第21話

「契約をしたのだよ、悪魔と」

「……悪魔?」


 突拍子もない答えに、眉を顰めて繰り返す。父は訝しげに眉を顰める私の困惑を横目に、懐へ手を入れた。思わずナイフへ手を伸ばした私を視線で宥め、煙草入れを取り出す。書斎で見つけたものとは違う、つやのない金色のものだった。


「医学生の頃に、戦争に行った話はしただろう。第一次世界大戦だ。友人と共に志願した私は西部戦線に送られ、傷ついた兵士達の治療を主に行っていた。先の見えない日々だった。ひっきりなしに運び込まれる怪我人、増えていく死体……尽くしても尽くしても、指の隙間から砂が零れ落ちるように命が消えていく。毒ガスまで使われて、ありとあらゆる方法で人の命が削られていった。繰り返すが、地獄だったよ」


 父は改めて、過去の話を語り始める。加えた煙草に火を点け、長く煙を吐く。気づいたようにもう一本へ火を点けて、サイに渡した。


「吸いなさい。気休め程度だが、血流を抑えられる」

 サイは受け取り、煙草を咥える。吸う姿を見るのは、初めてだった。中指と薬指の間に挟み、少し頭を傾げて長く吸う。目元に落ちる黒髪が色っぽくて、びっくりするほど美しかった。


「そんな時、ある若い将校に出会った。熱心に怪我の手当をした私を気に入って、少し回復してからは煙草をもらって二人で吹かしながら話をする仲になった」

 見惚れていたのを悟られないよう視線を戻し、話の続きに意識を戻す。


「国に戻ったら何をするか、どんな理想を抱いているかと、青臭い話ばかりしていたよ。私は父の後を継いで医師になるつもりでいたが、同時にオートマタの研究も続けていた。戦いに必要なのは医師ではなくオートマタではないかと、そんな思いも打ち明けた。次があるのなら彼らが戦ってくれればいいが、技術がとても追いつかないと。すると、彼が言ったのだ。『願いを叶えてやろうか』と」


 父は崩れた窓を眺めながら、悠然と煙を吹いた。突き刺さる視線に戸口を見ると、オートマタ達が私を凝視していた。顔が人間に近いせいで、やっぱり不気味だ。


「それで、叶えてもらったの?」

「『叶うのならありがたいですね』と言った。でも、できるとは思っていなかった。彼は貴族だったが、技術の進歩は金で前倒しできるものではないからな。私はいつかオートマタが人と同じように踊って歌える日が来ると信じていたが、少なくとも百年は掛かるだろうと見ていた。無知ゆえの提案だと思ったのだよ。でも、そうではなかった」


 父は枯れた指先で煙草を弾き、灰を落とす。床はまだ、ラジーヴの鮮血に染められたままだ。


「翌朝、将校の姿が消えていた。周りに聞くが、誰も彼を知らないと言う。昨日まで名前を呼び言葉を交わしていた者達が皆、尋ねる私を怪訝な表情で見た。それなら、悪魔が地獄から現れたのだろうと」

「神だとは?」


 尋ねた私を、鼻で笑う。不規則に漏れ出た煙が崩れて散った。

「思わなかった。戦争は、神の遊戯だ。それを止めさせるものを、神が許すはずはない」

 言い切った父の冷めた視線に、何も返せず頷く。戦争がどんなものかを知らない私が、口を挟める場面ではなかった。


「それで、戦後に悪魔がお茶を飲みに来たってわけ?」

「手紙が送られてきたのだ。中には魔法陣と手紙が入っていて、夜中に血で描き自分を呼び出すようにとあった。早速、地下室の床に描いて呼び出した」


 父は目を細めて吸ったあと、煙を長く吹く。盗み見るように確かめたサイは片膝を立て、襟元を開いたいつになくしどけない格好で煙草を吹かしていた。……いろいろと心臓に悪い。口の中で一つ小さく咳をして、向き直る。


「どんな悪魔?」

「名は伏せるが、願いを叶える代わりに命の贄を必要とする悪魔だ」


 悪魔を祓うには、その名を呼ぶ必要があると聞く。名を知られるのは都合が悪いのだろう。

「彼は私に百年先の技術を与え、オートマタの進化を許した。まあ手取り足取りとはいかなかったから、使いこなすまでには苦労したがね。その過程で、医師となった私は数人の患者と二人の妻を贄として捧げた。供物に相応しい、美しい花達を」


