10.牛牛パニックでピクニック④


「ではお父様、行って参ります」


 ピクニックへ出掛ける当日は、幸いにも良く晴れた。前日まで雨で地面がぐちゃぐちゃ……という事もなく、実にピクニック日和である。

 アルベルトは自身も同行したいと思ってぎりぎりまで粘っていたが、ベンジャミンの「お嬢様はご友人と出掛けたいと思っているはずですよ」という言葉に思い留まった。春になり、花がたくさん咲く頃に絶対にピクニックに行ってやると意気込んで、リリアンの見送りの為に表に出ている。

 アルベルトはリリアンを呼び止めて、手にしている箱をリリアンの前に差し出した。


「リリアン、これを持って行きなさい」


 差し出したのは、この日の為に準備した特別製の弁当箱だ。縦横高さがすべて三十センチほどの、ずっしりと重さを感じる箱は、弁当箱と呼ぶには少々厳つい。


「お父様、これは?」

「お前の為に作った弁当箱だ」

「お弁当箱、ですか」

「お前の魔力に反応して開くようになっている。開ける時には、魔力を通すようにしなさい」

「ええ、分かりました」


 そうは言われても、箱はつるりとした金属のような手触りで、本当に弁当箱なのかすら怪しい。どう開くのか予測ができず、しかも令嬢が運ぶのにはちょっと重たい。父の言う事なので受け入れはするが、魔力に反応して開くようにするその意味も分からない。謎が深まるばかりで、リリアンは首を傾げてしまう。

 ともあれ折角用意してくれたのだからと、リリアンは弁当箱をシルヴィアの手に渡した。シルヴィアが弁当箱を馬車に運び込む。それを見守るリリアンは、ちょっぴり中身がなんなのか気になった。


「中身がなんなのか伺っても?」


 アルベルトはそれに、もちろん、と頷く。


「旨い肉を挟んだサンドイッチだ。何度も試作はしたから、味は保証する」

「まあ! お父様が作られたの?」

「皆で食べるといい」

「はい。ありがとうございます」


 リリアンは笑顔でアルベルトに礼を言うと馬車へ乗り込んだ。もう一度「行ってきます」と窓から顔を覗かせるリリアンを、アルベルトもまた笑顔で見送ったのだった。



◆◆◆



 王都の南西、街から三十分程のところに、湖がある。整備された街道から程近い事もあり、ちょっとしたピクニックには持ってこいで人気のある場所だ。ただ今は、春にはまだ早い時期なので、リリアン達の他には誰もいなかった。春の訪れを予感させる小さな白い花が湖畔に広がっており、ひんやりとした空気が辺りを包んでいる。リリアンは、この人の少ない湖の空気が好きだった。胸いっぱいに吸い込めば、散策で温かくなった体を冷やしてくれる。


「このくらいで、少し休憩にしませんこと?」

「ええ、そうですわね」

「あちらに行きましょう。木陰がとっても気持ちいいの」

「いいですわね」


 きゃっきゃと言い合って、リリアン達は湖のほとりを進んだ。


 今日は皆早朝から準備をしていたため、昼にはまだ早い時間ではあったがお腹はぺこぺこだった。敷物を広げたところにクッションを置き、飲み物を飲んで一休みしていると、全員のお腹が鳴ったのだ。三人で笑い合い、これはお菓子では間に合わないわねと、リリアンは提案をする。


「では、さっそくですが、お弁当にしましょう」

「そうしましょう。わたくしもう、お腹がぺこぺこで」

「わたしもです」


 シャロンが言い、ミオラルが同意すると、全員がそれぞれ容器を取り出した。ヴァーミリオン家から貸し出されているもので、中身が傷まないように冷却する装置が組み込まれている。


