10.牛牛パニックでピクニック②


 アルベルトがやって来たのは、ヴァーミリオンの屋敷から最も近場にある支部だ。王都の西方にある冒険者組合の支部は魔物素材の取り扱いが多いという話だった。まあ、ここに無くても本部に問い合わせて貰えばいいだけのことだ。アルベルトはすたすたと受付に向かった。


「少しいいか」

「あ、はい」


 手元の書類に視線を落としていた職員に声をかけると、女性はすぐに手を止め顔を上げた。そして視界に入ったのが誰なのかを理解したのだろう、驚きに目を見開いた。


「ヴァ、ヴァーミリオン公!?」


 途端ざわりと周囲が沸く。反応してもそのままでもどの道騒ぎになるので、アルベルトは一瞥もせずに受付の女性にだけ向いていた。


「騒ぎにしたくない。問い合わせたい事があるんだが、頼めるか」


 女性はそれで察したようで、声を上げた事を詫びた。


「申し訳ございませんでした。それで、問い合わせとは」

「ティーメル牛の在庫はあるか」

「ティーメル牛、でございますか……少々お待ち頂けますか。本部と各支部にも確認致しますので」

「ああ、頼む」


 頷いた女性はすぐに席を立った。珍しく余計な横槍もなく話が進んだ。職員の女性も余分な事を言わずにいてくれた事が有り難く感じる。外出すると何かと人に群がられるアルベルトとしては、ただ淡々と仕事をこなす職員の存在は貴重だった。あの様子であればそう待たずに回答がありそうだと、受付でそのまま待機する。本部や他の支部に在庫があるようなら自分で受け取りに行くつもりだし、在庫が無いのであれば獲りに行かねばならない。確認が取れたらすぐにでも行動を移したいアルベルトとしては、このまま待っていたかったのだ。立ちっぱなしでも何も気にならなかった。いつもの事だ。

 別の職員がお茶でもどうかと申し出るのを断っていたところに、二階への階段の方から、なにやらどかどかと足音が響いた。何事かと視線を向けると、恰幅のいい男がこちらへ向かって来るのが見えた。少し嫌な予感がする。


「おお、ヴァーミリオン公爵閣下! こんな所でお待たせして、申し訳ございません!」


 こういった類いの輩は、やたらと声量があるのが特徴である。アルベルトは眉間に皺を寄せた。


「支部長のロックブロンと申します。お目に掛かれて光栄です」


 男は頭を下げると、すっと腕を支部の奥の方へ向けた。奥に案内しようというのだ。


「ささ、こちらへどうぞ」

「いや、いい」

「そう仰らず、さあ。おい! 早くお茶をお持ちしろ!」


 きっぱりと断るアルベルトに構わず、ロックブロンと名乗った支部長は強引に奥へ行かせようとしてくる。話を聞かれないのも、騒がしいのも嫌いなアルベルトは、その時点でかなりムッとしている。が、こういう連中は、自分の領域に相手を入れないとそもそも話にならない事が多い。それを良く知っているアルベルトは、仕方なくベンジャミンを伴い、案内された応接間へ向かった。

 そこでソファに腰掛けると、ようやくロックブロンは本題を切り出す。


「それで、どういったご要件でしょうか」


 その言葉にアルベルトはビキッと表情を歪める。


「あ?」


 どうやらロックブロンは、すでにアルベルトが職員に問い合わせをしている事を知らないようだ。なんの為に応接間へ招いたのか。


「すでに要件は職員に伝えているが?」


 冷たく言い放ったアルベルトに、怒気を悟ったのだろう、ロックブロンは頬を引き攣らせる。


「あ、お、そうでしたか。それはそれは……あの、ちなみにどういった内容で……」

「あぁ?」

「ヒッ!」


 ここで改めて支部長に伝える意味があるのかと、アルベルトが更に機嫌を損ねてしまった。なぜ貴様なんぞに、と眼力を強めるアルベルトを宥めるように、ベンジャミンがこほんと咳払いをした。


