第三章 夫の様子が変です②


*****



「これを……わたしにですか……?」


 マルグリットがぼうぜんと見つめる先には、ドレスに靴に、かみかざりやブローチなどのほうしょく品、しょう道具、そのほかありとあらゆるもの。

 そして、それらの前に立ち、ふんの形相で花束をかかえているルシアン。


(これはいったい、どういうことかしら……)


 じょうきょうを素直に受けとれば夫ルシアンから妻マルグリットへのおくりものの数々なのだが、赤い顔で眉を寄せくちびるを引きしめるルシアンの表情がそれを否定していた。

 不本意な出費をさせられて怒っているのだろうか。だとしたら申し訳ない。


「……嬉しくないのか?」


 低い声が部屋に落ちた。ルシアンはうなだれるように花束に顔をうずめてしまう。


「いえ、まさか! ありがとうございます。ルシアン様。とても嬉しく思います」


 マルグリットが笑顔を見せるとルシアンの表情がやわらいだ。水色や黄色の花々をかわいらしくまとめた花束は派手さはないがれんで、ルシアンの黒髪によくえた。

 どきん、とどうが鳴る。理由を考える前に花束がさしだされた。


「なら、受けとってほしい。これまでのびだ」


 花束の向こうに見えるのは、しんけんな表情のルシアン。まっすぐにマルグリットを見つめる深海色の瞳が、彼の望みを示しているような気がした。


(怒ってはいらっしゃらないのだわ)


 マルグリットの両手が花束を抱えるように受けとる。近づいたきょにまた鼓動がさわぐ。

 ルシアンがどこかほっとしたような顔をしているのはマルグリットの思いすごしだろうか。と、ルシアンは背後をふりむき、


「では始めろ」

「あっ!」


 ルシアンの声に使用人たちが品物を室内へ運び入れる。これまでのやりとりを見られていたのだと思うとずかしく、マルグリットは頰を染めてうつむいた。

 クローゼットに数えきれないほどのしょうめ込まれてゆく。


「待て」


 メイドを呼び止め、ルシアンは彼女の持っているドレスを検分した。


「これは肩が開きすぎている。だめだ。こんなにはだを見せるなんて……」


 たしかにだいたんなデザインのドレスだった。赤いをあしらったむなもとを強調するようにして、肩やうでしゅつも多い。地味なマルグリットには似合いそうにない。

 メイドはドレスを持って部屋を出ていく。

 様子を見ていたマルグリットと目があうと、ルシアンはばつの悪そうな顔になった。


「……選んだときは、いいと思ったんだ……君のりんとした立ち姿に似合うと」

「ルシアン様が選んでくださったのですか?」


 答えはない。ルシアンはぷいと横を向いてしまった。

 別のメイドはベルベットの敷かれた小箱にみみかざりを収めている。スカーフやショールにもしんじゅつぶの宝石がちりばめられていて、見ているだけで目がくらみそうだ。

 イサベラもこんなに多くの宝飾品は持っていなかった。酒を飲んだモーリスは、もとは同格のいえがらのくせにとくだを巻いていたけれど、公爵家となるだけの力がド・ブロイ家にはあったのだ、と今さらながらに知る。

 ドレスを検分し終わったルシアンが戻ってくる。


「明日からはたくをして食堂へ来るように。……いや、俺がむかえに来る」

「ありがとうございます。こんな、過分な待遇……」


 マルグリットは頭をさげた。


「過分ではない。当然の待遇だ。これまでが悪かった……申し訳ないと思っている」


 ルシアンの表情にかげりが落ちる。なんだか空気まで重くなったような気がして、マルグリットはあわてて手をった。


「お気になさらないでください。本当に感謝しております」

「そうか。……では」

「はい、また明日の朝に。お待ちしておりますね」


 ルシアンはふらふらとした足取りで部屋を出ていった。

 扉が閉まったあと、顔を赤くしたり青くしたりしながら歩く主人を使用人たちがけんめいに支えていたことを、マルグリットは知らない。



*****



 翌朝、いつもならばマルグリットをキッチンへ連れていくはずのアンナは、早めの時刻に部屋へ入ってきて、えを手伝った。

 終始しかめ面だったもののアンナのぎわはてきぱきとしていて、彼女がキッチン付きのメイドではなかったのだということを、マルグリットはそのとき初めて知った。


「わたし、ルシアン様のこと、あきらめませんから。いつか侍女頭になって、あなたより重宝されてみせます」


 キッとにらみつけられ、だがそのあいだも手はばやく動き、マルグリットを美しく仕立てあげようとふんとうする。今日のドレスはマルグリットのかみの色にもあううすい色合いのもの。派手になりすぎないようしんちょうくびかざりを選び、ショールを羽織らせる。

