第7話:新たな協力者


「うーん……ハッ!?」


 目を覚ました、レヴが勢いよく起き上がった。


 すぐに状況を確認すると、どうやら制服姿のまま部屋の中にあったベッドに寝かされていたようだ。

 慌ててレヴが反対側の壁にあるベッドを見ると、そこでパジャマ姿のライラがスヤスヤと寝息を立ている。


「ああ、良かった……あれは夢だっ――」


 しかしそのレヴの言葉が途切れた。


「やっと起きたかね? ぜっかくの初日の夜を寝て過ごすのはもったいないぞ!」

「ぎゃあああああ!」


 床どころかベッドを通り抜けてきた半透明の少女――ミオがレヴの目の前に現れた。レヴが悲鳴を上げながら太もものホルスターから、ナイフを抜く。


 しかしその手はぷるぷると震えていた。


「おいおい、ナイフなんて私には効かないぞ。というか君、噂で聞いていたより、ずっと……興味深いね」

「これは夢これは夢これは夢これは夢……おばけなんていない、幽霊なんていない!」


 涙目でそう呪文のように呟くレヴを見て、ミオが楽しそうな様子で手を彼へと伸ばす。


「ひいいいい!」

「ふふふ、そうやって怖がってくれるのが私の生きがいなんだよ」

「悪霊退散! 悪霊退散!」


 レヴがブンブンとナイフをメチャクチャに振り回した。その動きは、訓練された暗殺者のものとは思えないほど、稚拙だ。


 そう。レヴは昔から、幽霊やおばけと言った存在が大の苦手だった。

 理由はシンプルであり――〝人やバケモノなら殺せるけど、幽霊は殺せないから〟、というものだった。


「誰が悪霊だ。私をおばけとか幽霊とかそういう曖昧で非論理的な存在と一緒にしないでくれ」

「じゃあ、なんなんだよ!」


 そう聞いたレヴへと、ミオが待ってましたとばかりに嬉しそうな笑みを浮かべた。


「よくぞ聞いてくれた! 驚くがいい! この姿はエーテル体と呼ばれる、高次元の姿なのだ! エーテルを記憶媒体として使う技術を私が独学で発展させ、ついに魂と知識の情報化およびエーテル体へと変換が可能となったのだ! つまり、私は魔女という低次元の存在から、次の次元へと踏み出したのさ! 多少身体が透明になったり、怖がられたりするデメリットはあるが、まあ些事だね!」

