1.娘が絨毯が綺麗と言ったので③

「リリー。気に入ったか?」


 レイナードは、模様替えの済んだリリアンの私室で紅茶を頂いていた。この紅茶は最近リリアンが好んでいる、フルーツの香りが華やかなものだ。「お兄様は甘い物は苦手でしょう?」と砂糖を控えめにリリアンが淹れてくれた一杯を、レイナードは一口ずつ大事に飲んでいる。控えめにした砂糖が良い塩梅で、フルーツの香りも芳しい。「さすがリリーだ。趣味がとてもいい」と溢して、レイナードはその愛しい妹に目をやった。

 そのリリアンはというと、嬉しそうに部屋の真ん中で天井から床から見回している。そのせいでくるくるとその場で回ってしまっているわけだけれど、父と兄が用意してくれた調度品を見るのが楽しくて、さっきからずっとくるくるしている。レイナードはふっと笑って——リリアンの前だと自然と頬が緩むのだ——妹の側に寄ると、その手を取った。


「リリー。目を回すから、その辺にしなさい」

「でも、ほんとうに素敵なの! 嬉しくって、つい」


 リリアンの頬は紅潮している。目は、きらきらとせわしなく動く。仕方なく手を引いてリリアンを椅子に座らせると、レイナードはその前に跪いた。


「気に入ってくれて嬉しいよ、リリー」

「とっても……とっても気に入ったわ、お兄様。だってこの絨毯、それにあっちのカバーも。みんなあのオルオポリスの織物と同じ赤なんだもの! それに模様も。緻密で繊細で、なんて綺麗なの……」


 うっとりと見るリリアンは、まるで宝石を眺める貴婦人のようだ。レイナードは満足気に微笑む。


 この部屋に置かれた絨毯は、父アルベルトが商家に依頼して譲って貰ったものだ。倉庫に眠っていたこれは、何年もかけて一人で織ったものらしい。かのオルオポリス織の意匠を残しつつ、職人の感性で追加された紋様が描かれていた。

 オルオポリス織には、王笏を崩したモチーフが多様に使われている。もともとは献上品として作られ、それがだんだんと貴族に求められるようになって、それとなく王笏を感じるような紋様に変化したそうだ。それを他のモチーフと組み合わせて、別のものに見えるようにしていったとか。

 リリアンのためにアルベルトが選んだのは、中でも一等赤が鮮明なものだった。中央にクロスした王笏があって、その周囲を蔦が這い、蔦からは花が咲いて、蝶や鳥がそれに向かっている。これは王の統治を祝い、人々が集まって豊かな国になるのを祈るというものなんだそうだ。花の種類は様々で、薔薇、百合、クレマチスなどの貴族に好まれるものから、たんぽぽや菫など、庶民に親しまれている雑草に近いものが描かれている。そのせいか使われている色が多く、非常に色鮮やかだった。

 それでも最も目を引くのは紋様の合間合間に挿された赤。リリアンが目を引かれたという鮮烈な赤は、年数が経っても色褪せが少ないのだという。絨毯と一緒にいくつか小物も購入したが、この赤を使い織ったという、赤薔薇の小さなタペストリー。それは額に入れられ居間の中央に飾られている。数多くの高価なものを見慣れた父も、この赤を気に入ったようだった。それを思い出して、レイナードは目を細める。亡き母が一番好んでいたのが赤い薔薇で——だからきっと、そういうことなのだろう。

 やっと落ち着いたらしいリリアンがレイナードの顔を覗き込んでいて、何かを言いたげだったのに気付いたレイナードは、どうしたんだい、と声をかける。リリアンはにっこりと笑んで、ありがとうお兄様、ともう一度お礼を言った。


