21、ですから、デートをしましょう

 教会での一件を終えたランヴェール公爵家は、外来花の回収や薬の開発などもしつつ、のんびりとした日常を過ごした。


 市井で『第一皇子のジャンヌ』や『魅惑の葡萄夫人』といったあだ名がついてゴシップの的として人気急上昇の公爵夫人ディリートは、シニヨンスタイルの髪型で、明るい白のデイドレスをまとっている。


 花瓶に白いペチュニアを飾りながら、メイドのエマが教えてくれる。

「第一皇子殿下から、旦那様へお手紙が……」

 

 エマの知らせに首をかしげるディリートの首元で光るのは、明るい黄水晶が煌めくペンダント。夫であるランヴェール公爵から贈られたお気に入りだ。

 

「旦那様はエミュール皇子殿下に呼び出されたようなのです、奥様。レイクランド卿のご家族の件で事情聴取を受けるらしく」

「まあ。それでは、公爵様は留守になさるのね」


 皇都までは、整備された道を通っての移動となる。

 

 普通は2頭から4頭の馬に引かせる馬車での移動だが、ディリートは前回の人生でランヴェール公爵が精霊獣の馬に馬車を引かせて移動するのだと知っている。

 

 精霊獣の馬はとても珍しく、高位貴族の中でも所有する者が少ないが、かかる日数は通常の半分くらいに短縮できるのだ。

 

「移動時間が短縮できても、滞在する期間も考えると、それなりの日数はご不在になるかしら」

 

「おでかけ?」

 

 あどけない声を挟んだのは、レイクランド卿の愛娘、ティファーヌだ。

 

「ええ。公爵様が、お出かけなさるかもしれませんわ」

 

 ティファーヌは、まだ舌足らずで可愛らしい年頃である。

 ディリートは、この小さな娘に懐かれていた。人懐こい娘なのだ。


「パパも、おでかけちゅう!」 

「ティファーヌちゃんのお父様、早く帰って来てくださるといいですわね」

「うんっ」

  

 元気なティファーヌの声が響く部屋の隅では、仔狼に似た精霊獣『プリンス』がコソコソしている。

 ティファーヌは、精霊獣のことは「こわい」と言って怖がっている。プリンスは何度も仲良くなろうと近付いたのだが、何度目かの「こわい」で心が折れたらしく、隅っこでいじけるようになっていた。

 

(私も、一度目の人生では怖かったもの)

 

 ディリートはティファーヌに共感しつつ、手紙を読み上げた。教会での一件以来、『空腹殿下』とか『マザコン』という汚名が世間でささやかれるようになったイゼキウスからの手紙だ。


『ティファーヌは元気にしているか。俺は別に心配なんかしていないのだが、首飾りを持っていかれたので気になっている。あと俺にロリコンの噂まで出ている。噂を流したのはお前の夫だ。こっちも噂を流してやろうと思う。今に見てろ。ちなみに首飾りは、剣を抜く鍵なんだ。なんか気に入ってたから「しょうがねえなあ」って貸してただけなんだ。似た首飾りを贈るから、返してくれ。会いたい』

 

「足長おじちゃま、さびしいの?」

 ティファーヌは文字が読めないが、手紙という概念は理解していて、じーっと文字を見つめている。

 

 ちなみに『足長おじちゃま』とはイゼキウスのことらしい。

 最初は『赤いパパ』と呼んでいたのだが、レイクランド卿が『ティファーヌ! 他にパパを作らないでくれ、やだやだ!』とお願いして、パパと呼ぶのをやめさせたのだ。

 

「そうね。寂しがって……そんな性格かしら……いえ、意外と寂しがっているかも……?」

 

「おじちゃま、絵本がんばって読んでたの。笛も吹いたのよ。こわい絵本は、夜に眠れなくなるから読まないのよ。おじちゃま、夜にこわい夢をみて『ママ』って泣いたから、ティファーヌがよしよししたのよ」

 

