第1話 隣の美人なお姉さんに心が奪われる③

 俺はあらかじめトースターにセットしてあったこんがりと焼き目のついた食パンにマーガリンとブルーベリーのジャムを乱暴に塗ると、それをかきこむように食べる。

 ほんの数秒。

 それが俺にとっての朝食だ。

 栄養価? そんなもの気にしたことなどない。

 とにかく朝は胃に食料を放り込んでおけば、力が出ている、と今は思っている。

 あくまで今のように若い間だけの期間限定でのお話なのだろうが。

 口にすべてを放り込むと、咀嚼を何度か繰り返したうえで、牛乳を飲み干す。

 毎日変わらない朝食だ。

 食べ終えると、サクッと食器を洗い終えると、そのまま、用意してあったザックを肩に引っ掛けて、部屋を飛び出した。

 7時10分————。

 いつも変わらない。

 今日はお隣の美人なお姉さんに会えたということだけが変わった出来事だというだけ。

 駅まで歩いて20分。走れば10分くらいで行ける距離。

 当然、余裕がある時間帯だから、走ることなどない。

 7時52分発の快速に乗り込めば、20分ほどで学校の最寄り駅である「光玄坂」に到着する。

 そこを降りるのは基本的に俺たち私立光玄坂学園の中学生と高校生しかいない。

 ただ、周辺(駅の北側)はニュータウンになっていて、乗り込んでくる仕事勤めの肩が男女問わず多い。

 駅舎の南口を出ると、若干上り勾配の着いたプロムナードを上がると、立派な校門がそびえ立っている。

 これこそが、私立光玄坂学園の入り口だ。

 簡単に説明すると、私立光玄坂学園はこの地域では名を馳せた伝統ある学園だ。

 山をひとつ買い取って切り開いた巨大な敷地に幼稚園、小学校、中学校、高校とあと大学までもが併設された学園都市だ。

 もちろん、それまでここには駅などなかったが、初代理事長の鶴の一声で鉄道会社も動き、「光玄坂」という駅が作られた。

 もちろん、したたかなのは鉄道会社も、だ。

 南側の土地は、学園が所有することとなり、一切手が出せなくなったが、もともと開かれた北側の土地は鉄道会社所有の不動産会社が手を入れて、大規模なニュータウンが完成した。結果的に土地の造成や駅舎の設営などに費用が掛かったもののニュータウンは交通の便がいいこともあり、即完売となり、元手以上に鉄道会社も儲けられたのである。

 ちなみに俺が通っている高校部は、有名国公立に多数の卒業生を輩出している「特進コース」と付属の大学に進学できる「進学コース」に分かれていて、俺は特進コースに所属している。

