第2話 ことのはじまり


 ある青年の話をしよう。


 本人にあまり自覚はないものの、彼の短い人生はなかなかの苦労の連続であったと言えるだろう。


 まずは、その生まれからして。

 なにしろ、彼は生みの親を知らないのだから。


 しかし、育ての親には恵まれたと言えるかもしれない。

 否、むしろ、この出会いは必然というべきだろうか。

 宿命、運命、人がそのように呼ぶものの類かもしれない。


 とにかく、まだ赤ん坊だった彼を拾ったのは、とあるお人好しであった。

 まずは、その話からしていくことにしよう。


 シュタフヴァリア大陸、神聖帝国領――以前の帝国の名はシィン、という――の南、ナビィーア山脈の麓、そこに鍛冶の町ヘファイスはある。


 帝国内最大の規模を誇る鉱山、ロクリム鉱山で採掘された金属資源は、トロッコに乗ってこのヘファイスに運ばれる。鍛冶の町という名前の通り、ここでは刀剣、鎧兜、鍋や鍬に至るまで、様々な品物が生産されている。

 帝国内でも屈指の鍛冶職人を抱えているので、名のある剣闘士や、手練の武芸者は、好んでヘファイス産の武具を用いる者が多い。

 もっとも、先の大戦から長らく戦いを経験していない今となっては、彼等もまためっきり数を減らしているのが現状である。


 そんなこの町に、鍛冶職人として働くホーストという男がいた。

 彼は若くして、ヘファイスでも五本の指に入るほどの鍛冶職人だった。

 彼の作った品物は帝都ニーヴェルンゲンでも評判になるほどで、皇都ヴァルマスカの皇帝守護親衛隊の隊長のために剣を鍛えたこともあったほどだ。


 彼にはエキドナという、若く美しい妻がおり、二人は、ルーシーとカトリーナという二人の女の子に恵まれた。四人の家族は、豊かで幸せな生活を送っていた。

 ホーストは平和に暮らせる幸せを感じ、二人の子宝に恵まれながらも、自分の仕事を受け継ぐ跡取りが居ないことに少なからず無念を感じていた。


 そんな時である。

 

 帝都ニーヴェルンゲンで行われた鍛冶職人ギルドの集会に参加した帰りの道中で、小さな赤ん坊と遭遇したのは……。

 

 赤ん坊は街道から外れた森に捨てられていたのだが、ホーストが赤ん坊を見つけることが出来たのは、ほぼ偶然だったと言えるかもしれない。

 というのも鍛冶職人の仲間達と街道を歩いていたとき、風に乗って流れてくる、悲鳴に似た微かな音を聞き取ったのだ。


 はじめは誰もが何かの冗談か空耳だと笑っていたが、どうにも気になって仕様のないホーストは、一人街道を外れ、声のする気がした森の方へ進んでいった。


 いつもと様子の違うホーストの態度に困惑しながらも、鍛冶職人の仲間達も後を追っていくと、なるほどどうして聞こえてくるではないか。


 人間の――しかもどちらかと言えば幼い子供の――搾り出すようなけたたましいほどの泣き声が。

 

 そしてそれにかき消されつつも、時折聞こえてくる獣か何かの吠えたける声が……。


 いち早く、声のする場所へ駆けつけたホーストはそこで、やかましい程に泣き叫ぶ赤ん坊と、その声の大きさに気圧され、その場で吠えたけっている三匹のオオカミを見た。


 オオカミ達はホーストに気づくと彼の方を向き、威嚇するかのように牙を剥いて唸り声を上げた。

 焦るホーストは武器など持っていなかったが、運良くポケットに入っていたパンを切るナイフを掴みオオカミ達と対峙した。

 

 鍛冶仕事で鍛えているだけあって、腕っ節には少々自信を持っていたホーストだったが、さすがに野生のオオカミ三匹を相手にして、無傷で勝てる見込みはなかった。


 しかしオオカミ達は――ホーストにとっては僥倖だったが――牙を剥いて威嚇はするものの、襲ってくる様子はないようだった。


 少しして、鍛冶職人の仲間達が近づいてくる音が聞こえると、オオカミ達はあっさりと踵を返し、森の中へ走り去っていった。


 危機を脱して冷や汗をぬぐったホーストは、毛布に包まれた赤ん坊を抱きかかえ、仲間と合流した。

 だが、そこからヘファイスの町に帰るまでのその間、ずっと泣き続ける赤ん坊には、ほとほと困り果てることになった。


 なにしろその泣き声のやかましさといったら、普通の赤ん坊のそれをはるかに上回っていたのだから。

 