「この容器、すごいわよね」


 ミオラルがそれを覗き込んだ。ええ、とシャロンも頷く。


「この箱自体が氷魔法を組み込んだ魔道具なのだとか。魔石を嵌め込むだけで何時間も中のものが冷えたままだなんて、本当にすごいですわ」

「そうなのね」


 リリアンは、容器がそんな大層なものだなんて知らなかった。その容器は、出発直前にアルベルトに渡された弁当箱に似ている。きっとあの弁当箱も、これと同じような構造をしているのだろう。


「これは、わたくしの練習の成果ですわ」


 シャロンは、容器のロックを外し、蓋を開けた。


「まあ、きれい!」

「フルーツサンドね。シャロン、考えたじゃない」


 容器の中身は、小さな三角形のフルーツサンドだ。食べやすいよう小さめに切られており、フルーツの彩りが目にも楽しい。白く薄いパンでクリームとフルーツを挟んだそれは、令嬢なら誰もが好むものだった。リリアン達も例外ではなく、見た目と味、食べやすさを考慮した最適な逸品とも言える。ただひとつ欠点があるとすれば、冬のために手に入る果物の種類が限られてしまうことだろう。酸味の強い果物しか無かったのだとシャロンは語ったが、酸味が強いことが利点となる料理でもある。


「苺はヴァーミリオン家から購入したものです。オレンジは南からの輸入品ですが、果物の酸味とクリームの甘さがほどよく合うのですよ」

「このお花は?」

「食用のものです。彩りのために添えてみました」

「すごいわ、彩りにも気を配られるなんて!」

「恐れ入ります、リリアン様」


 どうぞ、と勧められて、リリアンとミオラルはそれぞれサンドイッチをひとつ手に取った。端の方から口に含めば、ミルクの風味のするクリームと瑞々しいフルーツとが混ざり合う。


「美味しいわ!」

「ありがとうございます」


 リリアンが言えば、シャロンは笑みを深めた。自身もフルーツサンドを頬張り、舌鼓を打つ。

 ふんわりしたパンが、クリームとフルーツの邪魔をせずにいるのも素晴らしい。スポンジを使ったケーキとはまた違った美味しさに、手放しでリリアンは褒めた。

 シャロンはそんなリリアンを微笑んで見詰めている。頬が緩みそうになるのを必死で堪えていた。


(ああ、はしゃぐリリアン様も愛らしい……! 頑張った甲斐があったわ!)


 シャロンは最初、果物を切るだけにも苦戦した。怪我をするからと必死で止める使用人を振り解き、練習に漕ぎつけたはいいものの、勝手が分からず何度も指を切った。最初から果物を切るのではなく、パンを切ることから始めたらいいと言う侍女の気遣いに泣きそうになりながら、この一週間猛特訓したのだ。クリームを作るところまでは辿り着けず、それは家の調理師にやって貰ったが、なんとか苺のヘタを取り、パンに挟んで食べやすくカットするところまで出来るようになった。それも初めての時には崩れてぐずぐずになってしまい、工程は少ないはずなのにこんなに難しいのかと、普段それをやっている使用人がとんでもない職人に思えたものだ。

 だが、崩れてしまったフルーツサンドを勿体無いからと口に運んで、更に驚いた。見た目はともかく、とっても美味しかったのだ。それでシャロンは初めて、少しくらい見た目が悪くても、味に影響がないことを知った。そんな事も知らなかったのだ。

 だったら、見た目も綺麗な普段の料理は、どれだけ作るのが大変なのだろう。

 そう思ったシャロンは父親に頼み込み、必死で練習をした。そのせいで一週間フルーツサンドばかり食べることになったが、なんとか綺麗に作れるようになった。自身が作ったものを、こんなにも喜んで食べてくれる。しかも、麗しのリリアンがである。これほどまでに喜ばしいことがあったのねと、シャロンは感動に身を震わせていた。


