5、私はジュリエットではありません


「道中お疲れ様でした。歓迎いたします、レディ」

 

 ランヴェール公爵は、労いと歓迎の言葉を口にした。言葉は、台本を読み上げているかのように抑揚にかけていて、時間を贅沢につかうようにゆっくりとした話し方だ。これは、ランヴェール公爵の特徴であった。

 この公爵は、動きは機敏で隙がないのだが、話すとおっとり、のんびりとしている。そして、一番大きな特徴が――どんなときも表情が変わらなくて、感情の波があまり感じられない点だ。

 

 差し伸べられたランヴェール公爵の手に、ディリートは黒手袋に覆われた手を重ねた。

 

(前回の私よりは、今の私のほうが好ましいのではなくて? いかが? 公爵様?)

 

 ディリートは顔色を窺うが、公爵の心の内はわからない。

 

(相変わらず綺麗な人。でも、あまり見惚れちゃいけないわ。彼は、そういう視線に敏感なはずだから)  


 ディリートは知っている。

 この公爵は、実は子供の頃は太っていたらしい。剣術や魔術を頑張って痩せたが、痩せるにつれて並外れた美貌が明らかとなり、大いに周辺を騒がせたのだとか。

 太っていた頃と痩せてからの令嬢たちの変化を体験して、軽度の女嫌いになったのだとか。

 ――イゼキウスが過去に楽しそうに教えてくれたのだ。

 

 公爵のさらりと揺れる夕日色の金髪は日差しを受けてキラキラしている。黄色い瞳は宝石のシトリン・クォーツによく似ていた――綺麗だが、無機物のようで、感情がうかがえない。

 白皙はくせきの肌などは、ディリートより透明感があって繊細な風情だ。

 端正に整った顔立ちにも佇まいにも、匂い立つような気品がある。しかし、ディリートはこの美しい公爵の表情筋が仕事をしているところを見たことがない。

 

 ランヴェール公爵は、そんな人形のような美青年だ。だが、感情を持つ人間だ。おそらくは。

 人形であれば飾ってうっとりと鑑賞するだろう。だが、夫だ。

 

 ダブルブレストのテールコートは汚れを寄せ付けぬような白生地で、チェーンタイプの白金ラペルピンが似合っている。ディリートは「白がよく似合う男だ」と思いながら、彼が腰にいた剣をちらりと視た。


 一度目の人生でディリートが抱いていたランヴェール公爵の印象は、お上品な箱入りのお坊ちゃんとか、芸術・風流を好むディレッタント系の貴公子だ。

 剣を使う印象はなく、格好つけだと思っていたが、先ほどの雰囲気からすると扱えるのかもしれない。


「歓迎してくださって嬉しいですわ。公爵様」

 ディリートは普段よりもゆっくりと言葉をつむいだ。話すペースは、相手と合わせるのがよい。ディリートは一度目の人生でそれを学んでいた。

 

「到着前に騎士から報告がありました。ご苦労の多い身の上だったのだとか?」

 

 彼の家臣に、道中で実家で微妙な立ち位置だったことや淋しい思いをしていたのだと語ったのが、さっそく主人に伝わっている。

 弱い部分を見せてディリートの心を惹き付けたイゼキウスを思い出して真似したのだ。

 

「お恥ずかしいですわ。騎士様がとても親切な方だったので、その……今まで、あんなに優しくしていただいたことがなかったものですから。ついあれこれとお話してしまいましたの。楽しくないお話をお耳に入れてしまい、申し訳ありません……次からは口には気を付けますわ」

 

 自分は異性の美しい容姿に浮かれたりはしないのだ。

 外見よりも親切な振る舞いや優しさ、人柄に価値があると思うのだ。

 そんな感情をこめて、ディリートは騎士を褒め称えた。 

 

「騎士様……親切。優しい……」 

 