 まあ、これも親からの脅迫によって選ぶことになったのだが……。その話はまた別の機会にするとでもしよう。

 プロムナードを上りきるころには、幼稚園や小学校の子たちも元気よく走り、俺を追い抜いていく。

 これも何ら日常と変わらぬ光景だ。

 そう。俺にとっては、この何も変わらない「普通」が何よりもよかったのだ。




 教室に入ると、早速俺を目ざとく見つけた新田純平にったじゅんぺいが近づいてくる。

 俺が荷物を置くと同時に、


「よっ、結月! 今日は一段と元気そうだな」

「純平か……。まあな。とはいえ、別に今日も今日とて変わりないよ。『普通』な朝だったよ」

「ほう。ま、俺も普通と言えば普通かな」


 ケラケラと笑いながら、俺の背中をバシバシと殴ってくる。

 純平とは、高校で出会った数少ない友人だ。単に入学式の後、席が隣だったということで、向こうから話してきて、いつの間にか、俺の背中を殴れるまでの仲になった。

 コイツとは、普通に話をできるが—————。


「あれ? 結月、もう来ちゃったんだ!」


 馴れ馴れしく話してくるこの女子生徒は、隣のB組の一条舞。純平の彼女だ———。

 このカップルは幼馴染同士らしく、幼稚園のころから仲睦まじく、家族の含めての付き合いだったとか。

 それが中学生の時にお互いを異性として意識し始めて、純平が告白したらしい。

 それ以来、どこに行くにも一緒らしく、まあ、俺から見れば、所謂バカップルに分類できそうなカップルだ。

 とはいえ、一応、節操はわきまえているようで、学校内でキスなどをしていることはないらしい。て、そんなことを教えてもらっても、俺にとっては何の得もないのだが……。


「それにしても、結月って彼女作る気にはならないのか?」

「どうして俺に彼女が必要だと?」

「だってよ、お前、一人暮らしだろ?」

「ああ、そうだけれど、何か問題でも?」

「いや、普通に一人で部屋に引きこもるとか寂しくないのか?」

「え…………」


 そう言われて初めて気づいた。

 俺って別に高校に入ってから数か月の間、一人暮らしをしてきたけれど、そんなことに対して、気にせずに生活していたな、と。

 むしろ、何も考えることもなく生活していたので、改めてそう言われると、どう答えればいいのか分からなくなってしまう。


「結月~、聞いてよ。純平ったら、寂しくなったらあたしを呼び出したりするんだよ?」


 うわっ!? 想像したくない! イチャイチャなリア充の姿なんて……。

 俺の顔が引きつっているにもかかわらず、目の前では純平と舞が、


「お前、言うなよ!」

「えへへ~。いつもあたしのことを放置している罰だ~」


 とか言いあっている。

 いやぁ、お前らって本当に平和だな。うん。バカップルだよ。


「気になる人はいる……」

「えっ!? そうなの?」


 舞の食い付きが普段以上にすごい。

 そんなに俺にとって女とはそういう珍しい存在なのだろうか。


「今日、ゴミ出しでお隣さんと出会ったんだけど、メッチャ美人だった」

「…………ん?」


 舞は返事に困る。

 あれ? 俺の言ったことに何か問題でもあったのだろうか?


「童貞なのかな?」


 ぶばっ!?!?!?

 舞に一撃に、俺は思わず吹き出してしまう。

 清々しい朝に冗談でも言ってはいけない言葉である。


「舞、それは結月には言ったらダメだぜ」

「あ、いや、本当にそうだと言ったわけじゃないんだけれど、お隣りのお姉さんに心がときめいちゃったっていうの?」

「え? あ、ああ、そうだけど何か問題でもあるのかよ?」

「まあ、ないと言えばない。でも、あると言えばある」

「じゃあ、はっきり言えよ……」

「童貞(ボソッ)」

「ぐあぁぁぁぁ………」

「舞、お前、オーバーキルしすぎ……。結月が立ち直れなくなるぞ……。これで勃たなくなったら、明らかにお前の行動がトラウマになったとして訴えられるぞ」

「え!? マジ!? それはなんか、ゴメン………」


 折角の朝の気分が一気に台無しになってしまった気がする。

 でも、お隣りのお姉さんは本当に美人だった。

 パッチリとした瞳にウェーブがかった黒髪。男物っぽいパーカーをだぼっと着ている感じから覗く白い太もも。

 何やら艶っぽさも感じるそんな感じを受けた。

 お隣りさん同士で仲良くなることもできるのだろうか。


「まあ、結月はその女性に恋しちゃったのね?」

「恋……なのか?」

「まあ、恋でしょ。一目ぼれよ。片思いっていうね」


 俺の朝の出来事は、舞によって一瞬で結論付けられた。

 そうか。これが恋なのか?

 俺は今まで小学校や中学校でもそんな感じの異性との付き合いがなかったから、俺から話しかけることもなかった。つまり、仲良くなることはなかったのである。

 そんな俺にとって、恋なんて言うものがどういうものかは、想像することができなかった。知識すらないのだから、当然だ。

 そんなことを考えていると、予鈴のチャイムが鳴る。


「あっ! いけない! 教室に戻らなきゃ! じゃあね、純平、また昼休みにね」


 舞は急ぎ様振り返る。と、そこに一人の女子生徒がいて、勢いよく弾き出される。


「きゃっ!?」


 倒れそうになる女子生徒を俺がタイミングよく手を伸ばして、支える。

 頭をぶつけることなく、女子生徒は倒れることが免れた。


「ご、ごめんなさい! 急いでいて……」


 舞は平謝りをするが、女子生徒は小さな声で「き、気にしていないので」というと、俺の方に向き、これまた小さな声で「ありがとうございます」とだけ言うと、自席に戻っていった。


「舞も気をつけろよ」

「うん。気が緩んでたね……。こういうときはやっちゃうからねぇ……」


 純平は舞の頭にこつりと軽く拳骨をする。

 てか、止めてくれ……。目の前でイチャつくのは……。

 その時、ふわりと甘い香りがした。


「………あれ? この香り、どこかで………」


 俺は周囲を見渡したが、その香りのしそうな女子は分からない。

 高校生ともなると、シャンプーの香りだか、アロマの香りだかで色々と女子生徒の周りは香りがするのだそうだ。(舞曰く)

 俺はその香りが引っかかって仕方なかったが、そのタイミングで担任が入ってきたので、そこで考えるのを放置することにした。

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