「では次はわたしね。と言っても、本当に大したことはないのだけれど」


 そう言って、ミオラルも容器を取り出した。そこには、ココアパウダーがまぶされた、丸い塊が詰め込まれている。


「これは、トリュフチョコレートね?」

「ええ、その通りです」


 リリアンの問い掛けに、ミオラルは答えた。

 シャロンはミオラルの持参したものが意外で、目を丸くする。


「チョコレートのお菓子は難しくはない?」

「トリュフチョコレートは、チョコレートのお菓子の中でも簡単な部類なの。とは言っても、ほとんどシェフに手伝って貰ったけれど」


 どうぞ、とミオラルは容器を二人に差し出した。指が汚れないように、木製のピンを刺してある。ココアパウダーがドレスに溢れないようにねと添えると、リリアンとシャロンはそっとトリュフチョコレートを口に運ぶ。

 ほろ苦いココアパウダーに歯を立てると、内側の柔らかいガナッシュが顔を出す。カカオの風味を感じているうちに、苦味ではなく甘味が舌に触れて、ガナッシュが体温で滑らかになっている事に気付く。その滑らかなガナッシュを味わっているうちに、それは溶けて無くなった。

 ほう、とリリアンはため息をつく。


「美味しいですね……!」

「ええ。やはりチョコレートは美味しいわ」


 リリアンとシャロンの言葉に、ミオラルは笑みを深めた。

 初めミオラルは、もっと単純な料理に挑戦するつもりだった。だが、やはりピクニックなので、リリアンとシャロンがサンドイッチを持ってくるだろうと予測して、あまりお腹にたまらないものの方がいいだろうと思ったのだ。が、それを家の料理長に相談すると、難しい顔をされた。簡単でお腹にたまらず、持ち運びのできる物となると種類が限られてしまうのだ。

 だから、あとは選択肢の中で、ミオラルが作れるものを練習するしかなかった。その結果、自分でも意外なことに、どうやらお菓子作りの才能があったらしい。焼き菓子はそんなに上手にできなかったが、チョコレートを使ったお菓子であれば、ミオラルにも作る事ができたのだ。

 チョコレートは温度管理が重要になる。それをきちんと守り、教わった手順通りに材料を加えるのは、思ったよりも自分に向いていた。ただ、ガナッシュはたまに失敗してしまうので、今日のところは料理長に代わりに作って貰った。そうなれば、トリュフチョコレートは工程のほとんどが出来上がったも同然なのだが、コーティング用のチョコレートは自分で用意したし、成形もミオラルが行った。これで良しとして貰おうと思う。

 二人の手料理を味わったリリアンは、シャロンとミオラルが持ってきた料理に関心しきり通しだった。


「お二人共、まったくの初心者だったのでしょう? すごいわ! たった一週間でこんなに美味しいものを作れるようになるだなんて! 素晴らしいわ」


 リリアンは心からそう二人を称賛する。リリアンは焼き菓子は得意だが、温度管理が苦手でチョコレートのお菓子が作れない。食事系は、肉の処理や下味など、工程が多くて無理だった。そんな料理を、二人は人の手を借りながらとはいえ、一週間である程度ものにしたのだ。そんな二人の努力は、友人として誇らしい。

 敬愛するリリアンに手放しで褒めて貰えた二人は満足げに微笑む。一般的に見ればそこまで難しいものではないので、少しばかり照れ臭かった。

 そういえば、とシャロンはリリアンの手元に視線を向けた。


「リリアン様のものも、見せて頂いて宜しいですか?」

「わたくしのは、ソルトクッキーなの。……あ、そうだわ、これ」


 言ってリリアンは、自分が準備したクッキーとは別の、行きがけにアルベルトから渡された弁当箱を取り出した。ちょっと重たくて、よいしょ、と出した時には、どすんと振動が伝わってきた。

 ミオラルとシャロンは、厳つい箱に驚いて瞬いた。


「あの、こちらは?」

「お父様が渡して下さったの」

「まあ、公爵閣下が?」


 ええ、とリリアンは頷いた。


「お父様の手作りのサンドイッチです」

「て、手作り!?」


 仰天する二人をそのままに、リリアンは言われた通り、箱に魔力を通した。すると、上の方から光の膜が広がり、全体を覆った。光はすぐに消える。これをどう開けるのかと見ていると、ぷしゅうと空気の漏れる音がした。

