賽の目は踊る
小さな街の、小さな酒場。そこに、黄金色にけぶる瞳はいた。しかしその様子は、常とは異なるありさまであった。
「ぬう……!」
火吹き山を思わせる赤き長髪をポリポリと掻き、五角形の盾じみた造形をした顔には、深いシワを漂わせている。常ならば魁偉と壮健を誇るはずの半裸の肉体も、此度ばかりはどこかしぼんで見えた。
「さあ、どうするね。戦士の旦那」
彼の視線の先には、一人の人物がいた。机を挟む形で、二人は座っている。丸い机の上には小さな盆があり、その中には三つの六面
「金はほとんど底をついたと見えるし、椅子にかけてあるその剣でも賭けるかい? まあ、多めに見繕っても一回こっきりだろうけど」
骰子を手で弄びながら、人物は言う。その腕は細く、そして白い。戦士の類でないことは明白だった。黒一色の一枚装束を纏っており、身体つきはしなやか。太腿や胸元からは、わずかながらに素肌が覗いている。顔は細長く、口元には紅。目元には、瞳を強調するような拵えが施されている。髪の色は黒く、しかし短い。だが、
「……」
赤い髪の男――すなわち荒野に生きる戦士たるラーカンツのガノンは、無言で剣を手に取った。そして、躊躇なくそれを机上に乗せる。すなわち、『賭ける』という意志表示だ。
「随分と羽振りが良いんだねえ。このままだと旦那、身ぐるみ剥がされておしまいだよ?」
「この身一つがあれば、どこにでも行ける。文明人は無闇矢鱈に物や鎧で身を固めるが、我らラーカンツの民は、この身一つこそが身上よ」
黄金色にけぶる瞳が、黒き瞳を真っ直ぐに見つめる。その色は、吸い込まれそうなほどに黒い。ほとんどが黒で構成された女の姿は、どことなく蠱惑的であった。
「……頑固だねえ」
「仕掛けておいて、のたまうか」
女が、呆れた仕草を見せる。しかしガノンは、渋い面のままに言葉を放った。さもありなん。彼は己が文化を尊ぶ、蛮人の戦士である。常であれば、このような文明人の賽の目遊びなどに興じるはずがない。そんな彼がこの場で女と対峙しているのには、理由があった。
***
「戦士の旦那。相当な手持ちだね」
「なんの用だ。
ほんの一刻前のことである。酒場で酒を嗜むガノンに、その女は声を掛けて来たのだ。黒装束の裾襞を靡かせ、流し目さえも浮かべながら、彼女は告げた。ガノンが訝しむのにも構わず、女は続ける。
「閨もいいけど、もう少し楽しい遊びがしたと思ってね。その
「コイツは真っ当な依頼で得た金だ。文明人の与太遊びになど、誰が注ぐか。他を当たるがいい」
「そうか……」
ガノンのにべもない返事に、女はわずかに考え込む。しかし次の瞬間には、笑みさえ浮かべてこう言った。
「なら、こういう趣向にしよう。アタシは、【賽の目繰りのガラリア】。こう見えても、荒野の遊び人が一人だよ。もし、アタシの賽の目カラクリが見抜ければ、旦那の勝ち。見抜けなければ、賭け金は頂く。どうだい?」
女の問いに、ガノンはなおも首を縦には振らぬ。さもありなん。遊び人とは荒野や街を渡り歩き、賭博に興じてはその稼ぎで糧を得る、いわば漂泊者だ。国に拠らず、己が英知と蓄え、そして鍛え上げた業で生き残る者どもである。ガノンの行く道とは近しくもあり、また決定的に遠くもある者どもだ。この場で両者交わった事自体が、ある種運命神の導きとも言えた。故にガノンは、ガラリアに問う。
「……ならば、腕を見せろ」
「なるほどね」
問われた女は、たちまちのうちに壺――茶碗程度の大きさのザル――と六つの骰子を手にした。壺とは、骰子賭博の一種で使われる、賽の目を
「……なるほど。名乗るだけはあるか」
「だろう?」
