11:00 王の根城

:22 謁見の間

 巨大な両開きの門が、耳をつんざく音をまき散らしながら、ゆっくりと開いていく。

 人が通れるほどの隙間が出来あがると、そこからひんやりとした空気が流れてくる。

 この瞬間、俺はいつもゾゾゾッと武者震いが出る。


「よし、入ろう」


 俺たちは意を決して、城内へと足を踏み入れた。

 大理石の床を踏みしめるたび、硬質な音がエントランスに反響する。


 王の根城。


 そのエントランスは荘厳の一言に尽きた。

 城を支える円柱、そして二階へと至る中央階段、そのすべてが白の大理石で統一され、天井からは豪奢なシャンデリアがぶら下がっていた。まるで、どこぞのテーマパークにあるメルヘンなお城みたいだ。


 ステアがキョロキョロと辺りを見回すたびに、ギャルJKのキレイな銀髪が宙を舞った。


「なんかさ、いかにもラストって感じだね」

「そうね…………ここまでたどり着くことのできたプレイヤーは、いったい今まで何人いたのかしら……」


 長い黒髪を耳にかけながらシボは、思いつめた表情でそうつぶやく。


「数千人はいるみたいだけど」と俺。

「それでも、数千人なのね……」


 予想より少なかったのか、シボは噛みしめるように言った。


 真っ白なせいで段差がわかりづらい階段を登りきると、そこには背丈ほどの巨大なレバーがあった。そのレバーは奥へと倒れており、手前に引っ張ることでゴンドラが下りてくるという仕掛けだ。


