第1話 深夜0時の着信

 ビリビリビリっと、沸き立つ湯気で湿ったふたを引き剥がすと、使い古され塗装さえも失った木箸きばしを無造作に中へ浸す。

 まだ早かったか。口にした油揚げが、バウムケーキのように舌にまとわりついて気持ちが悪い。だがその不快さに臆することなく、上回る空腹を優先させ、ズルズルズルっと熱いスープを流し込んだ。


 深夜十一時過ぎ。コンビニバイトを終えた浦城郁斗うらきいくとは、毎晩定型化しているお馴染みのインスタント麺と、好物である明太子のおにぎりにこの日もありついていた。

 暑いな……。たまらず立ち上がり窓を開ける。それもまあ、当然か。

 季節は四月下旬。桜の開花を一度たりと鑑賞すること無く、とうに過ぎ去った春の兆し。既に外の景観は、若葉彩る緑一色へ切り替わろうとしていた。

 なのに六畳一間の畳みの上には、いまだに出しっぱなしのこたつが。最優先すべき怠惰たいだの遺物をそのままに、郁斗はくたびれたネルシャツを脱ぎ白のインナーシャツ一枚になると、構わず食事を続行した。

「ッタ、ッタ、ッタ」

 手汗でしなしなになった黒の固形物を片手に、愛用のスマートフォンをいつものごとく操作する。カラフルでまだらなホーム画面。その中の一つ、丸みを帯びた大きな赤文字で「M」と表記されたアイコン。

「ッタ」

 開いたアプリの名は『MESELA(メセラ)』。その国内ナンバーワンの利用者数を誇る「匿名登録制SNSアプリ」を起動させた郁斗は、数十数百の利用者たちの投稿メッセージを流し見する。ニュース、スポーツ、エンタメ、トレンドと、おびただしい情報を無作為にザッピングするだけのルーティン。

 メセラ内で使用しているマイアカウント名は「ウラキ」。特に凝ったネーミングにはしていない。

 ん? これはどこだ?

 国会中継か何かの映像だろうか。

 郁斗は目に留まった投稿動画をタップし、再生してみた。


『——ええ、我が国でのベーシックインカムの導入についてですが。実現となれば現在の医療や教育、職業など長年積み重ねて来た社会福祉制度が撤廃されるだけでなく、国民全体の労働意欲や競争意欲が大幅に低下する、そういった可能性が懸念されます』

『結果GDP(国内総生産)は減少の一途をたどり、国家経済ないしは国民の生活レベルの低下にも直結。そもそも我が国の国民性と合致するのかという点も含め、現状としては極めて非現実的。そう考えております——』


 最近日本が「腐敗認識指数(汚職度ランキング)」で世界三位となり、メセラを含む各媒体を通じちまたを大いに騒がせている。そんな中でのこの発言。郁斗は映像を停止し、「フンッ」と鼻であしらう。そしてすかざすその投稿に対し、リプライ(返信)ボタンを押した。


『てかコイツらさ、お国の為とか言ってろくに仕事もしてねえくせに、毎月高収入の高待遇。‟国民徴収型ベーシックインカム”の恩恵に預かっておきながら、いけしゃあしゃあとよく言えるよな』


 メッセージを打ち終わり、即座に送信ボタンをピッ。沸々ふつふつと湧き立つ不平不満が指先を柔軟にも躍動させていた。

 その後、三十秒と経たずして。

 自身のコメントに「リコメンド(推薦)」の星マークがきらめく。

 10、38、69、103、187、269、427……。

 鰻登うなぎのぼりに上昇する、共感者たちの証。止まらない星のカウント数を眺め、郁斗は満足げにニヤついた。胃の中の物足りなさを今日もまた、匿名のみんなが自己肯定感と多幸感に変換し、こうして満たしてくれる。

 通っていた大学を中退し、現在フリーター兼就職浪人中の身分。コンビニ時々面接、または自宅。その往復を除き特に趣味も無い郁斗にとって、唯一の娯楽。それは、メセラ内で多くの支持を得ることだった。

「498919人……」

 もうすぐで五十万人。順調にフォロワーも増えてきている。著名人でもないただのイチ素人で、ここまでのフォロワー数はそうそう多くはないはず。

「スーーッ、ハア……」

 満たされた郁斗はそのまま床に突っ伏し、夢見心地にまどろんだ。



「ピロリロリロリン」



 それから数分後。スマートフォンからの突然の鳴音に、ピカッと目を覚ます。生活の主軸からの呼びかけ。これには反応も早く、郁斗は即座にスマホを手に取る。見て見ると、メセラの通知欄に「ダイレクトメッセージ:未読一件」との表示が出ていた。


『件名:ご当選のお知らせ』


 ご当選? 何だろう。

 何か申し込んでたっけ。思い当たる節は一切無いんだが。

 時刻は深夜零時ちょうど。

 マイアカウント内に届いたその未開封マークに、郁斗はいぶかしみながらもそっと指をかざした。

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