07.

「さあ、参るぞ!」


 大黒さまが声を響かせると、後ろに控えていた稲羽が、さっと片手を挙げた。

 すると、それまで静かにしていたうさぎとねずみが再び歌舞音曲を奏でだし、紙吹雪を空に撒き始めた。


 数乃進の先導で大黒さまが歩みを進められると、うさぎとねずみの大名行列は辺りを音と色で埋め尽くしながらそれに続き、辺りの見物客たちもそれに続いていった。


 密度の下がった中津宮の境内を、風が吹き抜ける。


 境内には、あたしたち龍神庵の兄妹三人と、弁天楼のおじさま、おばさま、そして島の住人たちが幾人か残っている。

 おみやげ屋さん、食堂のおばちゃん、観光協会のお歴々と、今日の大黒審判がその生業の行く末に直結する人たちだ。


 大人たちの後ろに子どもたちの姿も見える。惣吉に文枝、島の悪餓鬼ども。

 あたしたちを励ませばよいのか、情けないと責めればよいのか、誰もが一様に曖昧な表情を浮かべている。


 と、白金兄さまが突然声をあげた。

「弁天さま。お口添え、まこと忝く存じます」


 しかし返事はなかった。

 もとより姿を見せず声だけをこの場に発していらした弁天さまのこと、既にこの場に耳を向けておられないのか、それともただ応えをされなかっただけなのか、それは誰にもわからない。


 白金兄さまがようやく立ち上がる。

 兄さまが勢いよく仰け反ると、濡れそぼったプラチナブロンドの長髪が跳ね上がり、そこから舞い散った水滴が、傾き始めた夕陽を受けて輝きながら円弧を描いた。


「金子、銀子」

 見得を切った白金兄さまは、普段どおりの浮き世離れした声であたしたちを呼んだ。


 泥まみれの羽織袴。

 茶色い水の滴る御髪。

 しかし浮かべているのはいつもと同じ妖精めいた笑顔。


「店のことは一切任せたよ。わたしは薬房にこもる。ネットゲームで大事なイベントがあるんだ」

 そう言い残して、白金兄さまは早々に歩きだした。


「兄さま! こんなときまでふざけないで、」

 怒りに駆られたあたしを制す、肩に置かれた優しい手。


 ふり返り見ると、手の主は千里おばさまだった。

 おばさまは背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見て宣った。


「銀子。男には意地がある。見て見ぬふりをするのが女の器量だよ」


 そう言われては仕方がない。言いたいことをぐっと飲み込む。


「おい、弁天楼! 大丈夫なのか!」

 梅鶴おじさまへと詰め寄ったのは、江ノ島観光協会の長だ。


 白金兄さまがいなくなり、場の空気が動き出した。

 それまで観光客と同じく見物に徹していた島の住人たちが一斉におじさまを取り囲んだ。


「このまま龍神庵が免許をなくしたら」

「霊薬局は弁天楼だけでも」

「龍神庵の薬が売れなくなったら、うちの売り上げが」

「みやげ屋だけの問題じゃねえ。観光客だって減っちまわあ!」

「何とかならねえのか!」

「弁天楼! あんたが教えてやりゃあ、龍神庵だって三日後までにいっちょまえになれんじゃねえのか!」

「待て、待て! 霊薬というのはそもそも教わってすぐによくなるようなものでは、」

「じゃあ代わりにあんたが作りゃあいい!」

「それはできん!」


 積もりに積もった緊張と不満、そして不安がすべて梅鶴おじさまへと叩きつけられる。


「金子、銀子! おまえらからも頼め! 代わりに霊薬をつくってくれって!」


 突如こちらへと向けられた矛先は、糸一本残すのみとなっていたあたしの堪忍袋の緒をいとも容易くぶち切った。


「黙って聞いてりゃこの野郎ども、」


 ばちん、と空気の弾ける音がした。

 境内という場に相応しい柏手の音で、あたしの啖呵は遮られた。


「そこまで! 大の大人がぎゃあぎゃあと情けない! 白金をご覧! 一人黙って捲土重来を期す男の背中にあんたら思うところはないのかい!」


 千里おばさまの一喝で、その場は静けさを取り戻した。


「さて、忙しくなるよ。まずは今夜の饗応、それから寝床だ! 人手はいくらあっても足りないよ!」


 集まっていたおじさんおばさんが顔を見合わせだした。


「……寝床、岩本院だけで足りると思うかい」

「今日土曜だぞ。本館の部屋なんか埋まってるに決まってらあ」

「じゃあ別館を使っちゃあどうだい」

「あっちは日帰り温泉だぞ」

「休憩所を片付けりゃ床くらい敷けるわよ」

「しても布団が足りねえ」

「公民館に災害対策のがあるはずだ」

「明日の食事も大変よ! 食材足りるわけないじゃない!」

「おい、誰か網元に連絡! 明日の水揚げ全部押さえろ!」

「腰越と片瀬だけじゃ夕の宴会までもたねえぞ!」

「近場の漁港片っ端から声かけろ! 小坪、真名瀬に茅ヶ崎もだ!」


 すべきことを思い出した大人たちが三々五々散っていく。


「わたしは岩元坊へ応援へ向かいます。あなた、この子たちのこと、頼みますわね」

 そう言い残し、千里おばさまも早足で境内から去っていった。


 乱れた羽織を直したおじさまが、泣いた子どもをあやしつけるような声であたしたちに言った。


「弁天楼に来なさい。これからの話をせねばなるまい」


「はい」

「……」

 金子姉さまは小さく頷いたが、あたしは手をぐっと握ったまま黙り込んだ。


「銀ちゃん?」


「あたし、帰る」


 こちらを見つめる金子姉さまの縹色の目に、あたしも真っ直ぐ目で訴えかけた。


「うん。わかった」

 姉さまはそれだけ言うと、「いいのか」と問い続ける梅鶴おじさまの背中を押して参道をくだっていった。


 大きく息を吸い、吐く。


 あたしの目には、泥にまみれた白金兄さまの姿が焼きついている。

 目の奥の心には、今日という日の屈辱が焼きついている。

 息を吸って吐くその度、ふいごに煽られた熾火が眩さを増すように、身の内で怒りが昂っていくのを感じる。


 このままでいられようか。


 駆けだす。

 草履が玉砂利を蹴散らす。

 帯が緩む。

 跳ねた水で振り袖の裾が汚れる。


 それがどうした!


「覚えてやがれ!」

 誰にともなく、むしろ自らに言い聞かせるように、あたしは島を見下ろす天へと叫んだ。

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