第21話 姉

 星野さんと父さんを追いかけるようにレストランに入ると店員さんは慣れたもので、何も言わずに奥の方にある個室に僕を案内してくれた。


「・・・・・ そんな状況を見かねたのでしょう。男谷精一郎役の小川巴三おがわともぞうさんが自分の耳元でこうおっしゃった『完一郎、ココはオレとお前の二人でひとつ本気で試合をしてみようじゃねぇか』と」

「え------! じゃあ、あの有名なラストシーンはお二人とも脚本無視でガチの剣道の試合をしたんですかっ! 」

「ええ。小川さんも私も剣道有段者と言う事もありますが、おかげさまでかなり迫力あるシーンとなりました」

 白を基調とした10畳程の広さのある個室に入ると星野さんと父さん会話は相変わらずの盛り上がりを見せていた。ちなみにこのくだりも僕は100回は聞かされているので分かるが、大石進役を務めたドラマのラストシーンの緊迫感を出すため、主演の役者さんとガチで剣道の試合をした自慢話だ。


 僕は長方形のテーブルでなぜか隣り合って座っている星野さんと父さんの前に軽くお辞儀をしたうえ腰掛ける。改めて見回した室内にはフランス印象派画家のドガのレプリカであろう絵画やアップライトのピアノが調度品として飾らせている。

 ボーイにより運ばれて来たクルミにムースがかけられたアミューズお通しを飲み込むように一口で平らげた父さんは一瞬だけ視線を僕に向けるとひとつ咳払いをした。


「庚台高校は、今、何かと騒がれているから大変だろうから、おさむが由依さんを支えてあげるんだぞ」

 唐突感はあったが、父さんも今日の趣旨は覚えていたようで、珍しく説教臭い口調で僕にそう語りかけて来た。


「亡くなった西野妙子と私は友達でした」

 父さんから西野さんの名前が出たためだろう、話の内容だけでなく、周りの空気が一気に重くなった。そんな空気を無視するかのように運ばれて来たオードブル前菜は季節はずれクリスマスを思わせる赤・緑・白の彩り。イクラとクリームチーズを乗せたキュウリのカナッペだ。


「妙子は見た目は派手だけど、テレビで言われているような遊ぶお金欲しさのためだけに、パパ活をするような子じゃないんです」

「由依さんはそれを証明したいと? 」

 その場の空気の重さにひれ伏すように首を縦に振る星野さん。その様子を見ていた父さんはカナッペをひとつ口にしてしたあと、ゆっくりと口を開く。


「由依さんの気持ちは分かった。おさむは、何故、今回の件に首を突っ込もうと思ったんだ? 」

「詳しくは言いたくない。簡単に言えば礼儀だよ。西野さんに対しての・・・・・ 」

 僕の返事に対し、口元をナプキンで軽く拭いていた父さんは、一瞬だけ目を見開いたが何か納得したように小さく頷いていた。


「ふたりはアテンダーって聞いた事はあるかい? 」

「段取りや仲介をする人だろ」

「概ねそんな所だな。今日のこの場所も昔から付き合いのあるアテンダーに段取りを頼んだんだ」

「だから、私みたいな制服姿の女子高生が殆どスルーで入れたんですね」

 確かに海外のVIPが利用するような高級ホテルを僕らのような制服姿の子供が殆どノーチェックで入れたのは不思議だった。今の父さんの言葉から察するにおそらくはそのアテンダーが前もって段取りをしてくれていたのだろう。


「アテンダーにも人によって得意とする分野があるんだ。今回のようにタレントがプライベートでホテルやレストラン、スポーツ観戦などする際、一般の方に迷惑が掛からないように導線の確保までの細かい段取りを得意とする者。タレントとプロデューサーやスポンサーを非公式に合わせる事を得意とする者。そして、芸能関係者の性欲を晴らす事を得意とする者と言った具合にな」

 運ばれて来た透明なスープから漂う、玉ねぎの甘い匂い。普段であれば食欲を刺激していたが、今は何故か喉ばかりが渇き、僕は置かれていたグラスに入っていた水を喉の奥に押し込むように一気に飲み込んた。