 さっそくレバーを手前に引っ張ると、ガゴン、と音が降ってくる。どうやら、うまく作動したようだ。じゃりじゃりじゃり、とチェーンのこすれる音が続く。


 ここで、しばし鳥かごが降りてくるのを待たなければならない。ほんと、RTA走者泣かせの時間だ。


「しばらくしたらでっかい鳥かごが降りてくる。そいつに乗って、最上階の謁見の間に行けば、そこにラスボス老王サンゲリアがいる」


 シボとステアの両名がこくりとうなずく。


「ってか、やっぱさ、強いの? その王さま」

「バチクソ強い」


 ステアの疑問に簡潔に答えると、心配になったのかシボが俺のタイマーを見上げる。当たり前だが、頭上にあるタイマーが何分を示しているのかは、自分ではわからない。


 ただ、シボのはわかる。

 黒髪ロングの上にあるタイマーは、11分17秒を示していた。


「間に合いそう?」とシボ。

「その質問に答えるには、もうちょっと情報が欲しいな」 

「……謁見えっけんの間がどうなっているかによるわけね」


 さすがはシボ。鋭い。

 そう、まだ俺たちを追いかけるプレイヤーキラーが一人、残っている。

 彼の存在を無視して、うかつなことは言えなかった。 


「もし、上にラスボスしかいなかったら?」

「余裕で間に合う。でも、それはC案だから、あんま期待はできないかな」


 俺のその言葉に、ステアは呆れたように首を振る。


「ハヤタ……あんたって人は……最後の最後まですごい自信だね」

「でも、それが言えるほどやってきたのよ、ハヤタくんは。このゲームを」


 そだね、とつぶやいたステアが、何かに気づいたのかハッとした。


「ってか、ちょっと待って、いまC案って言わなかった? ほかに、あるの?」

「あるし、俺が考えてるメインシナリオはむしろそっちで、ラスボスとシャラ―の共闘がA案」

「えええっ⁉ ラスボスと共闘⁉ って、そんなんアリなん⁉」

「いや、まあ、原理とかは俺もよくはわからないけど、もしそれが可能なら、俺ならそうする。それが俺たちが一番困るシナリオだし」


 たしかに、とステアは深くうなずく。


「ほかにもあるのね。シナリオが」とシボ。

「ああ、あと一つ。ラスボスはもう死んでて、玉座でふんぞり返るシャラーが、笑って俺たちを出迎えるのがB案」


 これは、A案に次いで確率が高いと思っている。ああ見えて、シャラ―はナルシストなところがあるからな。

 だけど、やはり俺たちが一番困るであろうA案、つまりラスボスとシャラ―の共闘を念頭に作戦を練ったほうがいい。じゃないと、いざというとき身動きが取れなくなる。


 と、そんなことを考えていると、ふとシボの視線に気づく。見ると、彼女は俺を羨望と畏怖の混じったような目で、じっと眺めていた。


「私たちがぼんやりお城を眺めているあいだに、三つもシナリオをつくって、それぞれどう対応するかを考えていたのね」

「ああ、まあ、RTA走者のさがみたいなもんだよ。どのパターンを引いても、常にリカバリー案は頭に入れておきたいから。じゃないと不安で不安で、とてもじゃないけど走れないからな」


 ほえ~、とステアが感心したような音を鳴らす。


「頼もしいというか、恐ろしいというか、そんな人がずっと後ろの席に潜伏していたなんて、いまだに信じらんない」

「潜伏て」


 俺はゲリラか。


「でも、オグリアスさんが断崖街区で言っていた言葉の意味が、今ならわかる気がするわ。ステア、あなた、先見の明があったのね」

「えへへ」


 ガシャン! と派手な音が鳴って、巨大な鳥かごが俺たちの前に姿を現す。


 動物園の檻のような扉を開いて、俺たちはそれに乗り込む。カゴの中には、これまた小さなレバーがあって、それを手前に倒すと、カゴはゆっくりと上昇をはじめる。

 この移動の時間、いつもなら、俺たちRTA走者は装備をイジることぐらいしかやることがなく、手持ちぶさたの極みだった。


 だが、今回は違う。今回は仲間がいる。今日なったばかりのフレンドだが、彼女たちをなんとかクリアさせたいという気持ちは、俺の中に確かに生まれていた。なので、いつもなら長すぎるこの時間も、作戦を考えるための短すぎる時間となった。


 そして、やはりというべきか、どの案を引いたとしても、三人同時クリアは無理そうだった。

 どう考えても時間が足りなすぎる。


 だったらせめて、二人だけでも――


 心地いい揺れの中、俺はステータス画面を呼びだすと、残っていた変身ダケ二本を取り出した。

 唐突に紫色の松茸を手にした俺を、シボとステアは真顔で見ていた。それはもうゴミを見るような目で、真顔だ。


 今からこいつを食べなさいと言ったら、二人はいったいどんなリアクションをするだろう。ブチギレられるだろうか。

 ちなみに、俺なら発狂する。一日三本は、発狂する。


「二人とも、今すぐこいつを食ってくれ」


 すると、二人ともがグロい松茸に目をやり、それから再び俺を見た。心なしか、二人のこめかみがピクピク痙攣している。キレてるのかな。


「ふっ……ふざけてる?」と銀髪のギャル。

「残念ながら、今回はマジだ。頼む」

「何か考えがあるのね?」と黒髪ロング。

「ああ、ある」


 俺のマジモードが意外だったのだろう、二人は顔を見合わせると、再び俺へと視線を戻し、案外素直にもこくりとうなずいた。


 ふう。どうやら、今回ばかりはマジだと伝わったようだ。

 シボとステアは恐る恐る、俺の手からグロテスクな菌類を受け取る。そしてすぐにその悪趣味な松茸をためつすがめつする。


「グッロ!」とステア。


 シボは鼻に松茸を近づけ、くんくんと匂いを嗅いでいた。


「匂いは……うん、無臭みたいだけど……これって味はどうなの?」

「安心してくれ。見た目はそんなだけど、味も終わってる」


 正直に答えると、二人とも紫の松茸を持ったままフリーズしてしまった。

 ごめんて。でも、それ以外に形容しがたいのも、また事実だ。じっさい、こいつの味は終わっている。今日、二本いった俺が言うのだから間違いない。思い出しただけでも吐きそうだ。