 アンナは仕事の手を抜いていない。そのうえで、正々堂々と勝負を宣言したのだ。


「うん!」

「だから、そんなだらしない顔を……」


 嬉しくて笑顔になると、あきれたようにため息をつかれた。最後に花をかたどった髪留めをまとめた髪にえられて、


「ほら、できました。もうルシアン様がいらっしゃいますよ」


 アンナのその言葉と同時に、ノックの音が届いた。

 部屋をおとずれたルシアンはマルグリットの姿に言葉を失ったようだ。


(アンナが髪も整えてくれたし、自分では思いのほか似合っていると思うのだけれど……やっぱり変なのかしら)


 不安げに見上げると、目があったしゅんかんにルシアンは眉を寄せ、顔をそむけてしまう。


(顔も見たくないほどきらわれているのかしら?)


 昨日は距離が近づいたような気がしたのに、やはりルシアンにとってマルグリットは敵の家の娘なのだろうか。そう考えると胸の内をらしがいたような気持ちになる。

 美しいドレスを身にまとったマルグリットをお気にさなかったのは、ユミラ夫人も同様だった。

 食堂に現れたマルグリットを見るなり、きゅっとまなじりがつりあがり、手にしたおうぎはテーブルに叩きつけられてかんだかい音を立てる。ルシアンが贈った中でもひかえめなドレスに最低限の飾りだけをつけたのだが、ひんそうな姿のマルグリットを見慣れていたユミラにはそれらは実際より一〇倍もごうに見えた。


「まあ、なんですのその派手でけばけばしい格好は! これみよがしに宝石をくっつけて、いやらしい……! 伯爵家はあなたにドレスの選び方も教えなかったの!!」


 あっと思ったときには遅かった。


「お義母様!」

「な、なによ……」


 これまで口答えをしたことのないマルグリットに呼びかけられ、ユミラ夫人は反射的に口をつぐむ。

 数秒の沈黙が支配した食堂に、


「それは……俺が選んだのです……」


 しょうぜんとしたルシアンの声が落ちると、さすがのユミラも黙らざるをえなかった。

 その朝、ルシアンはいつもよりのないように見え、マルグリットは嫁いできて初めて、針のむしろに座ったような気分で食事の時間をすごしたのだった。


 ユミラ夫人からこくひょうされた身なりについては、食事を終え、いっしょに席を立ったルシアンが、


「似合っている……と、俺は思う」


 と言ってくれたために、マルグリットの不安はなくなった。

 満面のみで「ありがとうございます!」と答えたらルシアンが苦いものを飲み込んだような顔になっていたのが気にかかるところだが、はげまそうとしてくれた気持ちを素直に受けとろうとマルグリットは決めた。

 着ているものがよごれてもよいドレスではなくなったので、手伝いをすることはもうできない、と謝ると、使用人たちはぶんぶんと首を振った。


「いえっ、もう妻にあんなことはさせるなと、ルシアン様からご命令ですのでっ」

「そうなのね」


 なにもかも初めてのことくしだ。

 生活が劇的に変わった理由は、マルグリットをどう扱うかというルシアンの方針が劇的に変わったからだというのはわかる。

 だが、方針が劇的に変わったのかは、あいかわらずわからないままだ。


(きっと、ルシアン様がとってもやさしいお方だからでしょうね)


 残念ながら、数年間にわたり人間関係がほうかいしていた実家のえいきょうで、適切な距離感というものがマルグリットにはあくできなかった。モーリスやイサベラに比べれば、ほとんどの人間は「とってもやさしい」。

 そんなわけで、ルシアンから示されたものがこうなのか好意なのかの区別は、マルグリットにはつかなかった。



*****



 数日後のド・ブロイこうしゃくていでは、ルシアンが、友人ニコラス・メレスンと向かいあっていた。

 ニコラスはメレスンこうしゃく家の長男であり、いずれ当主を継ぐ立場にある。ルシアンの同級でもあり、幼いころから王都に暮らしている彼らは親しい関係だった。

 先日の晩餐会にもニコラスは顔を見せている。


「ふたりで会うのは久しぶりだな、お前から呼ばれるとは思わなかった」


 ソファに背をしずめくつろぎながらニコラスは眉をあげて笑ってみせた。話したいことがあるという手紙を受けとったときは、驚いた、というのが半分、政敵の娘との慣れぬ結婚生活に苦労しているのだろうという推測が半分。