 ランヴェール公爵が小さく繰り返している。傍らで『騎士様』本人がなにやら焦ったような顔で膝をつき、かしこまっていた。

 ディリートは義母ビビエラを思い出しながら眉を下げた。自分が悪いんです、と反省するような顔を見せ。父ブラントを思い出しながら、困ったような、人のよさそうな笑みを返した。

 

「騎士様……ロラン様には、とても感謝していますの。ランヴェール公爵様は、素晴らしい家臣をお持ちですわね」 

 

 ランヴェール公爵は、『ロラン様』を一瞬だけ見下ろした。

 ロランは主の視線にブンブンと首を振っている。

 

 

「……ゼクセン公爵に手紙を出されたという報告もありました」

 

 ランヴェール公爵が感情のうかがえぬ声で話し、歩き始める。

 歩調は、話すのと同様にゆっくり、のんびりだ。

 

「殿下を」

 

 短い声が公爵の唇から発せられて、侍女がエミュール皇子に「着替えの支度ができております」と言葉をかけている。

 

「夫婦は仲良くすると健康によい。主命である。仲良くするように」 

 エミュール皇子はひらひらと手を振り、ディリートにとってはありがたい言葉を贈ってくれた。

 

『お前の、妻という立場を利用したい』

 イゼキウスの声が脳裏に鮮やかに蘇る。 


(ランヴェール公爵様が私をお気に召してくださったら、やりやすくなるわ)

 ディリートはほんの少しだけ良心の呵責を覚えつつ、ランヴェール公爵の「攻略」を続けた。

(利用させていただくわ。公爵様)

 

「ゼクセン公爵は母方の祖父なのですが、今までお手紙を出しても『なぜか』『不運つづきで』相手方に届けられなかったのです。けれど、喜ばしいご縁を繋いでいただいたお礼を、なんとかお伝えしたくて。もしお爺様とお手紙のやりとりができるようになったら、嬉しいですわ。実家にいたときから、日々の他愛ないやりとりを手紙で交わすというのに憧れておりましたの……お手紙が無事に届くなら」

 

 ディリートがチラリと視線を注げば、ランヴェール公爵は自然な雰囲気で頷いた。

 

「手紙とは、出せば届くものです。我が妻の手紙は、必ず届くでしょう。地の果てまでも」

 

 ディリートは安心した。

 今のところ、良い感じではないか。

 

「よかった! では、お爺様からお返事があったら、私はさっそく公爵様に優しくしていただいたことを書きますわ」 

 

  

 私を無下に扱ったらゼクセン公爵に筒抜けになるかもしれません。

 ゼクセン公爵と良好な関係を望むなら、私に優しくしてください。

 


 言外にそう告げると、ランヴェール公爵は首をかしげた。


「まだ私はそなたに何かした記憶がありませんが、何かしましたか? そなたは、どのような振る舞いを優しいと思ったのですか?」


 無表情の問いかけは、人間味が薄く感じられる。

 だが、ディリートにはこんな公爵への耐性があった。

 

「お迎えの馬車を出してくださり、優しい家臣に私をお世話するよう命じてくださり、私を出迎えてくださり、挨拶してくださって。私の話を聞いて安心させてくださいました」


「ほう。それが優しいと感じたのですね、そなたは」


 ランヴェール公爵はおっとりと頷いた。


「私の疑問にお考えを返してくださり、ありがとうございます。ジュリエット」

「私はジュリエットではありません。ディリートです、公爵様」

 

「有名な恋物語に出てくるヒロインがジュリエットというので、恋人を呼ぶときにジュリエットと呼ぶのが流行っていると第一皇子殿下が仰せでした。ちなみに、私のことはアシルと」

「そんな流行は存じません。それに、私たちは恋人ではありません。第一皇子殿下にからかわれているのだと思います、公爵様」

 


 ディリートがついつい否定を返してしまうと、ランヴェール公爵は「私たちは恋人ではないのですか」とやはり感情のうかがえない声で呟くのだった。

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