3.妹が雇いたいと言ったので④

 ルルを保護してから数日。リリアンは、早く職場に馴染もうと仕事に取り組むルルを遠目に、お茶を楽しんでいた。天気の良い日は庭に出ることが多いが、この日はアルベルトに薦められてバルコニーにいた。このように言うからには、バルコニーに居て欲しいのだろう。リリアンは父の意図を汲んで、バルコニーにお茶を運ばせた。


「ルルの様子はどう?」


 間近に控えるシルヴィアに、リリアンは訪ねる。


「とても真面目に仕事をしているようですよ。覚えは……あまり良くないようですが」


 リリアンは少し困ったように微笑む。


「そう。じゃあ、覚えるのはゆっくりでいいと伝えておいて貰える?」

「承知致しました」


 くすくすというリリアンの笑い声に、シルヴィアも笑顔だ。必死に職務を全うしようとするルルは微笑ましい。彼女を助けることができて良かったと、リリアンはそう思っている。

 ようやくいつもの笑顔を取り戻した主人に、シルヴィアを始めとする使用人一同は安堵の息を洩らす。リリアンが浮かない顔をしているだけで、屋敷からは太陽が失われたかのように消沈するのだ。主に、当主のアルベルトが、だが。

 王都の孤児院に調べが入ってから何日か経った。北の孤児院全てで行われた調査は、特に問題がないようだ。不正は見つからず、建物の損傷なんかを確認して、修理の手筈だけ整えて終わったと聞いている。次は東側の孤児院に取り掛かるそうだ。それで今日も兄レイナードは出払っている。

 今日は外出の予定は無く、授業も無い。訪問客の予定もないから、リリアンは一日読書をして過ごす予定だ。お気に入りの本を開き、ぺらぺらとめくる。

 ぽかぽかと暖かいせいで瞼が降りてくる。必死に持ち上げているうちに、お茶がすっかり冷めてしまった。せっかくのシルヴィアの美味しいお茶だったのにと残念に思っていると、アルベルトがやってくるのが視界に入った。

 朝食の時、確かに午前のうちは出掛けると、そして今日は屋敷から出ないようにと言っていたはずだ。庭には出ずバルコニーにいるようにと言われたのもその時だ。リリアンは驚いて本を閉じる。


「お父様、ご予定はどうなさったの?」


 無くなったんだ、と言ってリリアンの向かいの席に座ったアルベルト。その手元に紅茶が置かれる。できる侍女のシルヴィアは手早く準備を終えると下がった。リリアンの分も準備されていることを確認したアルベルトは手元の紅茶を取る。


「無くなったというより、早く済ませた、と言うべきか。それですぐに戻ってきたんだ。リリアンとお茶するためにね」

「まあ」


 後半は冗談だろうが、本当に冗談かどうかは怪しい。何しろ他国の王族の出迎えより娘とのランチを優先する男である。やりたいと本気で思ったら実行しかねない。


「もう済んだから、リリアン、庭へ出ても構わないよ。ただ、シルヴィアは連れて行くようにね」

「そうなのですか? わかりましたわ」


 深い事情は分からないなりに、リリアンは頷いた。言われないことは、聞かない方がいいことだと、リリアンはそう理解している。


「では、少しお散歩しようかしら」

「それがいい。そうそう、レイナードも今日は早めに戻ると思うよ」

「まあ。それは良かったわ。お兄様、昨夜も遅かったですものね」

「仕事だから仕方がないがな」


 そうね、とリリアンは紅茶を口に含んだ。本当は付いて来たいのだろうが、リリアンのことを何よりも優先してくれる父は、尊重もしてくれる。付きまとって嫌われるのを懸念しているのもあってか、同行を申し出ることはしない。だからリリアンは、いつも提案するのだ。


「お父様、この後お時間があるようでしたら、一緒にお庭に出ませんか?」


 途端ぱあっと笑顔になって、「もちろん!」と叫ぶアルベルトに、リリアンも釣られて笑顔になるのだった。




 同時刻、レイナードはルルのいた孤児院にいた。その背後には多数の騎士、そして王太子マクスウェルの姿がある。

 今日は告知されていた孤児院への立ち入り調査——ではなく、この孤児院を取りまとめる司祭とシスターの逮捕状を持って捕縛の為にやって来た。まだ調査まで日があるとたかを括っていたようで、突然の騎士団の訪問に二人は右往左往していた。それを引っ捕えて拘束し、その場で罪状の確認が行われている。

