02.

 梅鶴おじさまはあたしたちを龍神庵へと連れて行った。

 関係者一同をそこへ集め、あたしたちに説明させるとのことだった。


 途中、弁天楼でお婆さまに声をかけた。

 あたしと紫乃の姿を見たお婆さまは「おかえりなさい」と笑顔を見せた。


「上で数之進が寝ているからね、起こしたら一緒に行くよ」


 中津宮には人混みができていた。


「参宮橋に流れ星が落ちたって」

「いや、あれは天狗さまだよ」

「今は中津宮にいるってよ」

「え、じゃあもしかして岩本坊さま?」

「いや、そのお弟子さんだとよ」

 と、島の人々が騒いでいた。


 人混みの外では文枝がひょこひょこと跳びはねて中津宮を覗こうとしていた。

 梅鶴おじさまは「うちの千里を見かけたら伝言を頼む。後で龍神庵に来るようにと伝えてくれ」と文枝に言伝を頼んだ。


 龍神庵にあたしたちが着いてから三十分後になって、ようやく一同が会した。

 寝起きの数之進は身なりこそ整えているが目が据わっている。

 薬房から連れ出された白金兄さまはひげぼうぼうで髪はぼさぼさだった。

「これは何の騒ぎかな。わたしは忙しいのだが」と辺りを見回すが誰も答えない。


 白金兄さまの隣に金子姉さま、あたし、紫乃、お婆さま、千里おばさま、梅鶴おじさまと並んで居間のちゃぶ台を囲んだ。


 まずは梅鶴おじさまが集まってもらった経緯を簡単に説明した。

 昨日から姿の見えなかった紫乃と銀子だが、つい先ほど二柱の天狗さまに連れられて島に帰ってきた。

 天狗さま方は、信濃の飯綱さまと、高尾山の慈風坊さまと名乗っていた、と。


「肝心なのは慈風坊さまのお言葉だ。慈風坊さまは、江ノ島に来たのは『万象丹』を見るためだと仰っていた。紫乃、銀子。これがどういうことなのか、説明してもらおうか」


 隣同士に座ったあたしと紫乃は顔を見合わせた。

 どうにも話しにくいことばかりでいけない。

 そもそもの端緒は「三日程度では白金兄さまが霊薬の質を向上させられるとは思えなかった」ことである。

 それからあたしは龍神庵に伝わる『万象丹』の伝承を見つけ、

 その伝承を今に伝える歌を紫乃とお婆さまに伝えた。


 お婆さまから島の歴史や『万象丹』について教わったこと、錫杖をいただいたことなども説明の仕方に気をつけないと、お婆さまにけしかけられたように聞こえてしまう恐れがある。

 と考えを回しながら居並ぶ面々の顔を見渡していると、お婆さまと目が合った。


「お銀。今はおまえさんが龍神庵の名代だろう? だったら全部しっかり説明しなくちゃいけないよ」


 お婆さまの『名代』という言葉に梅鶴おじさまが目を剥き、隣では「あらあら」と金子姉さまが不穏な呟きを発した。


 肝心の白金兄さまは「はて」と首を傾げている。

 一昨日の大黒審判で『店のことは一切任せる』と言ったことなどとうに忘れているに違いない。

 元より深く考えての発言ではないだろう。

 ただあたしが言葉尻を捉えて利用しただけである。

 この後お説教が待っているのは疑う余地もない。


 ならばとあたしは覚悟を決め、洗いざらい一切を話すことに決めた。

 あたしの説明を聞いても、白金兄さまは怒ったりはしなかった。


 もちろん言葉は選んだが、その場にいた皆に伝わっていたはずだ。

 あたしが兄さまを信じきれなかったことは。

 それでも兄さまはいつも通り薄ぼんやりとした笑みを浮かべたまま、黙って聞いていた。


 説明の最後、あたしは一旦その場を辞し、自室にほっぽり出したままになっていた

 藁半紙を取ってきた。

 その藁半紙には龍神庵に伝わる霊薬の秘伝が記されている。


 紫乃によって漢字に直された和歌を、あたしはその場にいた皆に見せた。

 あたしはまだ一言も『店のことを一切お返しする』と兄さまに告げていない。

 誰が何と言おうと、今このとき、あたしは龍神庵の名代なのである。

 あたしは龍神庵の秘方を伝える歌について分かっていることを、紫乃の助けを借りながら説明した。


 ひととおり話が終わると、部屋には沈黙が落ちた。


「この歳になるとね」

 その沈黙を破ったのはお婆さまだった。


「物忘れが激しくなっていけないよ。どんなだっけかね、うちに伝わる歌は。口伝というのはこういうとき危ういよ。知る人間が少ないと、ちょいと忘れただけで失われっちまうんだからね。ほれ、梅鶴。紙に書いて見してごらん」


 おじさまは「うむむ」と唸って返した。

 千里おばさまが「あなた」と呼びかけると、「おまえは黙っていなさい」と珍しく有無を言わせぬような声を出した。


 しばらく唸った後、おじさまは白金兄さま、金子姉さま、そしてあたしと順繰りに顔を見渡し、それから観念したように肩の力をふっと抜いた。


「まさかわしの代でこうなるとはな」

 と呟くと、梅鶴おじさまは部屋の隅に置いてある文机の前に正座し、墨を擦った。


 おじさまの背中は大きく、筆の運びは力強かった。

 伝統を重ねた年月を筆にのせるように、一筆ごとに重々しく起こし、送り、収めていく。


「これが弁天楼に伝わる歌だ」


   よろつのかたちこれにあり


    うつせみは なへのうたかた めくるたま

         ひのふのみつと ゆくをかそふる


 おじさまが示した半紙には、龍神庵のそれによく似た歌が平仮名で書き連ねてあった。

 ちゃぶ台の上には、あたしだけでなく、紫乃と金子姉さま、それから数之進も身を乗り出した。

 あたしが見つめているのに気づいた数之進は「俺も初めて見る」と呟いた。

 白金兄さまは興味なさげに一瞥をくれただけで、相変わらず座布団に胡座をかいて腕を組んでいる。


「数之進、紫乃」

 梅鶴おじさまは懐手をしながら息子と娘を呼びつけた。


「この歌の意味が分かるか」


 顔を見合わせた数之進と紫乃は、二人して文机に向かい、弁天楼の歌と龍神庵のそれとを並べ、ああでもないこうでもないと言い合いながら筆を動かした。


 数分した頃にはその筆も止まった。


 数之進は一頻り唸った後、「白金殿、書庫を貸してくれ」と兄さまに頭を下げた。

 白金兄さまに「案内しておやり」と言いつけられたあたしは、数之進と紫乃を書庫に連れていった。

 書庫は昨日あたしが散らかしたときのままになっていた。

 二人は古語辞典やら漢和辞典やらの分厚い書物を広げては置いて、広げては置いてとしていったので、更に足の踏み場がなくなった。

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