後編 『黒井アゲハの支払』

「そろそろだと思っていましたよ……」


 障子戸を開けると、薄暗い闇の向こうからそっと声が聞こえてきた。

 

「話が早いですね、今月の取り立てに参りました」


「何度来ても同じこと。あなたに渡せるモノなどなにもありませんよ。このおいぼれの命以外にはね……」


 闇の奥からそっと『黒井アゲハ』その人が姿を現す。結い上げた灰色の髪、皴は目立つが、整った目鼻立ちは往年の美貌を残している。一歩進むと、手にした薙刀なぎなたの銀光がろうそくの明かりにギラリと輝く。さらに一歩じりりと進むと、真っ黒の着物に白いたすき掛けの、御年八十八歳とは思えない、背筋をスッと伸ばした老婆の全身が姿を現す。


「あなたの命になんて興味はありませんよ。わたしが欲しいのはお金だけです」


 わたしは彼女の間合いを図りながら壁際に移動し、壁にかけられた薙刀の一本を手に取る。油断なく彼女の動きに目を光らせながら、その一本の重みを腕になじませ、くるりと一回転させて刃先を向ける。


「構えはなかなかね。多少の心得があるのかしら?」

「こんな商売をしていますからね。格闘術から武術まで基礎的なことは一通り」


 ココは道場というわけではない。おそらく客間、その広い部屋一面に畳が敷いてあるだけだ。したがって天井は低い。おそらく上段の構えは取れない、地味な突き合いになるだろう。その分、どちらも無傷では済まない。


「それじゃ役不足ね。年寄りだからってあたしを甘く見ていると……エヤッ!」


 いきなりの攻撃だった。しかもまっすぐ喉元を狙ってきた。老獪にして大胆、だがなんとか刃先を合わせ、軌道をそらすことができた。そしてそのまま反撃に移る。


「不意打ちですかっ!卑怯ですよ!」

「なんの、これしきっ!油断しているのが悪いのよ!」


 彼女は最低限の動きで、のらりくらりとわたしの攻撃をかわし、隙を見つけては鋭い突きを放ってくる。もちろんわたしも反撃する。老練な彼女に対抗するにはスタミナと手数だけがこちらのアドバンテージだ。十分に間合いを取りながら、ヒット&アウェイで彼女に攻撃を仕掛ける。二人の剣先が触れるたびに火花が散り、甲高い金属音が性急なシンバルのように鳴り響く。


「そろそろ限界じゃないですかアゲハさん?息が上がってますよ?」

「はぁ、はぁ、それはアナタの方じゃない?」


 と、ついに彼女の足元がぐらついた。体制を整えようと、なぎなたを杖代わりに立てた。つまりその瞬間、彼女は無防備になる!わたしはくるりとなぎなたを回転させ、必殺の一撃を繰り出そうとして……


「どうやらあたしもここまでのようね……」


 その瞬間、黒井アゲハは少女のような笑みを浮かべた。たぶん昔はそうだったのだろう、お転婆で、勝ち気で、でも天真爛漫な笑顔……彼女はきっと寂しかったのだ、だからこんな風にわたしと戦うことで……


「もっとあなたと戦いたかったな……」


 彼女がぱっと手のひらを開き、薙刀が離れてゆく。その瞬間なら確実にとどめを刺せただろう。だがわたしにはできなかった。

 同情?この感情がそうなら、たしかにわたしは彼女に同情したのかもしれない。だがわたしに後悔はなかった。こんなことは間違っている。たかがお金のことで命を懸けるなんて間違っている!


 その瞬間だった。

 ニヤリとアゲハ婆さんが笑った。宙を漂っていた薙刀を再びパッとつかみ取ると、感情が追い付かないままのわたしをあざ笑うかのように神速の一撃を繰り出した。


「隙ありッ!」


 烈風を巻いて鋭い突きが眼前に迫る。それをなんとか首を傾けてそらし、とにかく間合いを取ろうと後退して足がもつれた。もちろんその隙を見逃す相手ではない。


「勝負あったッ!」

 黒井アゲハの勝鬨と同時に、座り込んでしまったわたしの目の前に鋭い切っ先が突き付けられた。


「くっ、殺せっ!」

 ちょっとありがちなセリフであるが、いざこういうシチュエーションになると自然に出てくるものらしい。


 生と死が交錯する刹那、狩るものと狩られるもの、勝者と敗者、あらゆるものがこの一瞬、その銀色の刃先に凝縮された。


 と、黒井アゲハがスッと刃を引いた。

 それからニッコリと笑った。


「あー、面白かった!今月は合格よ!」

「そりゃよかったです。今回も冷や汗かきましたよ」

「なかなかいい演技だったわ、すごく真に迫ってた!」

「いやいや、演技している余裕なんてないですって」


 はぁ。毎月のことながら命懸けだ。

 そう。これは彼女から回収するための儀式みたいなものなのだ。とはいえ単なる儀式では収まらない。彼女は真剣だし、対するわたしもまた真剣だ。そうでなければ意味がないのだ。というのも、彼女は元女優、この回収劇は彼女の趣味であり、生きがいでもあるのだ。

 

「はい、これ。今回は未回収の三か月分ね」


 彼女は懐から風呂敷に包んだ紙封筒をわたしに手渡してくれる。

 まぁ中は数えるまでもない。すごく律儀な人だから。


「確かに受け取りました」

「来月もまたあなたが来てくれるんでしょう?」

「まぁ返済がある間はわたしがきます。ま、もうじき終わりますけどね」

「あら。だったらミスティちゃんに頼んでまた貸してもらおうかしら」

「延長ですか?まぁご利用は計画的におねがいしますね。でないとわたしが先につぶれてしまいます」


 わたしの言葉にアゲハさんは実に楽しそうにフフフと笑った。


 まったく回収稼業も楽じゃない。

 だが彼女の笑顔はそんな辛さを吹き飛ばすのに十分な晴れやかさだった。



 ~おわり~

 




 

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