「本当に素敵だわ。ずうっと部屋に居たいくらい」

「たまには部屋から出ないと、父上が寂しがる」


 レイナードのその言葉に、リリアンはくすくすと笑う。


「ふふっ。その通りだわ。お父様が寂しくないように、適度に部屋から出るようにします」


 そうしてくれ、というレイナードの言葉に更に笑顔を深めたリリアン。それを眩しそうに見るレイナードは、妹の頭をそっと撫でてやった。


「これで少しは、気持ちが晴れたろう?」

「……気が付いていたの?」

「そうだな、父上が気にしていた。近頃ぼうっとしている事が多いみたいだ、と」


 それで急に模様替えをしようなどと言い出したのか。リリアンはそれに思い至って、くしゃりと笑顔を歪める。


「では、お父様にもっときちんとお礼を言わないといけないわ。今日はお戻りにならないの?」


と首を傾げた。

 レイナードは、大丈夫、と答える。


「今日は陛下に呼ばれているが、すぐに戻るそうだよ」

「そうなの? なら、目一杯お礼を言えるわね!」


 良かった、と声を上げるリリアンに、レイナードは目を細める。レイナードの後ろに控える侍女も護衛も、みんなレイナードと似たような表情でリリアンを見ていた。

 眩い朝の日差しがが窓から射し込んで、リリアンの笑顔をさらに輝かせていたからだ。




 その頃。アルベルトは王との謁見に臨んでいた。とは言っても呼ばれたのは王の私室、プライベートな空間だ。

 軽くドアを三回ノックして、返事があったのでドアノブを回す。かちゃりと扉が開くと、その向こうで王がこちらを向いてのが見えた。


「よく来たな、アルベルト」

「陛下にはご機嫌麗しく」

「そういうのは臣下の目がある時に言わんとだめだろ」

「どこに目があるかわからないでしょう」

「王の私室だぞ、あってたまるか!」


 まったくもう、とプリプリする王は、ぞんざいにソファを指した。それを視線で追うと、テーブルにはすでにもう一人、お茶を啜る人物の姿があった。王太子マクスウェルである。彼は視線で挨拶をして寄越した。アルベルトはお前も居たのかと言わんばかりに眉を上げ、王の指示に従って席に着く。

 そうしてその後、王が座って、ようやく話し合いが始まる。……の前に、王の、深く長いため息が室内に響いた。


「新しい事業を起こす、それは良いがな、アルベルト。今度は何をしでかした?」

「しでかすとは人聞きの悪い。偶然、素晴らしい織物を見付けて、それが少量しか作れないという話だったから、それでは勿体無い。だから支援することにしただけだが?」

「それがしでかしたというんだ! まったくお前は本当に、昔っからそうだ。突拍子なく、とんでもない規模でいろんなことをやらかす」

「突拍子なくはない。今回だって、その織物が必要だったからそうしただけで」

「それが突拍子ないと言ってるんだが!?」


 信じられない、という表情でアルベルトを睨みつけ、王はお茶に手を伸ばす。


「まあ、それはもういい……羊毛の工場を造るのはその一環か」

「そうなる。ゆくゆくは織り手を増やすから、今のうちに増産できる体制を整える」


 ふうん、と王が聞いているところへ、王太子マクスウェルが口を挟んでくる。


「件のものは私も見ました。良い織物ですね。流通するようになれば皆が求めるでしょう」


 ああ、とアルベルトは返した。


「ものはいいが数がない。かつてのオルオポリスのようにならないとも限らない。それで、我が家で保護することを条件に生産を勧めた」

「と、いうことにしたわけか」


 王のその言葉にアルベルトはにやりと口角を上げる。王は、それで、と先を促した。


「本当のところはどうなんだ。私にはきちんと教えてくれる約束だろう」

「もちろん、全部お話ししますよ兄上。そのつもりで報告書には省いたんですから」


 アルベルトは、兄である国王へ、真実を報告しに登城したのだ。王がプライベートな部屋を指定したのは、周囲へ政治的な思惑がないことを知らしめるためでもあるが、一番はここが最も安全な場所だからである。ここで行うのはあくまでプライベートな私的なこと。そこに国の意思はない、万が一のことがあった場合にそう言い訳するために、この場を使っているのだ。