 さらりと語られた犠牲に、ああ、と納得する。最初の妻でありABCの母であるフローレンス花の都は、三十二歳の若さで病死している。そのあと妾から妻へ昇進したDEの母であるアイリスあやめも、三十八歳で病死だ。医者なら、病死を作り上げることなどそう難しくはなかっただろう。離島へ移るのがもう少し遅ければ、リリー百合ロージー薔薇も捧げられていたはずだ。


「そして私は、新たな大戦が起きる前にオートマタの軍隊を作り上げたのだ。神の遊戯から人を守るために。人の命を、これ以上無駄に散らさぬように」

「罪のない患者や妻達を殺したのは、最高のやり方ね。素晴らしいわ」

「私は功利主義だからな。最小の犠牲でより多くを救うのを良しとする」


 私の皮肉をそのまま受け止め、父は悪びれる様子なく答える。何とも言えない居心地の悪さを感じるのは、その血が私にも流れているからだろう。その冷血を断罪するには、私は似すぎている。大義なんて掲げるまでもない。目的さえあれば、私は簡単に人を殺す。


「ただ、二度の大戦を経て気づいたのだ。人は、神の遊戯を渇望するように作られているのだと。どれほど希ったところでこの世から争いが消えないのは当然だ。神が、その種を植え付けているのだからな」


 第二次大戦後、「次の大戦に備えて」我が国には多くのオートマタ兵が配備された。そして今度は朝鮮戦争へ出兵した。戦後、更に多くのオートマタ兵が配備された。

 あれほど多くの命を喪ったのに、また戦いが起きると信じている。まるで望んでいるかのように。


「だから私は、その種を含まない『新たな人類による新たな歴史』を作り出すことにしたのだ。神の遊戯に決して巻き込まれぬ者達のな。人の歴史は、ここで私が終わらせる。その贄として求められたのが、私の血を引く十人の魂だった。彼は私に、神の遊戯を真似るよう命じたのだ。より残酷な遊戯をな」

 父は短くなった煙草を床へ落とし、磨かれた靴の爪先でにじり消す。


「どうやらお前以外にも密かに生き延びた者がいるようだが、私が手を焼くのはお前しかいない」

 上着を脱ぎ始めた父に、唾を飲む。さすがに、父を騙すのは無理だったらしい。

 父の体は確かに痩せ衰えているが、安心はできない。七十過ぎの老人と思えない威圧感は、自負によるものだろう。


「人の野心を知りたければ、幼い頃の夢を聞けば良い。己の可能性しか信じぬ頃の言葉には、その者が無意識に課した限界が含まれているからな。アンドリューは『金持ち』といい、バーバラは『淑女』と言った。クラレンスは『医者』でディーンは『動物学者』、エレインは『皆と仲良く暮らす』、フレデリックは『ポロの選手』、ギデオンは『オートマタを作りたい』と。悪くはなかったが、それでは足りなかったのだ。そしてハンナは『花を育てたい』、イアンは『兄妹の中で一番になる』。お前が生まれるまでは、一番私の理想に近い息子だった。でもそのあと、お前が生まれた」


 背後でサイがゆっくりと立ち上がる。でも、戦わせるのは無理だ。振り向いて頭を横に振ると、苦しげな表情が応えた。


「お前は、私を超えると言った。待ち望んだ答えだった。私はお前に全てを譲るつもりで、一切を惜しまず育てた。やがて立ちはだかる壁になるとも知らずにな。ラジーヴには、全盛期の私を思い出す強さだと聞いているぞ」

 袖をまくりあげて手を掲げると、向こうからステッキが投げられる。父の供給係は、オートマタ達か。


「サイは下がって、大人しくしていなさい。怪我を負ったお前に今できることは、主に不安を抱かせぬことだ」

「そのとおりよ。下がって私の剣を選んだら、怪我がひどくならないようにじっとしてて」


 腕に触れつつ願う私に、サイは渋りながらも剣を選びに下がって行った。


「見る限り、私との約束は守れていないようだが」

「えっ、ちょっ、刺すわよ!」


 少し目を細めて窺う父に、思わずナイフを投げる。父は器用に避けたあと笑った。


「いい腕だ。今のは、私でなければ刺さっていたぞ」

「変なこと言い出すからでしょ! 黙ってよ」


 頬が熱くなっていくのを感じながら、眉を顰めて声を小さくする。サイに聞かれたら困る。


「その辺りは、どこにでもいる十五の娘だな。できればほかの子供達のように青春を謳歌させてやりたかったが、致し方ない。父の大義のために散ってくれ」

「サイ!」


 ステッキをとん、と突き視線を鋭くした父に、背後へ手を伸ばす。投げられた剣を受け取り、鞘から引き抜く。細身の剣を、手に馴染ませるように軽く振った。長さも重さもちょうどいい。


