02.

 弁財天仲見世通りの雰囲気は、平生とはまるで違っていた。

 いつもならばあちらへこちらへと歩きまわっている観光客のみなみなさまが、今日は判を押したように揃って立ち止まって一方を眺めているし、おみやげ屋さんや食堂の店員さんたちも通りに繰り出しやっぱりこちらも遠くに目をやっている。

 みなが見ているのは江ノ島参宮橋のその向こう、本州のほうだ。


 仲見世通りを歩いているその間にも、音物花火がぽんぽんとあがる。


「おじさま! 数兄!」


 弁天楼の前には、梅鶴おじさまと数乃進、そして他の店員さんたちが立っていた。


「銀子か」


「ねえ。これって、もしかして」


「そうだ。大黒さまがいらした」

 緊張した面もちの数之進がうなずいた。

「大黒審判だ」


「やっぱり!」


 参宮橋の向こうから風が吹いた。

 その風には、ぴいひゃらぽぽこんとなんだかおめでたい笛やら太鼓やらの音がのっている。


「……」

 辺りの人々は脳天気に騒いでいるというのに、おじさまは何も言わず、じっと橋のほうを見たまま腕を組んでいる。


 と、数之進があたしを店の中へと押しやった。

「三階にあがれ。紫乃たちもそこにいる」


 弁天楼三階の見晴らしのよさは折り紙つきである。

 高みの見物にはもってこい。

 早速あたしは弁天楼の奥に駆けこみ、わらじを脱ぎすて、階段を駆け登った。


 三階には八畳の和室がある。

 遠方からの来客が寝泊まりするための客間とされてはいるが、宿を営んでいるでもない弁天楼にそうそうひっきりなしに来客があるわけもなく、その日当たりと見晴らしのよさから日頃は家人のお布団やら洗濯物やらを干すのに使われている。


 三階和室、その窓際には弁天楼の女性陣が勢揃いしていた。


「げ」

 と呟いたのはもちろん紫乃である。

 学校の制服にふりふりレースのついたエプロンを身につけている。

 相変わらずのあざとさに胸やけを起こしそうだ。


「おや、銀子」

 芍薬もかくやとばかりに屹立と構えたるは、紫乃のお母さまにして弁天楼の女将、当麻千里である。

 昨日紫乃に雹のようなお説教をしていた姿を思い浮かべると、背筋に緊張が走る。

 千里おばさまは、今日も床に臥せっていたのか、寝間着の襦袢に肩掛けをはおっただけの姿でいる。


「お銀や、こっちへおいで」

 お婆さまが優しい声であたしを手招いた。

 薄紫の小紋を気負いなく身につけたお婆さまは、紫乃の祖母、梅鶴おじさまの母にして、今は亡き弁天楼先代の奥方である。

 招かれるままに近くに寄ると、白檀の香りがふわりと鼻に届いた。


 紫乃と並んで窓から身を乗りだすと、参宮橋を埋め尽くす色とりどりの行列が島へとやってくるのが見えた。

 赤、青、黄色と七色の煙がひこうき雲のように橋の周りに円を描いている。


 その煙の向こうから、大勢の人かげがこちらへと練り歩いてくる。

 行列の真ん中あたりで真紅の大傘がゆらりゆらりと揺れている。

 時折その大傘の下からきんきらきんの神輿がのぞいて見える。


「ねえ、あの神輿!」


「そう。大黒さまだよ」

 お婆さまが教えてくれた。


「おまえたち、もしかして前回のご来訪、覚えていないのかい?」


「うん。なんとなくしか」


「わたくしも、はっきりとは……」


「お義母さま、五年前といえば、まだ二人とも小学校へ上がる前ですから」

 千里おばさまがありし日を思うような遠い声音で言い添えた。


「そうだったねえ。いいかい、二人とも。今度はしっかり覚えておくんだよ。さて、そろそろお着替えしないとね」


「お着替え?」


「そうだよ。今日は晴れの日だからね」

 そう言ってお婆さまはあたしと紫乃の頭をなでた。

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