 鳥かごの緩やかな浮遊感に包まれる中、最初にそれにかぶりついたのは、黒髪ロングのシボだった。

 かぷ、と大きなカサに歯を入れ、一息に噛み切ると、じゅる、と紫色をした粘性の強い汁があふれ出す。


 しゃくしゃくしゃくと咀嚼音のあと。


「んんヴォオ」


 胃からの強烈な反発を食らったのだろう、女子らしからぬ音を出すシボ。顔をしわくちゃにして、目尻にいっぱいの涙を浮かべている。今にも吐き出しそうだ。


「たっ、耐えるんだ! そして一気に飲み込め!」


 ごっくん。シボの真っ白な喉が上下する。


「飲み込んだ……?」


 くぱぁ、と開かれた彼女の口の中は、ネバネバした紫の糸であみだクジみたいになっていた。が、どこにも変身ダケの欠片はない。


「飲み込んだわ……うぷっ」

「よし! さすが! グッジョブ! よく耐えた! えらい!」


 俺はありったけの賛辞を与える。それをするだけの価値が、この行動にはある。


「さ、ステアも早く。もう頂上が近い」

「うう……おどうさーん……いただきます……」


 すでに半泣きのステアもカサの部分を齧ると、もぐもぐと口の中で咀嚼する。

 直後。


「ンロオォオ」


 ステアの青い目がバッキバキになって、ちょっとこわい。

 彼女も、シボ同様、大粒の涙をボロボロこぼしながらも、なんとか飲み込んだ。


「よし、じゃあ、今から俺が言うものを頭の中で想像してくれ――」


 口を押さえた二人が、ボロボロ涙を落としながら、ふん、とうなずく。


「それで勝ち確だ」


     ★ now loading ...


 ガゴン、と一度大きく振動すると、鳥かごは停止した。

 檻のような扉を開けて、大理石の廊下を奥へと進む。

 静かすぎて、自分の心臓の音がよく聴こえた。


 と、すぐに広大な空間に出る。

 これまたエントランスに負けず劣らず荘厳な空間だった。


 謁見の間。

 広い部屋の最奥には、巨人でも楽々通れそうなほどどでかい門が鎮座していた。


 その門の前には、背もたれの半壊した玉座があり、そして、そこに一人の男性プレイヤーが頬杖をつき、待ちわびたように座り込でいた。


「早かったな。さすがRTA走者。ムカつくけど、ゲームプレイはピカイチだなマジで」


 イケメンプレイヤーのシャラ―は相も変わらず極黒きょっこくシリーズで全身を固めていた。が、今回は珍しく盾も持っている。やる気満々のようだ。

 とりあえず俺は、シャラ―の挨拶を無視。情報を集めるべく周囲をうかがう。


 と、向かって左側の壁にもたれかかるようにして、老いた王がいた。彼の胸には真っ黒な剣が突き刺さっている。微動だにしないところを見るに、どうやらこと切れているらしい。


「なるほど、B案ね。了解」


 ここから先、やるべきことはすべて頭の中に入っていた。

 俺はさっそくステータス画面を出す。

 それにシャラ―はすかさず反応する。


「おいおい、プレイも早いが、気も早ぇな。もっとこう、最後っぽい会話でもして気分を高め合おうぜ」


 と、なにやらのたまっているが、俺は淡々と装備欄にあった剣をタップ。

 出現した青き血族の刃をキャッチすると、それをシャラ―に向かって放り投げた。

 ヴン、と風を斬る音ともに、青い車輪がヤツに襲いかかる。


「あぶっ!」


 ガキン、と極黒の盾が、青い刃を弾き飛ばす。ものすごい反応スピードだ。さすがはチーター。一筋縄じゃいかないか。

 シャラ―の背後へと消えた剣が派手な音を鳴らして転がる。


「って、おい! ちょっとせっかちすぎねーか!」


 チッ。次だ。


 次に俺が取り出したのは、より投擲に適したアサシンの短刀だった。

 虚空に具現化したそれを空中でキャッチすると、玉座にふんぞり返るヤツめがけて投げる。


「これなら!」


 ヒュヒュン、と短刀はシャラ―の鼻先に急襲し――

 ガキッ、とまたもや盾で防がれる。


「おい! いいかげんにしろよ! んなチンケな攻撃でオレがやられるわけないだろ! 舐めてんのか?」

「くそっ!」

 

