第25話 蜚蠊の見る夢

 何事も、入門する以前の段階というものがあり、それは即ち“興味を持つか否か”である。


 それで言うなら、フランは物心つく前から文学に興味を示していた。


 間違いなく、言語で意思疎通を行う親の影響だ。彼らは都会の人々がそうするように、夜、フランが眠る前に、絵本を読み聞かせてくれた。


 フランは夜ごと、親が心を込めて読んでくれる物語に心を躍らせ、両親の商談にくっついて街を歩いては本屋を指さし、新しい本をおねだりしたものだ。


 だが、同族の子供たちは、まるで違った。一緒に森の中で遊ぶ友人たちに、親はどんな本を読んでくれるのかと聞いたところ、友人たちは疑問符を投げ返して首を傾げた。


 二足蟲の意思疎通手段に、“本”や“文学”という概念自体が存在しないのだと、おぼろげながら知った時、フランは勿体ないと思った。


 物語には、悲しいものも、怖いものもある。けれど、それも含めての面白さだ。知らないのは勿体ない。


 思えば、あれは幼い決めつけに過ぎなかったのだろう。自分の知っているものは、当然他人も知っていて、自分が好きになるものは、当然他人も好きになるのだ、という。あるいは、自分の好きなものを、仲のいい他者にも受け入れてほしいという願望もあったかもしれない。


 そういうこともあって、フランは自宅に友人たちを招き、両親がくれた本を見せた。


 明るいもの、暗いもの、楽しいもの、悲しいもの。持ちうるコレクションを全て開帳し、その良さを熱く語った。


 だが、友人たちは受け付けなかった。彼らはただ“わからない”と意思を伝えてきて、それっきり見向きもしなくなってしまったのだ。


 後になって、気付く。そもそも、彼らとの間には大きな齟齬があった。


 フランは言語を使って会話していたのに対し、友人たちは二足蟲特有の意思疎通に終始していた。


 二足蟲の意思疎通はとても原始的かつ単純だ。だから、細かいニュアンスは伝わらない。人の言葉を耳にして、なんとなく理解できる、程度が限界だったのだ。


 フランはそれを、奇妙に思った。


 自分も父も母も、流暢に会話することができる。読み書きだって出来る。両親の仲介もあって、人の言葉を勉強し、種族を超えて結ばれた者もいる。


 なら、友人たちも、木こりのおじさんも、花の蜜を集めるおばさんも、勉強すれば出来るはず。言語を学べば、たくさんの素晴らしいものに出会えるのに、なぜやらないのか。


 自宅を燃やされ、一連のことを知ってから、その疑問はなおも大きくなっていく中、フランは思った。


 きっと二足蟲に言語がないのは、物語がないからだ、と。


 “語らう”ことがないからだ。語り合うためには言葉が要るが、そもそも語るためのものを持たないのだと。


 だって、人を題材にした物語は多く目にしてきたが、二足蟲にまつわる物語はただひとつとしてない。


 妖精も、精霊も、他の種族も題材になっているのに、二足蟲の物語は聞いたことがない。


 ―――もし、俺が二足蟲の物語を書いて、奴らに語って聞かせたら。


 ―――それがほんの少しでもいい、面白いものだと思われたのなら。


 ―――もっと深く理解したい、色んなものを読みたいと思った奴らが、言葉を教えてほしいと言って来るかもしれない。


 ―――俺の両親みたいなことは、二度と起こらなくなるはずだ。


 ―――だから、俺は俺の両親のことを、語って聞かせる。


 ―――他の奴らを、みんなこっちに引っ張り込む。


 ―――俺は、俺の同族と、語り合えるようにしたい。


 そうしてフランは故郷を離れ、燃え残った親の遺産を使って勉強し。


 様々な本を読みながら、国の方々を渡り歩いて、グラインランス芸術学院に辿り着いたのだ。

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