 次の瞬間、上蓋の中央に線が入り、そこから半分ずつ、外側に向けて蓋がスライドする。その隙間からは水蒸気が溢れ、同時に光が洩れる。歯車の回るキリキリという音が鳴っていると思ったら、箱の中央が迫り上がってきた。下の段から大きさが一回りずつ小さくなって、階段状に中央が高くなる。がしょん、がしょん、がしょん、と音を立てて、三段でそれは止まった。その高くなった中央には、確かにサンドイッチが乗っていた。


「す、すごい装置ですね……」

「お父様ったら、こんな仕掛けを作って、凝り性なんだから」

(そういう問題かしら……)


 シャロンは、どんな仕掛けなのかしらと箱をまじまじと眺める。ミオラルは呆れた風のリリアンの様子に、アルベルトの溺愛っぷりを感じ取った。

 ともあれ、お腹も空いていることだしと、ありがたくサンドイッチを頂くことにした。


「なんだか、爽やかな香りがするわ。この蒸気かしら」

「風味付けでしょうか?」

「ううん、どうかしら……」


 サンドイッチはシャロンが持参したものとは異なり、きちんとした食事系のものだった。分厚い肉が挟まっていて、緑色の葉物野菜も見える。

 蒸気は殺菌作用のあるハーブから作られたもので、これによって雑菌の繁殖を抑えようというのだ。サンドイッチに光が当てられていたのも同様の効果を期待したもの。まだ研究中の技術ではあるが、効果が確認されたため、今回の弁当箱に採用された。

 ちなみに迫り上がるような仕掛けにしたのは、箱から取り出しやすいようにしたためだった。

 もっとも、三人にはそんな事分かるはずがなかった。ただ、あのアルベルトがリリアンに害になるような物を持たせるはずがないので、その点は安心して食べられる。


「では、頂きます」

「ええ、どうぞ」


 三人はそれぞれサンドイッチを手に取る。


「こ、これは!」


 一口かじって、シャロンは目を見開いた。

 まず感じたのは、香ばしいトーストの香り。それからすぐに、爽やかな風味が鼻腔を駆け巡る。草原の風のようなそれが通り過ぎると、濃厚な肉の脂が舌に触れた。


「なんて甘い脂……!」


 脂が、じゅんわりと体温で溶けていく。舌に広がるそれは一切の臭みを感じさせない。とろりとした脂を味わっていると、気が付いた。


「違うわシャロン、ソースが脂が混ざり合って、甘みを引き立てているのよ!」


 なるほど、とシャロンは頷く。溶けた脂を味わっていたはずなのだが、いつの間にか口内でソースと脂と肉とが混ざり合っている。脂が溶けることでそれぞれが複雑によく混ざり合うようになっているのだ。

 噛んでいると、脂にも、ソースにも打ち消されることのない、濃い肉の味が広がっていく。最後に残るのは、その肉汁だ。舌から脂とソースとを流し去り、旨味だけが残る。それを追いかけるようにして、次の一口が止まらなくなる。

 ミオラルもシャロンも、夢中になってサンドイッチを頬張った。


「お弁当にするためにきちんと加熱してあるのに、この厚さでこの柔らかさ。信じられない……」

「ジューシーさも失われていないわ! どういうこと?」

「ソースと肉汁のマリアージュがたまらない! 葉物野菜が、肉の風味を損ねていないなんて」

「この蒸気の爽やかな香り。これが更に食欲を引き立てているわ……!」


 一口含めば、草原を駆けているような錯覚に陥るほど、爽快感を覚える。咀嚼すれば、次の瞬間は一気に晩餐会の会場だ。てらてらと輝く肉の断面は、喰らいつかれるのを待っている。本能の赴くままにそれを口に運ぶと、濃厚な肉汁のソースが舌を刺激する。噛めばその度に肉汁が溢れるものだから、もっと、もっとと咀嚼してしまう。肉汁が溢れる度にそれが洪水となって二人を襲う。溺れそうになっていると、すっと手を差し伸べられる。それに縋りつき、肉汁の洪水から抜け出した二人が手の主を見上げると、そこに佇んでいるのはヴァーミリオン公。そうだ、彼の方が、これを作ったのだ。他ならぬ愛娘のために。二人が頂いているのはそのおこぼれに過ぎない。けれどもそれすらも忘れて溺れてしまうほど、このサンドイッチには魅了されてしまう。まるで魔法のようだ。一連の錯覚をまるで実体験したかのような、そんな感覚が二人を覆う。