「星野さんの友達は、その性欲専門のアテンダーに関わっていた可能性が高いな。かなり悪辣な」

 売春をしていた事をほぼ断言したその言葉に星野さんの顔が悲しそうに歪むのが見えた。


「悪辣って、どう言う意味さ。売春の仲介だからってだけじゃないように僕には聞こえたけど」

「彼らの仕事は信用がなきゃ成り立たん。人が亡くなるような、そして二十歳前の女性を紹介するようなやからだから悪辣と表現したんだ。まぁ、オレの教えられる情報はそんな所だ…… 理、お前、このホテルの地下に『プリズム』ってバーがあるから、そこでタバコを買って来てくれ」

 父さんが視線を上に逃しつつ投げかけてきた言葉。それは星野さんと2人きりにしろと言う意味では無いのは直ぐに分かった。なぜなら未成年である僕は煙草を買う事など出来ないし、そもそも父さんに煙草を吸う習慣はない。


「バーに行ってオレの名前を言えば、あとは向こうが分かる」

 今にも泣き出しそうな星野さんを置いてゆく事が気になったが、僕は静かに頷くと真鯛のポワレ魚料理を持ってきたボーイと入れ替わるようにレストランを後にした。


 ⇒⇒⇒


 エレベーター内の階数表示が10を過ぎると耳の奥がツンと重くなった。僕はネットに載っていたランドマークタワーのエレベーターの速さはウサイン・ボルトと同等の速さがあるとのかなりどうでも良い知識を何故か思い出し、マスクの下の口を緩ませる。


「『プリズム』に何があるんだろ」

 耳に詰まった空気を抜くため、僕はマスクの上から鼻を摘み耳抜きをすると、地下一階に着いたエレベーターを出て、目の前にあったプリズムの扉を開けた。


「いらっしゃい・・・・・って、あらぁ、ホントにぃ若い頃の完ちゃんにそっくりねぇ」

 プロレスラーかラグビー選手のような大きな身体にピッチリとした銀色のコンビネゾン。頭は金色に染まった大仏のようなパーマと言う、少し目眩をするような姿のその人は、透明なマウスガードの向こうに見えるやたらと潤いを強調している赤い唇の端だけでニヤリと笑っていた。たぶん、なのだろう。


「カウンターの奥にいるわよぉ。待ち人はぁ」

 おそらくはこのバーのママさんであろうその人がそう目線で示した先にはマスク姿の長身の女性がひとりカウンターに肘をつきスツールに座っていた。

 肩が強張って見えるのはコチラに気がついてはいるが、敢えて視線は向けていないからなのは何となく理解できた。父さんの詳しい意図は分からないが、僕はこの女の人と話さなければならないのだろう。


「はじめまして。村崎理です」

「・・・・・ 菜々海ななみ小栗菜々海おぐりななみ

 とりあえず僕の持っている範囲の常識で自己紹介をしたうえ、その女性の隣に座ってみたが、小栗さんは女性にしては幾分低い声で名前を名乗るだけで、まるで僕を無視するかのように正面見続けていた。


「そんな、ツンケンしないのっ! あんただって内心楽しみにしたたんでしょお?クンに逢えるのを! すっごいイケメンじゃない」

「しのぶママは黙っていて! 」

 カウンター越しにそう語り掛けてきたママさんは笑っていたが、僕の頭は軽くパニックを起こしていた。

 弟。

 僕に姉さんが確かにいるが、隣いる人よりは遥かに小柄なうえ、年齢も7、8歳は下だ。父さんの隠し子の可能性である事も考えられるが、それを今まで隠し通せるほど器用ならば、離婚を2回、そして結婚を3回もしていないはずだ。


「お父さんから何も聞いてないみたいね」

「ココに行けば後は向こうが分かると言われました」

「お父さんらしい説明だわ。私は鷹野完一郎と、そのひとり目の結婚相手である作家の小栗玲子の子よ。あなたから見れば腹違いの姉。今はバーを3つ経営しているわ」

「はい」

 隠し子で無い事に安心しつつ、頷いてみたものの、まだ頭の中は混乱していた。飲食店を3つも経営しているのは取り敢えず置いておくとして、僕の聞いていた話では父さんと1人目の奥さんの間に産まれた人は男性であったはず。


「まだ、混乱しているみたいね。お父さんの子の割に頭が堅いわね。私の戸籍上の名前は小栗壮一。こう言えばわかるかしら」

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