第3話:VS〝這い寄る鎧の魔女〟


「ど、どうしたのレヴさん!?」


 橋に着地したレヴの腕の中で、レイラが赤面しながら困惑する。


 しかし彼はそれに答えずに、ついさきほどまで乗っていた馬車の残骸を睨み付けた。


「まさかこれが試験? にしては、殺意が高すぎるけども」

「試験?」


 レヴの言葉で、彼の腕から解かれたライラがようやく気付く。

 何者かが馬車の残骸がある位置から、こちらへと歩いてきていることに。


「こんばんは。今日は良い夜になりそうね」


 夜の帳が落ちはじめている空を見上げながらそう発したのは、灰色の髪を持つ、背の高い痩せぎすの女だった。黒のワンピースの上に纏っている、このノクタリアの紋章である月と竜が大きく描かれている赤いローブがやけに目立つ。


 相手がノクタリア関係者だと分かってもなお、レヴはナイフを降ろさない。


 どういう原理で馬車を破壊したかは不明だが、破壊の様子から、明らかに巨大な質量によって叩き潰したのが見て取れた。


 咄嗟に回避していなければ、死んでいたのは間違いない。


 肌を焼くようなヒリヒリ感に、彼は無意識に口角を上げていた。


「楽しい夜になりそうで、ワクワクしてますよ」


 不敵な笑みを浮かべたレヴの答えに、灰髪の女が満足そうに頷いた。


「ひとまず、君の判断は正しかったと言っておくわ。でもそっちの子は全然ダメ。まだこの期に及んで戦闘態勢も取れていない。まさか死にたいの?」

「まってまって……なんで先生が、襲ってくるの!?」


 ライラが状況についていけず、レヴと灰髪の女を交互に見つめた。


「先生? あれ、先生なんだ。ふーん……」


 レヴが警戒しながらも、暢気そうな声を出す。


「そうだよ! あの赤いローブは教師しか着ることが許されないやつだって!」

「へえ……じゃあやっぱりこれは試験だ。だったら頑張らないとね」


 レヴがナイフを構え、しかし安易に飛び出すことはしない。

 相手がこの学園の教師であるということは、つまりそれは強い魔女であることの証明であった。


 強い魔女――しかも明らかにこちらを待ち構えていたような相手に、まっすぐ突っ込むのは自殺行為だということを彼はよく分かっていた。


「〝魔術理論および制御式〟の講義を担当しているユーレリアよ。というわけで、試験を開始する」


 灰髪の女――ユーレリアが自己紹介と共に、右腕を振りあげた。


「ううう、もうちょっと心の準備をさせてよう!」


 それを見たライラが嘆き叫ぶと同時に、二人の頭上に気配。


「〝私の敵を打ち砕いて、愛しのアルバート〟」


 そんなユーレリアの言葉と共に、二人の頭上に突如出現した巨大な鉄の拳が強襲。


「え、ちょっとそれは無」


 迫る絶望にライラは半笑いのままそう呟き、そんな彼女を無視して鉄拳が石橋ごと、二人のいた位置を破壊。


 轟音と衝撃が石橋を揺らす。


「ふふふ……


 破壊をまき散らしたユーレリアの言葉が、虚しく響いた。


 細かく砕けた石が砂塵となって舞い上がって視界が不良になっているなか、彼女はポケットから丸まった羊皮紙を取り出して魔術で空中に固定すると、それに何かを書き込んでいく。


