25、次の皇帝は私がなる。たぶん

 エミュール皇子は、一度剣の柄を確認するようにしてから、ディリートに近づいてきた。老ゼクセン公爵が一緒だった。

 

(近づかれては、扇を落とした意味がないのですが、殿下? 一応私としては、イゼキウスに味方だと思わせておきたいのですが、殿下?)

 しかし、近づいてくる主君から逃げるわけにもいかない。ディリートは「殿下が近づいてきてくださるのは光栄です」といった表情でニコニコした。

 

「扇が落ちていたよ、私のジャンヌ」

 真っ白な髪の毛先を風にサラサラと遊ばれながら、エミュール皇子は扇を手渡しでディリートに返した。そして、赤いマントをひるがえして聖剣に向かった。


(これくらいなら、あやしまれないわよね。よかった)

 ディリートがホッと安心する中、エミュール皇子の声が響き渡る。


「皆の者、聞いてほしい。最近私の寵臣ちょうしんレイクランド卿がめきめきと功績を上げている。聖剣なんて抜いてしまったら私は皇太子に決まってしまうのではないかな」


 冗談めかした声は、初対面のときに感じたのと同じ朗らかでイタズラ好きな雰囲気だ。実年齢はランヴェール公爵と同じであり、イゼキウスより年上のこの第一皇子は、外見の成長が未成熟なのもあって、親しみやすい気配がある。皇族たちも臣下たちも、なんとなくリラックスした雰囲気で和やかにエミュール皇子の声に耳を傾けた。


「父である現皇帝陛下は、自分の代で兄妹が激しく王位継承争いをしたのを残念に思っておられる。子世代である私たち兄弟には仲良くするようにと幼少期から説いていたのである。ゆえに弟は私と争う気はなく、将来は臣下として支えると表明してくれている」

 

 エミュール皇子が第二皇子に視線を向けると、第二皇子はニッコリと頷いた。

 臣下たちがそんな兄弟に拍手を送る。第三皇子はあまりよくわかっていない顔で、姉皇女と一緒に手を叩いた。エミュール皇子はそんな弟たちを兄の顔で見てから、イゼキウスに視線を流した。


 エミュール皇子の赤い眼差しは、笑っていなかった。


「私の耳には、忠実な臣下からの警告が届いている。私の親類に穏やかならぬ心を持つ者あり、というのだ。それも、敵国と手を結んで罪なき民を巻き込もうとしているという……その動機は、国家を思う心ではなく、父の代からの遺恨いこんによるのだと思われる」


(殿下!?) 

 ディリートはギクリとした。

 

 この皇子は何を言い出すのだ。

 こんなに突然、公の場で糾弾きゅうだんするとは思っていなかった。事前にそんな打ち合わせもしていなかった――ディリートは不意を突かれた思いで、エミュール皇子を見た。


 とくん、とくんと胸の中で心臓が騒ぐ。背筋が冷える。

 エミュール皇子の声が続いている。

 

「不幸だと私は思う。子に親が与える影響は、大きい。親の恨みにより子がその価値観を歪められ、人生を左右されるのは、哀れだ。片方が勝利してそこで終わりになればよいものを、他者を巻き込みいつまでも争いが続くのは、迷惑だ」


 エミュール皇子が年下の皇甥イゼキウスを見る目には、いきどおりがあった。悲しみがあった。


「熱意があり、資質に優れており、志が立派であれば。正々堂々競って負けたなら、私は『国のためを思えば、彼が皇帝になってよかった』と言うだろう。しかし、敵国と手を結んだり、罪なき民を犠牲にするようなライバルを見て『あの者にこの国を渡してもいい』などと言えるだろうか? 答えはいなである」

 

 この皇子は怒り、悲しんでいるのだ――語る声を耳にした皆が、その事実に気付いた。幼い第三皇子ですら、神妙な顔になって黙り込んだほどだ。

 

 それほどに、声には感情が籠められていた。

 聞く者の心を揺さぶる熱があった。

 