「ティーメル牛の在庫が無いか、と受付の職員に問い合わせをしました」


 ティーメル牛、と呟いて、ロックブロンは慌てて席を立つ。ちょうどお茶を運んで来た職員から茶器をひったくると、叫ぶようにして言いつけた。


「おい、本部に通達を入れろ。ティーメル牛の在庫がないか、大至急確認しろ、と!」

「は、はい」

「閣下、部位の指定はございますか」


 支部長の言葉に、アルベルトはおや、と眉を上げる。


「部位の指定ができるほどの在庫があると言うのか?」

「……!! ももも、申し訳ございません!!」


 気を利かせたつもりが更に失言を重ねることになった。ロックブロンは青くなって、とにかく職員を急がせる。ここでさほど急いだところで、本部の動きが早まるわけでもなし。そもそも、受付の女性が先に動いてくれているのだ、ロックブロンの行動にはなんの意味もない。まったくくだらないと、アルベルトは再び鼻を鳴らした。

 ただ、これでもう、あとは回答を待つばかりだ。それがいつになるか分からないが、とにかく待つしかない。よく知りもしない相手に会話を楽しむとか、そういった事に微塵も関心の無いアルベルトは、ただ黙って待つことにした。が、ロックブロンの方はそうではないようだった。しきりに頭を下げ、揉み手をしてアルベルトに茶を勧めている。


「回答があるまで、茶を味わってお待ち下さい。かのヴァーミリオン公爵閣下のお口に合うかどうかは分かりませんが、こちらは新しく仕入れたばかりの東方のものでして。どうです、変わった香りでしょう」

「…………」

「いやはや、閣下にお会いできる日が来ようとは」

「…………」


 どれほど珍しく高価なお茶が冷めようと、アルベルトの知った事ではない。お茶を飲みたい気分ではなかったアルベルトは、ロックブロンの言葉と共に無視した。それに、この緑色のお茶ならば知っている。一度試した事があったのだ。アルベルトは別に好きでも嫌いでもなかったが、リリアンが試したところ、あの可愛らしい顔がほんのちょっぴり歪んだのを見逃していなかった。これは駄目だな、と判断したアルベルトはそれからこの茶葉に触れることはなかった。

 そんな事とは知る由もないロックブロンは、別方向からのアプローチを始める。ロックブロンだって、もちろんアルベルトが無視を決め込んでいることは分かっている。だが、あのヴァーミリオン公爵本人が、こんなところにやって来るだなんて珍事、もう二度と起きないかもしれない。意外と野心家なロックブロンは、ここぞとばかりに売り込みを始めたのだ。


「ヴァーミリオン家の活躍は耳にしております。いやはや、素晴らしいことです。あれほどまでに幅広く事業を手掛ける家かつであったでしょうか、いや無い! あれらすべてがアルベルト様ご自身の手によるものだとか。実に素晴らしい商才でいらっしゃる」

「…………」

「うちでは冒険者が持ち帰る素材を買い取り、それらを市場へと卸していますが、ヴァーミリオンで扱っている素材ははどれも高品質なのだとか。魔物素材ももちろん取り扱っておられるのでしょう?」

「…………」

「いやあ、それほどのものをうちでも扱えたらいいんですがねえ。いくら腕の立つ者がいたとしても、さすがにヴァーミリオンで扱っているようなものはとてもとても」

「…………」


 支部長のトークは、なんとも暑苦しいものであった。ねちっこくて、それでいて分かりやすく擦り寄ろうとしている。無視を決め込んでいるアルベルトだったが、在庫の確認の回答がなかなか無いうえに暑苦しいトークを聞かされ、少しずつ苛立っているのが後ろで控えているベンジャミンにも分かった。なのに、ロックブロンは止まらない。更に揉み手を繰り出し、にんまりと笑みを深める。


「いかがでしょう。ほんの少しでも構いませんので、魔物素材を融通して頂くわけには」


 が、アルベルトにそんなもの通用しなかった。おべっかもご機嫌伺いも、そもそも聞く気のないアルベルトの耳には入っていない。雑音はすべて無視する、それが彼の信条だった。だが、雑音は雑音。あまりに音が大きければ耳を塞ぎたくなるものだ。もっとも、アルベルトは耳を塞いだりしない。音の方を断つ、そういう方法を取る男である。