「えーっと。そうそう、『学生番号<零一九番>、レヴ・アーレス、学生番号<零一五番>、ライラ・イレス。どちらも二撃目で死亡』っと。……あら?」


 砂塵の動きが妙なことにユーレリアが気付いた瞬間――彼女の目の前で火花が散り、金属が悲鳴を上げるような音が響く。


 目の前では、彼女を守るように虚空から生えた鈍色の手甲と、小振りなナイフが激突していた。


「今の防いじゃうの? めんどくさいなあ」


 ナイフの持ち主である、気怠げな表情を浮かべる存在――レヴがバックステップし、間合いを取る。リボンでくくられた長い髪がその動きを追随し、金色の余韻を残した。


「ゴーレム、しかも斬った感触からしておそらく、鉄素材を使ったアイアンゴーレムを召喚して攻撃する魔術だろうけど、解せない部分がある。何より、無駄が多すぎる」


 ナイフを構え直しながら、レヴが冷静に相手を分析し言葉にする。


「あら、どうやってさっきの一撃を避けたのかしら?」


 予想外に生き残っていたことに少し喜びを感じながら、ユーレリアがレヴの背後へと視線を移す。


 そこには確かに破壊の跡があった。だが石橋の中央を正確に狙ったはずなのに、破壊の跡は少しだけ


 そのおかげで左側だけは辛うじて破壊から逃れていた。


「教えるとでも?」


 レヴが笑顔で答える。


「まぐれではないのなら――証明なさい。そっちの君もね」


 ユーレリアは、レヴの後ろに隠れていたライラの姿を見逃さない。


「それでは改めて、試験を開始する。せいぜい、死なないように」


 ユーレリアの宣言を受け、レヴがライラのいる位置まで下がった。


「さて、どうしようか」

「無理無理無理! どう足掻いても勝てないよ!」


 ライラが泣きそうになりながら、レヴへとその涙目を向けた。


「試験の合否が、勝敗によって決まるとは限らないけどね」

「でも、じゃあどうしたらいいの」

「殺される前に殺す。そういうシンプルな話の方が僕は好きだけども」

「そんな試験嫌すぎるよ!」


 ライラの叫ぶを無視して、レヴが油断なくユーレリアを観察する。

 妙だな、とレヴは思ってしまう。


 そもそもの話、もしこれがクラス分けの試験であれば、何をもって合格あるいは採点基準になるかを言ってこないことにも違和感を覚える。


「あるいは、そこに気付くか否かを見ている?」

「え?」


 レヴの独り言の意味が分からずライラが困惑する。


「いや。まあいずれにせよ、あの教師を殺せば済むなら話は早い。で、ライラはどうする?」

「へ?」

「協力する? それとも――僕の邪魔をする?」


 レヴが微笑みながらそうライラへと問うた。

 その笑顔には抗えない、あるいは抗ってはいけない何かを彼女に感じさせた。もし邪魔をすると言えば……多分、彼は何の迷いもなく手に持つナイフをこちらへと向けるだろう。


「きょ、協力する!」

「ありがとう。それでライラはさっき、どうやってあの一撃を防いだの? おかげで助かったけど」


 レヴがそう問いながら、先ほどのことを思い出していた。


 振ってくる巨大な拳。避けるのはほぼ不可能だと判断したレヴは、奥の手を使うかどうかを迷っていた。ところが横にいたライラから魔術を使う気配があったので、それに賭けた形だった。


 おかげで無事だったが、何をしたかまでは見えなかった。


 なぜならとある理由から――彼はその瞬間、


 もしライラの魔術が失敗しても……二人が生き残れるように。


「あ、えっとそれは無我夢中で……魔術を使ったから。でも、今ならちゃんと防げた理由が分かるよ。さっきレヴさんが教えてくれた」


 ライラがそう答えた。


 嘘偽りなく、さっきは無我夢中で必死だった。でもレヴの言葉で、確信した。

 相手がアイアンゴーレムを使ってくるなら――自分の魔術が通用するかもしれないと。


「出来損ない……なんてもう言えないね」


 レヴがライラへと笑いかけた。その笑みに頬を赤らめながらも、ライラが力強く頷く。


「防御は任せて。と言っても、規模も範囲も狭いから……上手く援護できないかもしれないけど」 

「ライラは自分の身を守るために使うといい。僕は僕でなんとかす――ッ!」


 レヴの視界の隅で、ユーレリアがゆっくりと右手を振り下ろしていた。同時に巨大な二つの鉄拳がレヴとライラ、それぞれの頭上に出現。


 鉄槌の如きその一撃を、狭い橋の上で避けるのはほぼ不可能。活路があるとすれば背後か、前しかない。


「君のここまでの行動から予測すると――前」


 ユーレリアが笑いながら、異常な速度で接近してくるレヴを見据えた。背後で起こった破壊を気にすることなく突っ込んでくるその胆力と勇気を心の中で賞賛しながら、しかし容赦なく追撃を行う。


「上からの攻撃ばかりに気を向けると、足下が疎かになるわよ」


 ユーレリアの言葉と共に、今度はレヴの足下から、鈍色の装甲に覆われた巨人の足が生えてくる。どう足掻いても避けられないその一撃を、彼はナイフを使って受け止め、直撃を避ける。