「かのオルオポリス織は、やはり意図的に消失させたらしい」

「それは、いつからそういう計画だったのだ」

「最初から。偽物が流通し出したのも彼らの工作だとか」

「そこまでか? 何のために」

「付加価値を上げるため、人の記憶に残すためですよ、兄上」


 アルベルトが忍び込んだあの商会、その代表となっているカミラこそ、正当にオルオポリス織りを受け継いだ技師で間違いなかった。

 オルオポリス織は喪失する。ただしそれに似たものはひっそりと遺る。それが、当時の技術者と、統括していた貴族の思惑だった。


「国に対する意趣返しだそうだ。織物を無下にし、家族を蔑ろにされた王家に疵をつけるための」


 完成までに非常に時間のかかる織物を、もっと華美に、もっと早く、より安価にと強要され、家畜のような扱いを受けた職人達は、これ以上の生産を拒んだ。王侯貴族との窓口になっていた貴族は、家族と家を盾に無理な要求を飲まされることになったそうだ。それで技術者と貴族は結託し、オルオポリス織りを消す事にした。国への報復の下段階として、かなり早い段階で質の悪い偽物が出回るよう準備されたらしい。偽物が横行することで本物の価値を高め、保身するとともに需要をも高める目的があった。強盗や殺人は想定外だったそうだが、おおむね彼らの計画通りにオルオポリス織りは消えた。工場は職人の責任者が火を点けたのだという。その後逃げ出したはずの技術者が見つからなかったのは、彼らが意図的に隠れたから、他国に逃亡していた者の手引きなんかもあったから。

 そうして失われたオルオポリスの織物は、そこそこあった現物の価格は更に高騰して——それを喪失させた王侯貴族には非難が殺到した。とは言っても元々高価なものだったから、問題になったのは貴族の間だけで、平民にはさほど影響なかったそうだ。一部の商家が潰れたり他国へ行ってしまったりして、経済が一部破綻したこともあった。それが原因かはわからないが、ほどなくしてその国は別の国に取り込まれた。一説には、王家の財政が、何かが原因で破綻しており、国が立ち行かなくなったのが原因だと言われている。


「うーん。そこまでするか?」

「家族を助けるためならば、そのくらいするでしょう」


 しれっと言って、アルベルトは温くなった紅茶を啜った。王はちょっと眉間に皺を寄せる。その後で「まあ、やり過ぎなければいいのか」と溢して、王太子に肘でつつかれていた。

 オルオポリスの意匠を僅かに残した織物を作り続けたのは、逃げてきた職人と結ばれた貴族の娘だそうだ。完全に無くしてしまうのは惜しいと、それとわからないくらいに形状を崩して、でも見る人が見ればわかるくらいに留めた。それを嫁いでいく我が子に託したというが、実のところ肝要なのは織り込まれた紋様ではなく、織物に使われている赤の毛糸だ。この色を出す技術を残す、それが目的だった。その「貴族の娘」の「嫁いでいく我が子」が、カミラの母親というから、技術が確かなのは当然だ。


「量産をすることに反対はされなかったのか?」

「派手な生産はしない、ルーツがばれないようにする、それを条件にしたらわりと簡単だったな。やはり今のままだと、生活が不安だとかで」


 実際にはカミラ達の不安は「有力者に目を付けられ悪用されないか」というものだったのだが、アルベルトは生産力の無さによる不安だと解釈していた。ヴァーミリオン家の元に入ってしまえばどちらも解決するので、実際は大差ないかもしれない。

 王はいくつかの資料を捲った。


「糸はシルクか?」

「羊毛で十分なんだとか。色を留めおくのに工夫が必要で、それは門外不出の技術だとかで、私も教えて貰えなかったが」


 アルベルトの言葉に、王は大仰に驚いてみせる。


「ほう、お前の顔を見て断れる女性がいたのか」

「顔は関係ないでしょう」

「そうか? のぼせ上がるのがほとんどだろ」


 ふん、と王は鼻で笑って、まあいい、と手元の書類に目を落とす。


「それで技術だけはなんとか残ったわけか。この女性が自力で再現したことにして継承させていく、と。いつもながら強引だな、お前は」

「これが最善かと」

「だからって忍び込むか? 普通」


 アルベルトは、すっと視線を逸らす。


「まったく……お前は昔から……」

「体裁はギリギリ整えていますけど、手段はどうかと思いますよ、叔父上」


 王太子も呆れている。だが、王家に連なる血筋の者がふらっと入れるほど、彼女の家格は高くなかったのだから仕方ない。

 秘密裏に口裏を合わせて、アルベルトの家に出入りの商家に品を渡して貰って、そこから職人に会い、生産体制までの話をしなければならなかった。元締めともいえるカミラに、こちらの意図を正しく伝えるには、アルベルトが直接会う必要があった。だから直接出向いただけだ。確かに戸締りされた屋敷に忍び込むのはいささか無礼ではあったが、彼女の作ったものがアルベルトには必要だったから、やはり仕方なかったと思う。