 まったく話に乗ってこないアルベルトに、ロックブロンはまだめげない。見上げた根性だ、アルベルトからしてみればとてつもなく厄介なことだった。無視を続けていたが、やがてぐぬぬと唸ったかと思うと、ロックブロンはおもむろに懐から小箱を取り出した。


「これは秘蔵のとっておきなのですが……」


 木製の細長い箱だ。それを机に置き、そっと上蓋を開けると、そこには扇子が納められていた。丁寧な手つきでそれを取り出すと、さっとアルベルトに向けて開いてみせる。


「どうです、美しいでしょう! この世に二つとない、極楽鳥の羽根を用いた扇です! 骨組みには希少な香木を使用しておりましてね、仰ぐとその香りがするのですよ」


 こちらも東方からの品でして、とロックブロンは得意気に語るが、真っ赤な扇はけばけばしい。極楽鳥の羽根、というのがそもそも怪しいが、素材の色ではなく染色されているように見える。香木を骨組みに使うのは悪くない発想だが、加工が甘い。そのうちに変色したりささくれたりしそうだった。とてもではないが、アルベルトが手に取ろうとは思えない出来栄えである。

 が、ロックブロンはなぜかにっこり笑んでこう言ったのだ。


「いかがです、こちら、御息女にお似合いではございませんか」

「……は?」


 アルベルトは耳を疑った。この趣味の悪い扇が? リリアンに似合う?

 思わずアルベルトはロックブロンの手から扇子を奪い取っていた。


「こんな粗悪品が! リリアンに似合うわけないだろうがァ!!」


 アルベルトは扇子を握りしめる。バキンと派手な音を立てて扇子は真っ二つに折れた。


「ふざけるなァーー!!」


 アルベルトは拳を机に叩きつけた。全力で、勢いよく。ドンッ、と拳が机に打ち付けられると同時に破裂音が響いた。

 パァンと音を立てて机が爆散する。


「むおぅっ!」


 あまりの衝撃に真空波が生じた。

 バリン、パパパパパン! ドン!


「ぐえっ!」


 そんな音が支部中に響き渡った。

 お茶の入っていた器は吹き飛び、応接間の豪華な絨毯を無惨に汚した。窓ガラスが真空波で砕けて飛び散り、ロックブロンも吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。

 アルベルトは自身の周囲を保護していた為に無事だった。その後ろにいるベンジャミンもだ。怒りを表情に乗せるアルベルトとは対照的に、ベンジャミンは呆れ顔である。


「……で?」


 壁に叩きつけられ、のそのそと身を起こしたロックブロンは、アルベルトの地を這うような声に身を震え上がらせた。ひぃ、と小さく悲鳴が漏れる。


「いつになったら、確認が取れるんだ?」

「は、はひぃ! たたっ、只今、すぐにっ! 確認して参りますううう!」

「初めからそうしろ」


 ロックブロンは立ちあがろうとしても上手くいかず、這う這うの体でなんとか応接間を出て行った。それを見送り、ベンジャミンは主人に視線を戻す。ピリピリと肌を刺すような感覚があったのだ。

 まったく、と腕を組むアルベルトからは、いまだ怒気を感じる。


「アルベルト様。魔力が漏れ出ています」

「構うものか。よりにもよってあんなものをリリアンに相応しいなどと、殺されなかっただけありがたく思え馬鹿が」


 その言葉にベンジャミンはこっそり息を吐く。確かにあれはちょっと趣味が悪い。細工も半端だ、公爵にあれを勧める支部長の神経を疑う。

 応接間に通され、待たされたのはほんの十分ほどだが、ああして売り込まれるのはアルベルトが嫌う事の五指に入る。とは言え大人なのだから、十分くらい我慢して欲しいものだ。ため息を溢しそうになるのを我慢して、ベンジャミンはそれ以上は黙っていた。

 すぐにその後、廊下からまたやかましい足音が聞こえた。応接間に駆け込んで来たのはロックブロン、その後ろに職員を引き連れているから、足音は彼らのものだったようだ。よほど急いでいたのだろう。アルベルトの態度がああだったから、仕方のない事だ。