 次だ、次。

 間髪入れず、俺はシボからもらった毒団子を思いっきり投げる。


 ぱふっ、と団子がヤツの盾にぶつかると、緑の毒ガスを周囲にばら撒きはじめる。

 が、まったく、これっぽっちも効いていない様子で、ガスの中のシャラ―は腹立たしげに口を開く。


「耐性をつけてないわけないだろ。おまえマジで、ふざてんだろ?」

「くそっ! くそっ! くそっ!」


 恨み節を口にしながら、俺は、ガンガンガンガン、と装備していた極黒の盾で大理石の床を打った。

 何度も、何度も、何度も、執拗に、床を打つ。


「お、おい、どうした急に……荒れてんなァ。まあステータスカンストのチーターを前にしたら誰でもそうなるか。ハハッ」


 気づくと、俺は四つん這いのまま放心状態だった。

 そのときふと、胸に剣の突き刺さった老人が目の端に入る。

 

 そういえば、消滅せずにボスのカタチがそのまま残っている。本来、ラスボスである彼は、倒されると今際のセリフを吐きながら消滅するはずなのだが……。

 見ると、老王の胡乱な瞳は、まるでチーターによって倒されたことを誰かに訴えているかのように寂しげに、白く濁っていた。

 ……って、まさかな。      


「あれ、あんたがやったん?」

「あ? 今度はなんだよいきなり。でも、まあ、そうだよ、おれがやった。それがどうかしたか?」

「いや、てっきりテロリスト側そっちの味方だと思ってたから」

「ああ、なるほどな。いや、それも考えたよ。実際、システムをイジってあいつと共闘するプランもあったしな。でも、それをやると料金がなぁ。あいつらマジでボッタだからなぁ」


 あいつらというのは、海外のクラッカー集団のことか。

 機嫌がいいのかシャラ―は死体となった老王を見ながら饒舌に語る。


「でも、すげーだろ? 現役の頃は倒せなかったヤツだ。チートを使ったとはいえ、倒したときは感慨深かったぜ。思わず声出たもん。ヤッタっつって。念願のラスボスを倒したぞっつって」

「ズルで倒して楽しいか?」

「あ?」


 シャラ―の顔から笑顔が消えた。白馬亭でも見た暗い目がまっすぐ俺を射抜く。

 四つん這いになるのも疲れてきたので、俺は立ち上がりながら言った。


「俺はまだ覚えてるぜ。このジィさんを最初に倒せたときはどんなにうれしかったか。興奮して朝、寝れなかったな」


 昼夜逆転は廃ゲーマーの運命だった。とはいえ、いい子はマネしないでほしいものだが。


「そうかよ。でも、一回マグレで倒したぐらいで調子に乗ん――」

「俺はこのジィさんの攻撃パターン。ぜんぶ頭に入ってる」


 自分の頭を指でとんとんとすると、シャラ―は苦々しい顔で下唇を噛んだ。

 かまわず、俺は続ける。


「ジィさんの攻撃パターンは全部で15種類。そのうち剣によるものが10種類で、業によるものが5種類。一番避けるのがムズイのが、その業による攻撃で、【紫雷しらいの貫き手】っていう作中最強の近距離攻撃で、最初はこう腕を伸ばして――」


 言いながら、俺は思う。

 ああ、シャラ―……やめてくれ。そんな顔。

 そんな鬼のような形相は、あんたには似合わない。あんたは、いつも笑ってゲームをしてないと……。そして、たまにはブチギレて、それからまたへらへら笑って再スタートしないと。


