ポエム、あるいはお経

 その後も何度か休憩を繰り返しつつ、私はアレクシスの「工房」へとたどりついた。

 壮麗なお屋敷だった。大きな石の門を抜けると、綺麗に刈られた芝生の向こうに、白い石造りの広大な建物があった。玄関へ向けて、同じ白い石で舗装された広い道が伸びている。街中と違って、手押し車も引っかからなさそうな平らな歩道だった。

 まさかこれ全部工房……? と思いかけた私の前で、アレクシスは道を右に曲がった。細い分かれ道の先に、お屋敷に比べたらずいぶん小さい、けれどさっきのゴミ集積所の半分くらいの大きさはありそうな、こじんまりとした建物があった。工房はこっちらしい。

 豪勢なお屋敷の近くだから小さく見えるけれど、東京近郊のよくある建売一軒家くらいの大きさはある。この弱気男子、ひょっとしなくても相当いい所のお坊ちゃんじゃないだろうか?

 玄関を入ると、すぐ実験室らしき大部屋になっていた。中央に置かれた机には、傷やシミがそこかしこにあるけれど、地の木材は木目がくっきり見えて上等そうだ。棚や椅子も、飾り気こそないけれど形は優美だし、カーテンにも細かな刺繍が見える。どれひとつとっても、東京に持って帰ったら上等なアンティークとして通用しそうだ。

 どこを見てもお金がかかっていそうな工房の真ん中に、アレクシスは持ってきた人形を降ろした。私も、自分が持っていた分を横に並べる。人形の薄汚れた白い肌は、豪華な設備の中で少し浮いていた。


「それで、フミカ。僕たちは、まず何から始めればいい?」


 アレクシスの声が、私を現実に引き戻す。

 そうだ、部屋に気を取られている場合じゃあない。私の仕事は、この人形を「使える」ものにすること。


「そうだね、まずは、魔導人形を実際に動かしてるプログラム――『呪式』だっけ? それのサンプルが欲しいな。命令セットの仕様書があればそれも」


 これがコンピューターなら、新しいプログラミング言語の勉強にはまずチュートリアルから入る。だいたいどの言語でも、「この手順をなぞれば、ひととおり基礎がわかります」という初心者用チュートリアルが用意されているものだ。けれどこの世界に、そんな親切なものはありそうにない。

 だとすれば、次善の策は「動いているプログラムを一文ずつ解析してみる」ことだ。書かれた行の意味を一行ずつ丁寧に追っていくことで、動きを把握するのだ。


「命令セットの仕様というのは、存在してないなあ……先代の研究者から伝わってきた呪式を、僕たちは引き継いで使ってるから。先代はさらにその先代から……何代にもわたって受け継がれてきた、伝統ある文言を組み合わせて使っているんだ」


 ……少しばかり、嫌な予感がしてきた。


「えっと、じゃあ動くサンプルだけでいいから。とりあえず適当なの見せてくれないかな」


 アレクシスは例のヘラで、魔導人形の後頭部をこじ開けた。そして、厚手の高級そうな紙――というより皮に近いものだ、羊皮紙というやつだろうか――を一巻き、取り出して私に渡してくれた。

 開いてみて、言葉を失った。

 巻物に書かれていた言葉の意味は、話し言葉同様なぜか理解できたけれど……冒頭の文言は、こんなふうに始まっていた。



『父なる天神よ、母なる地神よ、子なる太陽よ、娘なる月よ。現世うつしよにおいて神性を宿せし、あらゆる者らよ。我ら、卑小なる土塊つちくれの子を祝福したまえ。偉大なる父母の零せし、涙の滴の一粒とて、我ら逃すことはなし。黄金の皿と白銀の杯にて、必ずや受け止めん。父よ、母よ、子よ、娘よ、我らを哀れみたまえ。哀れみたまえ――』



 なんだこれ。ポエムか?

 冒頭二十行ほどを何度か読み返してみたけれど、これのどこが魔導人形を動かしている「命令」なのか、さっぱり理解できない。

 仕方がないので少し飛ばして、真ん中あたりを読んでみる。



『――降り来たる翡翠ひすいの光、つがいなる鴛鴦おしどりを包む。宿せし恵みは紅き卵なり。卵あらば、雛鳥は孵らん。巣立ちは若木の頃なり。雛鳥の羽搏はばたきし時、驟雨しゅううの去りし空は虹にて新客を迎えん――』



 やっぱり、中二病が入ったポエムにしか見えない。

 末尾を読んでみる。



『――父なる天神よ、母なる地神よ、子なる太陽よ、娘なる月よ。現世うつしよにおいて神性を宿せし、あらゆる者らよ。我ら、卑小なる土塊つちくれの子、賜りし全ての恵みに感謝するものなり。高木を焚き、犠牲を捧げ、昼夜を分かたず楽の音を捧げん。返しても返しきれぬは神霊の大恩なり。大いなる愛を心胆に刻み、我ら、暮色の帳に眠るものなり』



 最後まで自己陶酔的なポエムだった。

 ……どうするんだ自分。これ、どうやって解読する気だ。「魔導人形を役に立つ存在にする」って大見得切っておいて、初手から既に詰んでるぞ?