 子供達は全員保護され、一階のダイニングで女性騎士が見守っている。少なくともショックに思うだろうからというマクスウェルの配慮だった。


「これは一体、どういうことでしょうか」

「そ、そうです。私達はなにもしていません」

「悪人はみんなそう言うんだ。証拠はあがっている。隠し事は身のためにならんぞ」


 取り押さえられた状態で数人の騎士が取り囲んで剣を突き付けているというのに、シスターも司祭も肝が太い。


「貴様らの罪状は、六年前、当時七つだった少年が引き取られる際、不当に金銭をせびったものだ。手切金だなんだと言って吹っ掛けたそうじゃないか」


 マクスウェルの言葉に、シスターも司祭も目を丸くする。


「な、ななななんのことだか」

「ま、まあまあ、王太子殿下。どこにどんな証拠があってそんな」

「貴様ら、無礼だぞ!」


 王太子の言葉を遮る二人に、騎士がぎりりと拘束を強める。うっ、と唸り声を上げる二人の前にマクスウェルは、ぴらっと封筒を差し出した。


「証拠はこれだ。シスターの部屋の隠された文箱に、当時のやり取りの手紙が残っていた」

「んなぁっ」


 司祭の声にならない悲鳴が上がって、シスターは目に見えて狼狽していた。


「なん、なんでそれを」

「馬鹿、黙っていろ! 殿下、そんな、それはその、捏造されたものではないかと思うのですが」

「そうか? はっきりとお前の署名があるぞ。筆跡も鑑定の結果一致している」

「ええっ!?」


 そんな、なんで、いつの間に、そんなことまで調べるの?という叫びがこだまする。マクスウェルはさらに別の紙を出して


「それと、こっちも重罪だな。国庫から捻出された費用だというのに、用途不明でずいぶん使い込んでいるじゃないか。何に使った? 貴金属は見つからないようだからギャンブルか?」


とそう言うと、ぎくりと二人が反応して、マクスウェルは呆れた顔でため息をついた。


「ずいぶんと分かり易い奴らだ。お陰で手間が省けるよ。……ここは無いようだが、他領で孤児院による人身売買が行われていたのを知っているな? 言え、貴様らは関わっているのか? それともここに出入りしていたと言う、ダナル子爵が手引きをしているのか」


 シラを切ろうとしても、目が泳ぎまくっている二人は、うまく言葉が出て来ない。更に追求しようとするマクスウェルを遮り、レイナードは剣を抜いて一歩踏み出た。


「そんな事はどうでもいい」

「どうでもよくないだろ! 罪状に関わる、よくない!」

「それよりも孤児院の訪問の時の態度だ。どうしてあの時、ヴァーミリオン公爵家の娘と知りながらリリアンに無礼な態度を取った?」


 シスターは切っ先を突き付けられながらも考える。


「リリアン……?」

「惚けるな。私と一緒にいた女の子のことだ。銀の髪に青の瞳の美少女だ」

「お前よく妹に美少女って言葉使えるな」

「殿下、黙ってて下さい」


 振り返るレイナードの耳に、シスターの「美少女……」という呟きと、直後の息を呑む音が届く。視線を戻すとシスターははっとした表情で固まっていた。


「あの……あの子が」

「そうだ。言え、無礼な態度でいて出迎えもなかった理由は何だ」


 鋭い目つきで睨みつけるレイナードに、シスターは青い顔で叫んだ。


「こんな所に本物の公爵家の御令嬢が来るだなんて思ってなかったのよ! 本当よ、嘘じゃない!」

「何だと……?」


 そんな理由で始終あんな態度だったと言うのか。第一銀の髪は王家に連なる者の証だ。仮に名を騙る偽物だったとして、それだけで重罪になる詐称である。そんな愚を冒してまで騙るわけがない。

 眉を寄せるレイナードに、シスターの言葉の続きを司祭が引き継ぐ。


「ダナル卿の手の者だと思ったんだ。公爵家を騙って身を隠すつもりなのかと……あっ」


 言い切ってから、しまった、と司祭は口を噤む。とは言えもう遅い。はっきりと聞いたその言葉に、レイナードは元よりマクスウェルも表情を翳らせる。


「なるほど? ダナル卿は命が惜しくないようだ。ヴァーミリオンに喧嘩を売るとは。どうする、レイナード」


 レイナードは眉間を揉みほぐす。はあ、とため息をついて、


「父の耳にそれが入れば、お前達の存在はこの国から抹消されるだろう」


そう言って剣を収めた。

 瞬きを繰り返して言葉の意味を反芻するシスターと司祭。


「つまり、お前達は初めからこの国にいなかったことになる。父なら実行する。なぜなら、よりにもよってリリアンを、公爵家を騙る愚者の協力者だと、ダナル卿がそれを行ったのだと、お前達はそう言ったからだ」