「そういえばシャラ―。紫雷の貫き手は見た?」

「だ、黙れ」


 いろんな感情が胸の中でないまぜになって、それを吐き出すように、俺は吠える。


「ハンパなゲーマーになったなァ? あんたはよォ⁉」

「ほざけ!」


 たったの一歩で距離を詰められる。

 速っ、避け――いや、無理だ。


 俺は真っ黒な大剣で逆袈裟に斬り上げられる。


 素早さ、筋力、攻撃力。その全てが桁違いだった。

 目に映る謁見の間がぐらんぐらん回転する。


 気づくと、俺はぼろきれみたいに吹っ飛ばされていた。

 斬られた胸が熱い。熱湯をかけられたみたいだ。それに……気持ち悪い……吐きそうだ。


 極黒の大剣を担ぎ直したシャラ―が、心底あきれた様子で言葉を吐く。


「おまっ……マジか。そんな弱っちいのに、なんで……なんで、そんな啖呵がきれたんだよ……おまえマジで頭おかしいんじゃねーのか」

「ステータス……ぜんぶ、マックスは反則だろ……」


 振り絞るように俺は言う。


「元視聴者だったら、オレが心配性なのぐらい知ってんだろ」

「そ、そうだった……でも、あんた……運だけはなかったみたいだな」


 シャラ―は呆れたように鼻を鳴らす。


「何を言っている。当然だがラックもマックスだっての。レアアイテムがドロップするわするわ。あらためてラックの重要性を感じたくらいだぜ」

「いいや。ツイてないよ。だってシボのフレンドにステアがいて、そのステアの後ろの席に俺がいたんだから…………それって……ものすごい確率だ」

「ハア? ってかお前、さっきから何が言いたいんだよ?」

「俺がこのゲームに来なかったら、あんたのたくらみは全部成功してたのにな、って――」


 その俺の言葉に、シャラ―はぽかんと口を開けた。


「おいおい、すげぇ自信だな。いや、マジでビックリするわ」


 シャラ―は呆れたように前髪を掻きあげながら言った。


「まあ、たしかにお前のその攻略速度には目を見張るものがあっけどよぉ。でも、対人戦はからっきしだわ、現にぼろきれみてぇに床に転がってるわで、おまえに何が出来んだよ? あ? もう、あとは死を待つくらいしかないだろ、さすがに」


 喉の奥を鳴らして笑ったあと、シャラ―は思い出したように訊いてくる。


「あ、そうだ。死ぬ前にこれだけは訊いときたいんだけどよ、ゲームのクリアタイムを短くして何が楽しいんだ?」

「わかんないかなぁ。ロマンだよ」

「ロマン?」

「最難関を最速で。これ以上のロマンはないな」


 プッ、と唇を鳴らすと、シャラ―は来た道を戻って玉座に座る。


「じゃあ、あと3分ちょっと、そのロマンとやらをたっぷり満喫してくれや」


 俺はもう首を起こしているのも無理だった。

 冷たい床に大の字になる。


 や、やばい……マジで死ぬ。視界がぐにゃぐにゃに歪んできやがった。

 そして、寒い。ガクガクと全身が震えてくる。


「おーい。死ぬ前の痙攣はじまってっぞー。そんなに寒いなら、カップラーメンでもつくってやろうか? って、できあがる前に死んじまうか。ブハハッ」


 シャラ―は一人で言って一人でウケていた。

 そうか、俺の命はカップラーメンが食べ頃になるよりも早く尽きるんだな。

 とはいえ、謁見の間の天井を見るくらいしかできないが。


 つやつやした大理石の天井には、大の字になった俺が鮮明に映っていた。頭上にはオレンジのタイマーがあって、無情にも、冷酷にも、正確に、いまもなお時を刻み続けている。

 時は、皆に平等だ。


 天井の大理石によると、俺の命はあと2分を切っていた。


 正確には1分55秒。


 約2分後に死ぬRTA走者。


 ふふっ。まるで、どこかのヒーローみたいだな。

 と諦めかけた、そのときだった。


「なんだ⁉」


 シャラ―の不思議そうな声に、俺は最後の力を振り絞って、頭を起こす。

 と、玉座の前で立ち上がったシャラ―の両腕が後ろ手に拘束されていた。


「なっ、なんだ……? おかしい……手が……動かない……⁉」

「どしたん? 手錠でもかけられたみたいな格好して」

「は?」


 シャラ―は珍しく焦ったような顔で、俺をじっと見つめる。


「あ、いや、俺が警察なら、まずはそうするかなって」

「何の話だ?」

「だから、警察が突入するとするじゃん? ホテルの部屋か何かに。んで、犯罪者がそこで無防備にゲームなんぞをしていたら、俺なら、まずは両腕を拘束してからダイヴナイーヴを外すかなって」


