08.

「……あった」


「ありましたの!」


「うん。味醂の製法のほうだけどね」


 味醂の製法の記述は、中程の頁にあった。

 特にぼやかすこともなく、平易な言葉で具体的に記されている。


 それを読み、あたしは気づいた。

 これ、駄目なやつだ。


 肝心な手順が抜けている。

 今までまるで気づかなかった。

 あたしも薬用酒のために金子姉さまから味醂をもらってはいたが、その仕込みに立ち合ったことはなかったのだ。

 文面で製法を読むことで初めて気づくことができた。


 紫乃は言っていた。

 弁天楼自家製の味醂はもっと塩気が強いと。


 味醂は、炊いたもち米に米麹を混ぜ、更に焼酎などを混ぜてから、最長で半年ほどかけて発酵させることででき上がる。

 アルコール分は十五パーセントほど。


 味醂は酒なのである。

 薬用酒にもなるくらいであるし、当然といえば当然だ。


 個人が家で作る場合には、発酵前の段階で二パーセントほどの塩を混ぜこんでおかなければならない。

 大量の塩分を加え、そのままでは人が飲めないようにすることで、初めて酒税法の対象から外れるのだ。


 弁天楼の自家製味醂は塩辛い。

 塩を加え不可飲処置を施しているからだ。


 龍神庵に代々伝わる味醂は塩気がない。

 不可飲処置を施していないからだ。


 つまり、今ここにある金子姉さまお手製の味醂は……。

 立派な密造酒である。


「ふ」


「どうしました?」


「ううん。ちょっとね」

 堪えきれず、ついつい笑ってしまった。


 分かれた製法のうち、元の製法から改められたのは、おそらく弁天楼の方だ。

 お酒についての知識は浅いため確かなことはいえないが、法律が施行されたか、改められたか、何れかの時期に対策を打ったのだろう。


 龍神庵の方は……深く考えなかったか、法律に無頓着だったか、どちらかだ。

 今現在、味醂を仕込んでいる金子姉さまは、これが密造酒であるとは夢にも思っていないだろうし、きっと母さまもそうだった。

 生前の印象を思い返すと、金子姉さまによく似た雰囲気だったような気がするし、千里おばさまやお婆さまも『金子は母親によく似ている』と折にふれて口にしている。


 まったく。

 母さまったら。

 せっかくなのだから、綺麗なだけの思い出を残して欲しいものだ。


 どうしてか、龍神庵の人間は皆、螺子が一本すっ飛んでいる。

 肝心なところで決まらないのだ。


 金子姉さまも。

 白金兄さまも。

 そして母さまも。


 傍から見ればあたしもそうなのだろうか。

 であるとしたらば、それは……こそばゆい。


 張っていた緊張の糸がふっと緩むのを感じる。

 怪訝そうな顔で紫乃がこちらを見ている。


 味醂のことは黙っておこう。

 まったく、肝心なところで決まらないのは血筋である。


 さて。

 気を取り直して先に進もう。


 あたしの記憶が確かならば、霊薬の秘方はこの近くに記述されているはずである。

 頁をめくる。


 あった。

 これだ。


 見た瞬間確信した。

 それまでの頁に比べると、著しく抽象的な記述である。


 何の気なしに頁を繰っているだけならば、首を傾げて見過ごすばかりだろう。

 端から求めていなければ、そうであるとは気づかない。


 間違いない。

 これが霊薬の調薬方だ。


  よろつのかたちこれにあり


   ちよりわき うみにそはふり そらへちる

         なへてこのよは のしのかよひち

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