第14話

 翌朝の食卓にはもちろん、アンドリューの姿はない。


「アンドリューはどうしたんだ。遂に脂肪が喉に詰まったか?」

「死にたくなければ部屋から出てくるなって言ってあるのよ」


 トーストを割りながら尋ねるイアンに端的に答え、ウインナーにフォークを刺す。スクランブルエッグを少し載せて、口へ運んだ。


 昨晩はあのオートマタ達に指示を出して部屋をやり、それきりだ。六体いた男性型のオートマタ達は完璧な準備をして、サイと共にアンドリューの部屋へ向かった。サイ曰く、アンドリューは屈強そうな彼らの登場を「私からのプレゼント」だと喜んでいたらしい。先程朝食を運んだ時には弱々しい声で助けをこいねがったそうだが、彼らは私の指示どおり優雅さを崩さず粛々と働き、部屋やベッドを美しく保っていた。今頃アンドリューは、甲斐甲斐しく朝食を食べさせてもらっていることだろう。


――アンドリュー様以外に、見苦しいものはございませんでした。


 まあ、二百八十ポンドはありそうな体が「跳ね上げられている」のだ。膨れた腹が波打つ様は、決して美しくは見えないだろう。本当は寿命が尽きるまでそのままでいて欲しいところだが、そうも言ってられないから勝手に死んでくれる仕組みにはしてある。


 肥満体で心臓に持病を抱えるアンドリューは、降圧剤を服用している。ただこうして出掛ける時はいつものことだが、クラレンス任せで数を持ってきていないのだ。おそらく今回もそろそろ足りなくなるだろう。そうなれば、オートマタに医務室から持ってこさせるはずだ。

 でも今、降圧剤の引き出しには正反対の働きをする薬が入っている。ディーンの件で医務室を訪れた時に、こっそり入れ替えておいた。あと数日もすれば、どこかの血管が切れて死ぬだろう。これでハンナとナタリーと私、泣き寝入りした多くの少女達が少しは救われる。私は、間違ったことはしていない。……間違っていないはずだ。


「Gと喧嘩別れしてAと組んだってのは、ほんとみたいだな」

「余計なお世話よ」


 にやつくイアンに言い返し、紅茶を手にそれとなくギデオンを確かめる。私の方を見ない視線に諦めて、カップを傾けた。


「ここで孤立するのはまずいんじゃないか?」

「敵が何人になろうと、私は一人で大丈夫よ」


 眉を顰め、トーストにかぶりつく。


「その傲慢さに足を取られる未来が見えるな」

「煩いわね、黙って!」


 思わず声を荒らげたあと、トーストを置いて顔をさすりあげる。


「お嬢様」

「大丈夫よ、ちょっと苛ついただけ」


 気遣わしげなサイの声にまで苛立ちそうで、ゆっくりと深呼吸をした。

「その調子で殺してくれよ、助かってるんだ。お前のおかげで、俺の手はまだ一度も汚れてない。明日からでも、すぐに日常生活に戻れるよ」

 イアンの嘲笑に、腹の奥底で父の声が揺れる。


――ジョスリン、全ての命は遅かれ早かれみな死ぬ。


 ナプキンを置いて腰を上げ、何も見ないようにして席を離れた。



 部屋に戻り、ベッドで布団を被る。軋む音がして、すぐ傍にサイが腰を下ろしたのが分かった。


「大丈夫よ。もう少ししたら元に戻るから」

「今日は一日、このままお休みになっていてください。何か、本でもお読みいたしましょうか」


 いつもと変わらないサイの声に、少し胸が落ち着く。本か。そういえば、あんな図書室があるのにゆっくりページをめくる余裕もなかった。


「そうね。あなた、アガサ・クリスティは好き?」

「好きと言えるほど読んではいませんが、嫌いではありません。『And The There Wereそして誰もいなくなった None』にいたしましょうか」


 サイの提案に、布団を少し引き下げて顔を半分出す。あの話も孤島に十人が集められて、一人ずつ殺されていく。父も、少しくらい意識したのかもしれない。でもこちらは残念ながらミステリではない。現実だ。