 ミオラルとシャロンの感動は止まらない。あっという間に一切れを食べきって、興奮のままにリリアンに笑いかける。


「リリアン様、このサンドイッチ、とても美味しいわ!!」

「喜んで貰えてよかった。父に伝えますわね」

「いいえ! こんなに素晴らしいものを頂けるだなんて、幸運ですわ」


 ふふ、と笑んで、リリアンもサンドイッチを頬張った。「あら、本当に美味しい」と呟くリリアンはよほど舌が肥えているのだろうと、シャロンは関心する。

 それにしても、これだけのものを、公爵本人が自ら作ったというのが信じられない。肉の焼き加減は完璧だし、ソースの味もいい。素材がいいという事はあるだろうが、全体のバランスが整っているからこそ、このサンドイッチの完成度を絶対的なものにしている。これは単に焼いた肉をパンで挟んだだけのものではない。魔法や事業だけでなく料理までできる。一体あの方は、どこまで器用なのかと思わずにいられない。

 ミオラルは、次の一切れを大事に食べていたのだが、噛めば噛むほど感じる肉の旨みに舌が蕩けそうになっていた。これほど美味しい肉があるだなんてとまじまじと観察するが、さすがに焼かれた肉がなんの肉なのかまではわからなかった。


「ところでこちらのとっても美味しいお肉、なんのお肉なのですか?」

「わたくしも気になります。こんなに美味しいお肉、口にしたことがございません」


 シャロンもミオラルに同意する。リリアンは、シルヴィア経由で聞いていた情報を思い出した。


「ええと、この時期にティーメルゼン草原で獲れる牛だと聞きました」

「まあ! それならばティーメル牛ですわね」

「ご存じですの?」

「ええ。とても美味しいと評判なのだそうです」

「そうなのですか」


 ティーメル牛は貴族ならば一度は口にしたいと願う高級肉だ。だが滅多に市場に出回る事がないので、伝手がないと入手が難しい。それをわざわざ準備したというのなら、公爵の溺愛っぷりが分かるというものだ。

 二人がさすがだなと関心していると、リリアンがそういえば、と胸の前で両手を合わせた。


「今日のお肉は、普通の牛とは少し違って、白い牛のものだそうです」

「……希少種ぅー!!!」


 シャロンとミオラルは叫んだ。まさかまさかの、希少種の肉だとは。それは美味しいわけだ。


「そ、それは、なんて貴重なものを……!」

「道理で美味しいわけだわ……」

「そうなの?」

「そうですわ! リリアン様、これは大変な事ですわよ!」

「まあ」


 そうしてリリアンは、シャロンとミオラルに、このサンドイッチがどれだけ価値があるかをじっくり聞かされたのだった。



 ピクニックは大成功で終わった。リリアンは大満足で帰宅すると、玄関先にアルベルトが待ち構えていた。それに思わず笑って、リリアンは「只今戻りました」とアルベルトの元に向かう。


「お帰り、リリアン。ピクニックはどうだった?」

「とっても楽しかったです」

「そうか、それは良かった」


 アルベルトはその間、ずっと笑顔だった。なぜならリリアンが嬉しそうに笑っているからだ。その顔を見るだけで、リリアンがどれだけ楽しんだかが伺える。


「肉は美味しかったかい?」

「ええ!」


 即答するリリアンはまさしく天使の微笑みをアルベルトに向ける。リリアンの微笑みを全身に浴びるアルベルトは、それでもう胸がいっぱいだった。


(試作……頑張って良かった……!)