「忍び込むのは辞めましょうよ、忍び込むのは」

「そうでもしないと話が出来なかったからな」

「だとしても、他に方法なんぞいくらでもあるでしょう?」


 王太子の言葉に、アルベルトは口を尖らせる。


「仕方ないではないか。リリアンが欲しがったんだ」


 その言葉に、父子は「やっぱり、それか」と同時に呟いたのだった。



 アルベルトが退室した部屋では、父子がややげんなりした面持ちで報告書を読み返していた。報告はなんとなく想像した通りで、動機もほぼ予想と違わなかった。それで、失われた幻の高級織物の復元とも呼べるものを市場へ復活させるというのだから、経済の一端を担う身としては見過ごせない。これは今後、王国の重要な産業になる可能性がある。流通のさせ方ひとつとっても下手なことはできなかった。ここのところ目新しいものがない分野だったから、市場が活気付くのは有難い。


「難しいな。下手をするとオルオポリス織の二の舞だ」


 王太子の懸念はもっともだ。王は目頭を揉みほぐして、


「それはあいつに……アルベルトに任せる。なんとかするだろ」


と投げやりに言った。

 目薬点そうかなぁ、とも言っているので、細かくびっちり書かれた報告書と計画書を読むのが嫌になったのだろう。叔父は非常に優秀だが規格外なので、それはよく分かる。


「それにしても本当にとんでもないですね、あの家は」

「あれは異常の域だがな。奴個人の特性か……いや、息子も似たようなものだったな……」


 王太子は父の言葉に、乳兄弟でもある従兄弟のレイナードを思い出す。レイナードの容姿は母親譲りであるが、時折見るあの鋭い目付き、あれはそっくりだ。そして——末娘リリアンに注ぐ愛情の強さったらない。今回、織物をターゲットにした経緯はレイナードから聞いている。それも「妹が気に入ったから、それで」としか言われなかった。それだけでこれだけのことをやってのける、それがかの公爵家、ヴァーミリオン家である。

 ヴァーミリオン家は、当主のアルベルトが銀髪に碧眼をしていることから、ヴァーミリオンの名に色が反している、とよく口にする者がいる。朱色というよりは月光、静かなものだ、と。だが実態はこれだ。愛する末娘の為ならば、彼らは夜も昼も関係なく、ただただそれを実行する。それは間違いなく、月光ではなく焔ではなかろうか。


「先代は私たちの叔父だがな、ヴァーミリオンを継ぐのは、代々ああいう者だ」


 王は呟くと、視線を寄越す王太子をじっと見返す。


「覚えておけ。あれは、私たちの本質でもある。王は焔を燃え上がらせるものではない」


 父からの忠告に、息子は


「つまり、人の振り見て我が振り直せ、と、そういうことですね」


そう返して、父をがっくりと項垂れさせていた。



◆◆◆



 アルベルトは屋敷に戻ると、真っ先にリリアンの私室へ向かった。執事のベンジャミンにリリアンが呼んでいる、と聞かされたためだ。愛娘からの呼び出しとあれば、重鎮から送られてきた手紙も無視する他ない。急ぎ足で駆け込む。


「お父様!」


 ノックの返事の後即座にドアを開けたアルベルトに、リリアンは両手を広げて飛びついてきた。それを受け止めて一回転、リリアンの足はふわりと床につく。


「ふふ。ごめんなさい、お父様。ちょっとはしたなかったわ」

「背も伸びたことだ。こうしてリリアンを持ち上げられるのはいつまでだろうね」


 そろそろ同じことができなくなるから今は構わないよ、とアルベルトはリリアンの乱れた髪を撫で付ける。リリアンのしたことは淑女のすることではないが、ここに咎める者は残念ながらいなかった。皆が皆、微笑ましくその光景を見守っている。正しくは、「お父様に感謝を伝えたくてたまらないお嬢様の姿を」だが。


