第3話 昭和の家の美女

 数日後、書類を持ってきた男性を迎えたのは、夫の町内会長の方であった。元々彼も幼い頃は「昆虫博士」と友達に呼ばれていたので、すぐさま親しく話しをするようになった。年齢も息子達に近いため、夫人の方は、時々料理などを差し入れすると、本当に喜んでくれた。そのお礼にと彼が手土産を持ってきてくれると、春が過ぎた頃には、夫妻の家で一緒に食事をするまでになった。


「このウバタマムシはきれいに撮れていますね」


昔撮った写真を研究者に見せながら、町内会長はニッコリ笑った。

七色に光るタマムシの仲間だが、ウバタマムシは茶色い虫で、玄人好みの虫だった。


「いいのよ、お世辞なんて」夫人はそう言ったが

「いえいえ、お世辞じゃないです。ムシをきれいに撮るのは難しいですから」

「まあ、レンズのおかげかな、ハハハハハ」

「もう、この人、カメラ沼、レンズ沼にどっぷりはまってしまって。

どれだけお金をつぎ込んだかしら」

「そういう方がいらっしゃらないと、カメラが進化しませんから。

開発者も喜んでいますよ」

「ほんとにどんどん良くなってきて、有り難い・・・かな、ハハハ」そうして、本格的な虫のシーズンが始まったある日のことだった。


「こんにちは」

研究者は道で会長夫妻とあったが、頭を下げただけで、会話もなくそのまますぐに家へと帰って行った。それを見た夫の方は

「あれ? どうしたんだ? 何だかよそよそしいけど」

「ああ、良かった! 」

「え? 何が良かったんだ? 」

「鈍いわね、きっと恋人が出来たのよ。あの微妙な表情、うれしいような、恥ずかしいような感じだったでしょ。ほら、研究に没頭しすぎて彼女がいないって嘆いていたじゃない。ああ、良かった! 安心したわ。これから研究も忙しくなるから、色々な面で彼を支えてくれる人が必要よ」

「そうだな、稼ぎの良い彼女だったらいいな」

「何をまた、もう」

「言っていただろう? 研究のための本は高いんだぞ! 」

「そうね、私の大学の教授も仰っていたわ。「若い頃、この本を買ったら食費が無くなる」って事が何度もあったって」

「そうでなければ、大学に残って研究者にはなれんのだろう」

あと少しで定年を迎える夫が、さっきの冗談とは真逆な感じで言った。 一般の会社を定年まで勤め上げることも楽ではないが、双方大学に行った夫婦にとって、若い彼は、やはり尊敬できる存在であった。


 道で会ってから、夫人の方は食事の差し入れを控えていた。若い二人の邪魔をしたくはなかったからだ。だが、彼の方から

「数日後から家を空けるので、ここで食事をしませんか? 」

という招待の電話があった。彼女がいるかどうかはわからないが、料理とお菓子を持って、夫妻は彼の家へと出かけた。


「いらっしゃい、どうぞ」

玄関で、久しぶりに間近で会う彼は、どこか成長した様な雰囲気だった。そして飾りのない、シンプルだがおしゃれな感じの女性の靴が一足、男女のトレッキングシューズも隅にあった。二人が靴を脱いで上がろうとした時、古い日本家屋特有の「キイ」と床の小さな音がした。夫妻はその方向をぱっと見た。


「あの・・・・・彼女の・・・・・」

 

彼はもごもごと名前を言ったのであろうが、夫妻にはそれが聞こえなかった。聞こうと思わなかったのかもしれない。


それよりも目に飛び込んできたもの。


 マスクをつけていない、二十歳過ぎの一人の若い女性、肌は北国の子供のように白く、キメも細かく、頬は桜のような薄い上品な色で、まるで赤ちゃんのようにとても柔らかな肌質に見えた。

そして頭を下げて再び上げられた時の瞳は、大きく、肌とは違い、しっかりとした存在感があった。

「カラーコンタクトをしているのかも」とふと妻は思ったが、それは間違いであるとすぐに気が付いた。

なぜなら少しだけ開いた唇は、決して鮮やかな色ではなく、それでいて完全に左右対称の美しい輪郭であったからだ。

美人と呼ばれる人はことごとくそうであろうが、この女性は機械で作られた人形のような、完璧なシンメトリーであった。しかもノーメイクであるから、小学生の美少女のような清純さがあり、一方では落ち着いた、大人の、楚々とした雰囲気を持っていた。


「君が側にいて、微笑んでいてくれるだけでいい」

きっと、この国の多くの男性が望むもの全てを持っている女性であるに違いなかった。

二人は言葉としてそのことを発することも、動くことも出来ずにいると

「とにかく、どうぞ上がって下さい」

と彼に言われるがままに行動した。



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