彼女が壺を上げると、そこには恐るべき光景があった。まずは、六個の骰子が見事に積み上がっていること。続いて、その積みが正確至極極まりなく、わずかな狂いさえもないこと。すなわち、完全なる直方体であること。そして、最後にガノンを瞠目させしは――
「下から賽の目を並べるとはな」
そう。最下の賽の「一」の目から「二」「三」「四」「五」「六」。ガノンに見せる骰子の面を、見事に並べてみせたのである。
「どうだい。アタシの
「……良かろう」
先述の通り、常であれば、ガノンもこの程度の挑発には心を動かさなかっただろう。しかしながらこの時の彼は、珍しいことに暇をかこっていた。旅路の間の、ほんのかすかな間隙だった。勝負事には時の運というものがあるが、この時はまさに、すべての天秤がガラリア側に傾いていた。
「なら勝負だ。単純に、骰子三つの大小比べと行こうか。盆の中に骰子を投げ込み、数を比べる。出目の大きい方が勝ち。一つでも骰子が盆から漏れれば、即座に負け。ただし、『一』の目が三つ揃った場合」
「……いかなる数さえも上回る、か」
「話が早くて、助かるよ」
「故郷にも、そうした遊びがない訳ではない」
「なるほどねえ」
言葉を重ねながら、ガラリアは準備を整えていく。まずは骰子三つを壺へとしまい、いずこかへと追いやる。続けて残りの三つ――此度の勝負に使うそれを、高らかに掲げ。
「さて皆様方お立会い。これよりわたくし、こちらにおわす戦士のお方と、賽の目勝負をいたします。この中に心得ある方がいらっしゃれば、ぜひとも賽の見分を願いたく」
朗々と、流れるように言上を並べ立てる。その淀みのなさは、【賽の目繰り】の二つ名に違わぬものと言えた。
「どれどれ」
「よっと。見てやろうじゃないかい」
すると、たちまち数人の遊び人が現れ、骰子を手に取る。中には少々
「ふむ。仕込み骰子ではないな」
「こっちもだ」
遊び人たちが口々に言い、骰子をガラリアの手へと戻す。かくして、勝負の公平性は担保された。これより先、いかなる手業が行われようともそれは技術、技である。それでいてカラクリを見抜けとは異な話ではある。しかしこの時、すでにガノンの興味は勝負へと向いていた。向いてしまっていた。
「では、始めようか」
最後の準備たる盆を置きながら、女は嫋やかに口を開いた。
***
盆に並んだ賽の目は、またしても『一』が三つであった。
「っ……」
「これで五度目だね。今日はどうやら、運命神にも愛されているようだ」
歯噛みの表情を見せるガノンを尻目に、ガラリアは剣を回収する。良く言えば誰にでも使える、悪く言えば何の変哲もない手頃な剣だ。売り払ったところで、せいぜい何枚かのポメダ銀貨が転がり込んで来るぐらいだろう。しかし彼女は、宝剣を扱うようにそれをしまい込んだ。
「随分と、丁重に扱うのだな」
「この手の勝負には、アヤというのがあるんだ。賭けられた物を丁重に扱うのも、その一つだね」
ガラリアが、再び蠱惑的に微笑む。その姿に、見物人どもがわめき立つ。最初から見ていた幾人かの遊び人はもとより、今やこの勝負は、酒場の空気さえもさらっていた。
「おいらも、あんなイイ女とお近付きになりてえな……」
「やめとけ。どんなトゲがあるかわかんねえぞ」
「蛮人の旦那も、かわいそうに」
小声に大声、様々な声がこだまする。しかしガノンは、それらすべてを断ち切っていた。机上、盤面、何の変哲もない盆、そして骰子。すべてに気を、巡らせていた。黄金色にけぶる瞳に、全神経を集中させていた。ただし、戦神には祈らない。戦神は、あくまでも戦いの神である。戦における神である。このような遊び――命を懸けぬ戯れ事に付き合わせれば、たちまち己を見離すであろう。彼はそう、信仰していた。そうしてしばらく盤面を見つめた後、やおらガノンは立ち上がった。隆々たる筋肉と下穿きが、人々の目を穿つ。小高い山を思わせる巨体、陽光に焼かれた素肌が、酒場の者どもをどよめかせた。