 しかしあっけなくその身体が宙を舞った。


「悪くないけど、身体能力だけで魔術を避けることに限界があることを知りなさい」


 空中にいるレヴを挟むように、二つの鉄製の巨大な手のひらが出現。まるで羽虫でも潰すが如き動きで、その手のひらが打ち合わさった。


 空気が破裂したような音が響く。


 逃げ場はなく、回避は不可能。


 ユーレリアがそう判断し、視線を前へと移す。そこには無傷のライラが立っていた。やはりというべきか、彼女を狙ったはずの拳が、狙った場所からズレた位置を破壊していた。


 良く見れば、ライラの身体を微細な電流のようなものが走っている。そこから、彼女の魔術の正体と攻撃の回避方法を予測し口にする。


「なるほど。君は雷の魔術……その中でも磁力を操作するタイプの魔術の使い手ね。アイアンゴーレムを使う私とは、どうも魔術の相性が悪いみたい。まさかさっきのあの子ではなく、君の方が長く生き残るとは思わなかったわ」


 おそらくだが磁力操作による反発で、鉄製であるアイアンゴーレムによる一撃をずらし、回避していたのだろう。ユーレリアが感心したような表情で言葉を続けた。


「悪くない。身体能力だけで避けようとしたさっきの子よりよっぽど優秀だ。でも攻撃を逸らす程度にしか使えないのでは、イレスの名が泣くよ。君の母親ならきっと磁力だけでアイアンゴーレムの操作権を奪って、私を攻撃しているだろうね」

「私には……そこまでの力はありません。でも一つだけ分かります。


 ライラがそう言って、ユーレリアの頭上を指した。


「ん?」

「レヴさんより私の方が優秀だって言ったことがです」


 ライラの言葉と同時に、ユーレリアの頭上から金色の颶風が強襲。


「まさか」


 目の前に迫る凶刃を、再び召喚されたゴーレムの腕が防ぐ。


「不意打ちでも防御できるとなると、自動迎撃型か。厄介だね」


 攻撃を弾き返された勢いで後ろへと下がり、再びナイフを構えたのはレヴだった。その身体には傷一つない。


「おかしい。磁力による防御もできない君が、逃げ場のない空中でのあの攻撃を避けられるとは思えない」


 ユーレリアが目を細めて、レヴを見つめた。


「避けたけども?」


 レヴが余裕そうな笑みを浮かべる。その手に持つナイフの銃口が僅かに赤熱していることに気付いている者は誰もいない。


「面白い。じゃあ、次はそちらのお手並みを拝見しましょうか」


 ユーレリアの言葉を聞いて、レヴが後ろへと下がり、ライラの横へと並ぶ。

 不快そうな表情を浮かべる彼を見て、ライラが心配そうにその顔を覗き込んだ。


「大丈夫?」

「なんとかね。いや、でもどうにも色々とおかしいなあって」

「おかしい?」


 ライラがそう聞くとレヴが頷き、説明する。


「まずその一。今年入ってくる新入生をわざわざこうやって試験するのは大変だと思わない? しかも一つしかない橋をこんな盛大に壊してさ」


 レヴの言うように、ユーレリアの攻撃によって橋はボロボロで、今にも崩れそうだ。


「うーん……橋はそりゃあ魔術で直すんじゃないかな」

「じゃあその間に、違う新入生が来たらどうする? 僕らの試験が終わって橋が直るまで待機? 少なくとも僕らが唯一の新入生でもないし、一番最後に来たわけでもないと思うけど」

「うーん」


 レヴの問いに、ライラは何も答えられない。聞けば聞くほど、妙な感じがしてくる。


「何よりあの人の魔術は少し変だ。いくらこちらを待ち構えていたからと言って、あれはやりすぎだ」

「そうかな? よくあるゴーレム召喚だと思うけど」


 ライラが、先ほどまでの攻防を思い出しながら、そう口にする。ゴーレムを召喚して、その手足を使ってこちらを攻撃。あるいは防御に使う。どれも彼女が知る一般的なやり方で、特に違和感はない。


「ゴーレムを召喚して、攻撃に使う。あるいは防御に使う。そこまではいい。問題はゴーレムの一部しか召喚せず、しかも点だ。魔術は一見、万能に見えるけど実はそうじゃない。ちゃんと厳密なルールに則って、魔術は行使されている」

 

 レヴがユーレリアの様子を観察しながら推測を続ける。

 彼はこれまでに何人もの魔女を見てきて、そして殺してきている。その経験のおかげで、目の前の魔女の奇妙さに気付けた。


「本来、召喚魔術というのは難易度の高い魔術だと言われている。理由は簡単で、予め召喚陣を描いておかないといけないし、召喚する対象も用意する必要があるからだ。だから召喚魔術っていうのは、基本的に何かを召喚し、それを戦わせるのが一般的だけど、あの人は違う。ゴーレムの一部は呼んでも、本体は呼んでいない」