「私に大義はないけど、まだ死ぬわけにはいかないの」

 父に向けて構えた瞬間、ステッキの先が目の前にあった。速い。

 即座に身を反らせて突きを避け、ステッキを蹴り上げた勢いで背後へ回転する。床に突いた手を狙うステッキを避けて下がり、崩れた体勢を狙う攻撃を剣で払いながら下がった。


「下がるだけでは、すぐに終わりが来るぞ」

 父は容赦なくステッキで攻め立てながら、間合いを詰める。分かっているが、攻撃の隙がなさすぎて回避が精一杯だ。繰り出された一撃が腕を掠め、痛みが走る。これが、島に来てから初めて食らった攻撃だ。裂けたオーガンジーに滲む血を見て、腹の底が沸くのが分かった。


 剣先で落ちていた鞘を引っ掛けて飛ばし、再びステッキを蹴り上げる。回りこむように父の懐へ入って腹を刺す……のを防がれたあと、こちらも受け取った鞘で一撃を防いだ。爪先を刺そうとした剣先は数度外したが、突き上げた鞘は的確に顎を捉える。


 跳ねるように背後へ退いた父は、顎をさすりながら薄く笑った。


「一撃食らわないと本気になれない癖は、相変わらずだな」

「傲慢だから、プライドが傷つけられてからが本番なの」


 滲む汗を拭い、再び距離を取って剣を構える。父はステッキで剣先を弾いて逸らすと、アンクルホルダーから銃を引き抜いた。予想できていた動きに鞘を投げ、体を低くして突っ込みながら剣も投げる。レッグシースからナイフを引き抜いて近づくと、掴まれた手首をそのままに父の体を駆け上がった。後ろへ回転しながら手を振り解き、ヒールで顎を蹴り上げる。でも、すぐさま腹を蹴られて吹っ飛んだ。


 一瞬白くなった目の前が色を取り戻した瞬間、今度は横から蹴り飛ばされる。潰れたような声が漏れて、目の裏に銀が舞った。息ができない。

 為す術なくコンテナに激突したあと、残る力で横へ転がる。追うように撃たれた銃弾を避け、どうにか陰へと滑り込んだ。


「お嬢様」

「大丈夫よ、これくらい!」


 荒い息を吐いて、汗を拭い上げる。負けず嫌いで意地を張ってしまったが、正直なことを言えば、体中が痛い。一発目はともかく二発目の蹴りで多分肋骨がやられたし、内臓のダメージで吐きそうだ。掠めた銃弾で、ふくらはぎも流血している。信じられない。


「なんて強さなの。七十三よ? 馬鹿じゃないの!?」

「旦那様は、普通の方ではございませんので」

「……そうだったわね」


 サイの返答に冷静さを取り戻しながら、ナイフでスカートの裾を裂く。ふくらはぎを止血し、動きやすくなったところで向こうを窺った。


「隠れていては、決着がつかんぞ」

「分かってるわよ!」


 向こうから聞こえた余裕のある声に言い返し、肩で息をする。

 これからどう挑んでいくか。勝ち筋がないわけではないが、達成するにはまだ動きを読む必要がある。でも私を本気で殺そうとしている父が、その猶予を許すわけがないだろう。次の攻撃で読み切って殺すところまでやらなければ、間違いなく負ける。

 ここから先は、私の天賦の才とやらに賭けるしかない。


「剣を使われますか」

「ううん、ナイフでいくわ。投げナイフをちょうだい」


 既に準備されていた補充分をシースに収め、一息つく。ずたぼろだが、やるしかない。私は主として、どうしても勝たなければいけないのだ。


「サイ、私はあなたが路頭に迷うようなことは絶対にしないわ」

「はい。存じております」


 即答したサイに頷いたあと、コンテナから飛び出し再び父へ向かって行く。数発撃たれた銃の一発は左の頬を掠めたが、それだけだ。運は、私にあった。


 父は両手の銃を持ち替えてグリップ部分を武器にし、私のナイフを防ぎながら打撃を繰り出す。近接戦なら銃よりその方が強いが、どちらにしろイアンとは段違いの凄まじい速さだ。私が全力で戦っているのに、少しも動きが遅く見えない。