(はしたないと分かっていても実行せずにいられないくらい喜んでいるということだ。手間をかけて良かった。眩しい笑顔、やはりリリアンには笑顔が最も相応しい)


 アルベルトは先日までの娘の様子を回想する。勉強の為開いた本を読む姿は真剣だけれど、ふとした拍子に見せるぼんやりとした姿。それとは比べものにならないくらい光り輝く今の姿は眩しくて艶やかで、アルベルトは頬を緩めずにいられない。


(嬉しくてたまらず、はしゃいだ後即座にはにかんで反省してみせる。完璧だ、お父様を萌え殺したいとしか思えない完璧ムーブ。完璧すぎて感動してしまった。今夜はこれを肴に酒が呑めるな。たまらん……)


 アルベルトが感動していると、こほん、と姿勢を正したリリアンが、紅潮する頬はそのままに向き直す。それに気が付いて、アルベルトは現実に意識を引き戻した。


「お父様にお礼を言いたかったの。素敵な絨毯をありがとうございます。とっても気に入ったわ」

「そのようだね。リリアンが喜んでくれて、私も嬉しいよ」

「ふふっ。お兄様とおんなじことをおっしゃるのね」


 くすくすと笑うリリアンの姿にアルベルトは目を細める。リリアンは親の目を抜きにしても整った顔立ちをしていて、アルベルト譲りの銀髪と母親譲りの空色の青い瞳が目を引く。利発で器量のいい自慢の娘である。普段は公爵令嬢としての気品に溢れ、貴族のお手本として差し支えない振る舞いをしている。その彼女が、今は、年相応の満面の笑顔で父親にお礼を言っているのである。


(リリアン……こんな……こんなのは……天使だ)


 この時のリリアンの姿は、アルベルトにはまさに天使に見えた。なぜならアルベルトには、リリアンの背後に後光と、羽根を見ていたからだ。もちろんこれは幻覚であるが、それを現実として受け入れている彼にはそれは、本当に存在するものに映っている。


(美しい。なんて綺麗なんだ……)


 そうしてアルベルトは思った。この光景は間違いなく絵に描いて残すべきである、と。



 神々しい光景に涙を流しそうになっている父親の様子には気付かずに、リリアンはそうだわ、と話を切り出した。その声で、アルベルトはなんとか飛ばしかけていた意識を引き戻せた。リリアンの言葉を聞き逃すことがあってはならないのだ。

 リリアンは手にしていたクッションを大事そうにソファに戻す。


「お兄様から伺ったのだけれど。この織物、もっと流通するように工場を造ると聞きました」

「そうだね。その話を、さっき陛下にしてきたよ。うちの事業の一環になると思うが」

「そうなのですね! ……こんなに素敵なんだもの、きっとたくさんの人が欲しがでしょう。でも職人が少ないとも聞いたわ。お父様、貴族が独占しないようにすることはできますか?」

「それは対策をするよ。庶民にも行き渡るようにして欲しいと代表者にも言われていることだし」

「その方たちの手元に、届くといいわね」

「そうなるさ、リリアンがそう望むならね」


 リリアンは、「お父様ったら」と笑ったが、この後ほどなくしてアルベルトの言葉は現実となる。紋様は単調だが鮮やかな赤が特徴となるこの織物は〝リリィローズ〟と名付けられ、広く流通した。ヴァーミリオン公爵家が手掛けることからたちまち話題となり、あっという間に予約が埋まる。市場への入荷も未定となるが、それでも混乱が起きなかったのは公爵家の尽力があったからだ、という。工場への投資、職人の増員、設備の整備、流通まで、当主自ら手掛けることもあったとか。

 そうして貴族から庶民に至るまで、幅広くリリィローズは愛された。庶民がそれを手にすることができたのは、ブランド品にも関わらず比較的安価だったからだ。これは利益を最低限に削りに削ったからだともっぱらの噂だったが、公爵家当主のアルベルトは、なぜそこまでするのか、という問いにこう答えたという。


「無粋なことを聞く。私の! 娘が! そう望んだからだ。それ以上の理由が必要か!?」


 アルベルト・ヴァーミリオン。彼のお方が国一番の娘馬鹿であるというのは、国内では当たり前の共通認識であった。

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