第7話

 歌も踊りも、特段好きなじゃない。それでも今日まで一生懸命練習してきたし、なにより大勢の人に見られる感覚は、他では得がたい満足感がある。

 はっきり言えば私は注目されて、チヤホヤされたいんだ。だからライブも多分本当なら好きなはずなんだけど。


「好きなはず、なんだけどなぁ」


 つぶやいて、こっそりステージ裏からミニライブの会場に集まったファンを見る。

 集まったのは三百人くらいのお客さん達。この中に私のファンは二十人もいないと思う。唯一確実に出てくるアイドルなんだから、もっと私のファンのみんなは来てくれてもいいとのにと思うけれど、熱心な私のファンの人数がそのまま二十人くらいなのだからこれが限界の人数なんだろう。


 もっといっぱいファンがいたら、私もアイドルをもっと楽しいと思ったのか。


 私が女優を目指しているのは、子供の頃からよく映画を観ていたからってのもあるけれど、結局のところみんなから好かれて愛されて注目されるのが好きだからなんだ。

 祖母の家が神奈川の横浜市にあって、東京で一人暮らしするまで私の知っている都会と言えば横浜だった。地元と違ってなんでもあって、楽しかった。祖母のことも好きで、よく遊んでもらっていた。祖母は私にいろんなことを教えてくれて、その中の一つとして、まだ小学生だった私に小さいシアターで上映しているリバイバル上映中の白黒映画をみせたのだ。


 子供だった私には、まだ難しい内容も多くて、しかも日本語字幕なんてほとんど読めるわけもない。ただ映画館という世間から切り離されたような空間には、スクリーンに映し出された別世界がそのまま私の座っている席まで広がって来ているように感じて、不思議と眺めているだけでもわくわくした。

 見たこともない綺麗な女性が、何を言っているのかもよくわからいけど、笑って泣いて怒ってその仕草や表情だけで私の心がときめいた。


 多分小さい私が許容できる限界量を超えた体験に、すっかりのぼせ上がってしまって興奮のあまり祖母とはぐれてしまった。迷子になった私は、馴染みのない街で途方に暮れる。小学校低学年だって、交番へ行ってお巡りさんに助けてもらえばいいってことくらいわかっている。

 それでもどこに交番があるのかわからない。誰かに聞けばいいのか。でも親には知らない人に話しかけるな、話しかけられても無視して逃げろって言われていた。


 私は小さい頃から世界一可愛かったから、親も人並み以上に心配していたんだろう。でも何でもかんでも無視して逃げろって教えは違うんじゃないかと今なら思う。


 それで一人のまま日が暮れてきて、観覧車が見える港みたいな場所でうずくまってしまった。あとあとそこはドラマでもよく撮影場所に選ばれるおしゃれスポットだって知ったけれど、あのときは全然楽しめる余裕もなくてイルミネーションで明るく照らされていたから夜でも暗くなってないってことにすら気づいていなかった。


 真っ暗で一人、すごく心細いし泣きそうになって、周囲の大人が心配して声をかけてくれるんだけれど、私は教えを守って小走りで逃げてしまう。

 だから誰にも助けてもらえなくて。


 そのとき、私に手を差し伸べてくれたのは、私と同じくらい小さな子供だった。野球帽子を被った男の子。

 大人からは執拗に逃げ惑っていた私も、自分と歳の変わらない相手までは警戒しなくていいと思った。


「泣かないで。可愛い顔が台無しだよ」


 男の子は年端もいかないってのにそんなことを言って笑いかけてくれたが、私が可愛いのは知っていたし、ちょっとやそっとぐずったからって私の可愛さは損なわれないことも承知だった。うるさい、放って置いてよ。と私は手を払う。


「強情だな。ほら下ばっか向いてないでさ。見てよ、観覧車。綺麗に光ってるよ」


 観覧車なんて興味ない。だけどしつこい男の子の顔を見てやろうと思った。それで顔を上げると、私は自分がいた場所がきらびやかで、大きな観覧車もカラフルに輝いていることにやっと気づいた。全然暗くないし、周りにも人がたくさんいる。


「本当だ。すごく綺麗……」

「よかった。やっと泣き止んでくれた」

「……泣いてないし。泣きそうになってただけだから」

「ごめんごめん。ふふっ、本当、お姫様みたいに可愛いね」


 可愛いと褒められることなんて、生まれて数年で聞き飽きたくらいだ。それでもお姫様と言われると、さっきまで観ていた映画のことを思い返す。正確に言えば、映画に出てきたのはお姫様じゃなくて王女だったけど。でも小さい私には、内容もなんとなくくらいしかわかっていなかったから、綺麗な女の人はお姫様くらいに認識していた。


「お姫様……なりたい」

「なれるよ。だって君、世界一可愛いもん」


 それから男の子に交番まで連れてっていってもらって、私はなんとか祖母と再会できた。

 その日から、私の夢が決まった。直ぐに夢は、女優という目標になった。世界で一番可愛いお姫様を演じられる女優になることだ。


 ――と、このエピソードはアイドルになってから何度か話したことがある。


 もちろんアイドルなので、初恋の男の子みたいなことは言っていない。私だってあれが初恋かどうかよくわからないし。それでも、私にとってかけがえもない大事な思い出の一つだった。

 ちなみに帽子は探せばどこにでも売っているようなものだったから、この話を聞いた私のファン達は、勝手にこの帽子を非公式ファングッズとして扱うようになってしまった。


 だから悠月がかぶっている帽子も、その思い出の男の子の物と同じではあるけれど、実は彼女だけがかぶっている帽子でもない。

 あんまりいない私のファンだけれど、彼らはちょくちょく私の思い出の帽子を被って応援に来てくれる。


 毎回毎回、いつも被っているのは、顔を隠す必要がある悠月くらいだけどね。


 ライブ会場に、帽子を被った人がいるか探す。悠月は来ているだろうか。


「あれ?」


 恒星ウェスタリスのメンバー勢揃いでのライブでやるときとは、比較すると寂しくなるほど小さな会場は直ぐに見渡せる。

 けれど今日の会場に、野球帽は一つも見つからなかった。

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