「守られることに甘えるなと言ったはずだ」

 容赦のない一発を左の頬に食らったあと、弾き返して腕に切りつける。かすり傷程度だが、入りはした。少しずつ捉え始めている。悪くはない。


「お前のような娘を持てたことを誇りに思う」

「だったら、大義なんか諦めて娘の成長を見守れば?」


 父は私のナイフを銃で防ぎながらも、膝を繰り出す。体を引いて避けたあと、爪先のナイフで足首を狙った。正確には捉えられなかったが、手応えはあった。いける。

 銃ごと手首を掴んで捻ると、父は力に逆らわず回転する。拮抗せず受け流すやり方は、東洋のものらしい。下り立ったその足を即座に払うと、父は私の肩を掴んで私の背後へ飛んだ。


「年寄りにあるまじき柔軟性ね!」

「年齢など言い訳だ。命尽きるまで、体は常に最善の状態にしておかねばならん」


 父は機嫌の良い笑みで返し、汗を拭って再び構えた。さすがに少し息は上がっているが、ぎらつく目はまだ闘志に満ちている。でも、少し時間は掛かったが父の動きは概ね読めた。あとはもう……こんな時くらい、神に頼るか。


「そうね、お父様。でも私も、もう十歳のかわいいジョスリンじゃないの」

 父は、私がまだ読み切れていないと思っているはずだ。私の成長速度を見誤っている今しか、もうチャンスはない。これが、最後だ。


 息を整えて飛び掛かり、銃弾をしゃがんで避けたあと銃を蹴り飛ばす。磨かれた革靴の甲にナイフを突き立て床に固定し、新たに引き抜いたナイフを上腕骨の関節に刺す。次に引き抜いたナイフで、とどめの首を狙った。


「やめて、ジョスリン!」


 聞こえた幼い声に、刺す寸前で刃先を止める。振り向くと、あの子供型のオートマタだった。


「お願い、お父様を殺さないで!」

 人形なのに、まるで心があるかのように悲痛な声で願いながら私達に近づく。「お父様」、か。


 造作がいくら人間に近くても、瞬きもせず唇も動かない。もし動いていたら、涙を流していただろう。私が生き残っても、本土へはとても連れてはいけない代物だ。


「……お父様。二度とこの島から出ずあのオートマタ達と仲良く暮らすのなら、殺さないわ」

 足はともかく、神経を切った腕はもう使いものにならない。でもオートマタ達がいれば、片手でも暮らしてはいけるだろう。


「変わっていないな」

 条件を口にした私に、父は小さく笑う。

「お前の一番悪い癖は、情を捨てきれぬところだ」


 ああ、しまった。


 背中に触れた銃口に今更悔いを抱いたが、どうしようもない。唇を噛んで俯き、覚悟を決めて最期を待つ。でも銃声は、少し遠くから聞こえた。


 ずるりと落ちていく父の体を慌てて支えると、眉間から血が滴っていた。振り向いた先で、サイは子供型オートマタの頭も撃ち抜いて銃を下ろす。


「お嬢様の、最も誇るべき美徳を穢されましたので」

「……そうね。この人は、『私の父親』ではなかったのかもしれないわね」


 長い息を吐き、父の体を横たえる。柔らかく弛んだまぶたを閉じて、少しだけ祈った。ちゃんと祈られるのは、本望ではないだろう。


「まだ動ける者はいる?」

 尋ねた私に動いたのは、人から遠い方のオートマタ達だ。男性型と女性型は皆、分かりやすく俯いていた。もう、トルマリンを抜いてやった方がいい。


「墓標は立てなくていいから、葬って。その子と一緒に」

 彼女にとってはきっと、善き父親だったのだろう。オートマタ達は新たな担架に父の遺体を乗せ、壊れた子供型オートマタを抱えて去って行った。


「さあサイ、医務室へ行くわよ。無茶するんだから」

「お嬢様ほどではございません」

「まあ、そうね。これまでにない賭けをしたわ」

 

 肩を竦めて答え、相変わらずスピアを腕に突き刺したままのサイに凭れ掛かる。

「あなたを守れて良かったわ。それだけよ」

 馴染んだ胸で長い息を吐き、ようやく訪れた平穏に目を閉じた。

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