「上に立つ者の私情により国は荒れて、民が辛い思いをするのである。チェスを遊ぶ気分で勝利を求める指し手気取りの皇族のために、かけがえのない兵士は命を散らし、兵士の家族は泣くのである。エミュールはそれが腹立たしい。わかるか、イゼキウス。わかるか」


 エミュール皇子はそう言い捨てて、視線を聖剣に移した。


 その小さな手がディリートから貰った首飾りの宝石を剣の柄にあてるのを見て、イゼキウスはうめいた。


「な、なぜ――――」


 危機にある。イゼキウスが危機にある。


(……この感情は、なに?) 

 それが望ましいはずなのに望ましくないようにも思えてしまって、ディリートは動揺した。


(エミュール皇子が「腹立たしい」という気持ちを当たり前だと思うわ。私も腹立たしい。許してはいけないと思う)


 追い詰められたイゼキウスに、ハラハラと胸が騒ぐ。

 

(それで? 私は今、嬉しいの? 怖いの? この感情は、この落ち着かない感じは、なに?) 

 

 固唾をのんで見守る視界で、エミュール皇子が聖剣をゆっくり引く。


 剣は、抜くことができた。大きなどよめきが生まれて、歓声へと変わる。

 大きな剣の重量によろめきそうになるエミュール皇子の背を支えるのは、老ゼクセン公爵だった。

 まるで祖父と孫のような臣下と皇子は一瞬、視線を交わして頷き合った。そして、エミュール皇子は聖剣を持った腕を上にあげて、剣先をまっすぐ天に向けた。


 

「神は、私をお選びになった」

 

  

 臣下に支えられ、エミュール皇子の持つ聖剣の切っ先が天へと高く掲げられる。

 太陽の光が切っ先をキラリと輝かせて、神々しい光を魅せた。


 それはまるで、英雄物語の1ページを飾るような光景だった。


 風がふわりと吹いて、エミュール皇子のマントを揺らしている。

 エミュール皇子は聖剣を掲げたまま、演説を続けた。

 

 

「天上の神々と天下の蒼生万民そうせいばんみんは知るがいい。太陽の子、海の友、けいらの第一皇子エミュールは、玉座を望む」

 

「国家とは、家という文字を書く言葉である。ならば皇帝は卿らの父である。父になろうとする私の剣は、家族を守るためにふるわれるであろう」


「家族のためにまず私は庭の木を切り、万民のための工事をしよう。これはエミュールが伝統よりも現実現在の皆の実利を重んじるという表明である。だから税金を納めてくださぁい」

 

 

 こうしてエミュール皇子は聖剣を抜いた第一皇子として皇太子にほとんど内定しかけるのだが、皇甥派は「証拠もないのに根も葉もない言いがかりを口にして皇帝の甥を侮辱した! 第一皇子の発言は皇帝の甥に対する明らかな名誉棄損である」と主張し、皇帝は「よし、まずは詳しく調査しようではないか」と間に入って両派閥をなだめ、皇太子の内定は保留になるのだった。



 * * *

 

「それはともかくとして、私のジャンヌ。外来花や蜂蜜の回収は一朝一夕にともいかず、病の症状を訴える者が出始めているのだ」

 

 王手直前ともいえるエミュール皇子はそう言って、「ここはひとつ聖女ジャンヌの奇跡を振る舞う会をひらいてはいかが」と妙な会をひらこうとする。


 第一皇子派のランヴェール公爵やゼクセン公爵はエミュール皇子の思い付きに付き合うために親睦会のような会議のような集いに駆り出されるようになったのだが、ある夜、皇都の南側にある花街の娼館にて、ランヴェール派とゼクセン派が喧嘩をして街が燃えてしまうという事件が起きてしまった。

 

 そしてランヴェール公爵は「公爵が街を燃やした」「証人が多数いる」といわれて、罪に問われる事態となってしまったのである。

 

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