「……つまり、おばけじゃない?」

「違うと言っているだろ」


 不服そうなミオの言葉を聞いて、レヴの手の震えがピタリと止まった。先ほどまで泣き叫んでいたとは思えないほど、冷静な表情を取り戻している。


「なんだ、最初からそう言ってくれ。エーテル体なら怖くない。それが何なのかさっぱり分からないけど」

「……いや、それで納得したのは君が初めてだよ」


 ミオが思わず苦笑してしまう。大体こうして説明したところで、相手は悲鳴をあげるか、理解できず困惑した表情を浮かべたまま距離を置くかのどちらかだったからだ。


「しかし、なるほど……お前がここに取り憑いているから、みんなこの部屋を嫌がったのか」


 レヴが納得とばかりに頷いた。


「失礼な話だ。私という素晴らしい住人がいることを喜び感謝こそすれ、嫌がるなんて信じられん」

「おばけじゃないって言うくせに、怖がらせるのが生きがいとかさっき言ってなかった? そもそも死んでるんじゃ」


 レヴから訝しむような視線を受けても、ミオが悪びれない様子を見せるだけだった。


「言葉の綾だよ。しかし、ふーむ。〝星の尾切りダスト・カット〟――クラス分け試験で話題になったと聞いたから、さぞかし面白い魔女だろうと期待していたが」


 そのあとのミオの言葉に――レヴは驚愕する。


「まさか……とはね」


 それを聞いたレヴが、全身から殺気を放つ。


「どういう意味? 返答次第では殺すけど」

「死んでいる者を殺すことは流石の君でも難しいだろうさ――〝月の刃ムーングラム〟君」


 そう言って、ミオが意味深な表情を浮かべた。その目には賢者特有の、全てを識っているかのような遠い眼差しと、悪戯を楽しむ子供のような無邪気さが同居していた。


「なぜ、その名を」


 驚きのあまり、レヴが硬直してしまう。


 〝月の刃ムーングラム〟――それはレヴの暗殺者としての異名であり、その名前こそ知られてはいるが、その正体がレヴであることを知っている者はごく僅かしかいない。


「こう見えて私は長生きでかつ、情報通でね。この身体は情報収集に便利なんだよ。頑張れば完全に姿も気配も消せるし。でも心配せずとも、君の可愛い隣人はまだ気付いていないよ――君がだってことも、恐ろしい魔女狩りの暗殺者であることもね」


 その言葉で、レヴは思わずライラの方へと視線を向けてしまう。


 さっきは結構な音量で叫んだり暴れたりしたが、彼女に起きる気配はなかった。よほど眠りが深いのだろう。


「さっき君が気絶した時、彼女は君をベッドに運んで着替えさせようとしたのだけど、私がそれを止めたよ。変な場所を触られたら、危ないだろ? 着替えなんてもっての他だ。だから私が君をベッドまで運んで、着替えは必要ないと言っておいた。そしたら素直に聞いて、すぐにベッドで寝ちゃったよ。彼女、相当疲れていたみたいだね」

「それは……」


 初日でいきなり同居人に男であるとバレるところだったことに気付き、レヴが今更、冷や汗を掻いた。


「なに、感謝しなくていいぞ。まあどうしてもと言うなら話は別だが」

「ありがとう、ミオ」


 レヴは素直にミオへと感謝を述べた。

 自分の秘密を、この厄介な少女に知られてしまったのは痛手だが、助けられたことは事実だ。


「ミオ。僕はとある目的の為にこの学園に来た。だから男であることも、暗殺者であることも、バレると困る」

「だろうねえ。大方、あれだろ? アーレスの暗殺事件についてだろう?」

「……よく知っているね」


 レヴはもはやミオに隠し事は通用しないと判断して、話すことにした。


「トリウィア・アーレスを殺した相手を探している」

「ふうむ……今のこの学園に、あの魔女を真正面から殺せる奴がいるとは思えないがねえ」


 ミオが空中で腕を組みながら、そう答えた。


「それでも、それを探すのが僕の目的。だから――」


 レヴが殺気を込めて、ナイフをミオへと突きつけた。


「邪魔したら殺す。エーテル体とやらだろうがなんだろうが関係なく、ちゃんと殺す」


 レヴの瞳が妖しく輝き出したのを見て、ミオが目を細めた。


「ほう……なるほど。その男離れした美貌と色気は、そいつが原因か。なるほど……面白い。とても面白い」

 

 ミオはレヴの脅しに屈せずに、単眼鏡モノクルを掛けたままそれを指で弄り始めた。


「さては第二次性徴期前にそれを使って魔術を行使したな?」

「さてね」


 レヴがとぼけるも、それは認めているのと一緒だった。


「魔術は女だけが使える。それが常識であり、世界の前提だ。ゆえに――その逆もまた真となってしまう。すなわち、魔術を使えば……と。とはいえ、生まれ持った男という性は消えない。君はやはりとても面白い存在だな。男でありながら、女としての要素を持ちあわせている」