「どうした旦那。手仕舞いかい? それとも……」
途端に差し込まれるは女の声。だがガノンは、大きな
「次で最後だ。おれの身体と魂。そのすべてを、賭け金とする」
力強い言葉に、酒場の衆は色めき立った。口々に騒ぎ立て、放言を解き放っていく。
「おいおい、コイツは大勝負だぞ!」
「この身体なら、ラガダン金貨もありえる!」
「俺はこの蛮族が負けるところが見たい!」
空気が変わる。流れが変わる。ガラリアの色に染まっていたはずの酒場の気配が、瞬く間にガノンのそれに変わっていく。しかしながら黒き淑女、【賽の目繰りのガラリア】は寸分たりとも態度を変えぬ。これまでのように挑発めいた口調を崩さず、極めて嫋やかに対峙してみせた。
「たしかに。ラガダン金貨を出してもいいほどの身体だねえ」
「我が寄る辺、我が武器、我が誇りだからな。これを文明人に差し許すならば」
「そうだね。相応の額でなくてはならない。うん、機会は三度。三度の間にアタシのカラクリを破れなければ、旦那はアタシの思うまま、だ」
「いいだろう」
ガノンが、椅子に座り直す。だが、酒場は未だにざわついていた。彼の肉体をもってしても、三度しか機会が得られぬ。その事実に、動揺しているのだ。だがガラリアは、朗々と皆に告げた。
「まあまあ。落ち着き給えよ皆の衆。あまりに機会が多くちゃ、興が醒めるだろう? 一度ではこの宝物が如き肉体には見合わないし、五度では醒めが近づく。だから三度を選んだ。無論その分、楽しい勝負を約束しよう」
「言ったな?」
「言ったよ。アタシは良き勝負をもたらす。皆はそいつを、酒の肴とするが良い」
おおおっ。と、酒場がまたもどよめいた。しかしガノンは、それらをすべて、断ち切っていた。いかなる仕掛けが、盤面のいずこに行われているのか。仮に賽の目大小で打ち勝ったとしても、三度の機会を不意にすれば、一巻の終わりである。故に彼は、すべてに目を凝らさねばならなかった。
「では始めようか。アタシが先攻だ」
ガラリアが手慣れた動きで骰子を取り、盆へと投げる。盆の中で骰子が踊り、やがて止まる。繰り出された目は「三」「四」「五」。合わせて十二。そこに手業の気配はない。やむをえず、ガノンは骰子を手に取った。無言のまま、無造作に盆へと投げる。その出目は「一」「三」「六」。合わせて十。またしても、ガノンは敗れた。
「あと二回、だね」
ガラリアが、ガノンに微笑む。しかしガノンは、眉一つ動かさない。ただただ盤面を、ガラリアの顔を
「……続けようか」
ガラリアの表情に、陰りはない。彼女は再び骰子を手に取り、投げた。骰子は盆の中を跳ね回り、やがて目を出す。「一」、「一」。そして「一」。その出目を示す太陽の象りが三つ躍り出た時、三度観衆はどよめいた。
「凄え! また一揃えだ!」
「一体どうなってやがる!」
「これは蛮族も終わったな!」
ガラリアの賽の目繰りに、酒場の空気は一瞬で湧き上がる。運命神さえも味方につけた女は悠然と微笑み、いよいよガノンは追い詰められたかに見えた。だが、その時!
「カアアアッッッ!!!」
ガノンが突如立ち上がり、骨を震わせるが如きの蛮声を放った。安普請の酒場はミシミシと揺れ、全員の目が、奇異な振る舞いに動いた蛮人へと向いた。しかしながら、聞くべき耳を持つ者は聞いた。なにかが割れたような、超自然の音を。そして、見るべき目を持つ者は、見た!
「なっ……!」
おお、見よ。机上の光景が、様変わりしているではないか。変哲もなかったはずの盆には運命神を称える紋様が彫り込まれており、賽の目は「一」「一」「二」へと変じている。これは一体、いかなることか? いかなる手管が、この盤面に仕組まれていたというのか?
