第6話

 翌日。つまりは日曜日。同じ時間に再び水瀬は来た。

 姉さんは休日出勤で空けていた。余計な嘘をついたりして家を出る必要も省けたと思うと助かる。仮にいたら、どういう仲なのかとか、どこに行くのかしつこく聞いて来たのは間違いない。

 装備を整え、予習していた通りに水瀬のバイクの後ろに乗車する。

 そこまでは問題なかった。

 そこからが、問題だった。出発を間近にして、俺はようやく気づく。

「……なあ、水瀬、俺はどこを持てばいいんだ?」

 背もたれになる所リアボックスはあるけれど、バランスを保つためのでっぱりがいまいち掴みづらい。背もたれを後ろ手に持つのも不安定だ。

 水瀬は、少しだけ思案してから、一言。

「私の肩に手を添えることを許すわ」

「……失礼します」

 こちらも少しだけ考えて、それから恐る恐る手を置く。

 色々と問題がありつつ発車した水瀬の運転は、超がつくほどの安全運転だった。

 海辺の街で道は曲がりくねっている。そこまで速度を出す場所がないのもあるだろう。

 到着した場所は、町の北側の、広い砂浜だ。晴れた空に、水平線まで続く海が清々しい。

 それはそれとして、

「ちょっと、休ませて貰って、いいか……?」

 駐車場の片隅で、俺は手すりに身を預けていた。降りると同時に、全身に疲労感が重りのようにのし掛かってきた。どちらかといえば精神的なものかもしれない。心臓がバクバクと鳴っている。ジェットコースターが優しい乗り物だと初めて思わされた。こんなものにいつも乗っていて動じた様子もない水瀬に、こっそり畏敬を向けてしまう。

 一方で、バイクに乗ることへの楽しさが、ほんの少しだけど分かったのも、また事実。海風を浴びること、横目に海が広がっていく光景を、肌で感じた。

「意外と人、少ないわね」

 砂浜の海岸だから、見通しがいい。浜辺には、家族連れがまばらにいるくらいになる。

「大半の観光客は、三浦の方に行くからな……わざわざこっちまで来ないだろ」

「そういうものなの?」

「そういうものなの」

 自然は豊かだけど、他の都心とかからのアクセスがいいわけでもない。むしろ悪いくらいだ。目立った名所があるわけでもない。同じ横須賀でも、東と西側では栄え具合は雲泥の差だ。

「この辺に来るのは小中学生くらいだな。でもこの時期はクラゲがうようよ出てくるし……水瀬も、ビニールみたいなのがあったら気を付けろよ」

 地元民としての忠告をして、それからどうにか気力を取り戻すことができてから、

「悪い、待たせた。じゃあ……探すか」

 果てしない砂浜を前にして、とりあえず一歩進む。靴に砂が入らないよう、心なし慎重に。

 潮風を身体一杯に浴びる。慣れ親しんだその香りに、気分が少しだけ上向く。

 ただ、肝心の水瀬が、一向にこちらに来ない。

「もしかして、遠くで俺が必死に探すのを見物する係だったりするのか?」

「……そういうつもりじゃ、ないのだけど」

「じゃあ行こうぜ。これ一人で探すの、キツいぞこれ」

 バイクに乗るために、ジャケットなんて羽織っている。プロテクターは外しているとはいえ、海水浴客の横で大仰に服を着ている男が一人で歩き回るのはちょっと怪しい、気がする。

 水瀬はいまだこちらに来ない。怖いものなんてなさそうな水瀬が、まるで砂浜を恐れているみたいな素振り。

 なんていうのは、俺の勝手な想像だ。

「……行かないなら、先に行くぞ」

「ま、待ちなさいよ」

 面倒になって進もうとした俺は、勢いよく呼び止められる。反射的に止まる。止まった俺に、水瀬は勢いよく飛び込んできていた。

「ちょ、うおっ」

 ほとんどタックルみたいな不意打ちを、倒れることなく受け止められたのは運が良かったとしか思えない。たたらを踏みながら、どうにか倒れずに済んだ。

 咄嗟に掴んだ水瀬の腕は、ジャケット越しとはいえだいぶ細い。俺より少し背の低い水瀬が、間近で俺を見上げてくる。こんなに近くで水瀬を見るのは、初めてだ。それも、こんな真正面から。教室でだって直視してもいない。せいぜいが横顔程度。ファミレスで脅されていたときは、それどころではなかったからノーカウント。

 先入観とは恐ろしきかな。先の邪推のせいで、普段より儚げに見えてしまう。表情はいつもと変わらない仏頂面なのに。

 俺が硬直していれば、水瀬の小さな口が開く。

「鳩羽くん、受け止めてくれたのは嬉しいのだけど、そろそろ離してもらってもいいかしら」

「わ、悪い」

 言われて、慌てて掴んでいた手を離す。危ない、惑わされるとことだった。再度、水瀬を見てもなんとも思わない。単なる美人としか思わない。何の問題ない。

「調子悪いなら、また日を改めるか?」

「……気にしないで。ちょっと、転んだだけだから」

 本人がそう言うのであれば、俺からは何もない。大人しく、進んでいく。進む方向がこちらでいいのかと思ったが、水瀬は、何も言わない。ないならないでいい。好意的解釈をする。

 ぼんやりと海の向こうを見た。夏の残り香みたいな入道雲が、遠くに浮かんでいる。俺には関係のないものだ。水平線が見える。その向こう側は、俺には関係のないものだ。

 関係のないものだからこそ、無性に意識が向いてしまう。今歩いているこの場所よりもいくらかは。気まずいこの場から意識を離す、単なる現実逃避だった。

「鳩羽くんは、昔からここに住んでるの?」

 問われて、意識が自分の場所に戻る。かけられた言葉を飲み干すことなく振り返れば、こちらを向いている水瀬と目が合った。聞き間違いではないらしい。一拍おいて、問いを飲み込むことができる。自分のことについて問われるとは、思ってもみなかった。

