。体調不良を訴える花の人外の次には、情緒不安定なやかんの異形頭。


「だめ、駄目なんです……俺は、俺は白湯が好きなのに……まわ、周りは、緑茶を入れてほしいから、って、勝手に茶葉を放り、放り込んで、きて……」


「それはお辛いですね。あ、キッチンタオルどうぞ」


「あり、ありがとうございます……うぅぅ」


 人間の胴体の上に鈍色のやかんを乗せた異形頭。やかんの注ぎ口からは熱くなった白湯が零れ、情緒の荒れによって蓋が弾む。キッチンタオルで白湯の涙を拭いた患者に、安心院は精神安定剤を提供した。


 また別の患者は千切れた触手を繋いでほしいとむせき、またある患者は仮病で安心院に愚痴を聞いてもらう。ぼそぼそと喋る患者にも、感情が高ぶって暴れ出す患者にも、安心院は微笑みながら対応し続けた。


 そして、慌ただしいまま一日は終わる。


「せんせーお疲れ様でーす」


「お疲れ様です、三珠みたまさん」


「受付の方はもう閉めちゃったんでー、こっちもチャチャッと片づけましょー」


「はい」


 受付兼薬剤担当の三珠みたまは、三毛の化け猫と多腕族のハーフである。まだら模様の猫耳と人間に近い顔つき。人間と同じ腕が六本生え、下半身は猫なのだ。


 彼は猫背で薬剤などを補充し、安心院もカルテを整理する。白衣を脱いだ鬼女は軽く伸びをした。三珠は珈琲を注ぎ、彼女にマグを渡す。


「ありがとうございます」


「いーえー。にしても、今日も滅茶苦茶な患者ばっかでしたねー」


「大変な方達ばかり、ではありましたね」


「せんせー」


 三珠の腕の一つが安心院の額を叩く。反射的に目を閉じた彼女は額と角を擦り、同僚に呆れられるのだ。


「せんせーは優しすぎる鬼ですねー、もっと鬼らしく豪胆に生きたらいいのにー」


「いやぁ」


 苦笑した安心院に対し、三珠は微かに唇を尖らせる。彼の唯一の同僚である安心院という鬼女は、鬼らしくない鬼なのだ。


 安心院は三珠同様にハーフである。種族は人間と鬼。異種混同することが普通になりつつある世界では珍しくもない存在だ。


 安心院は見た目も人間の割合の方が強く、鬼であると判断できる材料は額の角と鋭い八重歯、細い瞳孔くらいだ。


 しかし握力や治癒力は正しく鬼のものであり、自動販売機を投げることも出来るし、切り傷や銃痕なども数分で治る。鬼である彼女は首をねられない限りほぼ無敵だ。時には体調を崩す時もあるが、それは精神的疲労の結果である。そういった点は人間味があった。


 彼女はカルテを破らないし、点滴も的確に刺す。筆記具を握り潰すことも、酩酊状態で診察することだってない。それが安心院という異者だ。


「せんせー、たまには病院閉めて旅行行きましょーよ。俺あったかい所行きたいでーす」


「有休の申請ですか? かまいませんよ。いつ頃からをご希望ですか?」


「俺いま病院閉めてって言いましたよね?」


「あ、そうでしたね」


「まったくさー……社員旅行に行きましょーよ、せんせーと俺で。一週間くらい病院閉めてやりましょー。そしたら患者もここのありがたさを身に染みて学ぶと思うんでー」


「うーん」


 安心院は眉を下げて微笑むが、三珠の提案に頷く様子はない。提案した青年も分かってはいたが、安心院は意外と頑固なのだ。


「一週間閉めてしまうと、お薬が必要な方にご迷惑がかかりますし。急患の方とか来られるかもしれないですし」


「ンなのほっときゃいーんですよ。薬なんて休み取る前に多めに出しちゃえばいいし、急患なんて別の病院探せって話でーす」


「うぅん」


 安心院は自然な動作で三珠から視線を逸らす。猫は不服そうに尻尾を揺らし、右足は貧乏ゆすりを開始した。それでも安心院は提案を呑まないのだ。


「……せんせー」


 喉に絡むような低い声が響く。安心院の黒い瞳は三珠の三白眼に向き、微かに唸る同僚に申し訳なさを募らせた。


「ごめんなさい」


 謝るくせに、了承はしない。三珠は二本の腕で頭を掻き、二本の腕を腰に当て、二本の腕で珈琲の入ったマグを握り直した。六本の腕はそれぞれにやるせなさを出している。


「み、三珠さんの有休は大丈夫ですよ。いつでも申請してください」


「俺が休んだらあんたが一人で働くことになるでしょーが」


「大丈夫ですよ。体力あるので。診察人数の制限はするかもしれませんが」


「それ聞いて休めるかって話ですねー」


 三珠が音を立てて珈琲を啜る。口を結んだ安心院は肩身が狭そうに椅子へ座り直し、三珠は一本の腕を軽く揺らした。


 彼女は善良な鬼だ。人外専門医という道を選んだ時点で奉仕の精神は決まっており、自分に妥協を許さない。他人には飴を、自分には鞭を。


 三珠は隠す気もなく溜息を吐き、ポケットに忍ばせていた飴の袋を開けた。飴玉は安心院の顔の前に寄り、彼女の唇を柔く押す。


「はい、あーん」


「あ、あー」


「ん」


 さっぱりとした檸檬味。黄色い飴を舌の上で転がせばしゅわっと炭酸も効いており、安心院の頬が綻んだ。三珠は同じ飴を自分の口に放り込み、容赦なく噛み砕く。


「美味しいです。ありがとうございます」


「どーもー。珈琲とは合わないかもしれないですけどー」


「そんなことありませんよ」


 安心院はもごもごと飴を舐め、三珠は早々に口を空にする。マグも既に底が見え、彼は珈琲をお代わりしようと立ち上がった。


 その時、三珠の猫耳が揺れる。尻尾を振った彼は病院の出入口の方へ一瞬視線を向けたが、何も気づかなかったことにした。


「三珠さん」


 次に猫耳が拾ったのは飴が噛まれる音。細い安心院の瞳孔はより細くなり、飴の欠片はすべて嚥下された。三珠は良すぎる自分の耳を恨んでしまう。


「もう受付閉めてるでしょー」


「三珠さんは先に上がっていただいて大丈夫ですよ。この時間に来られる方の目星はついていますから」


「せんせー」


「ここまで足を運んでくれたんです。それを無駄足にしてあげたくないので」


 白衣を着直した安心院は部屋を出てしまう。三珠は彼女と自分のマグを流し台に置き、尻尾は勢いよく左右に揺れた。


 外へ続く階段を上り、安心院は患者用出入口の鍵を開ける。とっぷりと日の暮れた路地に立っていたのは、灰色の人狼であった。


 濁った金色の瞳と、顔を隠す灰色の髪。頭には狼特有の耳があり、腰からは毛量のある尻尾が垂れている。


 顔や体つきは人間らしい青年。安心院が見上げるほど背丈はあるが、肩が前に入っているせいで胡乱うろんな空気が流れ、近寄りがたくさせた。


 彼の顔や手の甲には擦り切れた傷がある。目を凝らしてみれば服も汚れており、靴には赤黒い染みがついていた。


「こんばんは、よいさん」


「……ばんは」


 会話の頭が消えた青年を安心院は笑う。鬼女は扉を押さえて、行き場のない患者を迎え入れた。

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