「考察どうも。答え合わせはいるかい?」


 レヴが余裕の笑みを浮かべながらも、短い時間でここまで自身の真実に迫ったミオに感心していた。


「必要ない。賢者にとって、答え合わせなど無駄でしかないからね」

「で、どうする? 僕の秘密を知って。君はどう動くつもりだい」


 レヴが言葉の端々に殺気を込めながら、そう問うた。返答次第では奥の手を使ってでも、この少女を始末しようと考えていた。


「くくく……取引をしよう、レヴ君」


 そう、ミオが切り出した。


「取引?」

「そうとも。実は君と同じぐらいに私にもある目的があってね。ところがこの身体のせいで、中々上手くいかない。どうしても生身の、しかも優秀な魔女の手助けが必要なんだ」

「で、僕に協力しろと」

「そうとも。それに、君の目的と被る部分もある」

「で、見返りは?」


 レヴが聞くと、ミオが顎をさすりながら答えた。


「君の目的に私が協力しよう。もちろん君の秘密を誰かにバラすつもりもないし、それを手札に何かを交渉したり脅すつもりもない」

「なるほど、悪くない」


 そう答えながら、レヴはどうすべきかを考えていた。

 この少女の言う事を全て信じられるわけもないが、基本的に今はこちらが完全に不利な立場だ。


 こうなると、この少女の弱味を握る、あるいは殺す方法を思い付くまでは協力関係を作っておいた方が無難だろう。


「だから手を組もうじゃないか、レヴ君。それに――君の秘密を知った私だからこそ出来る、素晴らしい特典があるぞ」

「……素晴らしい特典?」


 レヴが首を傾げたと同時に――


 その身体は半透明ではなく実体で、仄かな体温すらも感じる。


「は?」


 呆気にとられるレヴをベッドに押し付けたまま、ミオが妖艶な笑みを浮かべた。


「ふふふ、凄いだろう? 私の涙ぐましい努力の結果、こうして短時間だけだが、実体化できるようになった」

「へえ。ああ、だから僕をベッドに運べたのか。あの半透明な感じでどうやって運んだんだろうなあって疑問に思ってたよ」


 そんな興味なさそうなレヴの言葉を無視して、ミオがその細身ながら柔らかそうな身体を押し付けて、足を絡ませながら、彼の耳元で囁いた。


「いくら女の顔を持っている君でも、男は男。若い女、しかもあんな可愛らしいおっぱいの大きい同居人がいるとなると、君だって性欲ぐらいは湧くだろう? 私なら、その処理を手伝えるよ。アレとか、コレとか……。まあ三十分程度しかこの身体は保たないけども、年ごろの男子ならそれだけでも十分だろう?」


 その甘い囁きに、レヴは満面の笑みを浮かべたまま答えた。


「なるほど。今、ナイフ刺したら君を殺せるね」

「ええ……。もうちょっとさ、なんか違う反応があるでしょ」


 ミオが拗ねた表情を作るとソッと身体をレヴから離し、半透明の姿に戻った。


「その特典はともかくとして、手を組もうか、ミオ」


 不服そうなミオに、レヴが笑顔のままそう提案した。

 内心では少しだけドキドキしていたが、もちろんそれは顔にも態度にも出さない。


 いくら見た目が女で、性欲も同性代の男子に比べ薄いとはいえ、レヴもまた年ごろの少年であった。


「……なんか釈然としない」


 ミオが口を尖らせて、そっぽを向いた。色仕掛けが無駄に終わっただけの結果に、流石の彼女も少しだけ羞恥心を感じていたからだ。


「そう言わずに」

「……分かったよ。私から提案したことだ。レヴ君の目的には協力する。君の秘密も守る」

「で、そっちの目的は?」

「それはまた時が来たら話す。今はまず君に協力して、信頼を得るところからやるさ」

「つまり、相当に面倒なことを頼むつもりだな」

「その通り」


 ミオが悪そうな笑みを浮かべた。


 きっとろくでもないことだろうなあ、と思いつつも、レヴは新たに協力者を学園内に得られたことに満足していた。しかもかなり使えそうな協力者である。


「というわけで長々と話してしまったが、レヴ君。君が例のアーレス事件の犯人を捜したいというならば、避けて通れない存在がいる」

「避けて通れない存在?」

「そう。君も知っている魔女だと思うが、この学園にいる者の中で、最もその容疑者に相応しい存在だよ」

「……ああ」


 レヴがくすんだ赤髪を思い出しながら、ミオの言葉を待った。


「〝エステル〟の担当教師にして、世界最強と謳われる五人の魔女――〝五冥デュアルト〟のうちの一人、〝赤き霧の魔女、ジリス〟。彼女はトリウィアの一番弟子にして、その恩師の死によって念願の〝五冥デュアルト〟になれた魔女だ。つまり、トリウィアの死で一番分かりやすく得したのが奴ということになる」


