第1話 蓮見真惟
「あー、肉、肉、肉、……肉が食いたい!」
グラマラスな美女がマンションから出てくる。真惟のふたつ隣の部屋にひと月ほど前に越してきた
いずれにしても、真惟は彼女が好きではなかった。何故か、視線が合うと背筋が震えるのだ。
その日も彼女は美しかった。長い髪が顔を小さく見せていて、ベージュ色のハーフコートが軽やかだ。厚着をしても彼女の豊かな胸と引き締まったウエストがわかるのだ。コートの下からひざ丈の黒いスカートがのぞいており……。
本当に下着をつけていないのだろうか? 寒くないのだろうか? パンストは履いている?……考え、目を細めたところで首を振った。
彼女に比べたら、自分は。……真唯は嫉妬する。背は小さいし胸もない。顔も丸顔で美女とはいえない。ただ、ブスではないはずだ。……最近は鏡を見ながら考えることが多かった。
「あら、いつも元気ね」
すれ違いざまに彼女が言った。
肉、肉、肉と声を上げたのを聞かれたらしい。カッと顔が熱くなり、「こんばんは」と息を吐くように言ってすれ違った。
変な発言を聞かれるのと、下着をつけていないのと、どっちが恥ずかしいことだろう?……考えながらエレベーターに飛び乗った。
――ドドーン……、エレベーターがガタゴト昇る時だった。突然、大きな音がしてマンションが揺れた。
その年、誕生日は若草山の山焼きと重なっていた。冬の奈良市の風物詩である。
「肉、肉、肉……」
真惟は玄関ドアを開けると叫びながら靴を脱いだ。
「遅かったわね」
キッチンから母、
「友達にカラオケで祝ってもらったのぉ」
簡単に説明し、カバンをリビングのソファーに放る。
「花火、花火……」
声をあげながらバルコニーに走った。そこから若草山の上空に上がる花火がよく見える。花火を合図に若草山の山焼きが始まるのだが、その火も、上部まで燃え広がれば見ることができる。
――ドーン……、ドドーン――
花火は凍った空気を切り裂いて上空に大輪の花を咲かせる。夏のそれと違って引き締まった大気の中、火薬は鮮明な色を
「綺麗、綺麗、綺麗、とってもキレイー!」
橙色に燃える大地の上に幾重にも大輪の花が咲き、そして儚く消えるのは、色は違えど夜光虫の群れに青く光る大海のような幻想的な光景だ。
「タマヤー、カギヤー」
花火が上がるたびに、真惟が意味も知らずに叫ぶ。
「間もなく
真惟の隣に志穂が立った。彼女は養母で、実母は真惟を生むとすぐに火事で他界していた。真惟は、実母をお母さん、養母をママと呼んで使い分けているけれど、物心つく前に養母に引き取られた真惟に実の両親の記憶はなく、お母さんと呼んだ記憶もない。真惟にとって親は、
もっとも、4歳年上の兄、
「リュウニイは、まだ帰らへんの? 腹ペコや」
今晩、家族はそろって焼肉を食べに行く約束だった。
「遅いなぁ。電話、してみぃ」
「うん」
真惟はスマホを手に取った。
ドーンと花火が上がり、ガラス窓がビリビリと激しく振動した。
真惟の家族が奈良に引っ越してきて8年ほどになる。父親は保険会社に勤めている転勤族だ。方々転勤して歩いたが、龍斗が高校生になるのを機に、自ら希望して志穂の出身地の奈良支店に異動したのだ。
龍斗も真惟も、本来、関西訛りはないのだが、奈良に越してから積極的に関西弁を使いだした。関西弁といっても大阪、奈良、京都など異なるのだけれど、テレビと友達から覚えるために、話す関西弁はむちゃくちゃに混じった。いわゆる似非関西弁だ。
――プルルルル――
呼び出し音が続いた。
5回、6回……、呼び出し音を数えた。まもなく留守電に変わるだろう。その時、電話がつながった。
「リュウニイ、遅いやん」
『真惟か、……まだ近鉄電車内や。
「うん、わかった……」
龍斗は、大阪にある私立大学に進学し、毎日電車で通学している。帰りの電車内らしい。
「龍斗のことは放っておけ。もう大人だ」
父親が車のキーをぶらぶらさせながら言った。
「そやな」
窓の外、家々の隙間から若草山の火がチロチロと燃え広がるのが見える。その空に打ち上げる大輪の大花火に、何かを疑問に思うことはなかった。
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