 だから、ダナル家もそれ相応の処罰を受けるだろうと、レイナードは付け加えた。


「でもそれは……私の思い違いで、真実では無いと……」

「いいや。お前達はそうだと判断した。そしてそのように振るまった。それが事実だ」


 シスターも司祭も、理解できないという顔でぽかんとしている。誤解であったと、そう説明したはずであった。それなのに事態は良くなるどころか最悪にまで悪化している。どうしてこうなったのかと考えても、道理がまったく分からない。状況が良くない、ということしかわからない二人はぽかんとするしかなかった。

 マクスウェルは盛大にため息を吐いて、「つまりだな」としゃがみ込んで、二人と目線の高さを合わせる。


「貴様らがそう振る舞ったことを〝事実〟にして、その〝事実〟を元にヴァーミリオンが動きかねないと、そういう意味だ。ダナル家も同様に処分される。最も言ってはいけないことを言ったな」

「そ、そんな」


 シスターは呆然とするが、司祭の方は「過激過ぎるだろう……」と呟いた。「お前が言ったんだろうが」とマクスウェルが睨みつけるとふいっと目を背けるのだから大したものだ。

 マクスウェルは立ち上がってレイナードを伺う。レイナードと視線を合わせる表情は緊張感を帯びており真剣そのものだ。レイナードの方はと言えば、顔色は冴えない。


「どうした、レイナード」

「いや、少しまずいなと思って」

「まずい? 何が」

「仮にさっきの発言が父の耳に入ったとしたら、マクスが言った通り徹底的に潰すだろう。特にシスターと司祭はな」


 レイナードはマクスウェルを愛称で呼んだ。現在の会話は上司と部下ではなく、従兄弟同士のものだということだ。


「まあ、この二人が消されるのはいいんだが」

「いや、良くはないだろ、犯罪者とは言え一応人命だぞ」


 その言葉を無視して、レイナードはマクスウェルに向き直す。


「問題なのはその後だ。父が手を出せば最後、その後の処理は全部王家に回ってくる。つまり……」


 そこまで言えば伝わったようだ。マクスウェルの表情がみるみる絶望に満ちていく。


「なんてことだ……俺達の仕事が増える!」

「そうだ。僕は連中のことはリリーを侮辱したから当然の報いだと思うし、リリーの名誉のためであればどれほど残業をしても構わないんだが」

「おい、俺は困るぞ! ただでさえ仕事が溜まってるんだ、これ以上プライベートを潰されてたまるか! 休日返上だってしたくないからな。デートに行けなくなるだろうが!」


 まずいぞ、とマクスウェルは右へ行ったり左へ行ったり、忙しなく行き来する。その様子に、とんでもない事態に陥ったようだとようやく実感できたであろうシスターと司祭が、更に青い顔になる。戸惑いを全面に塗り固め、縋るような目付きをするが、そもそもの原因は彼らだ。

 マクスウェルは二人をキッと睨みつけて


「どうしてくれる、貴様らのせいだぞ!」


と怒鳴りつける。「八つ当たりだぁ」と司祭が情けない声を出した。

 くそっ、と吐き捨て、マクスウェルは拘束を続ける騎士達に指示を飛ばした。


「こいつらを連行しろ。城でたっぷり反省させてやる」

「く、くそっ」


 二人は連れられて行く。司祭の方は悪態をつく余裕があるようだが、シスターはすっかり消沈して大人しかった。彼らのことは騎士団が調査後、罪を暴くだろう。それを報告書として受け取って国王に奏上し、処分はその後決まる。

 だが目下肝要なのは先の司祭の発言だ。マクスウェルは腕を組み、人差し指をトントンと肘に打ち付けている。事態を収束させるのに妙案が浮かばない。


「どうするレイ、なんとか叔父上が手出ししないよう、手を打てないか」

「難しいな。でもどうにかするしかない」


 おや、とマクスウェルは片眉を上げる。


「なんだ。お前はてっきり叔父上が手出しすることには賛成するのかと思ったが」


 そんなこと無いと、レイナードは首を振った。


「あの二人が処分される事には賛成だ。そうじゃなく、僕は父上が手を出すのを止めたいんだ」

「うん? 同じ事じゃないのか、それは」


 マクスウェルは首を捻った。アルベルトが手を出せば、シスターと司祭の二人は処分され、ダナル子爵家も同じ道を辿る。それを止めたいのであれば、アルベルトを阻止しなければならない。

