第16話 呪われた血
真惟は女郎寺に帰る足を止めた。道を引き返し、上臈桜乃の叔父にあたる
上臈虎雄は、庭で植木の手入れをしていた。
広い庭には、松やもみじ、皐月といった樹木の他に大きな庭石が並んでいて、子供のプールほどの池には色とりどりの鯉が泳いでいた。
真惟が奈良から来た柴乃の娘だと挨拶をすると、虎雄は仕事の手を止めて縁側に座った。
「あんたが柴乃の娘か、……紫乃はきれいな人だったが……」
虎雄はむっつりとした顔で、洋介同様、失礼な口を利いた。
「私は似てないみたいですね」
「わかんねぇ」
虎雄がとぼけた。せめてもの心遣いか?
「あの火事があった家で、玄武さんと母が一緒に亡くなったと聞いています。玄武さんは、どんな人だったのですか?」
「それを聞いて、どうする?」
「私は、母のことが知りたいだけです」
「それなら、聞かない方がいい。思い出は美しいほうがいいもんだ」
火事跡を掘り返した経験から、虎雄の言葉に真惟は共感する。が、自分のルーツを知りたいという欲求は、それに勝った。
「その後の、父の自殺も、関係があるのではないですか?」
「そのことは、俺は全くわからん。理由があったとすれば、柴乃が忘れられなかったということだろう。……それにしても、二人の子供を置いて死ぬとは、ひどすぎるな。違うか?」
逆に尋ねられて困惑した。。
「今、兄の龍斗は入院しているのです。意識不明で……」
唐突だったが、女郎寺を訪ねてきた理由を説明し、兄の意識を取り戻すためなら何でも知りたいのだと説明した。
「あんた。その龍斗が好きなのか?」
不思議な質問に真惟の胸が泡立った。兄妹だから好きなのは当然だ。しかし、虎雄の質問は、そういった好きとは別のことを意味しているということぐらい、真惟にも分かった。
「ハイ……、兄ですが、好きなのだと思います」
「なるほどなぁ。血は争えないということか……」
「どういうことですか?」
「玄武と柴乃の関係も、同じだったということだ」
「叔父と姪で……」途中で言葉が途切れた。のどが、ゴクンと鳴った。
「ああ。柴乃が高校生ぐらいになったころ、突然、綺麗になりだした。そのころから、玄武は柴乃に惚れたようだ。……結局、殺してしまった。家に火をかけて自殺するなどと馬鹿な奴だ」
「母は、殺されたのですか?」
「警察の調べでは、無理心中だったそうだ。まぁ、子供たちだけでも助かったのが、不幸中の幸いといえるが。……上臈の家は呪われているのだ」
虎雄は言うと、じろりと真惟を見据えた。
「呪われているって、……どういうことですか?」
「あんたも上臈の血を引いている。柴乃の血なら尚更だ。男とは、軽々しく寝ないことだ」
植木バサミを手に取って虎雄は立ち上がり、庭に戻ると皐月に向かった。
真惟は、その後を追った。
「教えてください。呪われているとは、どういうことですか?」
「昔、あの寺には人を食う鬼女がいて、それを安んじたのが僧、大善だ。それから肉食は禁じられたが、女郎が持ち込まれるようになった。尼たちは、女郎を慰めるために、自分らも女郎のまねごとをするようになった」
「まさか……」
「嘘ではないぞ。今の住職の桜乃を見てみろ。亭主はいないが3人の娘がいる。何故か、考えて見ろ」
「私の母も?」
「知らん」
それを最後に虎雄は口を固く閉じた。
――パチン、パチン――
植木バサミの鳴る音が農村の硬い空気を震わせた。
「教えてください」
真惟は胸の中で大きく渦巻く謎を解くことが諦められない。
――パチン、パチン――
「教えてください」
しつこく迫った。
すると虎雄が手を止めた。じっと真惟の眼を見つめる。
負けるものか!……真惟は見つめ返した。
彼がホッと息を吐いた。それから小さくうなずき、視線を合わせないように仕事をしながら話し始めた。
「上臈の女たちは、月のものが来ると血が騒ぎ、人の肉を食いたくなる。それが鬼女から引き継いだ呪いの血だ……」
寅男の説明に飛び上がりそうになる。……私も同じだ。肉が食べたくなる。
――パチン、パチン――