 俺はステータス画面を呼びだす。これは、まあ、念じるだけだから、なんとかできた。

 そこにはもちろんプレイ時間も記載されている。それによると、今のプレイタイムは――


「8時間43分24秒」


 まだよくわかっていないのだろう、シャラ―が懇願するような目で俺を見る。


「今回のクリアタイムだよ。てか、走り慣れてないフレンドを二人連れてこの数字ってのは、褒められてしかるべきだと思うけど……」


 いまや顔色のなくなったシャラ―が、いきおい振り返る。


 彼の視線の先、最後の門が少しだけ開いていた。まるで夜中にこっそりと親に内緒で少女たちが抜けだしたかのような、そんな愛嬌のある隙間。


 ようやく自分の置かれた状況に脳が追いづいたようだ。シャラ―はこちらに向かって唾を飛ばす。


「おまえが最初に投げた二本の剣は⁉」


 シャラ―が疑問に思うのも仕方ない。だって門の前に転がっていた剣が忽然と姿を消していたのだから。


「俺が投げたのは二本の剣じゃない」

「は?」

「シボとステアっていう、俺のコレだ」 


 血まみれの小指をおっ立てる。それが意味するところはつまり、そういうことだった。


「……じゃあ……お前が盾を鳴らしていたのも……?」

「少女たちの家出の手伝い。その門、錆びててうるさいから」


 愕然としているシャラ―に俺は淡々と勝利宣言を告げる。


「クリアした二人が警察に駆けこんで、今回のゲームジャック犯が逮捕されたところでタイマーストップ。今回のRTAはそこで終了となります。えー完走した感想ですが――」


 俺の独り言の途中、シャラ―は憤怒の形相となる。

 怒りに我を忘れはじめた彼に、俺は宥めるように言ってやる。


「おっと、感情に焼かれるなよ。ゲームプレイは常に冷静に、だろ」

「くそがっ!」


 シャラ―が矢のように急襲する。


 が、道なかばでシャラ―は霧となって消えた。

 それはもう跡形もなく。


 強制的にログアウトしたときの、それは現象だった。


 シャラ―の消滅を見送った俺は、そのまま再び大の字になる。

 実を言うと、首を起こしているのもやっとだった。気を緩めると今にも意識がとぎれそうだ。

 きっと流血の状態異常が効いているのだろう。


 でも、まあ、なんやかんやあったけど、けっこう楽しい人生だったな。


 それに――

 やっぱり、ゲームを教えてくれたシャラ―には感謝していた。

 彼に出会わなかったら今ごろ俺は、深い洞窟の奥で一人、膝を抱えていたことだろう。

 そこから引っ張り出してくれたのは、ほかならぬシャラ―だった。

 だから俺は独りごちる。


「ありがとう、シャラ―。こんなちっぽけな俺に、こんな最高な暇つぶしを教えてくれて……」


 天井の残り時間が30秒を切った。

 ゴールは目の前だけど、もう歩くことさえできない。

 もう一度、二人に会いたい。

 そして伝えたい。


「人とゲームすることが……こんなにたのしいことだったなんて……思いもしなかったな……」


 と。

 瞼が自然に落ちてきた。ここでゲームオーバーか。

 そのときだった。


 俺は何者かに腕を掴まれ、そのままぐいぐいと引きずられる。ものすごい力だ。まるで野生のゴリラが大木を引きずるような――


「ここで王子様を見殺しにしたら、あの二人はきっとわたしを呪い殺すだろうな」


 見ると、金髪ショートの女剣士オグリアスが実に楽しげに、腕一本で俺を引きずって歩いていた。


「オグリアス……あんた、きてたんか」

「辛気臭い顔は似合わないぞ、と。あ、そうだ。これで貸し借りなしだよな?」


 こちらを見下ろす切れ長の目が、恋する少女のようにキラキラと輝いていた。


「……あ、ああ。そうだな。チャラだ」

「よかった。じゃ次の配信、楽しみに待っているぞ」


 ものすごい力で引き起こされると、そのまま門の隙間に投げ入れられる。

 メスゴリラに投げられてゲームをクリアするのは、さしもの俺もはじめての経験だった。

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