 そう言うと、レイナードはそうじゃない、と再度首を振る。


「僕が止めたいのは『父上が手を出す』という点のみだ。彼らが処分されるのは賛成だとそう言ったろう」


 孤児院の階段を下り、ドアを出ると、子供達が騎士に囲まれ連れて行かれるのが見えた。この孤児院に残っていた五人の子供達だ。彼らはいったんこの地区の教会に預けられる事になった。後任のシスターが決まってから、そのシスターと一緒にこの孤児院へ戻る事になっている。不安でだろう、目にいっぱいの涙を溜めていても、泣き出さないのだから強い子達だ。

 眺めながらレイナードは、ぽつりと言った。


「……リリーと約束したんだ。この件については僕に任せろ、と。なのに父上に手出しをされたら格好がつかない」


 はー、とマクスウェルは息を吐く。そういうことか、と言うと、「それは確かに格好悪いな」と続けた。


「どうにかしなきゃならないが、今こうしていてもいい考えが浮かばない。とりあえず城に戻ろう。今日一日ぐらいは時間があるだろ」

「そうだな……日が落ちるまでにどうにかしないと」

「そうと決まれば急ぐぞ。なんとしても阻止しないと、俺のプライベートがやばい」


 マクスウェルは颯爽とマントを翻し駆け出す。その様子はさながら戦場へ舞い戻る英雄のようであった。



◆◆◆



 馬を飛ばし、即座に帰還したマクスウェルとレイナード。

 どのような手段が取れるか、実はそれは限られていた。アルベルトの耳に入る前に処分をしてしまい、それ以上のことをできないようにする。それが現実的で確実な方法だった。ならば急ごうと、マクスウェルとレイナードが駆け込むようにして王太子の執務室へ入ると、そこには優雅にお茶を飲むアルベルトの姿があった。


「父上? どうしてここに」


 レイナードは信じられない物を見る目でアルベルトを見る。その隣のマクスウェルは天を仰いでいる。どうやってかは分からないが、問題を嗅ぎ付けやってきたのだろう。ベンジャミンを引き連れ、この部屋の主であるかのように振る舞うアルベルトに、若者二人はただただ呆然としていた。


「遅かったじゃないか」


 もう昼も過ぎたぞ、とアルベルトはぱちりと時計を開く。いつもはそんなの覗きもしないくせに、格好をつけているらしい。


「叔父上、なにかご用ですか。まさか」


 ふらふらと前に進むマクスウェルに、アルベルトは時計を内ポケットに仕舞い込み


「ダナル子爵家にちょっとな。そこから例の人身売買した奴の情報が見付かったから、そちらを元から絶っておいた。その報告に」


とそう告げた。

 レイナードは長く息を吐き、マクスウェルは床に崩れ落ちた。「終わった……」との声はマクスウェルのもの、そこには絶望の色が濃く現れている。


「そんなに嬉しいか?」


 父の言葉にレイナードは「いえ……」と返す。アルベルトはそれを聞いてむっとした。


「解決してきてやったのに、嬉しくないのか」

「ああいえ、嬉しくないわけでは……ただ父上の手を煩わせたのがショックだっただけで」


 正直に言って、レイナードは結構ショックだった。成人して数年、次期当主としての教育も、なんなら執務だってアルベルトから託されて行っている。そんななのに仕事で父親が手を出してくるのである。ましてや妹に任せろと啖呵を切ったことだ、このままだと本当に格好悪いことになって、どうしたものかと居心地が悪い。

 マクスウェルの方は、アルベルトが関わるとろくなことにならないからとただただ絶望している。

 アルベルトはそんな二人の様子に首を傾げていた。


「レイナードがなにを心配しているのかわからんが、私がやったのは元の方を懲らしめただけだ。リリアンに頼まれたから」

「リリーに?」

「そうとも、『お兄様に危険が及ばないようにして欲しい』とな。私はそれを実行しただけだ」


 レイナードはその言葉に気の抜けた思いをした。アルベルトの行動の基準はリリアン、少し考えればわかることだ。本当にレイナードに身の危険が迫っていれば、リリアンからの頼みでなくともアルベルトは公爵家として手を出すであろうが、今回で言えばそこまでの危険性はなかった。だというのにちょっかいを出すのであれば、そこにはリリアンの存在が必ずある。