 そしてそれは当たっていた。ルシアンはわずかに頰を赤らめ、ぜんとした表情で腕を組んで、ニコラスと目をあわせようとしない。


(こんなルシアンは初めてだな)


 相当参っているらしい。どちらの意味にかはわからないが。


「ごにょごにょと世間話をしてもしょうがないだろう? さっさと用件を言えよ」


 えんりょのない口調でニコラスが言うと、ルシアンは目を泳がせた。


「ちょっと待っていてくれ」

「なんだ?」


 応接室のドアがノックされたのは、そのときだった。


「失礼いたします」


 静かにドアを開けて入ってきたのは、妻マルグリットと、数人のメイドである。メイドたちが軽食と飲み物の準備をして立ち去ると、マルグリットも一礼をした。

 空色と深青のコントラストの美しいドレスは、この日のためにという名目でルシアンがもう一着あつらえたのだが、もちろんニコラスには知るよしもない。

 頭をあげたマルグリットはにこりと笑った。

 ニコラスとのあいさつは晩餐会ですませてある。夫の友人に対し、妻が姿を見せ、もてなしをするというのは、なにも不自然ではない。実際マルグリットの態度はそつなく、ニコラスも身体を預けていたソファから立ちあがるとうやうやしくしゃくをした。


「お久しぶりでございます、ニコラス様」

「ええ、マルグリット様もお変わりなく……いえ、以前よりお美しくなられたかな」

「まあ、ニコラス様ったら」


 笑いあうふたりにルシアンが顔をしかめた。


「もういい」

「はい、失礼いたしました。ごゆっくりと、ニコラス様」


 げんさのわかる声を気にした様子もなく、マルグリットはふたたび優雅に礼をすると、部屋を出ていく。にこにことマルグリットを見送ったニコラスは、ソファに戻り、友人の顔つきにぎょっとした。

 ルシアンの周りの空気がどす黒い。皺の寄ったけんと細められた目がきょうあくなオーラを放つ。整った顔立ちが冷たい印象を与えるのはもとからとはいえ、だんの比ではない。

 王命による政略結婚にしては悪くない妻だと思ったが、ルシアンには納得がいかないのだろうか。


「どう思う」


 やがておもむろに口を開いたルシアンが、押し殺したような声で尋ねる。


「なにが?」

「彼女のことだ」

「どうって……派手さはないけど落ち着いていて、君にはぴったりじゃないか?」

「そうか」

「……え?」


 ニコラスはどうもくした。心なしかルシアンの頰が赤い。先ほどまでの殺気じみたきょうそうは消え、気まずそうに視線を逸らしている。妻を嫌っているわけではないらしい。

 こんなルシアンは初めてだ。二度目にそう思うに至り、ニコラスはおぼろげながら真実をつかみかけていた。


「王家からの命令でしぶしぶ結婚したんだろう?」

「そうだ」

「でも思ったよりはいい娘だ。こっちを嫌っているわけでもなさそうだし、あいもいい」

「そうだ」

「なんの問題もないじゃないか」

「ある」


 またどす黒い殺気が戻ってくる。


「実家で、さんな目にっていたらしい」

(……いや、それが君になんの関係があるんだ?)


 のどもとまで出かかった質問をころし、ニコラスは視線で話の続きをうながした。余計な茶々を入れてはいけないと直感が告げていた。

 マルグリットが実家での暮らしについて口をすべらせたあの日以降、ルシアンはマルグリットと話をする機会を持った。クラヴェル家での生活を根り葉掘り聞いてくるルシアンに、マルグリットは困った顔になっていたが、父や妹にド・ブロイ家よりもひどい嫌がらせを受けていたことだけは遠まわしに認めた。


「ルシアン様が結婚してくださらなかったら、わたしはこんのまま、妹の補佐として家にいたと思います」


 もとからモーリスはイサベラに婿むこをとり、とくを継がせる気だったという。ド・ブロイ家との結婚が決まり、断腸の思いで長女マルグリットをさしだしたわけではなかったのだ。

 マルグリットに執事の代わりをさせ、領地や家の管理を補佐させながら、イサベラの子どもたちが伯爵位を継いでゆく。モーリスが考えていたのはそんな未来だった。


(そんなもの、飼い殺しではないか)


