エピローグ

前編『霧中ミスティの場合』

「最後のトリタテ失敗しちゃったわね」


 そう言うミスティさんは喪服を着ていた。

 ここは霧中勇作さんの眠る墓地。

 水曜日。

 雨が降っていた。


 ミスティさんは大きな花束を抱えている。

 墓にはすでにもう一つの大きな花束。

 それはミスティさんより早くわたしが供えていたものだ。


「ミスティさん、わたしのこと、知ってたんですね」

「ごめんね、黙ってて」


「どうして? どうして優しくしてくれたんです? わたしなんかに」


 ミスティさんはゆっくりと立ち上がり、わたしに傘をさしてくれた。

 そうだった。雨が降っていた。

 雨粒がバラバラと傘の生地をたたいている。

 気づけばスーツがぐしょ濡れだった。別に構わなかったけれど。 


「あの人がね、死の間際にあたしにこう言ったの『なぁ、そんな怖い顔するなよ』って。彼は、すごく優しい人だったの。誰に対しても優しい人。人を憎んだりすることができない人」


「そんな人をわたしの父は……」


「そう。でもあの人もまた、あなたのお父さんの命を奪った。それは事実でしょ? もちろんあの人、本当はそんなことしたくなかったんだと思う。それでもそうしたのは、残されたみんなが恨みを残さないため、最後につらい気持ちを全部背負って、あなたのお父さんを刺したんだと思う」


 それからミスティさんはそっとわたしの体を抱きしめてくれた。

 それから囁くように耳元で言葉をつないだ。 


「でもね、それに気づいたのは本当に最近のことだったの。残されたあなたのことまで考える余裕がなかったの。毎年、こうして花を供えてくれていたのにね」


「それくらいしか出来なかったから……」


「あの人は、勇作さんは、きっとあなたのことまで考えていたんだろうって、やっと気づいたの。それだけじゃなくて、あの日、あの現場に居合わせたみんなの事も」


「それじゃ、これまでわたしが取り立てに行ってた人たちというのは……」


「そう。あの日、あの現場に居合わせた人たち、関係があった人たちなの。もちろんみんなにはあなたの事を話してあった。不幸な事件はあったけれど、あなた自身のことをちゃんと知ってもらおうと思って」


「――世界にはやさしさと善意が確かに存在する――」


 ん? とミスティさんが不思議そうにつぶやく。


「雲居さんがそう言ったんです。今になってその意味が分かりました。あなたの事だったんですね。わたしは、わたしは、もうなんとお礼を言えばいいのか分からないです。でも、ありがとうございます。本当に感謝します……」


 わたしはミスティさんの差してくれた傘から一歩下がった。

 もう涙が止まらなかった。

 でもそれでもかまわなかった。

 雨がずっと降っていたから。

 雨が涙と一緒にわたしの中の澱を流してくれたから……



 


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