 それほどまで妹に心配をかけてしまったのかと思うと情けない。だが、そうではないとも思う。


「リリーのことだから分かってるべきだった。……父上に『お願い』をするかもしれない、と」


 これはレイナードの考えが足りなかったその結果だ。

 ルルが憔悴してしまうほど怯えることがあった、だから万一のことを考えたリリアンがレイナードを案じた。それは当然である。だとしたら次にリリアンが取る行動はなにか。そう、アルベルトにお願いすることである。何かあるかも知れないから見守って欲しいとか、そういう感じで。

 息子を案じてはいないが、娘にそう『お願い』をされてしまったら、アルベルトは必ず動く。

 それに思い当たって、レイナードは力が抜けるのを感じた。父の表情は「甘いな」とでも言いたげだ。


「そういうことだ。では報告は済んだから私は屋敷に戻る。レイナード、お前も今日は早く帰るように。リリアンが心配していたから」

「……はい……」


 言うなり立ち上がって、アルベルトは部屋を出て行った。茶器一式を手にしたベンジャミンがその後に続いて、ドアを閉める。ぱたんと音がして、それと同時に思わずため息を吐く。

 シスターと司祭、この二人の処分についてはアルベルトは手を出さないと、そういうことのようだ。それはレイナードとマクスウェルの領分とするらしい。そこについては触れなかったから、きっとそういうことだろう。とは言え彼らの行いはアルベルトの耳に入るだろうから、生半可では不満に思うかも知れない。レイナードの方も軽く済ませるつもりはないが、これは気が抜けないなとそう思った。とは言え、彼らの存在をこの国から消し去る、だなんて大仕事にはしない。だからやる事と言ったら騎士団での尋問と調査に付随する諸々の確認、手続きであるが、そこにダナル子爵家とそこから広がる複数の人身売買に関与した者達への調査も必要になってしまった。

 リリアンに任せろと言った分には、父の介入は一応無かったから、レイナードはなんとか面目を保てたとほっとした。だがそんなレイナードとは違い、マクスウェルはまだ床に這いつくばったままだ。


「なんだそれ……結局仕事量は変わらないじゃないか……」


 その通りなので、レイナードはかける言葉が見つからなかった。



 シスターと司祭が持っていたエメラルドの指輪は、ダナル子爵が仲間の印にと渡したものだったそうだ。自分達に協力をすればこんな物いくらだって手に入ると、そう唆す材料でもあったらしい。あの日シスターがこれ見よがしに着けていたのはリリアンに対し、自分達はダナル子爵の身内であると示そうとしたから。リリアンをダナル子爵の使者と思ってのことだった。

 一方のダナル子爵だが、彼は先に捕らえられた人身売買をした貴族の手の者で、ようは使いっ走りだったようだ。

 シスターと司祭はダナル子爵に話を持ち掛けられ、そのうち協力すつるもりだったらしいが、今回調査が入ることになって焦り、打ち切られる前に金を得ようと子供達の売り買いを申し出たそうだ。だが当然今やる必要はないと、ダナル子爵には断られた。

 そこで過去取引をした相手に話を持ち掛けようと、金庫の裏に隠してあった手紙を引っ張り出した。その時にきちんと金庫を戻さなかった為に、レイナードに文箱を見つけられてしまう。ただ、あんな隠し方では見つかるのは時間の問題だった。からくり細工の文箱も、調査の名目で壊してしまえばその役目を果たさない。いずれ二人は捕まっていたことだろう。運営資金の着服、孤児の引き取り手に対する不当な金銭の要求、子供達への暴力と職務の放棄。その罪は重い。金の使い道は借金、借金の原因はギャンブルだそうだから救えない。

 ダナル子爵の屋敷では諸々の証拠が押収された。そこから更に繋がりが見付かって、いくつかの家が取り潰された。

 王都の孤児院では支援先の貴族との癒着があったことが確認された。国庫から賄われた資金の横領は大罪である。そのことごとくが処罰され、今後同じ事が起きないように貴族院によって新たな機関が設けられ、教会とその機関とで、孤児院を運営していくことになった。


 問題はまだまだ山積みであるが、一応、事態は収束した。

 マクスウェルの手元にある大量の書類を残して。


「ふ、ふふ、ふふふふふ……」


 今日も帰れそうにないと、マクスウェルは半笑いでレイナードが差し出す書類にサインを続ける。


「マクス、早くしろ。日付が変わる前には帰りたい」

「俺だって帰りたい!!」


 レイナードの言葉にマクスウェルは叫んだ。どうしてこうなったと、マクスウェルの問いに答える者はいなかった。


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