1-4.「躊躇うことはございません。――これは、仕事です」

 ハタノは、女性と関係を結んだ経験がない。

 未婚であろうと十五を越えれば、帝都の若者なら歓楽街に繰り出してもおかしくない年頃だ。

 が、ハタノは仕事に注力したかったし、不特定多数の女性と関係を結ぶことで、病を貰うことを避けたかった。


 ――というのは、建前だ。


 仕事柄、夜中に呼び出される事も多くある。

 休日を潰すことも日常的。

 そのうえ仕事中毒者である自分が、誰かと関係を結ぶ……という姿が、自分でも全くイメージできなかった。


 そもそも一級治癒師の恋などしょせん、遊びだ。

 時期がくれば”治癒師”の才を引き継ぐため、帝国より指定された婚姻相手を当てられるのだと考えれば、自分が誰かと結ばれるなんて先のこと――

 そう考えていた、のだが。


「旦那様。どうかされましたか?」

「……お恥ずかしながら、緊張しておりまして」


 双方、湯浴みも済ませた。

 一人で横になるには大きすぎるベッドをきしませ、お互い、身体ひとつぶんの距離を開けたまま腰掛けている。


 彼女を伺う。表情の変化は、とくにない。

 宝石のようにきれいな瞳で、ハタノを見上げている。

 勇者とは思えない華奢な身体は、抱き寄せたらすぐにでも壊れてしまいそうな程に、細い。


 自然と、ハタノの意識はその艶やかな唇や、柔らかそうな素肌に向けられ……薄着の布に隠されたその向こうを想像し、小さく強ばってしまう。


 ……彼女の余裕は、経験の有無によるものだろうか?


 不躾だと知りながら、会話の間、を、埋めたくて。


「チヒロさんは、ずいぶん落ち着いてますが……経験の方、は」

「初めてです」

「その割に、ずいぶん落ち着いていますね」

「そう見えるよう振る舞っているだけです。勇者が、人に弱みを見られては終いですので。……では、始めますか」

「え」

「旦那様が戸惑っておられるようなので、私から」


 どきりとする間もなく、彼女がそっと自らの腰元に手を伸ばす。

 腰帯を外し、ゆっくりとその胸元を開こうとした――その手を、ハタノは慌てて、抑える。


 まだ、心の準備が。

 それにハタノとて、彼女にリードされるのは、些か。


「待ってください。こういうのは、私の方から手を出すべきというか」

「……?」

「チヒロさん。私から行いますので、どうか、横になって頂けませんか」


 精一杯の強がりを見せつつ、彼女をベッドに横たわらせた。


 妻は抗うことなく横になり、ハタノはその上から押し倒すような姿勢で、わざと、強めに覆い被さる。

 でないと、自分の勇気が削がれてしまう気がしたから。


 そうして彼女を見下ろし、……またも、決意が揺らいでしまう。

 さらりと流れる一房が彼女の胸元にかかり、ゆるやかな膨らみの上をなぞる様を見るだけで、ハタノの心臓はどうしようもなく、どくん、どくん、と、うるさく鼓動を鳴らし続ける。


 勢いをつけるために、押し倒したのに。

 その先に、進めない。


 ――本当に良いのだろうか?

 彼女とハタノは、今日、顔を合わせたばかりの間柄だ。

 互いのことなど何一つ知らず、まだ、彼女の歳すら聞いていない。


 身体を結ぶ行為に、愛が不要なことは理解している。ハタノもそこまで夢見る男ではない。

 それでも本来あるべき過程を飛ばし、下手すれば彼女を傷つけてしまうのではないか……


「旦那様」

「は、い」


 混乱する思考を遮ったのは、彼女の言葉と――冷たい指先。

 彼女がハタノの頬に触れ、優しくなぞる。


 彼女はじっとハタノを見つめていた。

 冷たい、けれど勇者らしい、勇ましさと冷徹さを込めた、宝石のように無垢な瞳。


「躊躇うことはございません。――これは、仕事です」

「……は」

「一般的な夫婦には、もしかしたら恋があり、愛があるのかもしれません。ですが私達の間柄は、あくまで子を成すための関係。帝国では、ありふれた出来事です」


 優秀な”才”を遺伝させるための政略結婚は、帝国の上位層ではごく一般的……どころか、命令として行われている。

 帝国における”才”は、国の財産そのものであり、婚姻の自由など存在しない。


「旦那様。私達の仕事は、未来の礎のために必要な業務です。”勇者”たる私の身体を使い、次世代の”勇者”を成す。そうして生まれた”勇者”はこの帝国を外敵から守り、多くの人を救い、その力をまた次の世代に継いでいく。その過程に、優しさなど必要ありません」

「ですが……」

「旦那様は、目の前に傷を負った方がいて。その方を治癒することを、躊躇いますか?」

「いえ」

「未来に”勇者”が生まれず、人々が魔物や外敵に襲われることを、良しとしますか?」

「……いいえ」


 それは業務違反だし、人として誤った道だろう。

 ”才”が支配する世界で、勇者の才を次世代に残さないことは、あまりにも罪深い。


 チヒロの瞳が、ハタノの躊躇いを射貫く。

 不要な感情だ、と。


「旦那様。私は、旦那様のことを存じません。人柄も、経歴も、何も。ですが私は、あなたがどのような人間であれ、あなたと子を成すことが勇者として必要なことであるなら、その行為を躊躇う理由がありません」


 ですので、と。彼女の指先がハタノの頬に触れる。

 ハタノの首筋をなぞり、零れる汗をつたい、ゆっくりとその胸板へと下ろし……彼の衣服を、そっと、はだけさせようと絡んでくる。


「旦那様も、そのようにお考えください。これは純粋な、仕事だと。だから、あなたも私の意を酌むことなく、必要とあれば私の尊厳も人格も奪い、ただ子を孕ませる道具として、乱暴に抱いても構わないのです」


 その丁寧な口調と、透き通るような眼を前に。

 ハタノは、彼女のあり方を理解する。


 彼女は、仕事に忠実な人なのだろう。

 勇者という才を持ち、その才を生かすことに迷いを抱かない。


 もちろん、彼女の本心までは分からない。人の心など、推し量るのは無理な話だ。

 ……けれど、妻にそこまで語らせておきながら、ハタノが応えない訳にはいかない。


 彼女に自らの唇を押しつけた。

 人生で初めて交えた口づけは、冷たい言葉に反して温かく、その唇はうっすらと濡れそぼっていた。

 新妻である彼女は、ぴくり、とわずかに身体を震わせたものの、ゆっくりと確かめるように両手を伸ばし、お互いの指先を絡め合わせていく。


 やがて互いに結ばれた口元を、そっと離すと。

 ……彼女の、うっすらと火照った頬が目についた。


「チヒロさんも、顔を赤くするのですね」

「ふ、不慣れなもので。……すみません。勇者として、あってはならないことですが」


 どうやら――恥ずかしくない訳ではない、らしい。

 その仕草が人間らしく、可愛いな、と、素直に思う。

 けど、その言葉を直に伝えるのは彼女の意気込みに反するし、職務違反だとも思う。


 なので、ハタノは大まじめに断りを入れる。


「チヒロさん。何分、私も初の仕事であるため、業務に不慣れな点があると思いますが……痛かったら申し訳ありませんが、よろしくお願い致します」

「こちらこそ。旦那様のために、私も頑張りたいと思います」


 丁寧に。

 新人同士が顔を合わせたような挨拶を交わし、ハタノは再び口づけを落とす。

 彼女の柔らかな胸元に手が伸びるまで、そう、時間はかからなかった。

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