 料理長と相談の上、作るのはサンドイッチにして、肉に合うパンを焼かせたまでは良かったのだが、リリアン好みのソースを仕上げるのに少し手間取った。リリアンの好みは甘めのソースなのだが、肉の脂が甘いぶん、ソースの調整が必要だったのだ。最終的に出来上がった二つのソースの、どちらを採用するかで料理長とアルベルトが揉めた。完全にリリアン好みのソースにすべきというアルベルトに対し、あくまで肉に合うものの方が、結果としてリリアンも好むはずだと料理長は主張したのだ。どちらがより美味しいかを、実際にサンドイッチにして試食をし、使う肉の部位も吟味した。これほどまで真剣に料理を味わった事など無いかもしれない、そんな一週間だった。

 結局ここは料理長の助言に従い、肉に良く合うほうのソースを選ぶ事にした。やや残念に思っていたアルベルトだったが、リリアンが満足したというのなら、それが紛れもない〝正解〟である。リリアンが喜んでくれたのであればそれでいい。アルベルトはようやく満足した。

 リリアンは、ピクニックでの様子を思い返し、改めてアルベルトに感謝の言葉を伝えた。


「お二人にも、とっても喜んで貰えました。お父様、ありがとうございます」

「リリアンの為だからな、どうということはない。気に入ったのなら目一杯食べるといい。まだまだたくさんあるから」

「まあ」


 ふふ、とアルベルトの冗談を笑って——アルベルトは本気も本気なのだが——、リリアンは一度表情を引き締めた。その様子にアルベルトはどうしたのかと眉を上げる。


「でも、とっても貴重なものだとシャロン様に聞きました。きちんと教えて欲しかったです」

「う……それは、驚かせようと思って」

「王族でも滅多に口にしないとか……そんな貴重なものを、わたくしが気軽にピクニックに持っていくわけにはいきませんわ」

「でもほら、ちゃんと王家には分けてあるから」

「今日はシャロン様とミオラル様が、初めて料理を披露する場でしたのよ。お二人が萎縮してしまうところでした」

「す、すまん」

「あと、お弁当箱、ちょっと重たかったです」

「か、改善する」


 魔力の高い魔物を平手一発で沈めるアルベルトも、リリアンの前では形無しである。しゅん、と肩を落として詫びた。

 リリアンの言葉にいちいち頷くベンジャミン。もっと言ってやってくれと、お嬢様に念を送った。



 その夜、ヴァーミリオン邸の夕食には、希少なティーメル牛のサーロインステーキが出された。料理長渾身の逸品に、公爵家の皆も思わず絶賛する。


「これは、確かに美味しいですね!」


 リリアンの言葉にアルベルトもレイナードも同意する。


「旨味が違うな」

「味が濃いですね。なのに臭みがなくて、食べやすい」


 レイナードは最初の一口をじっくり味わった。


「今朝、マクスに自慢されましたよ。昨夜食べたそうで、とんでもなく美味かったと」


 ふ、とアルベルトは笑みを浮かべる。


「なら、渡した甲斐があったな。少しの間なら何でも聞き届けてくれるんじゃないのか」

「そうかもしれません。随分気に入っていたようだから」


 陛下も気に入ったようですよ、とレイナードが続けたが、さもあろうとアルベルトは思った。グレンリヒトもマクスウェルも、見た目通り肉を好む人種だ。これだけ旨味の強い赤身の肉ならば、気に入って当然だろう。ヴァーミリオン家にはまだまだ大量の肉が残っているから、何かゴタゴタがあったら渡せば、多少の無理が通せるかもしれない。肉も革も、人に渡すにはなかなか便利な贈り物になる。なんなら希少種ではなく、普通のティーメル牛を数頭狩ってもいいかなと、アルベルトは考えていた。