「……そうならないように妊娠することを喜ぶし、妊娠していないときには地下牢に閉じこもってオコモリをする。昔から、僧籍にありながら妊娠を受け入れたのは、かつて人を食い殺したことに対する罪滅ぼしでもあるようだ。殺したから生み育てる……」
――パチン、パチン――
「結婚しないのに、赤ちゃんができるのですか?」
――パチン、パチン――
「女郎寺の尼は、跡を取ると決まったら檀家衆と寝るのだ」
エッ、マジ?……宇治商店の若い主人が、友世に話していたことを思い出した。
「そ、それが、上がるということですか?」
――パチン――
虎雄は、ほんの一瞬だけ真惟に視線を飛ばした。真惟の口から〝上がる〟という言葉が出たからだ。
「……そうだ。そうやって、檀家から高額な布施を集め、寺を守っている。捨てられた女郎の魂も慰められる……」
――パチン、パチン――
「あのう、母は跡取りではありませんでした。仏具屋の父と結婚したのです」
遠慮がちに口をはさんだ。
「柴乃は長女だ。本来、跡取りだったのだ。布施のために男と寝るのは、寺の跡取りの役目だからなぁ。柴乃が他に好きな男がいたからといって、その運命から逃れることはできなかった」
紫乃の玄武への愛を、真惟は虎雄の話から強く感じていた。
「柴乃の母親の菊世は厳しい女だったから、柴乃が高校を卒業するとすぐに上がらせた。……もう、この辺りでいいだろう。知ると、辛くなるぞ」
「いいえ、教えてください」
今は志穂という母親がいる。……真惟は耐えられると思った。
「年寄りの言うことは素直に聞いておけ」
「奈良に帰ったら、二度と実の母のことを知る機会はなくなると思うのです」
固い決意を言うと、虎雄が吐息をついた。
「柴乃は美しかったから多くの男たちから求められ、実際多くの男と寝たはずだ。ところが、禁を犯したために跡取りではいられなくなった。菊世は柴乃を
――パチン、パチン――
「お見合いみたいなものですね?」
「幸夫の嫁にと、加茂家と上臈家のどちらから申し出たのかはわからないが、結果、あんたらが生まれたというわけだ。幸造も因果なことをしたものだ。柴乃を家にいれなければ、息子を失わなくて済んだだろうに。あいつが殺したようなものだ。もういいだろう。帰ってくれ」
――パチン、パチン――
「最後に一つだけ、……父はどこで亡くなったのですか?」
「三本欅だ。そこで首を吊った」
首つり自殺!……志穂から自殺と聞いていたが、具体的なイメージが浮かぶと頭がくらくらした。座り込みそうになるのを必死で耐えた。
虎雄は全て話してくれた。そう感じても、その場から動くことが出来なかった。逆に、動かない理由を探した。
「き、禁とは、何ですか?」
――パチン、パチン――
「そのくらい想像で分かるだろう。あんたも上臈の血を引いている。ならば、処女を守ることだ。その間は、人の肉が食いたくなることもないはずだ」
処女なら人肉に対する欲求が生じないというのか?……彼の口から出るのは、驚くべきことばかりだった。
――パチン、パチン――
――パチン、パチン――
「母は誰の……」
そこで口を閉じた。その名を聞くどころか、質問を口にするのもおぞましかった。
――パチン、パチン――
虎雄はなにも語らない。
貝のように口を閉ざした虎雄の背中に礼を言い、真惟は女郎寺に向かう道をとぼとぼと歩いた。
お母さんは、本当に人肉を食べたのだろうか?……夢で見たしのぶ姫の行為を思い出した。
父は、なぜ自殺を選んだのか?
玄武に奪われたから。……答えは見つかった。
どうして私やリュウニイをのこして?
疑問が胸に渦巻く。
「そういうことか……」
一つ気付いたのは、祖父母が、真惟が恋をしているかどうかと気にしていた理由だ。祖父母は、真惟が男性を知って鬼女になることを恐れていたのに違いない。
しかし、本当に人の肉など食べるのだろうか?
人の肉など肉屋では売っていない。どこで手に入れて、食べたというのか?
考えただけで、胃袋がむかついた。
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