「まあ、一応」

「地元の人なら、この辺も詳しいでしょ。案内、お願いね」

「……詳しいつっても、しばらくこういう所には来てないから、期待しないでくれよ」

 小学生の頃は、街を駆け回っていた。坂道の一つや二つ、平気で自転車で駆け抜けていた。それも、昔の話だ。今はそれほど無邪気にはなれない。家に閉じこもり、ゲーム三昧の日々を送る自堕落学生。当時の記憶もあやふやで、当てになるかはわからない。

 ふと、俺は海の近くに歩を進めた。波が寄せては引いていく、その間近。

 水瀬は、近づかない。その場から動かない。長い髪を靡かせて、こちらを見ている。

 いままで俺は、水瀬を静止画として認識していた。教室の華。たまに視界に入る、美しいもの。彫刻の美に対して、畏敬はあっても恋慕は抱くはずもない。ただ、動いて話す姿を間近で見ていれば、流石に人間味も感じている。

 水瀬は、たぶん、海が苦手なのだ。

 自分の妹を飲み込んだものだ。近づくことが、恐ろしいのは当然ともいえる。

 どうにもちぐはぐだった。人を使うにしても、俺なんかを頼る。探すにしても、五年も前だというのだ。その間はどうしていたのか。

 加えて言うのなら、こんな場所に来る理由なんてないのだ。ここには人なんて流れ着いているようには見えない。住宅地からも近いから、何かあっても、通りすがりの誰かが見つけてくれる。たとえ流れ着いたものが生きていようと、死んでいようと。

 俺はそれらの問いを飲み込む。今日やることはこの砂浜で探すことに変わりはない。視界を遮るものも殆どないから焦る必要もない。努力の必要性も、工夫の余地すらない。

「ねえ、鳩羽くんはどうして万引きしてたの? 常習犯? こう、手が疼いちゃった感じなのかしら」

 水瀬は尋ねてくる。こんな外で話すことかよ、と思ったものの、近くに人が居るわけでもない。潮風が、他の人に入る前にかき消してくれると信じたい。

「違う……というか、たぶん初めてだよ。俺が万引きしてたのも、動画見て初めて知った」

 思ったままに返せば、水瀬は目を丸くして、瞬かせる。

「あの、もしそれが本当なら、かなり疼いてると思うのだけど……」

「いや、疼いてないから。ほんとに」

 本当に、心当たりはないのだ。謂れのない犯罪者扱いは堪えるものがある。

「まあでも……もし理由があるなら、魔が差したのかもな」

 俺に盗んだ覚えはない。それでも勝手に手が動いたのは事実だ。当たった程度ではなく、掴んで、無意識にポケットに隠す。そこにはきっと、理由があって然るべきだ。

 憶測で理由を後付けするのなら、将来の不安だとか、非日常を求めて、だとか。そんなところだろうか。それくらいなら、俺にも持ち合わせがある。

 俺じゃなくても、きっと誰でも持っているような特別ではないものだ。

「というか、逆に水瀬はなんで撮ってたんだ? それこそ変だろ」

 仮に俺が万引き常習犯なら、狙って撮れることもある。けれど、あれは俺の手と頭が恒常的におかしくなければ、一度限りの偶然だ。それをカメラに収めたなんて、奇跡にも程がある。

「なら私も、魔が差したってことにしておいて」

「……言うつもりがないなら、別にいいけど」

「そういうわけではないのだけど」

 別に、動画撮影趣味の一つや二つあっても驚かない。既に死んだはずの妹を探す、なんて特大級の驚きを提供された後だ。これ以上、困惑のしようもない。

「それと、もう一つだけ、お願いがあるの」

「……あんまり無茶振りするのはやめてくれよ」

「無茶振りなんて、してないわよ……もし、妹を見つけたら、私よりも先に確認してってだけ」

 それこそどうしてだ、と反射的に返しそうになるのをすんでの所で留まる。

 もし万が一、奇跡でも起きて仮に見つかったとして、関係のない俺が駆け寄るのもおかしい話だろう。異常なことを、常識的に考えるとするのなら。

 水瀬は口をつぐんだまま俺を見る。

 視線には、どこか縋るようなものを感じた。

 きっと気のせいだ。

 別に、水瀬のことを詳しく知りたいわけでもない。興味は湧いても、深く踏み込む覚悟なんてない。知りたいということは、自分のことも相手に知られるということだ。好き好んで自分を明かせるほど、面白いものの持ち合わせもない。

 対処法は、消極的な無関心。

 やることは決まっている。深追いの必要もない。そして話したくないのなら、つまりこちらが折れるほかないわけで。

「わかったよ。俺が見る。それでいいか?」

「ありがと。約束よ」

「……じゃあ、俺からもひとつだけいいか?」

 前置きして、思っていたことを言ってやる。

「妹を探すなら、人がいるような場所じゃなくって、もっと少ない入り組んだ場所に足を運ぶべきじゃないか? どうせこんな街の近くなんて、いくらでも見つけてくれるだろ。それなら人が来ない場所を探すべきじゃないのか?」

「……確かにそうかも、考えておくわ」

 すんなりと、水瀬は俺の発言に納得した様子。それがあまりに殊勝な態度で、調子が狂う。

 いくつかの言葉を交わしながら、砂浜を日が傾くまで探す。

 勿論、収穫があるはずもない。何も見つからなかった。

 あるとするなら、水瀬の事を少し知ったくらいか。

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