 その言葉に、レヴの内心がザワつく。

 もちろんジリスの名は知っている。嫌と言うほどに。


「ジリスは〝星〟の担当教師だが、講義は受け持っていない。〝塵〟はおろか〝星〟の生徒ですら、簡単には会えない存在だ。理由はシンプルで、奴が強烈な実力主義なせいか、自分が認めた存在以外に時間を使いたくないからだそうだ」

「へえ……。どうすれば会える?」

「認められるしかない」


 ミオがそう言って、スーッと窓の方へと向かった。月光を浴びて、その半透明な身体が輝く。


「レヴ君。この学園内における、魔女の序列は何で決まると思う?」

「ん? 試験結果とか?」

「表向きはそうだね。だけど、実体は違う」


 そう言って、ミオがレヴへと振り返った。


「この学園において、〝ダスト〟の生徒がその存在を他に認めさせるには――〝夜庭園ガーデン〟で成り上がるしかない」

 

 ミオの顔には、悲痛そうな表情が張り付いていた。まるで嫌な記憶でも思い出してしまったような、そんな顔だ。


「〝夜庭園ガーデン〟ね。さっきも聞いたよ、その言葉」

「簡単に言えば――魔女同士の決闘を管理運営している組織だよ。夜間にのみ開催される、魔女同士による決闘――〝お茶会〟は全て彼女達の手によるものだ。〝夜庭園ガーデン〟に所属し〝お茶会〟で勝ち上がった魔女は、〝星〟だろうが〝塵〟だろうが、評価される。君も知っているキリナ君も、〝塵〟だが、元々〝夜庭園ガーデン〟に属していて、そこで名を馳せたからこそ六年生まで五体満足でいられて、寮長の座を奪うことができたのさ」

「へえ……やっぱり強いんだ、あの人」


 レヴがスッと目を細めた。


「今は〝竜の爪ドラクロワ〟なんてつまらない組織で働いているがね。だが、ジリスの薫陶も受けたと聞いたことがある。つまり彼女レベルになって初めて、ジリスと直接会うことができるというわけだ」

「分かりやすくて助かるよ。要するに〝夜庭園ガーデン〟に入って、決闘に勝てばいいんだろ?」


 レヴがミオの横に並び、窓の外を見つめた。


 暗闇の中、月光によって浮かびあがる、巨大な城の威容。この闇のどこかで今も魔女同士が戦っているのだろう。


「そうだね。魔女同士の決闘なんて……君の得意分野だろ?」


 レヴの、男だと分かっていてもなお、ため息が出るぐらいに美しい横顔を見て、ミオが少しだけ嫉妬する。


「それで〝夜庭園ガーデン〟にはどうやって入ればいい?」

「色々あるが、一番簡単な方法は、誰かに決闘で勝てばいい」

「じゃあ、早速行こうか」


 レヴが窓を開けて、その窓枠に足を乗せようとするので、それをミオが呆れた口調で止めた。


「まてまて……〝お茶会〟にもルールがある。いきなり行って、決闘しましょうなんて言ったところで誰にも相手にされない」

「じゃあどうすればいい」


 不満そうなレヴの言葉に、ミオがニヤリと笑ってこう言ったのだった。


。丁度良く、君のことを良く思わない一年生がいる。談話室の会話を盗み聞きした感じだと、おそらく彼女も〝夜庭園ガーデン〟に入ろうと考えているので、簡単に喧嘩を買ってくれるはずさ」

「なるほどね」


 レヴが美しくも邪悪な笑みを浮かべた。それにミオもまた笑顔を返す。


「今日は流石に動かないだろうから、明日の夜、そいつに決闘して勝てば、嫌でも〝夜庭園ガーデン〟の連中から接触してくるさ」

「で、その子の名前は?」


 そのレヴの問いに、ミオが愉快そうにこう答えたのだった。


「――イクス・サザール。サザールの夜域を支配する魔女〝灼け星の魔女、キラカ〟の娘にして、〝夜庭園〟の序列上位に位置する、この学園でも指折りの魔女、〝爆ぜる空の魔女、エクリシス・サザール〟の、その妹だよ」

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