 レヴが感じた違和感を言葉にしていく。


「巨大なアイアンゴーレムを召喚して、戦わせる――それなら分かる。だけども、あの人は拳や腕と言った一部だけを召喚して、しかもすぐに送還させている。魔術は無限に使えるものじゃないってのは分かるだろう? 必ずリソースを消費するものだ。なのに本体ではなくわざわざ一部だけを召喚して、攻撃あるいは防御に使っている。召喚する際のコストは変わらないのに。あのやり方はコストの無駄遣いだ」

「それは……確かに」


 魔術を発動させる方法は大きく分けて二つある。しかしいずれにせよ、この世界に満ちる、法則物質<エーテル>へと干渉し、世界の法則をねじ曲げることで可能としているのだ。


 <エーテル>への干渉回数もその量も、本人の資質によって変わるが、当然、限界はある。


「本体を呼べば済むだけの話なのに、一部だけをああやってわざわざ召喚する意味が僕には分からない。そもそも召喚陣もなしに、召喚を行えているのも謎だ」


 それは確かにレヴの言う通りだった。ライラが見た限り、少なくとも石橋には魔法陣なんて描かれていなかったし、そもそも召喚陣を描けない空中で召喚を行ったこと自体がおかしい。


「この空間全体を予め、自身の〝領域〟にするぐらいしか方法がないけども……でもここは、そうはなっていない」


 レヴが空を見上げた。既に辺りは暗くなりつつあるが、星の並びや月の位置に違和感はない。


「〝領域〟って……自身が予め用意しといた空間を展開して有利な環境を作る、高位の魔女にしか使えない特殊魔術だよね?」

「そう。そうして展開された魔女の領域内の空は、昼夜や室内外、そして天候問わず、。さらに星の並びや月の位置も本来のものと変わってくる。だからどれだけ巧妙に偽装しても、そこが魔女の領域か否かは空を見ればすぐに判別できる」

「確かに空は普通だね。ちゃんと七王星も五弦座も見えてるし、月の満ち欠けもおかしくない」


 ライラも夜空を見上げて、記憶の中にある天球図と照らし合わせる。


 魔女にとって夜空を読むことは初歩の初歩の技術であり、大体の現在地も星空を見れば分かる。逆にいえばその土地の季節の星と違う星が見えれば――それは魔女の領域だ。


「だから余計に分からない。〝領域〟もなしで、召喚魔術を何度も行使できるはずがない」

「でも、実際にできてるよね?」

「それが問題だね」


 レヴがさてどうしようかと、悩みはじめた。


 魔女との戦闘において最も大事なのは、相手の魔術の本質と特性を見極めることだ。


 魔術にはルールがあり、限界がある。

 そこから逸脱することは決してない。


 そこを疑うと途端に泥沼へとはまる。相手が無敵だと、錯覚するのだ。


 その時点で、敗北は決まってしまう。


「ありえない魔術を使っているということは、何か前提条件を間違えている」

「前提条件?」

「そう。でもそれが分からない」

「レヴさんが分かんないなら、私にも分かんないよ。はあ……もうレヴさんじゃないけど、これが悪夢ならもういい加減覚めてほしい」


 ライラがそう嘆く。

 現状、相手の攻撃を磁力の魔術で防げても、それにも限界がある。かといってレヴの不意打ちすらも、防がれてしまう。

 さらに攻撃を防ぎ続けたとしても、いずれ石橋が崩れてしまい、大空洞の底まで落ちる羽目になる。


「うん? 悪夢?」


 レヴがライラの言葉に反応し、そう聞き返した。


「え? あ、えっと、これが現実じゃなくて悪夢ならいいなあって。レヴさんも起きる前は悪夢を見ていたんでしょ?」

「……ああ、そうか」


 レヴがその言葉で何かに気付き、背後へと振り返る。そこには橋の中央部に掛かるアーチがあった。


 そういえば――あのアーチの中を通った瞬間に違和感を覚えたおかげで、最初の一撃を回避できた。

 だけども、あの時感じた違和感はそれっきりで、それ以降のユーレリアの攻撃にはなかった。


「……そういうことか」


 なぜかレヴが、ユーレリアへと向けていたナイフを降ろした。


「どうしたの?」

「いや、分かったんだ。ありがとう、ライラ。君のおかげだ」

「あ、うん。でも、何が分かっ――」


 その言葉をライラが最後まで言い切ることはなかった。


 なぜなら――


「……かはっ」

「ごめんね、ライラ」


 レヴのナイフが、ライラの細い首へと、


 血を吐きながら、信じられないという表情を浮かべたライラが、レヴへと手を伸ばすも――それが届く前に、彼女は地面へと倒れたのだった。

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