04.

「店がつぶれる!」


 自分の叫び声に驚いて跳ね起きた。


 ……ここはどこだ。

 雲は?

 お花畑は?

 龍神さまは?


「あ、起きたぞ! 起きた!」


「よかったぁ。よかったよぉ」


 見回すと、よく知った顔がいくつも並んでいた。


 食堂の旦那が「目え覚ましたぞ!」と周りの人に叫んでいる。

 おみやげ屋のお婆ちゃんは手のひらを合わせて拝んでいる。

 近所の悪がきどもが「銀子、すげー!」「龍神さま、かっけー!」とはしゃいでいる。


 辺りには丸みを帯びた岩が転がり、すぐそばには海が迫っている。

 反対側には岸壁がそびえ立っていて、崖の上には緑の草木が生えている。


 ここは稚児ヶ淵だ。

 江ノ島の海側に広がる岩場で、釣り人や観光客なんかで毎日賑わっているところである。


 そうか。

 あたし、助かったんだ。


「お銀、だいじょうぶか? おめえ、気い失ったまま幸せっそうな顔してると思ったら、急に『このろくでなし!』とか『また赤字!』とか言いだしやがって、しまいにゃ『店がつぶれる!』とかって」


「そんなことはいいよぉ。そんなことより、龍神さまさぁ。ありがたや、ありがたやぁ。ほら、あんたらも」


「ありがたやー、ありがたやー」

 お婆ちゃんに小突かれた悪がきどもは、大袈裟に手を合わせてから「ぎゃはは!」と笑った。


 皆の喧騒は措いて、あたしは自分の来し方を思い返した。

 確か、龍の腰かけで波にさらわれて、龍神さまのお背なに乗せていただいて……。


「あたし、どうなったの?」


「それだよ! お銀、すげぇんだよ! 雷が鳴ったと思ったら龍神さまが天へ舞いあがってよぉ、島中大騒ぎよ! それから雲を割って下りてきなすったと思ったら、背中におめえが乗っかってるじゃねえか!」