「えっ、いっしょに寝ていたの? そ、そ、そう……ティファーヌちゃんは、優しいのね……?」

 

 なにやら毒気を抜かれるエピソードがティファーヌからポロポロと語られて、ディリートは目を丸くした。

 

(一瞬ほっこりしてしまったじゃない。だ、だめよ。あの男は、悪人よ。ティファーヌちゃんと仲良くしたからといって、ほだされちゃだめよ) 

 

 ディリートが心の中で癒し系エピソードと憎しみを戦わせていると、プリンスがそーっと近づいてくる。

 それに気付いたティファーヌは、ディリートにすがりついた。

 

「こわいぃ」

「こわくないわ、この子は優しいのよ、ほら……お手だって出来るのよ」

 

 ディリートが手のひらを上に向けて差し出すと、プリンスは「わんっ」と鳴いてお手をする。


「こわいい」

 

 ティファーヌはこわい、こわいと繰り返しながら手を伸ばして、プリンスの耳の先を指先でつついた。そして、「すごいものに触っちゃった!」という顔で自分の指を見つめる。


「大人しくていい子でしょう?」

「こわい」

「くぅん……」 

 

 こわい、こわいと連呼されて、プリンスはしょんぼりした様子で部屋から出ていく。

 ふさふさの尻尾が力なく垂れさがっていて、足取りがトボトボしている後ろ姿には、哀愁があった。

 

「こわい、またね~っ」

  

(こわい、が名前みたいになっている……? 実はこわがっていないのでは?)


 ひとつの可能性に思い至りつつ、ディリートはイゼキウスに「ティファーヌちゃんは精霊獣と遊んだりしています」と返事を書いた。


(イゼキウス、悪いけれど、この首飾りはエミュール皇子殿下に献上するわ) 


 胸のうちで計画を練っていると、エマが耳打ちをしてくる。


「奥様、旦那様が……」

 

 視線を向けると、いつの間にか部屋の入り口にランヴェール公爵が佇んでいる。


 ランヴェール公爵は、仮面の着用をやめていた。

 堂々と素顔をさらし、身につける衣装も喪が明けたように明るい色合いになっている。

 懐かしの、一度目の人生で「ランヴェール公爵といえばこんな姿」とディリートが認識していた姿だ。


「皇都に呼び出されたのですが、そなたは、皇都に行ったことはありますか?」

 

 ディリートは少しだけ迷った。

 実は前回の人生でイゼキウスに皇都を案内してもらった思い出がある。


「……ありませんわ」 


 迷った末にそう答えると、ランヴェール公爵は特有のスローペースで『花の都』とうたわれるうるわしの皇都について語り出した。

 

 大きな川が都市を北と南に分けるように流れているだとか。

 高位貴族しか入れない王冠地区という区域には珍しい施設もあるとか。

 橋があり、橋の上に住居や商店を建設したが結構な頻度で揉め事が起きたり火事になるとか。

 広場は人が多くてスリが多発しているとか。円形劇場では流行の劇が観られるとか。


「お気を付けていってらっしゃいませ」

 

「遊覧船に乗るのもよいかもしれません。水面に花を浮かべて」


 呼び出されたという割に、のん気だ。

 遊びに行くような雰囲気だ。

 ディリートは微笑ましさを覚えて、ニコリとした。

 

「楽しんでいらしてください」

 

「そなたは精霊獣を連れて王冠地区の公園を散歩してもよい」

  

「……?」 


「劇も観ましょうか? こういうのを、デートというのです」


「公爵様? もしかして、私も連れていってくださるのでしょうか?」

 

「そなたが嫌でなければ、いかがですか。第二皇子殿下の生誕祝いもあることですし」


 第二皇子殿下の生誕祝いパーティまでは日数があるが、一度帰って来てまた出かけるよりはずっと皇都にいた方が楽なのは間違いない。

 

「ですから、デートをしましょう」

 

 ランヴェール公爵はそう言ってディリートの手を取り、指先にキスを落とすのだった。

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