 口をついて出かかった非難はあまりにもざんこくで、ルシアンは言葉を押し殺した。

 絶対に誰にも言わないようにお願いします、と口止めされたからニコラスにもしょうさいは明かさない。しかしルシアンの胸には今でもいきどおりがくすぶり、自分でも持て余している。

 最もルシアンをいらたせるのは、本人があっけらかんとしすぎていることだ。父や妹の非道な行いがしゅうぶんになるとは理解しながら、マルグリットはふくしゅう心を欠片かけらも持ちあわせていない。

 黙り込んだルシアンに、ニコラスは腕を組んでてんじょうあおいだ。


「はあ……なるほどなあ。深くは聞かんが、よほどひどい扱いを受けていたんだな」

「ずいぶんとものわかりがいいな」

「いや君の顔を見ればね……ごくものみたいな顔してるぞ。こわくて聞けないよ」

「望めばド・ブロイ家の総力を挙げてあの家を叩きつぶしてやるものを、あいつは望まないのだ」

「そりゃあ、まあ、王命にそむかせることになるからな」


 妻の不憫な過去にルシアンが怒りを感じているのはニコラスにもよくわかった。


(しかし、結局のところ、今日の用件はなんなんだ)


 まだ話が見えないと内心不思議がるニコラスの前で、ルシアンはまだむっつりと唇を引き結んでいる。しばらくしてじろりと睨むように視線をよこし、


「どうしたらいいと思う?」

「……なにが?」


 今日のルシアンはやはりおかしい、とニコラスは嘆息する。長年のかくしつのせいで、クラヴェル家に対するこうげき心がげきされてしまうのだろうか。

 利害関係のない部外者からすれば答えはいちもくりょうぜんだ。


「べつに復讐なんかせずに、君が奥さんを幸せにしてやればいいだけの話だろう」


 まっとうなことを言ったつもりだったのに、ルシアンの表情はまた険しくなった。


「……もう、十分に幸せだと言うのだ」

「ただの惚気のろけじゃないか」

「幸せなわけがあるか。わが家でも母からひどい扱いを受けている。なのに心底嬉しそうに俺を見るのだ」

「……それはたしかに、もどかしいな」


 ニコラスも腕を組んでうなずいた。幸せに気づかないというのも悲しいものだが、不幸せに気づかないのもはたから見れば切ない。


「好きな相手ならなおさらだな」

「……は……?」


 瞬間、空気が止まった。

 ルシアンが目を見開いてニコラスを見る。

 遅れて、今日さんざん感じていたかんの正体にニコラスは気づいたが、もはやどうすることもできず。

 諦めと呆れの境地に達した彼は、ソファに身を沈め、友人が現実を受け入れるのを眺めていた。

 きょうがくの表情のまま固まってしまったルシアンの顔が、徐々に赤く染まっていく。同時にまゆが深く寄り、唇もゆがんでいったため、見ようによっては憤怒の形相である。

 おそらく彼の脳裏にはこれまでのことが目まぐるしくよぎっていることだろう。


(だから話が嚙みあわなかったのか)


 まさか自分のこいごころを自覚していなかったとは。

 ルシアンはまだフリーズしている。


(そういえば昔から色事にはとことんうといやつだった)


 幼いころからしゅうれいな見た目は数々の令嬢を引き寄せたが、実利を求める本人の性格と、教育というよりはかんのような母ユミラのもあり、ニコラスもあえて女遊びに誘ってやろうとは考えなかった。

 マルグリットのような令嬢が似合いだと考えたのは当たりだったわけだが、


(素直にイチャつけるとも思えんなあ……)


 菓子と紅茶にしたつづみを打ちつつ待っていると、古村に伝わるけの置物のような顔をしていたルシアンがやっと口を開いた。


「俺は……」

「うん、なんだ」

「……お前を愛するつもりはないと、言ってしまった」

「それはまた……」


 なんといっても長年の政敵である。先手を打って相手の鼻っ柱をへし折ってやろうと考えた気持ちはわからなくもない。それにしても馬鹿なことをしたものだと呆れながら、彼女ならそれも許してくれそうだとも思う。


「彼女はなんて言ったんだ」

「〝わたしもあなたを愛する気はありませんので、どうぞご心配なく〟」


 ニコラスの問いに答え、ルシアンは一言一句たがえずに答えを告げる。

 その瞬間、せいだいきだされた紅茶がルシアンの顔面をおそった。

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