「なかなか皮肉の効いた選択ね。でも私の好きな話はそれじゃないわ」

「『Absent in the Spring春にして君を離れ』でしょう」


 さすが、私の好みをよく分かっている。ポアロやミス・マープルも好きだが、不思議と心に残るのは『Absent in the Spring春にして君を離れ』だった。出産どころか結婚すらしたこともないのに、読むと自分までそうであるかのような感覚が味わえる。これまであったと信じていたものが、自分の中で少しずつ崩れて変わっていくような、あの感覚は今に通じるものではないだろうか。


「では、本を取ってまいります。少し、風を入れましょうか」

 サイは体を起こした私の髪を整えるように軽く撫でたあと、窓際へ向かう。こもった空気を入れ替えるために、少しだけカーテンを引いて窓を開ける。不意に、その隙間で何かが光った。


「伏せて!」


 叫んでベッドから転がり落ちると同時に銃声が響き、窓の割れる音がする。

「サイ」

 転がり落ちたベッド脇から、窓際のサイを見た。撃たれてはいない、か。


「問題ございません。お嬢様もご無事ですか」

 床に伏せていたサイは壁へと移動し、外の様子を探る。撃ってきたのはイアンだろう。響かない二発目にサイは慎重にカーテンを閉め、腰を低くしてこちらへ来た。


 体を起こして探した弾痕は、ベッドのヘッドボードより三インチほど上にあった。

「……ギデオンに、ベッドの位置を聞いたのね」

 手の内を明かしていないのは、どちらも同じだ。部屋の中の情報は、あるに越したことはない。イアンは言葉巧みにギデオンを引き込んだのだろう。或いは、本人にも気づかれないよう会話で情報を引き出したか。


「お嬢様」

「大丈夫よ、サイ。私にはあなたがいるもの」


 サイの胸に凭れると、優しい腕が癒やすように私を抱き締めて力を込めた。荒い息と早鐘を打つ胸が、少しずつ穏やかさを取り戻していく。


――サイを従者に? それはもちろん構わんが、一つだけ約束がある。


 作業場の父は、私の義眼にアクアマリンを嵌めながら条件を提示した。


――サイに恋をしてはならん。決して、主人を穢したという汚名を着せぬように。


 分かっている、当たり前のことだ。今更、思い出すまでもない。


「落ち着くまで、こうしてて」

「はい。お歌も歌いましょうか」

「それはいいわ」


 頬を膨らませると笑い、サイは私を抱き締めたまま緩く揺れる。


「お嬢様がまだ片腕で抱えられるほどだった頃、よく私の腕でお眠りになっていました。ほかの誰の腕でも泣き止まないのに、私が抱いた途端泣き止まれたのです。小さな誇りでした」


 揺れながら、私の覚えていない昔の話を始める。ガラスの破片飛び散る部屋ではふさわしくない話題だろうが、滑らかな声は構わず続けた。


「お嬢様がお眠りになる時には、時々母国の歌を歌いました。昔母に聞かされた歌を、ただ同じように口ずさんでいただけですが。お嬢様が少し大きくなられた頃、花を摘みながら鼻歌でその旋律を。なんとも言えない幸福でした。ずっとこんな時が続けばいいと願っていました」


 実際には、続かなかった。でも今は、あの頃以上のものを与えられている。


「……私は、お嬢様の左目としてお役に立てているのでしょうか」

「もちろんよ。私はアクアマリンと引き換えに、オブシディアンの瞳を手に入れたの。全てを失っても決して手放さない、最高の宝よ」


 父には殺人兵器のように育てられ母には疎まれ、血の繋がった兄には片目を潰されて以来憎しみで繋がっている。殺伐とした家庭で育った私にとって、サイの存在は救いだった。


「あなたがいてくれて良かった」

 呟き、長い息を吐く。揺れる胸に任せて、目を閉じた。

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