第3話 この、便

「ん、ああ……」

 外から響く、近所の子どもたちの騒ぎ声。本当ならまだ眠りこけている時間。だが今日は、そうもいかない。

 それからの数日をコンビニバイトで無下むげに消化し、気づけば郁斗はあっという間に五月十三日の朝を迎えていた。

 例の日当日。眠気まなこの中、目を覚ました郁斗は前回参加連絡をした後に受け取った「返信メール」を見返した。

 集合場所は青檜あおひの駅前のロータリー。そこに専用のシャトルバスが迎えに来るとのことらしい。普段はここから長期戦となる布団でのグダグダタイムもそこそこに、すぐに支度を始める。

 どうしよう。朝メシ食ってこうか。

 でもま、いっか。

 せっかくだから、腹空かしていこっと。

 きっと会場内で——。

 何か豪勢なモンでも、用意してくれるだろ。

 

 その後自宅を後にし、長らく電車に揺られること約二時間。郁斗はウトウトしながらも、ようやく目的の駅へと到着。窓から覗く景色はごちゃついた灰銀色から、風情ある深緑へすっかり様変わりしていた。

 何だろう。身体がだるい。バイト続きで疲労が溜まっているのかもな。それにずっと座りっぱなしで、腰も……。下車し改札を出た郁斗は、大きく伸びと欠伸あくびをする。

 ——と、数メートルすぐ先で。

「……はあああ、着いたぁぁ!」

 自分と同じように両腕を上げ、全身の凝りを解き放つ女性が一人。見た感じ、自分より十歳以上は年上。おそらく三十代半ばか後半といった所だろうか。ショートのウェーブヘアをなびかせ、まるで授業参観にでも行くかのように化粧も服装もマダムチックの派手な装い。

 何て言うか……。郁斗には正直、場違いに映った。

 向こうは気づいてはいないが、お互い全くと言っていいほどに動きがシンクロし、恥ずかしさのあまり咄嗟とっさに腕を下ろす。逃げるようにそそくさと駅を出た郁斗は、スマホの時計を確認した。

 十一時十五分。集合時間の五分前。ちょうどいいタイミングだ。にしても首都圏から遠く離れているとはいえ、この日の駅前の景色は郁斗のイメージとはだいぶ異なっていた。平日とはいえ、人通りがほとんど見当たらない。まあ、偶々たまたまか。

 都心とのギャップを感じつつも、郁斗は何か飲もうと近くの自動販売機へと向かった。


「——ガシャン」


 静けさを両断するような鈍い落下音。と同時に、郁斗の眼前に映る、黒髪ロングの制服姿。渋谷や原宿の街中でよく見かけるような短いスカートに赤い水玉のシュシュがあしらわれたスクールバッグ。この時間にココにいることが、これまた場違いに思える。

「っ、と……」

 購入した缶ジュースを取り出そうと、彼女は長い髪を耳にかけ、前屈まえかがみの体勢に。そのあまりの無防備さに郁斗は欲望をグッと噛み殺し、瞬時に理性を奮い立たせ目を逸らした。

「チャリンチャリン」

 すると少女が手に持っていた財布が角度を崩したのか、何枚もの小銭が床に転がり落ちた。それらは繰り返し金属音を鳴らしながら、郁斗の靴先へと迫って来る。

「あ、あの。コレ……」

「え? あ、すいません」

 十代のあどけなさをただよわす、凛とした声色。差し出された小さく華奢な手の平。郁斗はそっと小銭を落とし、チラ見する。彼女はその体躯に比べ、思った以上に幼い顔面をしていた。だが目元にはうっすらとクマが滲み、真っ白な肌とのコントラストが際立っている。

「ありがとう、ございます」

「あ、いえ……」

 意外にも礼儀正しい彼女の所作に、なぜか動揺してしまう。

 するとその数秒後。ロータリーの中を、鈍いエンジン音がゴロゴロと近づいて来た。

「バンッ」

 道路脇に停止した、一台のシルバーのシャトルバス。そして運転席から現れた、一人の高齢男性。上下グレー、作業着のような服装に白髪交じり。初老に近いであろうその男性は躊躇なく郁斗たちの方へ向かって来た。

「どうもどうも、おはようございます」

「私は会場まで皆さんをお送りする、ドライバーの吉永よしながと申します」

「本日は宜しくお願い致します」

「え、ああ……はい」

 人通りが無いことから、自分が参加者だと即座に察知したのだろう。

 ん? でもちょっと待て。今この人……って言ったよな。郁斗は反射的に隣の女子高生へと目を向ける。すると彼女は男性に対し、小さく会釈をしていた。

「お名前、お聞きして宜しいでしょうか? ——ではまず、お兄さんから」

「え? ああ、ええっと……」

「ウラキといいます」

「ウラキ様ですね」

「では、そちらのお嬢さんは?」

「……ユメ、です」

「ユメさんですね」

「二人とも、確かに――」

 そう言うと吉永というその男性は、持っていた黒のクリップボードにペンを走らせた。想像してはいたが、やはり自分以外にも招待客がいるらしい。でもまさか、女子高生をスカウトしていたとは。

 まあでも、確かに。インフルエンサーということであれば、十代の若年層は必須。中でも「JK」は、その大本命かもしれない。

便では、残りはあと二人ですね」

 吉永はそう言って、ニコッと笑みを見せた。

 あと二人? 他にもまだ参加者がいるのか。


 ——と、その時。


「コツコツコツ……」

 小走りのヒール音が、徐々に耳元まで近づいてくる。

「ハッハアハア……」

「すみません。本日参加予定のタマリと申します」

「ああ、どうもどうも」

「タマリさんですね。ようこそ起こし下さいました」

 チェックを付ける吉永の横で、郁斗は思わず「あっ」と小声を漏らした。

 視界に入り込んだ女性。目がチカチカする。その参加者は、郁斗が先程目にした派手な装いの年上女性だった。


 さらに、続けて—―。


「どうも、おはようございます」

「本日ご招待頂いた、シヤと申す者です」

 今度は全身スーツの、サラリーマンらしき身なり。そして社会人経験の深さを彷彿ほうふつとさせる整った言葉遣い。おそらくは二十代半ばから後半。百八十センチを優に超える高身長で黒髪短髪の男性が、ハンカチで汗を拭いながら走ってやって来た。

「はい、確かに」

「ではウラキさんにユメさん、タマリさんとシヤさん」

「計四名全員揃いましたので、どうぞ皆さんお乗りください」

 吉永に促され、そのままシャトルバスへと向かう四名。

「それでは」

便、これより出発致します」 

 こうして——。世代も職業もバラバラの男女を乗せたシャトルバスは、緑連なる山々の方へ向け発進した。

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