「銀子、すげー!」


 そうだ。

 雲の上から急降下して、そこで気を失ったのだ。

 よく生きていたものだ。


「おーい!」

 野太い大声がした。


 人ごみをかき分けてこちらへ走ってきたのは網元と惣吉だった。

 二人とも、髪の毛から足元までずぶ濡れだ。


「お銀! 生きてるか!」


「当たり前よ!」

 何でもないというように手を広げて振ってみせる。


「あー、よかった」

 惣吉は大きく息を吐き、力なく座りこんだ。


「波にさらわれるのを見たときにはどうなることかと思ったわ。お銀が頑丈でよかったぜ!」

 網元は大きく息を吐いてから豪快に「がはは!」と笑った。


「ご覧の通り、ぴんぴんしてるわよ」

 あたしは立ち上がり、その場で跳びはねて見せた。


 すると、あたしの絣半纏から何かがすべり落ち、足元の岩に落ちたそれはかつんと高い音を立てた。

 拾ってみると……。


「やった!」


「何だそれ?」

 惣吉があたしの手元を覗きこんで首を傾げた。


「龍神さまの鱗よ!」

 これこそが、あたしの探し求めていた当たりである。


 あたしの手のひらよりも大きい、深い藍色のうろこ。

 海を凝縮したような色合いから『海の結晶』とも呼ばれる。

 これを砕いて粉末にすると、どんな病気にでも効く万能薬になる。

 龍神庵の名物『龍鱗散』とは他でもないこの鱗を砕いた粉末のことである。

 この鱗一枚で『龍鱗散』を五包はつくることができる。


「ぐふふ」


 おっといけない。

 思わず笑みがこぼれてしまった。


 五包全てが売れれば一ヶ月は楽に生活できるとあってはそれも致し方あるまい。

 愛おしみをこめて鱗を撫で回していると、その裏側に引っかかる感触があった。


「……まさか、これは」


 己の跳ね上がる心拍を耳に聞きながら、あたしは鱗を引っくり返した。


「あった!」


 茶色い土のような塊がこびりついている。

 人差し指と親指とでつくった輪に収まるくらいの大きさである。


「何だこれー。うんこー?」


「お馬鹿! 違うわよ!」


「わーい、うんこだー!」


 悪がきどもが囃し立てるのを無視して、あたしは拾った小石で、その塊を鱗から刮げ落とした。


「誰か、お水持ってない? 真水ね、真水!」


「これでいいかい?」


「うん。ありがとう!」


 食堂のおばちゃんがくれたペットボトルを受け取り、表面が平らになった石に真水をかけた。


「おや、飲むんじゃないのかい? もったいない」


「まあ、ちょっと見てて」


 平らな石の上に茶色の塊を置き、真水をかけながらもう一つの石で丁寧に擦る。

 すると、次第に茶色い欠片がぽろぽろと水に流れていき、中から虹色の玉が姿を現した。


「これこそが龍涎香よ!」


 あたしが虹色のそれを高く掲げると、「おお!」と人込みから歓声があがった。


 精々驚くがいいわ。

 これこそが幻の薬種、龍涎香。

 これ以上はない大金星である。


 余りの稀少さ故、どうした経緯で龍神さまの鱗に付着するのかも分かっていないものだ。

 龍神さまが鱗をつくろったときの唾液がかたまったものとか、海の中を漂う死者の魂が凝縮したものともいわれている。


 江ノ島の伝承にはこうある。

 死者の魂は海に還り、そこで龍神さまのご加護の許、渾然一体となる。

 安らげられた死者の魂は、龍神さまに連れられて空へと上っていく。

 先ほどの龍神さまも、空へと魂をお連れしていたのかもしれない。


 この龍涎香は、人間の薬にはならない。

 神様の薬である霊薬『朔龍湯』の素材になるのだ。


 と、急に人込みの後ろから小さなざわめきが生まれた。


「龍神庵が来たぞ」

「道、開けてやれ」


 人のかたまりが二つに分かれ、道ができた。


 現れたのは世にも美しい男女だった。

 朝日に透きとおるようなプラチナブロンドの細い髪の毛をまっすぐ背中に伸ばしたエルフのような男の人。

 精錬した純金でできているような金髪をゆるく編みこんでいるビスクドールのような女の人。


 他でもない、あたしの兄と姉である。

 黒髪くせっ毛おしょうゆ顔のあたしとは似ても似つかないが、これで本当に血のつながった兄妹だ。


「銀子、怪我はないかい?」


 エルフがバイオリンのような声であたしを呼んだ。

 兄の白金である。

 弱冠二十歳にして龍神庵の現当主。

 通称『ろくでなしの白金』。

 一日二十四時間のうち二十時間はネットゲームをしている。

 今も右手にマウス、左手にキーボードを抱えている。


「銀ちゃん、今日も早起きね」


 ビスクドールがフルートのような声であたしを呼んだ。

 姉の金子である。

 現在十五歳であるが、高校には通っていない。

 通称『夢見の金子』。

 一日二十四時間のうち半分は寝ている。残りの半分は起きながら夢を見ている。

 今も右手に目覚まし時計、左手に枕を抱えている。


 この現を忘れた幻想世界の住人たちが、あたしの兄と姉である。


「兄さま、姉さま! ほら、見てこれ!」


「おお」

「あらあら」


 虹色に輝く龍涎香を見せると、兄さまも姉さまも、流石にこのときばかりは感心した素振りを見せた。


 二人は表情の動きが少ない方であり、これでも大きな反応を示したといえる。


「どう、すごいでしょう!」


「うんうん。銀子はすごいなあ」

「ええ。これは、ご褒美をあげないといけませんね」


 得意になりながら二人の浮き世離れした笑顔を見ていたあたしは、ふと気づいた。


 この笑い方は、もしかして。

 怒っていらっしゃる?


「銀ちゃん。お出かけ禁止、一ヶ月ー」


 硬直したあたしの手から、虹色の薬種が滑り落ちた。

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