3日目 金曜日

雛祭さんは憑かれている 1

 金曜日か。やっと、今週も終わったな。

 今週は、やけに長く感じた。原因が何かは、わかりきっているが。

 今日が終われば、ついに土日。おれは優秀な帰宅部員なので、やることがいっぱいあるのだ。さて、スチームで前から気になっていたゲームが販売開始されたんだよな。帰ったら、さっそくダウンロードするか。


「鯉幟くん」

「な、なに? 雛祭さん」


 二時間目の休み時間、雛祭さんが横からひょっこりと顔をのぞかせた。いたずらを思いついた、といわんばかりの、わくわくした顔を浮かべて。

 休み時間は新しく買ったラノベを読もうと思ってたんだが、これはむりかな、と悟る。


「どうしたの。おれに、何か用」

「これを、見てください」


 雛祭さんは、後ろ手に持っていた箱を取り出し、おれの目の前に突き出した。両手におさまるサイズの白い箱だ。


「何これ」

「ふふふふふ……」


 ふたをぱかりと開ける、雛祭さん。なかには、十センチほどの黄金色の長方形が八つずつ、みっちりと入っていた。


「これ、なに」

「なんだと思いますか?」


 ふふん、と子どもみたいに聞いてくる雛祭さんに、おれは頭を悩ませた。雛祭さんの目的は、なんだ? おれはいったい、何を試されているんだ……。

 でも、この黄金色の長方形って、たぶん『アレ』だよな……。


「雛祭さん、芋ようかんなんて、学校に持って来ちゃだめだろ」

「えっ! だめなんですか?」

「校則違反になるからね」

「コーソクイハン……って、そんなにしちゃいけないこと、なんですね」


 悲しそうに、芋ようかんの箱のふたを閉めていく、雛祭さん。


「あー、いや。校則違反は、いけないことなんだけどさ。おれに、芋ようかんを見せようとしてくれた雛祭さんの気持ちは、いけないことなんかじゃないんだ……」


 雛祭さんが、そろっと顔をあげる。


「まあ、先生に秘密にすればいいんだよな。だってさ、他のみんなもけっこう、小腹が空いたとき用に菓子パンとか持って来てるし。この学校の先生、全体的にゆるいから、黙認してくれてるんだ。……芋ようかんを持ってきた人を見たのは、はじめてだったから、驚いただけだよ」

「秘密……ですか」

「うん」

「わかりました。秘密ですね!」


 記憶喪失になってからの雛祭さんは、まじめな以前と比べて、とても素直だ。子どものように無邪気で、まっすぐに感情を出している感じがする。

 記憶を失ってまっさらになったことで、感じるものをストレートに受け取って、そのまま出しているんじゃないかと思うほどで。

 それがなんだか可愛く見えて、おれは正直、困っている。話していると、でれでれしそうになる。とろけきった情けない顔を出したくなくて、つい対応がぶっきらぼうになってしまう。このままじゃあ、近いうちに嫌われるだろうな……。

 ひとりで想像して、ひとりで落ちこむ、おれ。


「えっと、それで芋ようかんがどうしたって?」

「知ってますか? これ、食べ物なんですよ!」

「ああ、知ってるよ。しかも、これ芋ようかんで有名な店じゃん。舟〇ってとこのやつだろ」

「そんなにおいしいんですか? こんな、美術品みたいな黄色の四角」

「美術品って」

「マインク〇フトの素材みたいですよね」

「なんで異世界転生者が、マイ〇ラ知ってるんだよ!」

「海野くんが、休み時間にスマホで見てたんです。どんなものなのか、ていねいに教えてくれましたよ」


 快人のやつ、学校でどうどうとゲーム実況見るなよ……。何も知らない異世界転生者が、まねするだろ。

 これも、うちの学校ではいちおう、校則違反だ。ゆるい教師たちが黙認してくれているだけで、見つかったら生徒指導室行きだろうな。


「でも、芋ようかんって似てますよね? マインク〇フトの素材に」

「いや、っふふ、まあ……」


 まじめな顔でいう雛祭さんがおかしくて、おれはつい吹き出してしまう。いかん、がまんしないと、そのままツボに入って、大爆笑してしまいそうだ。なんだよ、この人、面白すぎるだろ。


「鯉幟くん? どうしたんですか、震えて」

「あー。雛祭さんのいったことが、おかしくて笑っちゃっただけ……。気を悪くしたんなら、ごめん」


 すると、雛祭さんの顔が、ボッと赤くなる。じわじわと耳まで赤く染まっていき、芋ようかんの箱を持ったまま、固まってしまった。

 おれ、今、何いった? 雛祭さんの羞恥をあおるようなことをいってしまったのか……?


「ご、ごめ。あの、おれ」

「……鯉幟くん。いっしょに来てください」

「えっ」


 雛祭さんに、ぎゅっと手を握られると、教室からそのまま引っぱり出された。引きずられるように、ぐいぐいと廊下を早歩きで通りすぎていく。どこに行くつもりなのか、まったくわからない。