「なんだ、この騒ぎは?」


 バルバスは、冒険者組合に戻るなり目を丸くした。西支部はやや裏通りにある事から、いつもはそこまで混雑はしない。だというのにこの日は、上から下への大騒ぎとなっていた。あちこちを職員が駆け回っており、どうしてだか大工が出入りして尚のこと騒がしい。


「おい、何があったんだ?」


 ちょうど、顔見知りの職員がバルバス前を横切った。職員は忙しそうにしていたが、バルバスの呼びかけに足を止めてくれる。手にした書類の束を取り落としそうになっていたのが申し訳なかった。


「ああ、まあ、色々あって」

「大口の取り引きでもあったのか」

「まあな。まさにその通りだよ」


 彼は確か副支部長だ。いつもなら、現場に出てくるのは彼の部下のはず。彼が直接走り回っているのを見るのは、役付きになる前の事だ。余程の大きな取り引きがあったに違いない。


「悪いが、俺達も獲物を仕留めて来たんだ。報告していたティーメル牛なんだが」


 ああ、と副支部長は眉を寄せた。


「そうか、仕留められたのか。すぐにでも手続きをしたいんだが……すまない、少し待っていてくれるか。荷馬車は、あー、今中庭がだめだから、そうだな、倉庫に」

「倉庫? どこの?」

「えーっと……ああ、すまん。どこの倉庫なら空いてる?」


 副支部長は、近くを通りがかった女性職員に声を掛ける。彼女は急ぎながらも、「三番倉庫なら、まだ空いています!」と叫んで走り去って行った。


「……本当に忙しいみたいだな」

「そうなんだ。急に支部長の左遷……いや、異動が決まって」

「左遷? 何をしたんだ、奴は」


 西支部の支部長は、悪人というわけではなかった。少しがめつくて、立場をかさに物を言うところがあったが、悪事に手を染めるタイプでもなかった。だがここまでの急な左遷となると、相当な理由があるのだろう。

 訝しむバルバスに、副支部長はハッと笑う。


「あのヴァーミリオン公を怒らせてな。それで」

「ヴァーミリオン公を!?」


 それはそれは、とバルバスは頬を引き攣らせる。


「なるほどな。それ程の方を怒らせたとあれば、本部も黙ってない」

「そういう事。大工がいるのもそのせいだ。ヴァーミリオン公が魔力を爆発させたとかで、窓ガラスが全部吹っ飛んで」

「はあ、さすがだな……」


 副支部長は肩を竦める。


「大口の取り引き相手というのもヴァーミリオン公だ。ティーメル牛の希少種の素材と肉を卸されてな。支部長の異動に伴う引き継ぎと、希少種が入荷したことを聞きつけた貴族連中の対応とで、てんてこ舞いさ」


 それに、「うん?」とバルバスは首を捻った。


「ティーメル牛の希少種……」

「どうかしたか?」

「いや……」


 バルバスは記憶を呼び起こす。先日ティーメルゼン草原で見た希少種、それを一撃で倒した男。よく見ていなかったが、彼の頭髪は白っぽかった気がする。


「まさか……な」


 あの時の彼は、ひょっとしてそのヴァーミリオン公だったのではないかと思ったが、高貴な身分の者が、単身魔物の群れに飛び込むとは思えない。もの凄い魔法の使い手だとは聞くが、それでもそんな無謀な事はしないだろう。バルバスは頭に浮かんだ考えは振り払った。

 じゃあ、と副支部長の声がして、バルバスは彼に視線を向ける。


「悪いが、三番倉庫に運んで、そこで待っていてくれ。職員を行かせるから」

「ああ、頼む」

「いいって事さ。今後も頼むよ、俺が新しく支部長になるんだ。これだけたくさんのティーメル牛の入荷ともなれば、俺の手柄になるからな」

「はは。さすが、頼もしい限りだ」


 バルバスはよろしくな、と言い残して、表に出た。

 この後バルバスは、度々ティーメルゼン草原で場違いなきらきらした男を見掛けるのだが、結局その男が何者なのかはわからないままだった。

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