 ヘファイスの町に戻ったホースト達は、各々自分の家に帰ることにしたが、赤ん坊は第一発見者であるホーストが一時的に預かることになった。

 正直な所、ほかの連中は件の赤ん坊の泣き声に少々疲れきっていたのであった。

 実際、そんなことはホーストだって同じことなのだが、彼は文句も言わず家路についた。


 家では、夫の帰宅を温かく迎えるべく夕食の準備に取り掛かる妻エキドナと、四才と二才の姉妹、ルーシーとカトリーナが父の帰りを今か今かと待っていた。


 だが、三人とも――もっとも、二才のカトリーナに理解できたかは定かではないが――やかましい音を出す「何か」を抱えて帰ってきた一家の主を見てひどく驚いたのは言うまでもない。

 あまりのやかましさに、二才のカトリーナは泣き出してしまったほどだった。


 驚く妻エキドナに、ホーストが事情を説明し、赤ん坊が泣き止まないことを話した。

 すると、エキドナは何も言わず、夫の手から赤ん坊を受け取り、二児の母らしい慣れた手際で赤ん坊を調べていった。


 少し経った後、エキドナは、赤ん坊を風呂場で綺麗にする仕事をホーストに任せ、自分は赤ん坊用に重湯を作り始めた。


 そしてホーストにも旅の疲れを落とすために娘達と風呂に入ることを勧め、夫と娘達が風呂に入っている間に綺麗になった赤ん坊に清潔な衣服を着せ、作った重湯を飲ませ、背中を叩いて噯気を出させた後、しばらくの間赤ん坊を抱き、耳に心地の良い声で子守唄を歌った。

 この歌は、二人の娘を育てた時によく歌った、娘たちもお気に入りの歌だった。


 その調べを聞いているうちに、今までずっと泣きべそをかいていた赤ん坊も、彼女の優しい歌声に誘われるかのように、その大きな目をゆっくりゆっくりと閉じ、眠りについていった。


 ホーストも旅の疲れ――主に赤ん坊の泣き声が原因のものだが……――を風呂で癒やし、赤ん坊が眠りについた静かな家で、妻と二人の娘と共に暖かな食事を楽しんだ。


 そして食事を終え、娘たちを寝かしつけた後で、これからのことについて話し合うことにした。


 捨て子を拾って育てるとなると、金や世間体やらが後からついてまわるのは二人とも承知してはいた。


 しかしながら、産みの親に捨てられるという不幸を背負ったこの赤ん坊に対して、二人は何とも言い難い感情を抱いていたこともまた確かなことだった。


 特にホーストは心の中で、跡継ぎとなる男の子に恵まれなかった自分にとって、この赤ん坊は特別な意味をもっているのかもしれないと感じていた。


 結局、二人とも心の中ではもう答えは決まっていたので、赤ん坊を息子として育てるという結論を出すのにそう長い時間は掛からなかった。


 翌日、早速二人は赤ん坊を連れて町の教会ヘ行き、神父に祝福と疫病予防の薬を求めた。

 神父もいきなりの求めに驚いてはいたものの、快く祝福に応じてくれた。


 こうして赤ん坊は、ヘファイスの鍛冶師ホーストとその妻エキドナの息子となった。




……以上が、ことの始まりの一部始終である。


 後日談になるが、鍛冶師ホーストが捨て子を拾い、それを息子にしたというニュースは、瞬く間に町に広がるものの、一家のことを悪く言う者はいなかった。


 ヘファイスの町でも指折りの鍛冶師であるホーストの家は、他の町民からも一目置かれており、又ホーストもエキドナも人望が厚く、大のお人好しとして皆から慕われていたのが、その理由の一つと言えるのかもしれない。


 ともあれ、後にアレンと名付けられることになるこの赤ん坊は、ここから約十五年の歳月が過ぎ、この物語の歯車がゆっくりと動き始めるまでの間、両親といえる年若い夫婦と、気の強い上の姉と、心優しい下の姉の下で健やかに成長を遂げることになるのだ。



 これから語るアレンという名の一人の青年の物語。


 お次は、彼の物語の歯車がゆっくりと動き出すまでの時の流れを、断片的にではあるが、見ていくことにしよう。



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