 二階の教室から、三階へとあがっていく。三階は主に、特別教室がある。音楽室に、美術室に、視聴覚室。

 雛祭さんに押しこめられた先は、家庭科室だった。誰もいない家庭科室に、おれと雛祭さん、ふたりっきり。待ってくれ、これはいったい、どういう事態なんだ。


「わたし、見たんです」


 突然、雛祭さんが、ぽつりとつぶやいた。


「な、何を……」

「悪魔です」

「あ、あく……ま?」

「指先、一本でした。スマホに指先ひとつふれるだけで、大量の料理やスイーツが流れてくるんです。『インスタグラム』という呪文だけでですよ」

「はえ……」

「インスタグラムは、恐ろしい呪文です。そこで、凶悪な悪魔に出会ったんです。見てください、これ!」


 雛祭さんは、どこに隠し持っていたのか、調理台の上にバターの塊をドン、と置いた。横に、芋ようかんの箱も、並べる。


「フライパンに溶かしたバターで、この舟〇の芋ようかんを焼くんですって……」

「えーと、やってみたいの?」

「家では、できないんです。だから、ここでやるしかないんです」

「いや、でも」

「わたし、悪魔に憑りつかれてしまったんです。インスタグラムのせいで、バター芋ようかんが食べたくて、仕方ないんです」


 瞳をうるうるとさせながら見てこないでくれ。いろいろと負けてしまう……。

 おれは、家庭科室の時計を見あげた。休み時間のリミットから換算して、今から急いで調理すれば、できなくもない時間だった。

 だが、どうしたって逃れられないものがある。

 フライパンで溶かした濃厚なバターの香りに誘惑されない、育ちざかりの高校生がいるだろうか。バターは、強烈だ。こうばしいバターの香りは確実に、階下に流れる。バレるだろ。確実に、バレる。

 なんて、葛藤しているうちに、雛祭さんはさっさとフライパンの用意をはじめていた。


「ま、まじにやるの?」

「憑りついた悪魔は、これでしか祓えません」


 『マシュかわ』に、悪魔祓いするために、芋ようかんを焼くエピソードなんてないが!?

 雛祭さんは、真剣な表情で、フライパンを火で熱していく。ちょうどよい温度になったら、バターをひとかけら、フライパンに放りこみ、溶かす。これだけで、ノドがごくりと鳴ってしまうのは、致しかたないことだろう。バターのうまさに抗えない思春期高校生などいないのだ。

 じゅうぶんにバターを広げたら、いよいよ芋ようかんを投入。ほどよい焦げ目がつくまで焼いたら、できあがりだ。


「できましたね!」


 ちゃっかり用意していたらしい皿に、バター芋ようかんを乗せ、フォークを取りだす。


「どうぞ、鯉幟くん」

「え、いいのか」

「もちろんですよ。だって、鯉幟くんにも食べてほしかったんです。だから、ここまで来てもらったんですよ」


 そういえばさっき、家では作れないっていってたもんな。変なところで、厳しい家庭なのか。だったら、家庭科室で作るしかないって思うのかもしれん。

 だが、急がないと植えたハイエナどもが来るかもしれないぞ。そうなったら、当然、教師どもも来ることになる。


「さあ、あとはもう一個焼いて……!」

「いや、時間も時間だし、もう一個はむりだ」

「そ、そんなあ!」

「すまん。おれの半分で、我慢しろ。片付け、手伝うから」

「えっ」


 雛祭さんの顔が、じわっと赤くなる。

 しまった。おれ、何いってんだ。くそ、失敗した……!


「いや、今のは説明させてくれ。ごめん、普通にいやだよな。なんだけど、これは先にフォークで切り分けた半分だったんだ。口つけてなかったんだ。だから、問題ないかと思ったんだが、それ以前に同じ皿から食べるのだって、ありえんよな。まじで悪かった、軽率だった……。いいわけすると、妹がいるんだ。くわえて、みくりのやつも、こういうのを普通にしてくるやつだから、つい……」

「そうじゃなくて……」

「へ?」


 オタクお得意の早口いいわけが、マーライオンのように出てきたことすら申し訳ない思いだったが、雛祭さんはふるふると首を振った。

 りんごみたいな顔をうつむかせたまま、恥ずかしそうにつぶやいた。


「エーデルリリィでは、食べ物を半分わける儀式は、婚姻のときにするものだと決まっているので……」


 そういって、ますます顔を赤らめる、雛祭さん。


「……へ?」


 雛祭さんの熱が、おれにも感染したようで、カアッと顔が熱くなる。

 でも……待て、待ってくれ!

 そんな設定―――『マシュかわ』にないぞ。

 雛祭さんの記憶は、マシュかわの設定に上書きされてしまっているんじゃないのか?

 じゃあ、今の雛祭さんの発言は、どこの設定なんだ。おれが今まで読んできたラノベのなかに、あったか? だめだ、思い出せん。

 恥ずかしそうにしている雛祭さんはとにかく可愛い。だが、今はそれどころじゃない。

 雛祭さんのマシュかわに準じた記憶のなかに、別のものが混じっている。これが、戻りかけた記憶なのか、そうじゃないのかはわからないが……。


「ちょっと、あなたたち。何やってるのー!」


 おれたちがやっていた秘密は、あっけなく水木先生にバレた。やはり、バターの香りが校内に流れ出ることは、止めることができなかったか。

 水木先生の後ろから、クラスメイトや他の学年の生徒たちも、わらわらと集まってきている。


「勝手に芋ようかん焼いちゃ、だめでしょ」

「す、すみません……」

「ふたりとも、あとで、生徒指導室に来なさいね」

「はい……」


 急いで、料理器具を洗い終わったところで、授業開始のベルが鳴った。

 教室に戻った雛祭さんが、芋ようかんとバターを保冷バッグに入れているところを横目に見ながら、おれは考えていた。

 雛祭さんの記憶が戻らないのは、もしかして本人が、元の記憶を取りもどしたくないからなんじゃないか、と。

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