「どう、何か分かった?」


 目を輝かせながら、アレクシスが訊いてくる。

 現状、分かったのは「さっぱり訳が分からない」ということだけだ。到底、素直に依頼主に伝えられる内容じゃあない。

 だが、伝えないわけにもいかない。都合の悪い事実を隠すと、後になればなるほど傷は広がる。SEとしての七年の日々で、痛いほど思い知った経験則だ。仕様書の不備、クライアントとの認識のずれ、工期の遅れ……隠して放置すれば、時限爆弾となって後々大爆発する。有効な対策はただひとつ、見つけ次第すぐに爆発物を処理することだけだ。

 とはいえ、爆弾処理にもうまいへたはある。不都合な事実を、極力ダメージ少なく知らせる伝達力も、SEの大事な力量だ。


「んー、これ、すごい美文調で書いてあるんだね。命令文というよりは、経典の引用とか吟遊詩人の歌とかに見えるよ……ひょっとして、『呪式』って文才も要求されたりする?」


 こうも見事に「訳の分からない中二病ポエム」を言い換えた、自分の表現力に我ながら惚れる。

 ともあれ、聞いたアレクシスは軽く首を傾げた。


「それはそうだよ。天地の偉大なる精霊に祈りを捧げて助力を乞うための言葉だからね、世俗の言葉と同じにはならない……トナイの呪式は違うのかい?」

「あー……まあ私たちのプログラムも、書き言葉話し言葉とそっくり同じじゃないけども」


 どのプログラミング言語も――C言語もJavaもPHPも、英語ベースとはいえ英語そのままじゃない。これも、同じようなものだと割り切るしかないのだろうか。

 とはいえ、これだけ装飾過多な文言だと、どの言葉がどの魔導人形の動きと関連しているか、突き止めるのは相当骨が折れる。せめて各部分の要約ができればいいんだけども――と考えかけて、ふと気付いた。

 要約さえできればいいのなら、手はある。

 私はアレクシスの肩に手を置いた。


「アレクシス、この呪式、章ごとに区切ったりってできる? 要は、どの部分がどの動作に対応してるかってのが知りたいんだけど」

「それは無理だよ」


 即答だった。


「ひとつの文が、ひとつの動作に対応しているわけじゃないから……たとえばこの序文『父なる天神よ、母なる地神よ~』ってところ、基本的には魔導石から魔力を引き出すための呪式なんだけど、同時に魔力を機体に回す下準備にもなっててね。それで――」


 頭の奥の方が、ずっしり重くなってくるのを感じる。

 そうだよ、コンピューターのプログラミングでも、ぐちゃぐちゃに絡み合ったソースコードスパゲッティコードにはよくある話だったないか。ひとつの文にいくつもの副作用があって、一箇所直すと二、三箇所、ひどいときはもっと、予期しない所にバグが出るような。

 そんなソースコードにどうやって対応してたか。思い出せば、やるべきことはひとつしかなかった。


「ねえアレクシス。新しい紙と筆記用具、用意できるかな?」

「書写用の紙と羽ペンは、当然用意があるけど……まさか、一から書き直すのかい?」


 呪式の巻物に目を落としながら、アレクシスは目をしばたたかせた。

 無理もない、広げた巻物、長さは多分一メートルぐらいもある。その用紙の最初から最後まで、ぎっしり呪式の文言が書き込まれている。

 大丈夫、書き直しはしない。この長大な呪式を丸ごと修正するのは、流石に無理だ。


「書き直すんじゃなくて、抜き出すんだよ……最低限必要な所だけを。『起動』と『なにかひとつ、簡単な動作』。それだけをする、いちばん小さな呪式を作る」


 世にあふれるプログラム入門のほとんどすべてで、最初に載っているのは「Hello, World」のメッセージを表示する例文だ。

 一文を出力するだけのシンプルなプログラムから、すべては始まる。

 今回も、まずはそこから。絡まった糸をほぐして、一番単純な一本……一つの機能だけを残す。そこに、糸口はあるはずだ。


「アレクシス。魔導人形の、いちばん単純な動きって何?」

「……手の上げ下ろし、かな。足でもいいんだけど、片足立ちはバランスが崩れるから、手の方が考えることが少ないよ」

「よし」


 私は、呪式を抜かれて横たわる魔導人形を見た。マネキンのような身体はいくつものパーツに分かれていて、「手を上げる」だけでも関連するパーツは複数ありそうだ。けど、八年魔導研究をしていたらしいお坊ちゃんが「いちばん単純」と言うんだから、私としては信じるしかない。


「じゃあ、まずはそこからだね。『起動して手を上げる』までできたら、たぶん色々分かってくると思う。それには――」


 私は、呆気にとられた風のアレクシスの背を、ぽんぽんと叩いた。


「――あなたの協力が欠かせないから。頼りにしてるよ、魔導研究員様!」


 アレクシスは、よくわかっていない風だった。けれど瓶底眼鏡の下で、はにかんだような笑顔で答えてくれた。

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