「わかった、のかい?」
音声に耳をやられたか、僅かに顔をひきつらせたガラリアが問う。しかしガノンは、黙して語らない。それどころか、興味を失ったかのように彼女に背を向けた。
「わかったのか、と……」
「そこまで」
なおも詰めようとするガラリアに、第三の声が割って入った。それは先刻、骰子の見分をした遊び人が内の一人。なぜ気付けなかったのかと戸惑うほどに、安酒場には似合わぬ正装に身を包んでいた。紳士然とした、初老の男である。
「蛮人どのも、座られよ。このままでは、酒場の皆々様も納得されぬでしょう」
「ガノン。ラーカンツのガノンだ」
「失礼。ガノンどのも、一度、席に」
「……」
のしのしと歩いて、ガノンが席に戻る。それを確認してから、正装の男は口を開いた。
「勘、でござろう」
「そうだ。盤面、盆、そして骰子。そのすべてに、特段の仕込みが見えぬ。ならば、とな」
「なるほど。置かれている場、そのものを疑う。見事な喝破でございました」
そう言うと男は、紳士の礼を取る。およそ、蛮人に行う振る舞いではなかった。しかし今の酒場に、それを咎める者はいなかった。すべての空気が、ガノンたちに掻っ攫われていたからである。
「さて。一部始終、すべて真実を見ていたそれがしから述べましょう。此度の仕掛けは……」
「いや。筋からしても、アタシからだよ。たとえ勘にせよ、負けは負けだからね」
語らんとする正装の男を、ガラリアが押し止める。すると紳士は、素直に退いた。両者へと一礼を行い、再び観衆へと戻って行く。
「アタシが仕掛けたのは、一種の幻術だ。話術や大手業――旦那に見せた、最初の芸当だよ――で相手を引き込み、後の本番じゃあちょこちょこと運命神に助けてもらう。とはいえ、全部が全部幻じゃあタネが割れる。だから、アタシの腕前自体も七分はあるよ。【賽の目繰り】という名には、ちょっと弱いかもだけどね」
ほう……と、酒場のそこかしこから声が漏れた。そのほとんどは、遊び人と思しき連中だった。術中に居たか否かにかかわらず、他者の手練手管を知れたのは大きい。己への運用を模索するも良し、他者に使われた際の策を練るも良し。彼らにとってその業は、生きる手段であった。
「旦那のナリからいっておそらく、常の旦那だったら捕まえられなかっただろうね。金を得て酒をやり、気が大きくなっている。そんな様子だったから、仕掛けられたんだ」
後ちょっとだったんだけどねえ。そう言って、ガラリアは椅子に背を預けた。これまでに得た金も、先程勝ち取った剣も、無造作に彼女の近くへと置かれている。しかしガノンは剣だけを掴み、酒場の主に問うた。
「店主よ、飲み代はいくらだ」
「へ、へい」
店主が慌てて、彼の飲み代を弾き出す。するとガノンは、布袋から、数枚の貨幣を差し出した。先刻、ガラリアに奪われたはずのものである。当然店主は、奇異の表情を向けた。
「え、ええんで?」
「元はおれの金だ。そしておれは勝った。後はわかるな」
「へ、へい」
店主はコクコクとうなずき、己のあるべき場所へと戻って行く。それを確認すると、今度こそガノンは立ち上がり、ガラリアに背を向けた。
「後は好きにしろ」
それだけを言い残して、蛮人の男は酒場を去って行った。
***
朝の光に照らされる街の中。空では鳥が、ガアガアとうるさく喚いている。未だ早朝なれど、ガノンにとっては常の通り。彼は半裸に下穿き、手頃な剣を背に括り付け、粗末な靴を履いていた。僅かばかりの旅支度は、腰回りに括られている。人混みの中であろうと、一目でわかりそうな出で立ちだ。彼は再び、己の生きる場所、荒野へと戻らんとし……
「戦士の旦那……いや、ガノンどの」
艷やかな声によって止められた。
「なんだ」
ガノンが声のした方角を見る。するとそこには昨夜の黒装束ではなく、すっかり旅支度を整えたガラリアが立っていた。あのある意味で派手な出で立ちはどこへやら。外套を頭からすっぽりと被り、一目ではそうとわからぬ格好となっていた。凄まじい変わり様である。彼女は悪びれもせず、口を開いた。
「『好きにしろ』と言われたのでね。ああもタネが割れては、しばらくは稼ぎにも困る。他の遊び人にも目を付けられる。だったら」
「勝敗にかこつけて、おれをよすがにしようという魂胆か」
「ご明察。やはり常のアンタには勝てそうにない」
ガラリアは、笑顔のままにそうのたまう。しかしガノンはただただ背を向けて。
「好きにしろ」
それだけを言い残し、改めて荒野への一歩を歩み出した。
賽の目は踊る・完
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