第7話 『みだれ髪』与謝野晶子著 を読んで

『みだれ髪』与謝野晶子著 を読んで         笹葉更紗



「『みだれ髪』はさ、当時の社会意識の中で考えれば、エロ本みたいな感じだったのかな?」

 と、竹久は言った。


「エロ本。とまでは言い過ぎかもしれないけれど、当時の女性はつつましやかであるべきとされていたから、『みだれ髪』の表現は当時としてはそれなりに官能的だったとは言えると思うわ。女性の素直な情愛の感情が描かれている短歌は、普段それを耳にしない人たちからすればそれなりに感じるものがあったとは思うのだけれど……」

 

「え、なになに? 二人してエッチな話しているの?」


 放課後の教室で竹久と二人与謝野晶子の話をしているところに、瀬奈がやって来る。


「そんな話していないわよ」


「え、だってエロ本だとか官能だとか聞こえてきたけど?」


「文学の話よ。与謝野晶子。学校の授業でもやったことあるでしょ?」


「あー、なんか名前は聞いたことあるんだけどなー」


「『君、死にたもうことなかれ』」

竹久がヒントを出す。


「あ、それだ!」


「その与謝野晶子の話をしていたのよ。明治時代の歌人で、その短歌は女性の情愛や性につて語っているものも多くて、当時としてはそれなりにセンシティブだったんじゃないかしら。当時の女学生たちはずいぶんとその短歌に心惹かれたみたいだし。

 でも、それも変な話なのよね。江戸時代なんかには井原西鶴のようなかなりすごい大衆文学もあったわけだし、そもそも女性がその情愛を語るというのは、平安の時代の和歌でさえしっかりと語られていたというのに。やっぱり明治時代の日本の女性は閉塞的だったのかしら」


「まあそれもあるかもしれないけれど、旦那さんが与謝野鉄幹であることも関係あるんじゃないかな。与謝野晶子のみならず、与謝野鉄幹も有名な歌人だ。それを二人して情愛について詠うものだから、それはほとんどゴシップと言ってもよかったんじゃないかな?

 鉄幹と晶子との間にはいろいろと情熱的なエピソードもあるしね」


「へー、夫婦ふたりとも歌人だったんだ」


「だからお互いに理解があるし、競い合うように高めあったというのもあるんじゃないかな。同じ趣味を持った者同士の夫婦関係って、少し憧れるよね」


「んー、そんなもんかな?」


 竹久の言葉に、瀬奈は少し納得がいかない様子だ。

無理もない。

その理屈で言えば、竹久は瀬奈よりもウチと結婚したほうが幸せだと言っているようにも聞こえる……なんて、自分で言ってみて少し恥ずかしい。

でも、残念ながら竹久は瀬奈にぞっこんなのだ。あるいは竹久自身、そうやって瀬奈の嫉妬をあおり、自分に気を惹こうという読みがあるのかもしれないけれど。


「ねえ、その話。まだ長くなりそう? アタシ、おなか減ってきちゃったんだけど」


 瀬奈は不満そうに口をとがらせる。

 そう言っておもむろにスカートのポケットからバナナを取り出し、皮をむいて食べ始めた。


「おいおい、なんでそんなものもってるんだよ」


「ちょっとしたおやつよ。こうやってさ、バナナをポケットの中に入れておくと体温で暖かくなって程よく熟すわけね。そうしたほうがおいしいのよ。バナナは」


 ウチは思わず目を伏せた。

 だけど竹久はにやにやしながら言葉をつなぐ。


「瀬奈、与謝野晶子と鉄幹の話をしている時にそんなバナナの食べ方をするのはよくないな」


「なによ、アタシヘンなこと言った?」


「ああ、言ったね。でも、さすがにおれの口からは説明しづらいな。気になるなら、『与謝野鉄幹』『バナナ』で検索してみるといい」


「いちいちめんどくさいわね」


 言いながらも、瀬奈はスマホを取り出し、バナナ片手に検索を掛ける。

 バナナをかじりながらスマホを眺め、少ししてバナナを口から離した。

 さすがの瀬奈も少し紅潮している。ウチはもう、これ以上見ていられなかった。

 

 瀬奈はゆっくりと顔を上げ、竹久に向かってつぶやいた。


「ユウ…… 君は死にたまへ……」

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