サイバーパンクは鳴り止まない

葛飾ゴラス

第一章 機械令嬢のプロローグ

#1 私立探偵・本多ミチロウ

 女は、〈旧市街層〉行きのバスに乗っていた──

 車窓の外──世界でも有数の巨大都市〈東京〉は、のような多層構造になっていた。それも、欲望のまま無計画に触手をのばしていったものだから、各層は複雑に重なりあい、立体的な迷宮ラビリンスの様相を呈していた。

 女は窓ガラスに顔を近づけて上空を見上げた。超巨大建造物メガストラクチャーが天空に突き刺さっているようにみえた。反重力機関リパルサーエンジンを搭載した大小の車が、空中を浮遊し、超巨大建造物メガストラクチャー群のあいだを縫うようにして走っていくのがみえる。

 女自身、天空から下界にくだってきただった。

 自分が生活している地面の下にこんな世界がひろがっているなんて──女にとってはその事実のほうが新鮮だった。

 バス内の乗客はまばら。

 車内の電子広告は三年後に開催されるオリンピック一色になっている。競技者たちの躍動感あふれるアニメーションのあと『TOKYO 2100』のロゴと五輪マークが表示される映像がループ再生されていた。

 バスの運転席に設置されたロボットが、光学的な錯覚を利用して中空に描かれている標識や車線を忠実に守りながら、運転している。

『つぎは旧市街・神田神保町。旧市街・神田神保町。お降りの方は──』

 アナウンスを聞いた女は降車ボタンを押した。


 旧市街層──かつて地表だったが、いまでは天空都市と地下都市に挟まれた数ある層のひとつにすぎない。しかし最古の層であることに違いはなく、建物をみれば前時代的なものが目立つ。

 女は、停留所から目的地にむかって歩き出した。

 まだ正午すぎだというのに陽の光が届かないため街は薄暗い。行き交う人の姿もまばら──ゴーストタウンのような哀愁すらただよわせていた。

 築百年の、いまにも倒壊しそうな雑居ビル──ここが女の目的地だった。

 雑居ビルの外壁には日本語、中国語、韓国語、タイ語……さまざまな言語の看板があった。ネオンサインは消され死んでいた。一階の店舗のシャッターは下ろされ、スプレーペンキで落書きされていた。

 女はビルのなかに入り、階段を上がる。

 二階フロアには、いくつかドアがあった。そのうちのひとつ──木製の古めかしいドア、上半分に磨りガラスがめられており、そこに〈本多探偵事務所〉と書かれている。女はそのドアをノックした。

「……」

 しばらくしても応答がないので女はドアノブを回した。

 事務所に入るとまず鉄製のラックがあった。ラックの上には用途不明の機械や物品が雑然とならべられていた。部屋は大きくない。中央にスチールデスクがあり、そのまわりに形の異なる椅子が三脚置かれていた。天井から垂れた電球がひとつ、部屋を照らしている。

 部屋の奥にあった高級そうな革製のソファーが際立ってみえた。そしてそのソファーの上に男が一人横になっていた。

 男は、ツイードのスーツ、ストライプのシャツに格子柄のネクタイ、ワークブーツという格好をしていた。そして顔の上にのせた右手は機械だった。

「失礼」女がいった。

「うう……」男は唸り声を出しながら体を起こした。「昨晩ちょっと飲みすぎてしまいましてね……ああ、頭いてえ」

 男の目の下にはくま。無精髭。無造作に切られた頭髪は所々寝癖ではねていた。

「それでなんのご相談ですか」

「人探しを」

「人探し? まあおかけください」

 女は男にすすめられたまま椅子に座った。

「私はこういう者です」

 男はそういうとジャケットの内ポケットから名刺を一枚出して女にわたした。

 名刺には、


  〝私立探偵

   本多ミチロウ〟


 とだけ印字されていた。

「それでなんですが──」女が話し出そうとしたとき、

「その前にお嬢さん」本多が遮った。「そんな格好でこのあたりを歩いちゃ危険だよ。なにもなくここまで来れたのは運がいい」

「え?」

 女は自分の服装をみた。サングラスにワイシャツ、ハンドバッグ、ジーンズとスニーカーといった姿だ。なにがまずかったのか、女には理解できなかった。

「あんた、上層市民か? 身につけてるものすべてがここいらでは手に入らない高級品ばかりだ。無法者がうじゃうじゃいるこの街では『襲ってください』といってるようなもんだ」

「……」

「それに上層市民様がなんでわざわざ下界に降りてきた? 探偵ならにもいるだろ……ワケありか?」

「他の探偵を当たります」

 女は立ち上がって部屋から出ていこうとした。

「おいおい待て待て……いや、待ってください。余計な詮索をしてしまった。謝ります。すみません」

 本多は素直に頭を下げた。

「お話だけでも訊かせてください。ぶっちゃけますとウチも経営が厳しくてね。仕事を選り好みしてる余裕はないのですよ」

 本多は卑屈にいった。

「……」女はしばらく考えていたが、結局元の椅子に座った。

「ありがとうございます」本多はほっとした様子だった。

「わたしは鈴木といいます。さっき人探しといいましたが、正確には行方不明になったアンドロイドを探してほしいのです。型番と機体番号はこれです」

 女は小さなメモをデスクの上に置いた。そこにはアルファベットと数字の羅列がしるされていた。

「アンドロイドが行方不明? 逃げたわけでもないでしょう? だれかに盗まれたとか」

「わかりません。ある日突然いなくなったんです」鈴木と名乗った女がいった。おそらく偽名だろう──本多はおもった。

 本多は端末を取り出してメモにあった型番を検索にかけた。が、ヒットしなかった。

「この型番──間違いじゃないですか? 存在してないようだが」

 本多が端末をみながらいうと、

「特注品です」

 と鈴木はいった。

「なるほど」

「請け負ってもらえますか」

「なかなか困難な案件ですが……ええ、わかりました。やってみましょう。それで鈴木さんの連絡先を──」

「一週間後、こちらから連絡します。それと前金です」

 鈴木はハンドバッグから茶封筒を出した。(いまどき現金かみか)とおもいながらも本多はそれを受け取る。厚みからおそらく百万はありそうだ。

 本多は、顔では平静を装っていたが内心(こ、こんなに!)と仰天していた。

「足りませんか」

「いえ……充分です」

「のこりは成功報酬を同額ということでいいですね」というと鈴木は立ち上がった。「では、よろしくお願いします。わたしはこれで」

「ちょっと待って」本多が引き止めた。「バス停まで送りましょう。それにこれを羽織ったほうがいい」

 本多は自分のトレンチコートを鈴木にわたした。

「すこし汚れてるが、強盗にうよりかマシだ」

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