 ロックブロンは滝のような汗を流し、肩で息をしていた。この短時間に何があったのか気にかかるところではあるが、それを問う者はいなかった。


「も、申し訳ございません、閣下。その、ティーメル牛の在庫は、ございませんでした」

「卸した先にもか」

「は、はい。そもそも組合に、まだ入っておりませんで」


 汗を拭く支部長の一歩後ろから、組合の職員が頭を下げる。先ほど受付で対応してくれた女性だ。


「現在、冒険者が討伐に当たっているのですが、まだ仕留められておらず、入荷していないとのことです」


 ぴくりとアルベルトがそれに反応した。


「それはどこだ?」

「はっ?」

「だから、その冒険者が討伐しているというのは、どこだ」


 職員はぱちくりと瞬いた。


「ティーメルゼン草原の北部だと、報告が入っております」


 聞くや否や、アルベルトはすっくと立ち上がる。行くぞ、と一言言うと、すたすたと部屋を出てしまった。


「あ、あの」


 ロックブロンがおろおろしているところに、ベンジャミンはすっと近付く。


「目撃情報の提供、ありがとうございました」

「あ、はあ……?」

「これは情報の代金と……修繕費としてお納めください」


 懐からおもむろに金貨を取り出し、ベンジャミンはロックブロンの掌にそれを乗せる。ロックブロンは、金貨の枚数にぎょっと目を見開いた。


「こ、こんなに」


 ベンジャミンはにこりと笑んだ。


「あの机、なかなか高価なもののようでしたので。それに、衝撃で窓ガラスがいくつかだめになってしまったようです。修繕には少々手間がかかるかと」


 言われてロックブロンは、はじめて室内を見渡した。内庭に面した壁、その一面の窓ガラスが、ことごとく無くなってしまっている。


「芝にも割れたガラス片が飛び散っていることでしょう。その処理はなかなか大変ですよ、ええ」


 ベンジャミンは身をもってそれを知っている。業者を入れるとそれなりに時間も金もかかるのだ。ベンジャミンはじっとロックブロンの目を覗き込んだ。


「欲を出し過ぎましたね」


 それだけを言って、ベンジャミンは足早にその場を後にした。急がないと、アルベルトが痺れを切らしてなにをしでかすかわからない。少し時間を取り過ぎたなと、この時ベンジャミンは反省した。

 現に、馬車に戻ったアルベルトは護衛の馬を奪い、それに跨って今にも駆け出しそうになっている。


「アルベルト様」

「荷馬車を草原に寄越せ。いいな」


 駆け寄るベンジャミンに、アルベルトはそれだけを告げた。


「お一人で向かわれるのですか」

「それが一番早いからな」

「せめて一人でも良いので、供を付けて下さい」

「付いて来るなら勝手にしろ。無駄な時間を過ごしたからな、私はもう行く」


 言い終えるとアルベルトは馬を走らせた。急いでベンジャミンは、残っている護衛にアルベルトを追うよう言いつける。街中だというのになかなかの速度なので、少しはらはらしてしまう。


「まったく、あの方は……」


 ベンジャミンがそうため息を吐いているとは思ってもいないアルベルトは、ただただ先を急いでいた。


(おのれ、急がねば!!)


 ぎりっと噛み合わせた歯が鳴る。しょうもないことで時間を食ってしまったのが、とにかく腹立たしい。一刻も早く牛肉を手に入れ、リリアンがピクニックへ持っていくに相応しいメニューを考えなければならないのだ。無駄な時間など一瞬たりともない。

 故に、アルベルトは馬を急がせた。草原は広い。その北部ともなると、王都からはどんなに急いでも数時間の道のりだ。更に言えば、北部というだけで、詳細な位置は分かっていない。移動と捜索で、普通なら半日から一日はかかるだろう。

 だが、アルベルトには秘策があった。とにかく草原にさえ入ってしまえばなんとかなるだろう。


「頑張れ、馬! リリアンの為だ、もっと早く! 最善を尽くせ!」


 だからアルベルトは馬に声援を送った。

 人通りの少ない道とは言え、砂塵を上げ爆走する馬がいて危険だと騎士団に通報があったのだが、それは公爵家によって無かったことにされた。

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